《第110話》しんぱい なんです【後編】
食事の時間となると、それぞれにジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩め席に着いていく。
それは連藤も同じで、ジャケットは先に脱いではいたが、ネクタイはまだだった。
右手の人差し指がネクタイにかかり、ネクタイの結びを緩めていく。その長く細い指がからんだネクタイが美しく、すぐに片手でシャツのボタンを外していく動きも無駄がない。
思わずため息がもれる莉子に、
「おい、なにじっくり見てんだよ」
「三井さんのこと見てるわけじゃないんで」
確かに三井も巧も瑞樹も格好はいいのだが、やはり連藤の動きが滑らかで無駄がなく、それがあまりに完璧で見ほれてしまうのである。
連藤の動きが整ったことろで莉子は冷蔵庫からカバを取り出し、グラスに注ぎ始めた。
相変わらず強気な泡と爽やかな香りがグラスから溢れてくる。
それを受け取りながら瑞樹が嬉しそうに声をあげた。
「これ、優ちゃんたちと初めて食べた時の鍋だぁ」
「よく覚えてたね。だから今日もカバと一緒に食べていきましょ」
そう、辛い食べ物の時はカバのような炭酸のあるワインと食べると相性がいいのだ。
辛味が舌から引いていくのである。
野菜は水菜、春菊、えのきに長ネギ。白菜は高いので今回はご遠慮いただき、もやしを大量に投入。
さらにカサ増しの豆腐を加え、お肉は豚肉を入れてみた。
本来は羊になるそうだが、そんな肉の在庫など存在しない。
そのため、なんでも合うであろう豚肉で代用である。
「さ、明日の朝は除雪があります。
今日はいっぱい食べて精をつけてください」
莉子の声とともに始まった鍋だが、やはり男性4人、食いっぷりが違う。
更に言えば、まだまだ食べ盛りの巧と瑞樹がいるのだ。
シメはラーメンとしているが、一緒におにぎりを出しておいたのは正解だった。
瞬く間に鍋の中は空になり、2回戦目に突入だ。
だがみんな一様にハンカチが手放せない。
シャツは大きくはだけ、拭きれない汗は首を伝い、胸板まで流れている。
その姿を見て、莉子が提案をした。
「シャワーとかどうします?
じゃんけんで順番決めますか?」
「いいや。男性が使う時間を決めればいい。
夜は20時から22時。朝は8時から9時とすれば問題ないだろ。
入れなかった者は会社にもシャワー室がある。そこを使えばいい」
連藤はすでに頭の中でシュミレートしていたようだ。淡々としている。
連藤の提案に異議はないようで、それぞれに大きくうなずき返事をした。
「なので莉子さんは22時以降使用できるし、朝も7時には準備が整え終わっているから、いつもの生活スタイルに問題はないだろ?」
「ええ、助かります」
現在19時。鍋も中盤だ。
この大雪のせいで退社を余儀なくされたメンバーは17時過ぎには集合していたのだ。
気持ち早いディナータイムのおかげか、程よく酔いながらも鍋をゆっくりと堪能できている。
シメのラーメンに取り掛かったとき、不意に瑞樹が声をあげた。
「代理ってどこで寝るの? 寝袋ないよね」
「んなもん、当たり前だろ、莉子んとこ」
三井に言われ、ああ! と納得するものの、少し頬が赤くなっている。
余計なことを聞いたなぁという思いと、そういえば付き合っていたんだなぁということと、そうか2人はそうなんだなぁという想像とで赤くなったようだ。
「俺はそのとおりに莉子さんと一緒に、激しく仲良く眠るつもりだ。
各自、耳栓を準備しておけ」
スパァァァァン!
いい音が鳴った。
「エロ眼鏡! ふざけたこと言ってるならソファで寝かせるからっ」
そう、莉子が連藤の頭を雑誌で叩いたのだ。
その見事な光景に一同固まってしまう。
傾いた眼鏡をかけ直しながら、
「俺は今日、莉子さんを寝かせるつもりはない。
だいたい、この寒波のおかげで俺は莉子さんに触れる時間が間違いなく減らされているんだ。
それであるなら、この貴重なタイミングを外すのは得策ではない!」
「あほか! こんな天気なんだから仕方がないでしょ?
お互い様なんだし、それぐらい我慢しろっ」
「この俺の欲求不満はどこにいけばいい!?」
「利き手に聞いとけ!!!!」
「浮気してもいいんだな!」
「利き手ならどうぞ」
丁寧に頭を下げて見せると、連藤は急に立ち上がり、いきなり莉子の寝室へと入って行った。
慌てて莉子もその後ろを追ってドアを開くと、しっかりとベッドの毛布にくるまった連藤がいる。
「俺はここから離れないからな!」
「……ちょっと、この酔っ払い、どうにかしてよ!」
莉子が助けを求めるが、連藤の行動についていけない3人がいる。
なぜなら、連藤は酔っていない、はず、だ。
酔いつぶれそうになるときは、今までうつ伏せで寝に入っていた時だ。
これほどアグレッシブに酔いつぶれたことは今までにないからだ。
彼の計算であっても、彼の本性であっても、今までの連藤にはない動き方、言動に、皆一同固まってしまうのだ。
「莉子、連藤は、本当に酔っ払ってるのか……?」
「程よく酔っているのは間違いないです、けど……
最近、疲れてました? ここまでの発言は今までなかったんですけど……」
莉子が連藤に手を伸ばすと、その手を掴みすり寄っている連藤の姿は、あまりに滑稽で哀れである。
だがこれが彼の真の姿なのであれば、認めざるを得ないだろう。
「なんか、代理のこと、別の意味で見直したかも」瑞樹がそうこぼすのも無理はない。
「でもそれだけ莉子さんに会いたかったってことだろ」巧がため息交じりに答えた。
「そうだな。先週末から来てないからな」三井も認めたようで、呆れた声を鳴らす。
「連藤さん、一緒に寝ますから、シメのラーメン食べましょう」
莉子は腕時計をながめ、乾麺の状態を読みとり言った。もう食べないと伸びる時間なのだ。
連藤はその言葉に機嫌を戻したようで、ベッドから立ち上がるとテーブルへと向かっていく。
「莉子さん、取り乱してすまなかった。
さ、仕上げに溶き卵を入れよう」
そこにはいつもの連藤がいる。
だが、どれが連藤なのだ。
どの連藤が正しいのだ……?
皆、疑惑の眼差しで眺めるが、莉子は笑顔で返事をし、
「じゃ、玉子取ってきますね!」
冷蔵庫へと向かって行った。
「やっぱこの2人の関係って難しいわ」
巧が言うとほか2人もうなずきながら、席へと戻ったのだった。





