2
「何で!何でオレが見えるんだよぉぉぉ!!!」
「何で、と聞かれても……見えるから、としか言えないっす」
凌が気付いている以上、こっそり逃げ出すのも無意味だと判断したらしい妖狐(暫定)は、今度は堂々とぴょんと飛び降りた。
しっかりと抱きかかえていたものだから、其の際、手や胸元を割と強く蹴られた。足はお誂え向きに下駄を履いていたから、地味に痛い。
そんな風に地面に降り立った妖狐(暫定)が開口一番言い放ったというか、絶叫したのがそれだった。何で見えるのか。見えるから見えるのだ。
でも確かに本当にこの子供が妖狐であるのなら、“何処かにいる凄い人間”に分類される凌が、普通を訴えるのもおかしな話ではあるものの、少なくとも霊力的なものについては完全に一般人である凌に見えるというのもおかしな話で、妖狐(暫定)が絶叫するのも無理はないだろう。
労せず全てを成し遂げる。
……まさか霊感的なそれも、“其れ”に含まれてる、なんて言わないよね?そんなありそうで否定出来ない不安に襲われつつ、凌は一応の礼儀と其の場に屈んで、身長的には己の膝丈くらいの妖狐(暫定)に目線を合わせる。
子供と接する機会はないものの、基本的に人を見下す趣味はない。何でもそつなくこなしてしまう為、そういう倒錯しきった趣味を持っていると嘯かれるが良い迷惑だ。
「えっと、……アンタは妖狐っすか?」
とは言えあやかしの類と話した事なんてない。少し悩んで……そう、オレはこういう事がしたかったんす……凌は問い掛けた。
そしてそれは、当たりだったらしい。妖狐であるという予想も、言葉選びも。
目の前の妖狐(確定)は小さな胸をえへん!と反らして、腕も組んで、偉そうな態度を作りあげる。もっとも見た目が子供であるから、ただただ微笑ましいだけであるが。
「そう、オレは妖狐!偉大なる九尾、スズミ様の下で過ごしてた、妖狐。名前は憂。修行の為に人間界にやってきた!」
妖狐だと問うた事か、目線を合わせた事か、両方か。
上機嫌に妖狐は凌の聞いた事以上の情報、もっと言えばこれから聞こうとしていた事を先に話してくれた。
妖狐もといウレイの話に凌は納得する。尻尾の数が2本なのはそういう事か。
一説に尾の数が霊力を表しているとされる妖狐。有名な九尾が最上である。修行と言っていたし、ウレイは見習い妖狐とか、子供の妖狐とか、そういった類なのだろう。
修行の為人間界に向かい、その結果、空から落ちてくる羽目になった、と。そういう事だろうが、こそこそ逃げようとしていたし、あの結果は本人とて不本意であっただろうから言わないでおく。
凌が居なければ、と言うより居たのが凌でなければ、落下地点にされた人間もウレイも割と惨事を起こしていた危険性が高いものの、其処を指摘して恩を売りたいワケではない。そもそも恩があるのは凌の方とも言える。
一時とは言えウレイは凌の退屈極まりなく、崩壊さえ望んだ日常を確かに崩壊してくれたのであるし、凌に正解を探って頭を悩ませるという珍しい経験も与えてくれた。感謝するべきは凌の方である。
その気持ちと、この縁を切りたくないという気持ちが凌の中にはあった。
それは凌を、具体的には凌の口を動かすには十分な燃料であった。
「ねえ、ウレイ。妖狐の修行って具体的に何をするんすか?もしオレで良ければ手伝いたいんだけど」
何でオレが見えるのかとウレイが絶叫していた事を考えると、凌と意思疎通が出来るのは想定外であったのかもしれない。それでももし、凌に関われる事があるのなら凌は積極的に関わりたかった。
修行と言うからにウレイは深刻であるだろうが、凌とて深刻だ。漸く、漸く予想の付かない、努力も必須の事象を掴めるやもしれぬのだから。
ウレイが考えるポーズを見せる。うーん、と声に出している様はその外見もあって、本当に幼い子供の様だ。ウレイの内心を代弁するかのように、2本の尾はあっちへゆらゆら、こっちへゆらゆら揺れていた。
数分、そうしていただろうか。
手を叩き、同時に決めた、と発せられたウレイの声は明るく、顔も晴れやかだった。
「妖狐の修行は2種類ある。どっちを選ぶかは個人の自由だ。1つは人を欺く事。これはお前に正体を知られちゃったし、人間を付き合せるのは申し訳ない。其れで、もう1つ。人の願いを叶える事。どっちにするか迷ってたけど、こっちに決めた。それで、お前に手伝ってもらう。オレはお前の願いを叶える!」
これまた修行にしては大変なところを選んだものだと思う。凌の願いなんて日常の崩壊以外特にない。そして其れも今、こうして果たされた。
いや、違う。新しい願いはとうに芽生えている。ウレイが降ってきた事によって生じた、日常の破壊。その存続。
ウレイは願いを叶える為に対象者である凌と殆ど一緒に過ごすだろう。そうなれば、凌があの退屈な日々に戻る事もない。ウレイの修行とて、存外滞りなく進むかもしれない。それは凌とウレイ、どちらにとっても良い結果である様に思えた。
「じゃあ、ウレイにオレの願いを叶えてもらおうかな」
「ああ、任せとけ!何て言ってもオレはスズミ様の下で暮らしてきた妖狐。修行中の身と言っても、腕は確かだからな」
「そうそう、オレの名前だけどね、凌っていうの。覚えて欲しいっす」
「ああ!よろしくな、凌!!」
そう、屈託無く笑って。ウレイは手を差し出した。
小さな手。握手を求めているらしい。
そう言えばこんな風に笑顔で、何の下心もなく、純粋に接される事は何年振りだろう。ましてや、握手を求められるなんて。
そうしたセンチな気分になりつつも、凌は笑う。別段無理をしたワケではない。センチな気分にこそなったものの、同時に屈託無く笑い、無邪気に手を差し伸べてきた。それが嬉しかったから笑うのだ。
「うん、よろしくね、ウレイ」
ウレイの手は小さくて、本当に幼子のそれで。
しかしながら凌には、とても頼り甲斐のある手に思えた。少なくとも凌に思案を与え、喜びを与え、凌の望みを1つ、一瞬で叶えてしまったのは、この小さな手の持ち主、ウレイなのだから。
凌が手を握り返した事で、ウレイは更に嬉しそうに笑ってみせる。其の儘先程の様に胸を張った。空いている片手で、力強く己の胸を叩く。任せておけ、と言わんばかりに。