表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
探偵と助手の日常  作者: 藤島紫
第1章 「本日のおやつは、さつま芋パイです」
10/26

遺体発見

 紗川の言葉は、鋭く岸の心を刺したに違いない。

 それに手を伸ばす岸を押さえ、紗川は低い声で、だがはっきりと言った。

 岸俊夫の妻、美子は、午後六時十分、絞殺死体で発見された。





 三枝は、そっとリビングを離れた。取り乱している岸の前で電話をかけることを躊躇したためだ。

 幸いなことに、家主がいなくとも、岸の妻が経営するショップのホームページから住所がわかった。だが、幸い、と言う言葉がこの場合も使えることは皮肉でしか無い。

 三枝は必要なことを警察に伝えると、廊下からリビングに戻った。

 扉をあけると、ソファの背と同時に遺体の髪が視界に入った。髪は先程と異なる散らばりかたをしている。

 おそらく岸が妻を抱き起こそうとしたのだろう。

 その心理は理解できる。

 視線を遺体の先に向けると、大きな液晶テレビがあった。電源は入っておらず、画面が暗い。

 だからだろう。

 真っ暗な画面に遺体が写っていた。

 大きな花柄のワンピースの裾から伸びた足はほっそりとしており形がいい。ピンク色のカーディガンはフリルがついており凝ったデザインで、まるでバラの花のようだ。

 服のセンスとここにたどり着くまでの置物のセンスが合致している。


(綺麗な人だったんだろうな……)


 苦悶に満ちた表情からは顔立ちの良さを想像することは難しいが、スタイルの良さは隠しようがない。

 伸びた素足の先を見ると、四角いプラスチック製のものが転がっていた。家電製品のようだ。


「三枝君、連絡は済んだか?」


 紗川の声がする方に顔を向ける。紗川と岸は、二人掛けの小さなダイニングテーブルに向かいあって座っていた。


「はい。おおよその到着時間を聞いてありますが……三十分以上かかるかもしれないとのことでした」


「……ずいぶん、かかるものなんですね」


 岸のつぶやきに、三枝は心の中で首を振った。

 三十分で着くなら早い方だろう。


「ちょうど道が混んでいる時間ですからね」


「サイレンを鳴らしても、そんなものなんですか? 警察は何をやっているんだ……人が一人、殺されているんですよ……」


 岸は怠慢だと不満そうだ。対して三枝がそう思えないのは、刑事の仕事がいかに厳しいか、近くで見たことがあるからだろう。


「岸さん」


 紗川の声が響いた。

 紗川の声はよく響く。

 特にこんな時はそうだ。

 耳の表面に届いた音の波が中耳を撫で鼓膜を穏やかに震わせる、その感覚が体で分かる。

 一言でいえば、『良い声』なのだろう。

 こちらが不安と恐怖で心が散り散りになっているからなのか。聴覚は閉じることのできない、むき出しの受容体である事を実感させられる。

 不快な強引さではない。聞いていたくなる音。

 例えそれが、いかに不快な言葉であったとしても、声そのものは神経を心地よく撫でる音だ。普段は、せいぜいが良い声だとしか思わないが、事件現場でこの声は『映える』。

 紗川の声を聞いていると、三枝は時折、脳が言葉と声の響きで混乱してしまいそうになる。強制的に冷静にさせられたような、全ての言葉をそのまま受け入れてしまいたくなるような、不思議な感覚だ。

 心を落ち着けたいのであればともかく、亡くした悲しみに沈んでいたい時には逆効果になる時もある。実際に、三枝は落ち着かせられる事に反発したものだ。

 深い悲しみに囚われていたい時もある。

 失った人への想いが強いほど、混乱するものかもしれない。

 多くの人にとって、落ち着いた紗川の声は心強く感じられるのだろうがーー


(あの時の俺は、そうじゃなかった……)


 不意に、かつて大切な人を失った時のことを思い出して三枝は苦く笑った。

 遺族と呼ばれて少しばかりの時が経ち、紗川と共に事件を見ているうちに、自分はとても天邪鬼だったと思うようになった。

 大抵の人は、紗川の声の前では落ち着きを取り戻す。

 岸もそのようだ。


「お茶でもいかがですか? 妻が取り寄せた青い紅茶があるんですよ」


 自分でも心を落ち着けようとしているのか、岸が席を立とうとする。

 だが紗川はそれを手で制した。


「何が警察の捜査の妨げになるかわかりません。静かに待ちましょう」

「……ああ、それもそうですね」


 それで岸は三枝が立ったままなのが気になるらしい。キッチンにあるパイプ椅子を持ってきた。

「どうぞ」

「あ、すみません」

「自宅の方には来客が少ないもので……椅子が少なくて申し訳ない」

「いえ、お気になさらず」


 渡されたパイプイスを紗川の斜め後ろに置き、腰を下ろす。

 無機質な冷たさが伝わってきた。


「ところで岸さん、警察が来るまでの間、改めて奥さんについてお話を伺えませんか?」


 先ほど、紗川は十分注意をして死体を観察していたようだが、余計なところにうっかり触って下手に指紋を残さないようにポケットに手を入れていた。三枝もあわててそれに倣う。パイプ椅子には触ってしまったが、捜査に差し障りがないことを願うばかりだ。


「……詳しい話、といいますと?」


 岸の声は震えていた。

 この部屋は寒くはないのに、岸の声はまるで凍えているようだった。

 部屋には暖炉もエアコンもあったがどちらもついていない。暖炉があるような家だ、寒さを感じないということは、床暖房が効いているのだろう。座っているのをいいことに、こっそりスリッパをぬいでつま先を床に触れさせてみる。思った通り、床は暖かい。

 予想が当たったことに満足してスリッパに足を戻そうとした時だ。小指に何かが当たった。

 足元を見ると、赤茶色の小瓶が転がっている。


(なんだ、これ……)


 思わず拾い上げると、紗川と目があった。

 その段になって、ようやく自分が現場の証拠品を動かしてしまっただけでなく、指紋をしっかりつけてしまったことに気づいた。

 小瓶から溢れていた赤茶色で三枝の指先は汚れている。


(げ……ヤバイ。素手で触っちゃったよ)


 こちらを見る紗川の視線が冷たい。

 紗川が「少々お待ちいただけますか?」と岸に声をかけている。


(本格的お説教タイムの予感っ!)


 いい声というのは、怒った時の迫力もまたひとしおだ。三枝は覚悟を決めて思い首をすくめたが、雷は落ちて来なかった。


「あの……」


「マニキュアだな。まだ乾いていないな?」

「どろっとしてますが、完全には固まってないみたいです」

「そうか。なら、キャップは落ちていなかったか?」

「え、あ、はい」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ