1-6 ボアフィレアス討伐2
馬車から降りた場所は、ボアフィレアスが出現したと言われるオーロスの森へと続く街道だった。
後方には森林から一番近い町オーロスレアの防壁がわずかに見える。他の町よりも高い防壁に囲まれた町であり、万が一森から魔物や害獣が溢れた場合はあの町が防衛拠点となるのだ。
トエラに次いで傭兵が集まる街であり、その傭兵目当てに商人も集まり、なかなかの賑わいを見せているらしい。と言っても、ここからではその活気も分からないがな。
「ミラベルさん、さっきの話って」
クーネルエが私を追って馬車を降りてきた。だが、その言葉は馬に跨って近寄ってきた二人の男たちによって遮られる。なかなかタイミングの悪い奴だな。
「あんたらがトエラからの増援か?」
少女の二人組であることで、その男たちはやや控えめに問いかけてくる。
「ああ。緊急依頼を受けてきた。ミラベルだ。こっちが魔法使いのクーネルエだ」
「クーネルエと申します。よろしくお願いします」
クーネルエが丁寧に頭を下げている。男たちはクーネルエの肌と髪に一瞬見とれ、若干頬を赤くしながら自己紹介をしてきた。
「俺は傭兵団風見鶏のシェーキだ。こっちは仲間のロスレイド」
「ロスレイドだ、よろしく頼む」
馬から降りた二人と軽く握手を交わし、現状の説明を受ける。
それによれば、今風見鶏のもう一人がボアフィレアスを監視しているらしい。場所はオーロスの森と街道の間にある小さな草原の境だという。今は風見鶏の団員が誘導して森の中へと戻そうとしているらしいが、一度でも森の外に出ている時点でかなり危険な状態だと判断できる。
ボアフィレアスは走り出すとなかなか止まらないからな。オーロスエラまですぐに到達してしまう。
「討伐を急いだほうが良さそうだな。クーネルエすぐに動けるかな?」
「ええ、準備は万端です」
杖を構えやる気を見せるクーネルエに一つ頷き、私も剣の柄に軽く触れる。
「こちらはいつでも動ける。すぐに案内してもらえるか?」
「了解した。けど大丈夫なのか? 言っちゃ悪いが、あんたら二人だけじゃ」
不安そうな風見鶏の二人。
まあ当然だろう。少女二人でボアフィレアスを討伐するなんて常識的ではない。
だが、傭兵を見た目だけで判断するとは――風見鶏はさほど高位の傭兵というわけではないようだな。
「問題ない。私は覇衣を使えるし、クーネルエの固有魔法もかなり強力なものだ。これでもギルド本部が任せてくれているのだ。会ったばかりの私たちを信じろとは言わないが、傭兵ギルドの本部が任せた傭兵たちだと思えば少しは信じられないか?」
「そうだな。すまん」
「いいさ、私たちも自分の見た目は把握しているからな」
彼らの謝罪を気にしていないと流し、本題に入る。
「移動は馬を使うが、二人は乗れるか?」
「私は大丈夫だが」
クーネルエはどうだろうかと振り返ると、首を横に振っていた。まあ、予想はしていた。運動音痴とも言っていたしな。
まあそれはそれで構わない。
「クーネルエは私の後ろに乗せよう」
「こっちの準備はできてるぜ」
いつの間にか御者のおじさんが、私が乗ってきた馬に再び鞍を付けいつでも跨れるようにしていてくれた。準備がいいな。
「じゃあ付いてきてくれ。案内する」
「よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
私たちは彼らと共にオーロスの森を目指して馬を走らせるのだった。
クーネルエを後ろに乗せて走った感想は、思った以上にあったということだろう。
マントに隠れてあまり目立たないが、その片鱗は馬車に乗っている間から垣間見えていた。時々跳ねる馬車の中で、彼女の胸はたわんでいたのだ。
対して私の胸が揺れることはなかった。本当に同い年なのだろうかと疑いたくなる成長の差がそこにはあった。
いや、きっと私も数年で大きくなるはずなのだ。私の未来予想図には、胸が大きくて騎士団の鎧の発注に困る私のビジョンがしっかりと見えているのだから……
「近いぞ!」
そんなことを考えながら馬を走らせていると、シェーキが注意を飛ばしてきた。
近づいてきた森を見れば、鳥が集まって羽ばたいていくのが見える。あそこにいるな。
と、シェーキが口笛を高らかに鳴らす。
「今ので仲間のピエスタがこっちに来る。ボアフィレアスも誘導してくるはずだ」
「承知した。二人は離れていてくれ。戦闘の余波に巻き込みかねない。それとクーネルエはどうする?」
「下してください。ここから森までなら射程範囲です。ただ、ボアフィレアスの足を止めてもらわないと当てられないと思いますが」
「分かった。そちらは任せてくれ」
一度馬の足を止めさせクーネルエを下す。そして再び走り出し森へと近づくと同時に、森の中から馬に乗った男が飛び出してくる。さらにその後ろから、目的の巨体が姿を現した。
全身を泥で黒く染め、前を走る馬の三倍はありそうな巨体で突進する猪の魔物。
以前見た個体よりもやや小さいか。それでも、人など小石のように弾き飛ばせるだけの力は有している。
私はボアフィレアスから逃げているピエスタに向かって声を上げる。
「ピエスタだな! そのまままっすぐ走れ! 私は討伐依頼を受けている!」
「分かった!」
一瞬で状況を理解したピエスタは、真っ直ぐにこちらに向かって駆けてくる。そしてすれ違う直前に「頼む」という声を聴いた。
「頼まれた」
私は馬の上に立ち上がり、剣を抜いて覇衣を全身に纏わせる。
正面から突撃してくるボアフィレアスに覇衣の威圧感をぶつけるが怯む様子はない。さすがは元が猪だけのことはある。勇猛果敢じゃないか。だが――
トンと鞍を蹴って馬上から飛び降りる。馬は威圧感から逃れるように即座に進路を変えた。
目の前がクリアになり、よりはっきりとボアフィレアスの体が見える。狙うのは、その足。
「ハァ!」
ボアフィレアスと交差するタイミングで、覇衣を纏わせた愛剣を振るう。
ズパンッと風を切りながら振りぬかれた愛剣は、狙いたがわずボアフィレアスの左前足と後足を深く斬り裂いた。
やはり泥の鎧でかなり硬くはなっているが、私の剣でも十分斬れるな。
確信と共に着地し、地面を抉りながらブレーキを掛けて振り返る。そこには足を深く斬られ、転倒しながら転がるボアフィレアスの姿。
「ありがとうございます! これなら外しません! 虚構へと誘え、消滅の一撃! エクスティングレーション!!」
転倒したボアフィレアスの向こうからそんな声が聞こえ、直後に光が走る。
すると、起き上がろうとしていたボアフィレアスの動きがピタリと止まり、その体がまるで砂が舞うように粒となってキラキラと輝きながら空へと昇っていく。まるで昼間に満点の星空を眺めるような感覚に、戦闘中だというのにもかかわらず私の視線が空へと吸い寄せられる。
集まった光は、そこで最後の輝きと言わんばかりに光を放っていた。
やがてその光も消え、視線を下すとその先には、マントの隙間から手だけを出し杖を構えた状態のクーネルエだけが見えていた。
ボアフィレアスが先ほどまでそこにいた痕跡は、抉られた地面と少量残る血液だけである。
「これが消滅魔法」
そのあまりの光景に、私はため息が漏れた。
血を流さず、苦しめることもなく、ただ最初から何もなかったかのようにボアフィレアスの肉体は消滅し、本当に欠片も残らない。
確かに、討伐依頼が成功しないわけだ。
そして、そんな奇跡のような光景を起こした張本人は、マントをがっちりと押さえながら、何かを気にするようにしきりに周囲を見回している。
そして喜び勇んで駆けよってくる傭兵たちに向けて杖を構えると「近づいたら消滅させます!」と顔を真っ赤にしながら脅迫していた。
「クーネルエ、どうか――」
私が不思議な挙動をするクーネルエに歩み寄ろうとしたその時、突如として私の後方の森が爆発した。
いや、正確には爆発したのではない。木々がなぎ倒される音がまるで爆発のように激しい音を立てているのだ。
これは!?
「もう一体いたのか!」
「そんな!? ずっと森の中を走ってたけど、こんなやついなかった!」
木々をなぎ倒しながら森から出てきたのは、先ほどよりも一回りも大きいボアフィレアスの姿だった。
ピエスタが声を上げるが、いなかったのではなく隠れていたのだ。子育てのために、巣にを作って籠っていたのだろう。まさか夫婦だったとは!
夫が殺されたことで、巣の安全を確保するために出てきたのか!
先ほどよりも巨体な分、走る速度も速い。
「ミラベルさん逃げて!」
「嬢ちゃん逃げろ!」
「俺が助けに!」
「今から走っても間に合わない! 嬢ちゃん、さっきの魔法は!」
「ダメです、近すぎます! 間に合いません!」
やはりあらかじめ準備していないと消滅の魔法は間に合わないか。ならば!
「ならば私が片づけよう!」
私は突撃してくるボアフィレアスの正面に立ち、高々と剣を掲げる。刀身へと覇衣を纏わせ、その性質を斬ることのみに特化させる。
全てを断ち切る覇者の一振りをここに!
「ナイトロード流剣殺術! 覇斬!」
振り下ろされた愛剣は、風を、空気を、世界そのものを切り裂き、ボアフィレアスの肉体を切断する。
まるでバターにナイフを入れるように、滑らかに、力すら必要なく、空間そのものを切り裂いた愛剣はボアフィレアスを真ん中から真っ二つに分けた。
そして間髪入れずに襲い掛かる大量の血に一瞬にして全身を真っ赤に染められ、千切れて飛んできた腸に勢いよく張り飛ばされる。
地面をゴロゴロと転がり、全身を血と土にまみれさせたままクーネルエの足元まで転がることになった。
受け身術をじい様から習っておいてよかった。そうでなければ、今頃全身打撲で動けなくなっていただろう。
しかし、正面から斬ったのは失敗だったな。すれ違いざまに上下に斬るべきだった。そうすれば、血はかからないし内臓が飛び散ることもなかっただろう。
やはり実戦で学ぶことは多いな!
倒れたまま先ほどの戦いの反省をしていると、見上げていた空に影が差す。
「えっと、ミラベルさん大丈夫ですか?」
クーネルエがためらいがちに私を覗き込んできたようだ。
「うむ。少し痛いが体に異常はない。きっちりと受け身はとった」
「受け身でどうこうなるレベルの飛び方じゃなかった気がするんですが」
「騎士を目指すものとして、崖から飛び降りても大丈夫でなければならないからな」
「それはもう人間じゃないと思います」
そうか? 騎士団の訓練に同行した時は、みんな笑顔で崖からダイブしていたが。
流石に訓練していない私は止められてしまったがな。だが今なら彼らと一緒にダイブすることも可能なはずだ。騎士団に入ったときの楽しみの一つである。
「それよりも、クーネルエは先ほどから何をして」
「ハッ! そうでした!」
「嬢ちゃん、本当に大丈夫なのか。俺はギルドで応急手当の研修も受けている。念のため確認したほうが」
「ち、近づかないでください。それ以上近づくなら消滅させます!」
「分かった。分かったから落ち着いて杖をおろせ! マジで怖い」
シェーキが馬から降りてこちらに近づこうとすると、クーネルエが慌てて杖を構えた。シェーキは額に冷や汗を垂らしながら両手を上げてゆっくりと後ずさる。まるで猛獣に出会ってしまったときのようだ。
瞬間、草原にふわりと風が吹き、クーネルエが纏っているマントの裾がほんの少しだけふわりと舞い上がる。
彼女の足元で空を見上げていた私には、舞い上がったマントの裾から彼女が彼らを近づかせまいとする理由を見てしまった。
裾はすぐに元の位置へと戻るが、私の目にはその光景が焼き付いている。
「く、クーネルエ」
「なんでしょう」
「なぜ何も着ていない……」
「…………」
ふくらはぎから続く緩やかな膨らみ。そして背中を隠すように膨らんだ柔らかそうな丘。
マントを押し上げる大きな膨らみは確かに二つ。
そのすべてが間違いようもなく、クーネルエの見惚れるような白磁の肌であった。
気づけば彼女は、来る時には履いていたサンダルさえも脱いでしまっている。
今この場で彼女がその身にまとっているのは、小さなフロントホックの付いた一枚のマントのみ。
「……後でお話しします。だから今は」
クーネルエは今にも泣きだしそうな声でそう答えた。
「うむ、まあ状況は理解した」
これ以上男たちに近づかれると、自分がマント以外何も身に着けていないことに気づかれる可能性があるということか。それならば先ほどからの対応も頷ける。
「着替えはあるのか?」
「魔宝庫に」
「分かった。では何とかするとしよう」
私も女だ。クーネルエの気持ちはよく分かる。
とりあえず彼らをここから遠ざけて、着替えるだけの時間を稼ぐ必要があるな。
「シェーキ、こちらは大丈夫だ。三人はオーロスエラへ先に向かい、ことの顛末を伝えてほしい。ボアフィレアスが出ていたということは、あの町でも厳戒体制になっているはずだ。事が解決したのなら、早めに伝えることに越したことはない。それと、私とクーネルエ用に宿を確保しておいてほしい。見ての通り、全身真っ赤なのだ。オーロスエラのギルド支店に向かうにしても、最低限の身だしなみは整えたい。値段は張ってもいいので風呂のある宿を頼むぞ!」
私が立ち上がりながら血に濡れた全身をシェーキ達に見せる。
平原で風があるから臭いは感じないが、町に戻るころにはひどいことになっていそうだな。
乗ってきた馬車に着替えの服もあるので、町に戻る前には一度そちらへ行って着替えないと。
「そ、そうか。本当に大丈夫なんだな」
「大丈夫だ。連絡は任せるぞ」
「分かった。なるべく早く戻って来いよ!」
シェーキ達はやや納得はいかないが、私たちの言うことも理解できると指示に従ってくれた。
彼らが馬に跨り草原を掛けていく。徐々に小さくなる背中を見てクーネルエは大きく息を吐くと、杖を下しその場にへなへなと座り込んでしまう。
「ミラベルさん、ありがとうございます」
「なに、困ったときはお互い様だ。さあ、早く着替えてしまおう。クーネルエがなぜそうなっているのか事情も聴きたい」
「そうですね」
「それと持っていたらタオルを貸してもらえるとありがたい。顔や手ぐらいは拭いておきたい」
髪から滴る血を払いつつ、私は血の臭いと味に顔をしかめるのだった。
tips
魔法の工程は大きく分けると「魔力の用意」「詠唱」「詠唱と魔力を融合」「理の具現化」の四つ。威力を上げると、「魔力の用意」「融合」「理の具現化」の時間が比例して増加する。