1-5 ボアフィレアス討伐1
魔物が出現したと報告を受けた場所は、トエラから南下したところにある森林地帯だ。
オーロスの森と呼ばれるこの森林は、浅い位置では比較的弱い魔物や獣が出現し、奥に行くほど強くなる傾向がある。そのため、よく新人傭兵が訪れることでも有名な場所なのだ。
そして、今回現れたボアフィレアスはふだん森林の比較的深い位置に生息する魔物で、とても新人がかなう相手ではない。
なるべく早期の対処が求められる案件だ。
そのおかげで私はギルドから馬を借りることができ、今街道をひた走っている。
トエラを出発してすでに半日。そろそろ先行していた魔法使いの馬車に追い付くはずなのだが。
そう思っていると、前方に小さな影を見つけた。
「追い付けたか」
傭兵ギルドの紋章を付けた馬車は、間違いなくギルドのものだ。比較的速足に進んでいるのも討伐を急いでいるからだろう。
「そこの馬車!」
私は馬の速度を上げ、馬車と並走しながら御者に声をかける。
「なんだ、あんた」
「傭兵ギルドの応援だ。ミラベルという」
私はポケットにしまっておいた出来立てのギルドプレートを御者へと見せる。
「おお、応援が来てくれたのか。そりゃ助かる」
「そちらに移ってもいいか? 移動中に打ち合わせをしておきたい」
「分かった」
御者が徐々に速度を落とし、路肩に停止させた。
「あれ、もう到着ですか?」
馬車が停止したことで、幌馬車の中から一人の少女が顔を覗かせた。
辺りを見回し、まだ目的地でないことに気づいた少女は、首を傾げている。その顔に私は見覚えがあった。
ギルドに登録する際に、視界の隅で受付とやり取りをしていた少女だ。確かクーネルエと言ったか。
依頼は何度も失敗しているような会話を受付嬢としていたが、この依頼を受理したということは実力はあるということなのか?
「いや、あんたの応援が追い付いてきたんだ。こっちのお嬢さんだよ」
御者が席から降り、停車した理由を説明する。
「あ! そうなんですね! 初めまして。私クーネルエと申します!」
「ミラベルだ。よろしく頼む」
応援が来たことに安心したのか、クーネルエは満面の笑顔で手を差し出してきた。私はそれをしっかりと握り返す。
そして、私は改めて間近でクーネルエを見て視線を奪われた。
べたつきの一つもなく、草原のそよ風にサラサラと揺れる艶やかな青髪。白磁のような肌には、傭兵ならばあって当然の傷もシミも存在しない。
私と同じ、いや私以上に貴族と言われても、全く疑わないだろう容姿が目の前にあった。
「あの、なにか?」
「あ、いやすまない。あまりに綺麗な髪だったもので思わず見とれてしまった」
「ふふ、ありがとうございます。私の自慢なんです」
そんな会話をしつつ私たちが握手している間にも、御者は私の乗ってきた馬から鞍を外していた。
「馬はこっちに繋いじまうぞ」
「了解した。そういうことなので、馬車に同乗させてもらうが構わないか?」
「ええ、どうぞどうぞ」
幕を開けてクーネルエが迎え入れてくれたので、私は馬車の中へと入る。
馬車の隅には、クーネルエの荷物らしき大きな杖が一つだけ。
「荷物はこれだけなのか?」
緊急の依頼とはいえ、場所的に数日の野宿の可能性もある。私も宿にその旨を伝えてチェックアウトの手続きを行い、馬に簡易テントと着替え、食料を持ち込んでいたのだが、馬車の中を見回してみてもそれらしきものが見当たらない。
「私の荷物はこの中にありますから」
そういうと、クーネルエは自身の羽織っていたマントをばさりと翻す。
マントの内側に広がっていたのは、不思議な渦。まるで飲み込まれてしまいそうな黒が、螺旋を描いて中心へと延びていた。
「これは、魔宝庫か」
知識では知っていたが、実際にこの目で見るのは初めてだ。
魔法使いたちが使っている自分の荷物を収納しておける異次元。術者以外は取り出すことも入れることもできないそれは、最も安全な宝物庫であると言われている。
「はい、私の荷物は全部この中に入っていますから」
証明するように、クーネルエは渦の中に手を入れるとそこから水筒を取り出した。
そしてまた渦の中へとしまう。
「初めて見るが、不思議なものだな」
「私たち魔法使いも、明確な原理は分かっていませんからね。ただ、本に書いてある通りに練習してイメージすると、なんとなくできるようになるんです」
「随分と曖昧なのだな。取り出せなるかったりする不安はないのか?」
原理不明の能力など、何が起きるのか分かったものではない。
私だったら、使うことに躊躇してしまいそうだ。
「それも慣れですね。最初はやっぱり少し不安ですが、もう五年以上使っているとさすがに慣れてしまいますから」
「ふむ」
剣が手に馴染むような感じだろうか。
新品の剣は、握りの感触に違和感があるとすっぽ抜けそうな恐怖があるが、使っているうちにいつの間にかその剣の握りがしっくりくるようになる。むしろ、昔の剣を握ったりすると逆に違和感に襲われたりな。きっとそんな感じなのだろう。
そんな話をしていると、御者席に戻ってきた御者が馬に乗せていた荷物を持ってきた。
「ほれ、嬢ちゃんの荷物だ」
「すまない、感謝する」
「いいってことよ。んじゃ再出発だ。二馬力で速度も上がる。到着は少し早くなるぞ」
「では私たちはそれまでに情報を整理しておこう」
「そうですね」
馬車が再び走り出し、私たちは揺れる幌の中でお互いが持っている情報の確認を行う。
「私が聞いているのは、ボアフィレアスが出現したという情報と、だいたいの場所だけですね。傭兵団の一つが足止めをしてくれているらしいですが、それもどこまで持つか分からないと言っていました」
「ふむ、さほど私と変わらないな。私が聞いているのも大体それぐらいのことだ。それと、先に向かった傭兵は魔法使いで援護が必要だということを聞いたが」
「はい、私運動は苦手で……」
クーネルエは頬を赤らめつつ、少しだけ顔を伏せる。
「なに、得意不得意はあるものだ。その分魔法が強力だと聞いているが?」
「それは自身があります! どんな魔物でも一撃で消滅させられます!」
「消滅とは大きく出たな。それほどまでに強力な固有魔法なのか?」
強力な魔法であっても、魔物を跡形もなく消し去ることはできない。せいぜいが、深手を負わせ動けなくさせることができる程度だ。
だが、それはあくまで通常魔法の場合の話だ。
魔法使いには、それぞれに固有魔法と呼ばれる個人の資質によって発言する特殊な魔法が存在するらしい。それに限って言えば、威力や効果も比べ物にならないほどのものがあると聞く。ただ、これは完全に個人の資質によるものらしく、人によっては通常魔法よりもはるかに弱かったり、使い勝手が悪い魔法を有しているものもいるのだとか。
クーネルエの自身も、彼女の固有魔法から来ているのだと推測したのだが――
「はい。私の固有魔法名は消滅なんです。文字通り、跡形もなく消滅させられますので」
「なるほど、それで討伐証明ができなかったわけか」
消滅の魔法を行使するせいで、討伐対象を文字通り消滅させてしまう。そのため、討伐証明のための部位も残らず、依頼が達成にならないと。
「ど、どこでそれを!?」
私の推測が正しかったのか、クーネルエは目を丸くして私を凝視してくる。
「今朝受付でクーネルエが話しているのを耳にしてな。討伐証明が出来ずに何度も失敗しているのに、今回の緊急依頼に真っ先に抜擢される理由がやっと分かったよ」
「うぅぅ、恥ずかしいところを見られてしまいました」
「気にすることはない。しかし、必ず消滅させているということは威力の調整などは」
「はい、全くできません。というよりも、消滅の魔法に触れた個体が消滅するといった感じなんです。なので、足先や尻尾、背中の一部なんかに触れても、個体そのものが消滅してしまいます。あ、でも個体の範囲もどの程度までなのかは把握していますから安心してください。地面を消滅させても無制限に地面が消滅することはなく、消滅魔法の範囲が消滅するだけなので」
「なるほど、土は一粒ずつを個体と認識しているわけか」
「そうみたいです」
「と、なると確かに今回の依頼にはうってつけの人材というわけか」
今回の依頼は、魔物の討伐であるがその証明に討伐部位は必要ない。そもそも、多くの目撃者がおり現在も監視され続けているであろう個体を目の前で消滅させることができれば、誰が見てもそれはクーネルエの魔法だと分かる。
証明できる多数の他人がいれば、デメリットは補える。
「はい、なので今回の依頼は真っ先に私に回ってきたんだと思います。けど、引き付けてくれる人がいないと魔法の準備や照準が不安だったんです。ミラベルさんが来てくれて、本当に助かります」
「ふっ、気にすることはない。私も私の目的で動いているからね。それに、もしかしたらクーネルエの出番すら無く終わってしまうかもしれないぞ?」
「え? それってどういう――」
クーネルエが聞き返してくる前に、馬が嘶き馬車が停止した。
そして御者席から声が聞こえてくる。
「お二人さん、目的地に到着しましたぜ」
「では行こうか」
「え、あの、さっきの意味って!」
私はあえて言葉を返さず、荷物を持って馬車を降りるのだった。
◇
緊急任務の受理を行い、私はホッと息を吐く。
だがまだ気を抜いていいタイミングではないと思い直し、すぐに腹に力を入れた。
ミラベルは今戦いの場へと向かっているのだ。担当受付である自分が脱力していていい時ではない。
「とりあえず返ってきたときのための準備をしておかないと」
緊急依頼の達成後は、状況の確認や依頼料の支払い、依頼完了評価などの資料をギルドの上層部へと提出しなければならない。
ミラベルが戻ってからでもできることなのだけど、私は予め準備を行いなるべくその日のうちに支払いができるように心がけている。傭兵さんたちの中には、その場で依頼達成の報酬をもらい飲みに行きたいなんて人たちもいるのだ。報酬は素早く支払うに越したことはない。まあ、そんなその日暮らしをしていて大丈夫なのだろうかという心配はあるが……
それにミラベルさんはこの町に来たばかりだというし、家出して傭兵になったと言っていた。ということは実家からの支援は期待できないし、手持ちも多くない可能性もある。
「緊急依頼の評価書ってどこだったかしら」
書類関連の棚を探りつつ、評価書を探す。
通常の依頼評価書ならばすぐに見つけることはできるのだけど、緊急依頼の評価書なんて年に一回使うか使わないかだからなぁ。
ガタガタと引き出しを開け、足元に近い位置で目的の評価書を見つけた。
「あったぁ」
評価書を持って自分の机へと戻る。そして、カップの中のコーヒーが切れていることに気づいた。
席を立ったついでにもらって来ようと、ギルドに併設されている喫茶店へと足を運ぶ。そこでは、ギルドの職員ならば無料で飲み物を注文することができるのだ。
「すみません、コーヒーを一つ。砂糖は無しで」
「はーい、少々お待ちください」
カウンターでコーヒーが来るのを待っていると、後ろからトントンと肩を叩かれる。
振り返ると、今朝ミラベルの実技テストをしてくれたオブノさんがニカッと笑みを浮かべていました。
「オブノさん、お疲れ様です」
「おう、お疲れさん。ルレアちゃんは休憩かい?」
「いえ、ミラベルが依頼を受けたのでそれの受注処理とかいろいろです」
「あの嬢ちゃんはもう依頼を受けたのか」
オブノさんが驚くのも無理はありません。本来ならば、今日いろいろと話しあい、翌日までに担当受付ができそうな依頼を探してくるのが普通なのですから。
「まさかあの依頼か?」
「ええ、ボアフィレアスの討伐依頼。緊急依頼です」
「ルレアちゃんがよく許可したな」
私はギルドの中でも過保護気味な担当受付で通っていますからね。
「ミラベルの実力は確かなものでした。それはオブノさんが一番理解できているのでは?」
「はは、まあそうだな。思い出すだけでも未だに手が震える」
「そこまでですか?」
「まずあの踏み込みだ。俺がピクリとも動くことができなかった。三十年近く傭兵やってる俺がだぜ? しかも練習用とはいえ、中心に鉄芯の入った槍を一刀両断。切断面なんか、やすり掛けしたみたい滑らかだった。まあ、そんなもんがおまけにしか思えないほどヤバいのがあの覇衣よ」
確かにあの時あふれ出した覇衣は凄まじいものがありましたが、高位の傭兵の中にはあれぐらいならば使える人もいるにはいます。オブノさんもあれぐらいの覇衣であれば十分戦えるだけの実力を持っていると思ったのですが。
「ミラベルって言ってたか。あの嬢ちゃん、覇衣が有する威圧感に指向性まで持たせてやがった。だからルレアちゃんが感じた圧迫感は、そこから零れた言わば残滓みたいなもんだよ」
「あれが……残滓?」
あの時感じた威圧感は、一般人の私を拘束するには十分すぎるものだったはず。それが本当に零れただけの残滓だったのだとしたら――
「何やったらあの年であんな威圧感の纏った覇衣が出せるんだよ。ありゃ、すぐに高位にぶち込んでも十分活躍できる。いや、チーム主体で動いている連中なら歯牙にもかけない実力があるぞ。ルレアちゃんも相当苦労するだろうなぁ。あの子にあったチームなんて存在するのかねぇ」
そうだ、ミラベルが無理なく所属できるチームも探さなければならないんですよね。
けど、オブノさんがそこまで評価するミラベルが、どこかのチームに混ざることができるのでしょうか。むしろ、ミラベルにチームを作ってもらった方がいいのかもしれませんね。そう考えると、今一緒に依頼を受けているクーネルエさんもありかもしれません。
ちょっとだけ希望が見えてきたところで、注文していたコーヒーが届きました。
「オブノさん、ありがとうございます。少しいい方法が浮かんだかもしれません」
「お、そりゃよかった。ならものは相談なんだが」
「何でしょう?」
「俺もちょうどコーヒーを飲みたいと思ってたんだ」
オブノさんの視線の先には、首から掛けられたギルドの職員であることを示すプレートが。
なるほど、そういうことですか。
「店員さん、すみませんがこの方にもコーヒーを。私のプレートで」
「砂糖とミルクたっぷりで頼むよ」
オブノさんはギルドの手伝いをしてくれますが、あくまで傭兵ギルドに所属しているフリーの傭兵ですからね。ここの喫茶店は有料なのです。なので私のプレートでおごりにしてほしいということだったのでしょう。
満足そうなブノワさんの笑顔を受け、私は「では」と言って机へと戻るのでした。
tips
消滅魔法 本体は最小十センチから最大一メートル四方の光球。接触で停止し、接触した物体もろとも消滅する。
tips2
傭兵オブノ Aクラスのベテラン傭兵で、今はギルドの手伝いを主な依頼としている。傭兵団はメンバーの高齢化と結婚を機に解散している。気づけば独り身だったことにこっそりと焦っている。嫁募集中。