1-7 魔法の代償
クーネルエから借りたタオルが、ボアフィレアスの血で真っ赤に染まるころ。
私の隣でもぞもぞと着替えていたクーネルエがホッと息を吐いた。
「お待たせしました。もう一枚使います?」
シャツとスカートを身に着け、下着もしっかりと履いたクーネルエはやや赤い顔のままで新しいタオルを私に差し出してくる。
「いや、だいぶ乾き始めてしまっているから大丈夫だ」
私についていたボアフィレアスの血は草原の風によって乾き始め、肌にパリパリと張り付いてしまっている。これは拭くよりも叩いたほうが早いだろう。
服には完全に染み込んでしまっているし、完全に廃棄だな。
「さて、とりあえず馬車まで戻ろう。御者をいつまでも待たせていては悪い。話しながら事情を聴いてもいいか?」
「そうですね。ここなら誰にも聞かれないでしょうし」
私はここまで乗ってきた馬を呼び寄せ、クーネルエを後ろに乗せて走らせ始める。
最初血まみれの私の腰に手を回すことを躊躇ったクーネルエだったが、私が少し馬を歩かせると慌てて腰に抱き着いてきた。
ふふ、可愛いやつめ。
背中に感じる胸の感触にささやかな劣等感を感じつつ、私はクーネルエが話し始めるのを待つ。
するとクーネルエがゆっくりと話し始めた。
「私が来る時まではちゃんと服を着ていたのは分かりますよね?」
「うむ。最初に魔宝庫を見せてもらったときはちゃんと着ていたな」
その時はタートルネックのセーターとプリーツスカートだったはずだ。
「そしてボアフィレアスの発見地点まですぐに移動して、そのまま戦闘になりました。私が服を脱いでいる暇あったと思いますか?」
私に気づかれず馬上で服を脱ぐことは無理だ。隣にシェードたちがいる中で、下着を脱げるとも思えない。
「ないな。ということは、クーネルエが自分の意思で脱いだということではないのだな」
「はい」
「他の影響となると――」
考えられるのは、戦闘中に行った行動の中にあるはず。
クーネルエの戦闘はただ消滅魔法を放っただけだ。つまり――
「消滅魔法の影響ということか」
私の答えはどうやら当たっていたようだ。腰に回されていた手が一瞬ぎゅっと強張る。
「はい。私の消滅魔法にはデメリットがあるんです」
「それが衣服の消滅?」
「正確にはちょっと違います。私が消滅魔法を使うと、私の体から二センチまでの全てが消滅するんです」
「全てとはまさか本当に全てが!?」
「はい、着ている服も、肌についた汗も、汚れも、シミも、脂も、そして二センチ以内にある空気も全てです」
「あの風は消滅した空間に空気が流れ込んだから起きたことなのか」
「あの風のせいで、毎回消滅魔法を使うとこのマントがめくれそうになって大変で」
「確かになかなか強い風だったかなら……いや、ならばなぜそのマントは消滅しない。そのマントも体から二センチ以内にあるものだろう」
「このマントは全て対抗魔術繊維でできているんです」
対抗魔術繊維と言えば、魔法を無効化する唯一の特殊な繊維だ。この世界に一つしかない世界樹と呼ばれる木の皮から作られており、非常に高価な代物だ。騎士団でも時々使っているのを見たことがある。だが騎士団で使っているマントは、一部にこの素材が使われているだけで全てが対抗魔術繊維でできたマントなど、私は聞いたこともなかった。
「物凄く高価な代物だろう」
「ええ、父が全財産を叩いて買ってくれたものです。その恩を返すためにも、私は傭兵になって稼ごうと思ったのに」
確かに消滅の魔法があれば、強力な魔物であっても一瞬で消し去ることができる。対魔物、対害獣、対人間という観点でいれば、間違いなく最高峰の武器だ。
だがその力が強すぎたわけか。
「こんな状態ですから、男性とチームを組むことはできず、かといって女性の傭兵なんて数えるほどしかいません。その少ない女性もすでに他のチームに入ってしまっていて……」
「男がいるチームには入れないか」
「はい」
「でも、今日の緊急依頼でだいぶ稼げると思いますし、本当に助かりました。ミラベルさんがいたおかげで、もう一体も問題なく処理できましたし、追加報酬も出るはずですし!」
確かにボアフィレアス二対を二人で討伐したとなれば、かなりの追加報酬が出るはずだ。最低でも、数十万エルナはくだらない。
「これまでも少しずつ貯めてきたお金があるので、それで今度は対抗魔術繊維の下着を買おうと思うんです。そうすれば、最低限は隠せますから」
腰に回した手がグッとガッツポーズをとっていた。
だが私には一つ疑問が浮かぶ。
「対抗魔術繊維で下着を織ってくれる職人はいるのだろうか」
対抗魔術繊維は高級品だ。平民では到底扱ったことがあるものなどいないだろう。
これを扱うことがあるとすればオーダーメイドの鎧を作っている高級志向の防具店だが、そんな店の職人が対抗魔術繊維の女性ものの下着を作ったことがあるとは思えないし、何より彼らには自分たちが優秀な防具を作っているというプライドがある。
頼み込んでも、首を縦に振る可能性は低い気がした。
私のつぶやきでクーネルエもその事実に気づいたのだろう。先ほどまでも嬉しそうな気配が一転、絶望感にも似た焦燥が感じられる。
「ど、どうすれば……」
「対抗魔術繊維を自分で織るしかないのでは?」
「でも対抗魔術繊維を織るにはかなりの技術が必要って聞きました。布一枚を作るのにも数十年の修行が必要だとか」
貴重品であり、何より加工が難しい。だからこそ対抗魔術繊維は高級品として騎士団でも運用することができないのだ。
「職人の中にも金を積めばやってくれるところはあるだろうが、そうなると数倍はかかるだろうしな」
それを集めるためには、また討伐などの依頼を完遂しなければならない。こんな緊急依頼なんて頻発するものでもないし、かなり時間がかかるのは間違いないだろう。
だがこれは私にとってチャンスなのではないだろうか。
少し探りを入れてみるか。
「クーネルエは傭兵で稼がないといけないのか? 今の状態ならばもっと安定した収入の仕事もあると思うが」
「確かにそうなんですけど、家を出るときにこの魔法を活躍させてみせると約束してしまったんです」
「なるほど。この国で女性が戦うことができるのが傭兵ぐらいしかないのか」
私と同じように、この国の風習がクーネルエの目標を妨害していたらしい。
殲滅魔法の男魔法使いならば、軍が放っておかないだろう。すぐにでもスカウトが動くはずだ。それが無いということは、女性であるクーネルエを軍に入れたくない者たちがいるということである。
ならば――
「クーネルエ、私とチームを組んでみないか?」
「ミラベルさんとですか? でもミラベルさんほどの強さなら、既にどこかのチームに入っているんじゃ」
「いや、私は今日登録したばかりなのでな。どこのチームにも所属していないし、しがらみもない。ただ、私の担当受付であるルレアも言っていたが、私の実力だと他の新人と組ませるわけにもいかないし、かといって実力者はすでにチームが固定されてしまっていて、そこに入ることも難しいらしい」
さらに私の目標が騎士であるため、数年で傭兵を止めるつもりであることもクーネルエに説明する。
その上で私はクーネルエに問いかけた。
「私と共に騎士を目指してみないか?」
「私が――騎士……ですか」
「そうだ。クーネルエの消滅魔法があれば実力的には申し分ないものになる。そして騎士の給料ならば実家への恩返しにも十分なはずだし、何より騎士という肩書があれば、対抗魔術繊維の加工技術を持つ職人に渡りをつけることができるはずだ」
「な、なるほど。確かに騎士の肩書があれば――でも簡単になれるものじゃないですよね? そもそも私には運動神経がほとんどないですし」
「少ないが騎士にも魔法使いはいる。彼らも運動はそれほど得意ではないが、魔法が使えるというアドバンテージは大きいからな。入団テストも魔法使いは多少体力面で補助がもらえるとも聞く」
父は魔法使いの騎士を毛嫌いしていたが、クーネルエの魔法は間違いなく騎士団で活躍することのできる魔法だ。私が考えているのと同じルートで入ることができれば、必ず心強い戦力になる。
「少し考えさせてもらってもいいでしょうか。私一人だと決められません」
「ああ。どうせチームを組むのならば担当受付とも相談しなければならないからな。しっかりと相談したうえで決めてほしい。私も簡単に人生を左右することを決定させるつもりはない」
「ありがとうございます」
種は蒔いた。後は芽吹くのをじっくりと待つこととしよう。
馬車の下まで戻ってくると、御者が血まみれの私に驚きながら出迎えてくれた。
「その血はいったい!?」
「む? 聞いていないのか? ボアフィレアスを斬ったときに浴びてしまってな」
どうやらシェーキ達は説明を省いたようだ。ただここで私たちが戻ってくるのを待機して待つように言われていたらしい。
まあ、特に怪我とかしたわけでもないのだから、いちいち詳しく言う必要もないのか。彼らには宿を確保するという重大な任務もあるし、そちらがしっかりとできていれば文句は言わないでおこう。
「服を着替えるので、馬車の中は覗かないでくれよ」
「ボアフィレアスを正面から斬れる人を覗こうなんて思いませんよ。それに、女の敵になっちまうと、消滅させられかねませんからね」
御者はちらりとクーネルエの方を見てそう言った。
「こっちは出発の準備しておきますんで、仕度ができたら声掛けてください」
「了解した」
幌馬車の中へと入り、入り口の布を下して視界を遮断する。
騎士の正装を模したジャケットを脱ぎ、スカートを下し、シャツのボタンに手を掛ける。一つずつ外し血で赤黒く染まったそれを椅子へと放り捨てた。
「むぅ、肌着まで染みてしまっているな」
首筋から入り込んだ血のせいだろう。白色の肌着兼簡易コルセットにも血がべっとりとついてしまっている。その上、乾いた血が金具に染み込み固まってしまっていた。
コルセットの部分が硬く、内側の鎧として使えるのでこれはお気に入りだったのだが、血は落ちないからなぁ。捨てるしかないか。
ブラ? 察しろ。
肌着も脱いでしまおうとするが、背中にある紐の結び目が血で固まってしまっていて上手く解けない。
「クーネルエ、すまないがちょっと手伝ってくれないか?」
「どうしました?」
外で待機していたクーネルエを呼ぶと、布の隙間から顔を差しこんで来る。
そして血にまみれた肌着を見て状況を理解したのか幌馬車の中へと入ってきた。
「すまないが手伝ってもらえないか? 紐が固まってしまっていてな」
「ああ、これはもう切っちゃうしかないのでは?」
「やはりそうか。血の汚れも酷いし捨てるしかないか」
「とりあえず紐だけ切っちゃいますね。洗って落ちるのなら、紐を交換すればいいだけですし」
「そうだな。頼む」
クーネルエは魔宝庫からナイフを取り出し、紐を切断する。
緩めとはいえコルセットで締め上げられていた腹部が解放されると気持ちよくなるな。
帰りはコルセットなしのものを使おう。
「凄い綺麗なお腹」
「む、そうか?」
コルセットを外した私のお腹をクーネルエがやや頬を赤くしながら見惚れるように見つめてくる。
私としては父や兄たちのようにしっかりと割れた腹筋が欲しいのだが、母からそれだけは止めてくれと泣きながら頼まれてしまったからな。盛り上がる筋肉は付けずに、内側の筋肉だけをじい様と鍛えていた。
おかげで、柔らかそうな見た目を維持しつつ、触ってみると少し奥からカチカチになる不思議なお腹を手に入れたのだ。
「触ってみるか?」
「いいんですか?」
「うむ」
手がわきわきと動いていたからな。触りたそうなので誘ってみると、嬉しそうに手を伸ばしてくる。
そして手が触れた瞬間を狙って、私は腹筋に力を込めた。
「か、硬い!?」
「ふふふ、見た目に騙されたな。薄い脂肪の下は全て筋肉なのだ!」
「これは――癖になりそう」
「むっ!?」
女性の硬いお腹など何が面白いのだ!? 兄たちからは物凄く不評だったのに。
さわさわと撫でるような指の動きに、くすぐったさを感じる。なんだか急に恥ずかしくなってきた。
「も、もういいだろうか?」
「はっ! す、すみません」
慌てて手を引っ込めたのを確認して、私は荷物の中からコルセットの付いていない肌着を取り出し着なおす。シャツやスカートも新しいものに変え、ジャケットは薄手のコートに変更した。
「良し、こちらは準備出来た。そちらはどうか?」
服に問題がないことを確認し、幌馬車の外にいる御者へと声をかけると、いつでも行けるというと答えが帰ってくる。
「ではオーロスエラまで頼む」
「あいよ」
馬車がゆっくりと進みだし、私たちは椅子に腰かけようやく一息つくのだった。
tips
固有魔法にはどのような魔法にも必ずデメリットが存在します。