4-14 シェーキの頼み
アワマエラに到着してから一日が立ち、朝日が昇る。
久しぶりの風呂とベッドでぐっすりと眠った私の体は、疲労をスッキリと洗い流し、気力をたっぷりと蓄えていた。
伸びをすれば、全身に血が巡るのを感じる。
まだ朝食の時間には早いが、軽く体を動かすならばいい時間だな。休みとはいえ、全く動かないと体はなまる一方だ。適度な運動はしなければ。
クーも誘おうかと隣のベッドを見るが、まだすやすやと布団に包まれて眠っている。これを起こすのはさすがに忍びない。
私は静かに剣を持って部屋を出ると、宿の裏庭へと向かう。
裏庭は小さな井戸と小屋が一つあり、物干しざおが並んでいる。そしてちょうど、宿のおかみが井戸で水を汲んでいた。
「おはようございます」
「あら、おはようございます。昨夜は眠れましたか?」
「はい、おかげさまで久しぶりにぐっすりでした。疲れも吹き飛びましたよ」
「それは良かった。朝ごはんもうちの旦那が腕によりをかけて作りますんで」
「楽しみにしています」
おかみは水を汲み終えると、ではと言って宿の中に戻っていく。
私はそれを見送り、鞘から剣を抜いた。
握りの感触を確かめ、昨日のことを思い出す。
愛剣を戦いの中で手放してしまった。戦うものとしてやってはいけないことだ。
もっと握力を鍛えるべきか。いや、今でも握力は十分にある。問題は、相手から攻撃を受けた際の対処だ。
あの時もウォルリルの攻撃で体から一瞬力が抜けてしまった。それが手放す原因となってしまったのだから、いくら握力を鍛えても無意味だろう。
「防御か」
正直に言えば、あまり考えたことはなかった。
ナイトロード流が攻撃主体の流派であると同時に、覇衣があれば大半の攻撃は受け止めることができたからだ。だが、化身級との闘いでは心許ない。
かと言って防御を高めるために鎧を纏っては動きが阻害されナイトロード流の火力を十分に発揮することができない。
やはり、あの時思った通りアーマメントを全身鎧にするべきか。
思い浮かべるのは、一番多く見てきた鎧。騎士の鎧だろう。
腕もそれを参考にしているし、見栄えもいいはずだ。
「確か――」
自宅の訓練場で練習する騎士たちの姿を思い出す。
胸部を覆う滑らかな曲線。胸の下で二つに分かれており、腹当てと胸当てを合わせる形の物になっていたはず。腰は円形のリングから何枚かの鉄板が下げられ腰全体をカバーしていた。詳しい枚数は分からないが、必用なのは最低でも前後に二枚ずつと左右一枚ずつだろう。
足先から太ももにかけては一体型のレッグガード。腕も二の腕までは同様の物だったはずだ。
肩は胸部分からの一体型で、前面のカバーは腰と同じように吊り下げ式だったな。
一つ一つを思い出しながらアーマメントを製作していく。
やはりというかなんというか、関節は上手く動かないし、腹部にも引っかかりがある。腰のカバーは吊り下げ部分がくっついていて動かないしな。
「ぬぅ……」
「あの、お客様?」
「むっ、女将か」
首だけで後ろを見ると、困惑した表情の女将が洗濯物を持って立っていた。
「大丈夫ですか?」
「ええ。少し新しい技の練習をしていただけなので」
私はアーマメントを解除する。関節の自由が戻ってきたので、軽く動かして伸ばしておく。
「女将は干し物ですか?」
「ええ。と言っても、自分たちのものとタオルぐらいですけどね」
ベッドを使う客がいないため、シーツを洗う必要もないということだった。
「よろしければ毎日でもシーツを変えますよ」
そんな冗談を飛ばしつつ、女将は手際よく洗濯物を干していく。
ずらりと並んでいく洗濯物が朝日に照らされる姿は、この町のすぐ外で戦闘があったとは思えないほど平和だった。
「流石に毎日は大丈夫だが、二日に一回程度は頼んでもいいですか?」
「ええ、喜んで」
女将はニッコリと人の良さそうな笑みを浮かべて頷く。
「では明日の昼頃にでも交換に窺いますね」
「頼みます」
女将は全ての洗濯物を干し終えると、先ほどと同じように一礼して中へと戻っていった。
これが本来あるべき生活なのだろう。早く戦争など終わらせるべきだな。
私はもう一度集中しなおし、アーマメントを製作に戻るのだった。
◇
アーマメントの製作と素振りを終えて部屋に戻ると、クーが完全に目を覚ましていた。
ベッドの上に色々な道具を並べて唸っている。私が戻ってきたことも気づいていない様子だ。
「どうしたんだ?」
「あ、お帰りなさい。ちょっと魔宝庫の中の薬を整理してたんです。トアちゃんから色々貰いましたし、昔のものを整理しておこうと思いまして。いざという時にはサッと出せた方がいいですからね。下手に悩むのも嫌ですし、数は絞っておこうと思いまして」
トアの薬は既存の販売品よりは効果も強いが、まだまだ種類は少ないからな。被っている部分は削っておきたいということだろう。
「これはいらないですね。こっちはどうしましょう?」
「それは何なんだ?」
小瓶を手に首を傾げるクーに問いかける。
「腹下しです。野生の動物を調理すると、寄生虫の可能性も捨てきれませんからね。ただ、トアちゃんの薬に体内の寄生虫を殺せる薬があるんですよ」
「ではそちらに変えればいいのでは?」
下す必要がないならそれに越したことはない。腹下しは経験として使ったことがあるが、弱らせた虫を大量の水と共に強制的に対外に排出するものだ。その時は効果が出てから半日はトイレから出られなかったからな。外でそれを使うと、大変なことになる。
「殺してもお腹の中に死骸があるってなんだか嫌じゃないですか。それに、下しは卵の除去も兼ねているので」
「そう言うことか」
確かにそれは悩むな。けど――
「ならば持っておけばいいのではないか? 即座に判断が必要な薬でもないし」
「それもそうですね」
私が言えば、クーは納得した様子で下しと殺しを両方とも魔宝庫にしまった。
「さ、そろそろ朝食ができているはずだ。食堂に行こう」
「はい」
二人で食堂に降りると、女将が笑顔で出迎えてくれる。どこでも好きな席にということなので、気分的に中央のテーブルに着いた。
するとすぐに女将が料理を持って現れる。
焼きたてのパンに暖かそうに湯気を上げるゴロゴロと野菜の入った具沢山のスープ。ベーコンと卵にデザートの果物までセットだ。朝から随分と豪華である。
「お客さんあんたたちしかいないからね。食材余ってももったいないし、うんと豪華にさせてもらったよ」
「嬉しい限りだ」
「美味しそうですね。料理はご主人が?」
「旦那の取り柄だからね。それ以外はなんもできないぼんくらだけど、料理だけは私も自慢してるよ」
「仲がいいんですね」
「旦那とは幼馴染なんだよ。この町に生まれて、ずっと一緒に育ってきたんだ。いいところも悪いところも全部知ってるし、全部許しちまえる。そんな中だね」
「羨ましいです」
「ハハハ、こんなこと言うのは恥ずかしいね。さ、冷めないうちに味わっておくれよ」
女将は頬を少し赤く染めて、照れ隠しに料理を進めて奥へと戻って行ってしまった。
「では頂こうか」
「はい」
談笑しながらたっぷりの暖かい料理に舌鼓を打っていると、宿の入り口から人影が入ってきた。
客かと思ったが、人影は私たちの見知った顔だ。
「シェーキ、どうした?」
「飯中だったか? なら出直すが」
「構わない。どうせなら食べていくか? 美味いぞ?」
私が尋ねると、裏から顔をだした女将が期待した目でシェーキを見つめる。
在庫消費のチャンスと思っているのだろう。その視線を受けて、シェーキは肩をすくめると、空いている席に座った。
「俺にも頼むわ。軽めで」
「あいよ」
どうやらシェーキはすでに朝食を済ませているようだ。それでもこの町の住人の期待の眼差しには抗えなかったのだろう。
すぐに料理が並ぶ。それは、私たちと同じ量だった。
うっとうめき声を漏らしつつ、女将に料金を払って食べ始める。
「それで、シェーキはなんの様なのだ?」
「あんま飯食べながらの話題でもないし、食い終わってからでいいや。んで、本題とは違うが少し向こう側の情報が入ってきた」
セブスタとマーロのことか。
「一時的に侵攻を停止させたらしい。向こうにもノーザンライツの侵攻と化身級の情報が流れたっぽいな。こっち方面にもそれっぽい密偵が何人か紛れ込んでる。さすがにメビウスまでくることはないだろうし、メインの情報はノーザンライツになるだろうが、一応気を付けておいてくれ」
「了解した。フィリモリス王国はどう動くか分かるか?」
「もうぐちゃぐちゃだ。西は負け続きで押し込まれてるし、東は俺たちが来てる。腹ん中はノーザンライツが絶賛食い荒らし中。生き残れって方が無理だろ」
「そうか。戦後は大変になりそうだな」
フィリモリス王国が崩壊した後、残った土地をどの国が盗るか。ノーザンライツはどの国も叩きだしたいと思っているだろうが、三国がそれぞれ国境線を接するというのも怖いものだ。
三すくみのまま落ち着いてくれればいいが、最悪あの二国がこちらに攻め込んできかねない。どうも、セブスタとマーロは足並みをそろえている印象があるし、裏のつながりを考えるなという方が無理があるからな。
メビウス的にはどうするだろうか――
分からんな。政治的なことはさっぱりだ。
「どっちにしろ俺たちには関係ないことだ」
やや投げやりにそう言い切ったシェーキは、うっぷとやや苦しそうにしながら料理を食べきり深くため息を吐いた。
私たちもちょうど料理を食べ終え、それを見た女将が食器を引いてお茶をお代わりを持ってきてくれる。
温かい紅茶を飲みつつ、私たちはシェーキが話始めるのを待った。
「んじゃ本題だな。俺たち風見鶏は今回の依頼から手を引くことにした。ロスレイドがすぐに復帰するのは無理だし、ピエスタを失った今の俺たちにこれ以上の活動は無理だと判断した。ユイレスも部屋に籠っちまってるしな」
「まて、ピエスタがどうしたと?」
私の聞き間違いだと思い慌てて聞き直す。すると、シェーキも驚いたようにこちらを見ていた。
「クーネルエちゃん、話してなかったのか?」
「疲労困憊の状態に追い打ちは必要ありませんから」
「そうか」
「おい! 一体どういうことだ!」
クーは知っていたのか? ピエスタを失ったというのは私の聞き間違いではないのか? では何時? クシュルエラを出るときは健在だったし、どこか病気をしていたようにも見えない――
「……まさか」
「ユイレスを庇ってあの氷壁に飲み込まれたんだ」
ガツンと横っ面を殴られたような衝撃だった。
あの攻撃を私が防ぎきれなかったための被害に、ピエスタも含まれていたのだ。
言葉が出てこない。ただ口をパクパクとさせ、空気が喉を通り過ぎる。
「ミ……ミラ!」
タンと強めに肩を叩かれたことで、我に返った。
クーが不安そうにこちらを見ている。
私は――今
「ミラ、過呼吸になりかけてましたよ」
「そうだったのか……すまない」
「おいおい、俺よりショック受けてどうすんだよ」
「シェーキは――落ち着いているのだな」
あまりいつもと変わらないように見えるシェーキの姿に不気味さすら覚えた。
「俺たちは傭兵だ。仲間が死ぬ可能性だって十分ある。現に俺の仲間が死んだのはこれが初めてじゃない。情報収集なんて危険なことやってんだ。捕まって殺される仲間だっていたし、魔物に殺された奴もいる。けど、そのたびにそんな風になっちまってたら、他の仲間まで巻き込むんだ。悔しがってもいいし、悲しんでもいいが、それを引きずるのは一番やっちゃいけねぇことだ」
シェーキは一度紅茶で喉を湿らせると「それと」と続ける。
「ミラベルちゃんは自分のせいだなんて思うなよ。あんたのおかげで、避難民の全滅が、兵士少しの犠牲で済んだんだ。あの攻撃に正面からぶつかったんだろ? なら、あんたは全力で俺たちを守ってくれたんだろ? ならそれに対して、もっとできたなんて欠片も思うな。それはミラベルちゃん自身と俺たちや死んでいった連中への侮辱だ」
「そう、なのだろうか……」
だがと考えてしまう。クローヴィスはあの攻撃をしっかりと対処していた。あの時私が同じことをできていればと――ピエスタを、兵士たちを助けられたのではないかと。
「そうなんだよ。ま、それでも簡単には割り切れるもんじゃねぇだろ。だから少しばかり手伝ってほしい」
「何をすればいい」
「ピエスタの死体を始め、兵士たちの死体の回収だ。風見鶏からの提案に、クシュルエラの部隊が同意してくれたことだ。兵士隊からの許可もとってある。氷の中に閉じ込められちまってる仲間を回収する仕事だ」
あの氷を砕いて亡骸だけでも回収するのか。
できることならば手伝いたい。だが私のことを優先してくれるクーならば、体を休めるべきだと言われるかもしれない。
「クー、やってもいいか?」
私が恐る恐る伺うと、クーは頷いてくれた。
「ミラの気持ちがそれで少しでも落ち着くなら」
「ではシェーキ、私も手伝わしてもらう。いつ行うのだ?」
「今日は氷の状態を見に行ってもらっている。台車の準備もいるからな。どっちも問題なければ明日だ」
「了解した。準備しておく」
「頼む。それと、俺たちが撤収することで国境なき騎士団への依頼も同時に終了になるはずだ。その後のことも考えとけよ」
「そうか」
「決まっているようなものですけどね」
そうか。もともと私たちの依頼は風見鶏への戦闘面での援助だったな。
風見鶏が撤収するとなれば必然的に私たちへの依頼は終了と言うことになる。
だが今、この町やノーザンライツのことを知って私たちが何もせずにメビウス王国へ戻ることなどできない。
それはクーも同じ気持ちなのだろう。
「私たちは騎士団だからな。このまま傭兵として志願し、ここに残ることになるだろう」
「やっぱそうなるか」
シェーキは頭をガシガシと掻きながら、ため息を吐く。
「じゃあ明日はよろしく頼む」
「うむ」
シェーキが宿を後にした後、私は静かに立ち上がった。
「クー、少し剣を振ってくる」
「食後すぐですから、あまり無茶はしないでくださいね」
「ああ」
一緒に部屋へと戻り、剣を取って再び裏庭へ。誰もいないその場所で、私はひたすらに剣を振り続けた。
tips
現実の虫下しとは少し違う異世界版虫下し。割と力業です。




