4-2 ヴァルガスの覇衣
化身級との戦いから一カ月が過ぎた。
私の両腕は今だ包帯に覆われ、なんとか動かすことができるようになってきたがまだまだ安静だ。ただ、そろそろトエラに戻ってもいいのではないかと思い始めている。
騎士団の中でも怪我をした者たちはすでに王都へと帰還した。ルーテ様はまだヴェルカエラに待機しているが、間もなく迎えの部隊が到着するとの情報があった。
それにいい加減トアやティエリスの顔も見たいしな。二人には帰還が遅れる旨の手紙は出してあるが、化身級と戦ったとなれば心配していて当然だろう。私たちの顔を見せて安心させてやりたい。
と、言うことで、今までお世話になってきたヴェルカエラの傭兵ギルドへ明日出発する旨を伝えるためにやってきたわけだが――
「英雄様は帰ってしまうのか! 寂しくなるな! なら今から乾杯しようぜ! 英雄様の活躍にな! カンパーイ!」
「ガハハ! 今日は俺のおごりだ! 好きなだけ飲め! 食え!」
「ええい! 臭いぞ! 顔を近づけるな」
「消滅魔法でアルコールだけ消せたら……」
クーが何やら物騒なことをつぶやいているが、試すなよ? 貴重な制限解放者が消えることになるぞ。
ギルドへ顔を出した途端、私たちは酔っ払いたちに絡まれていた。まあ、ヴァルガスと変態の二人組だ。
どうやら先週、スタンピード鎮圧強力がなかなかの報酬が支払われたとかで、昼間っからギルドで飲んでいるのである。
ギルドの喫茶店には料理はあるが酒は置いてないはずなんだがな……あいつらわざわざ持ち込んでいるらしい。
そんな二人を必死に注意しているのは受付嬢のミレーユだ。
「ヴァルガスさん! 変態さん! ギルドは酒場じゃありません! 飲むなら酒場に行ってください!」
「硬いこと言うなよ」
「そうだぜ。他の連中だって直に酒持ってここに来るしな!」
そう言えば、もうかったのはこの二人だけではないんだよな。魔物の死体の売却などで、参加した傭兵のほとんどが大きく儲かっている。
つまり、ヴェルカエラにいる傭兵たちのほとんどが臨時収入を得て大いに盛り上がっているところだった……
「何でですかぁ!?」
「俺が呼んだ! 訓練場で酒盛りだ! 料理じゃんじゃんもってきてくれよ! 変態、先行って指示出してやんな!」
「了解だ、兄貴!」
「ぬぉぉおおおお!」
ミレーユが乙女が発してはいけないような声で唸っている。
まあ、こんな現状が一週間近く続いていれば嘆きたくなるのも分かるが。何せ飲みまくっているせいでほとんど依頼が消化できていないのだから。
「ま、来週からはいつも通りに戻るさ。嬢ちゃんもそれまでのことだと思って楽しむんだな!」
「もう! 知りませんからね! 私知りませんからね!」
ヴァルガスが差し出した酒をひったくる様に取り、やけくそ気味に一気に飲み干した。
いい飲みっぷりだが、大丈夫か?
「ううぅ……みらべるしゃん! 今日のギルドは休業です! もう何もしません!」
これは――ダメだな。挨拶は改めて明日出発前にするとしよう。
クーを見ると、同じように考えていたのか肩をすくめて苦笑していた。
「おい、嬢ちゃんたちも行くぞ!」
「分かった分かった」
すでに酔っぱらってしまったミレーユと、ガハハと笑い声を上げるヴァルガスに連れられ、二人も訓練場へと向かうのだった。
訓練場の扉を開くと、既に宴会が始まっていた。
集まっていた傭兵たちは地べたへと座り込み、ギルドの喫茶スペースで提供される料理をつまみに持ち込んできた酒をあおって大いに盛り上がっている。
そして、ヴァルガスが入ってくると、その盛り上がりが一段回大きなものとなった。
「制限解放者ヴァルガスに乾杯!」
「太っ腹なヴァルガスに乾杯!」
「先週振られたばかりのヴァルガスに乾杯!」
「おい! 最後の関係ねぇだろ!?」
「寂しさ紛らわしたいんだろ!?」
その言葉に、周囲から笑い声が木霊する。
そうか、ヴァルガスは寂しかったのだな。だから、受付嬢もいるギルドで飲みたかったわけか。
憐れんだ視線を隣にいるヴァルガスに送ると、当のヴァルガスは必死に否定する。
「違うからな! あいつとはお互い遊びだって決めてたんだ! あいつが金がたまったから別の町に行くことになって、なら別れるかってなったんだよ! お互い合意の上だ」
「……そうか」
必死に言い訳するが、どう聞いても中の良かった相方と別れたことが寂しいようにしか聞こえないぞ?
ヴァルガスの肩をトントンと優しく叩き、笑みを浮かべる。
「今日は酌をしてやろう。それぐらいしかできんが」
「だから違うっつってんだろぉぉぉおおおおお!?」
叫び声をあげるヴァルガスをひとしきりいじり終え、私たちも男たちの輪へと入る。
最初は酒を勧められたが、私もクーもそこまで酒は得意な方ではない。丁重に断りつつ、逆に相手へと飲ませていく。
そんな中、色々と踏ん切りがついたのか、酒瓶を持ったヴァルガスが再びちかづいてきた。
「ヴァルガス、この野菜フライは美味いな」
私がちびちびと齧っていたのは、根野菜の揚げ物だ。衣はサクサクで、中の野菜は柔らかい。おそらく、一度煮てあるのだろう。
「ギルドの喫茶スペースにもこんな料理があったとは。今後はもっと利用してもいいかもしれないな」
「あそこの売店はギルドと契約してる別の団体って話だからな。ちゃんと利益を上げられるもんを作ってるぞ。駄弁るだけの場所じゃねぇさ。そんなことより嬢ちゃん、腕は大丈夫なのか?」
「ああ、だいぶ良くなってきた。多少は力も入るようになってきたしな」
とはいえ、まだまだ剣を握ることはできないが。時々剣を振れないことで、腕がムズムズしてしまう。素振りの習慣ができないというのももどかしいな。
「まあ、化身級を相手にそれだけで済んだってのは奇跡なんだが、一体何すりゃ腕だけそんな怪我になんだ?」
ヴァルガスの疑問も当然だろう。傭兵の怪我と言えば、打ち身や擦り傷切り傷だ。両腕だけボロボロになるなんてことは、普通に戦っていればまずありえない。
「相手からの攻撃でこうなったわけではないのだ。半ば自爆の様なものだな。化身級の防御が硬く、それを抜くだけの攻撃を放つ衝撃に両腕が耐えられなかったのだ」
覇断の威力は格別なものだが、やはり両腕の負荷が問題だ。これを何とかしなければ、使うたびに全治数カ月になってしまう。
「ガハハ、そんなひよっこい腕してりゃ当然だな! 見ろこの逞しく鍛えられた俺の腕を!」
ヴァルガスが腕に力を籠めると、血管がビキビキと浮き出て、筋肉が盛り上がる。
手入れのされていない無骨な傭兵の腕だが、それだけに鍛えられているのが良く分かる。
「むぅ、羨ましいな」
私の腕では、というか女の骨格ではどうあってもここまでの筋肉を付けることはできないからな。まあ、仮に付けられたとしても母様から強烈に反対されただろうが。
「ハハハ! この腕で俺の得物を振りまわしゃ、どんな魔物も一発で両断よ!」
「斬馬刀だったか? 身の丈ほどもあると聞いたぞ」
「おうよ、あの隅に立てかけてあるのがそれだ」
ヴァルガスが指さす先には、訓練場の壁に立てかけられている私の身長ほどはありそうな巨大な斬馬刀があった。
自重で地面へと先端の突き刺さっているそれは、私では持ち上げるだけで精いっぱいだろう。
「あんなものを易々と振り回せるのか。凄まじいな」
「おいおい旦那ぁ! からかうのもそこらへんにしといてやったらどうですかい!」
「からかう?」
振り返ると、酒瓶を持ったまま上機嫌で歩いてくる刺付き肩パットにサスペンダーの半裸の男の姿があった。変態である。
「ガハハ、いいじゃねぇか。ヴェルカエラの連中の中じゃほとんど常識みたいになっちまってるからな。たまにゃ自慢したいんだよ」
「むっ、では今のは嘘なのか!?」
「全部が嘘ってわけじゃねぇさ。筋力っつう下地がいることも確かだからな。けど、さすがにそれだけじゃあいつは振り回せねぇよ」
ヴァルガスはよっとと言って立ち上がり、パンパンと尻に付いた土を落とす。そしてにやりと笑みを浮かべた。
「ちょっくら見せてやる」
ヴァルガスが斬馬刀へと近づいていくと、ギャラリーたちも何をやるのかと注目し始めた。
そんな中、ヴァルガスが斬馬刀を手に取り軽々と肩に担ぐ。
「嬢ちゃんも覇衣ぐらいは使えるだろ?」
「うむ」
「なら応用よ。まずは覇衣を展開して」
ブワッと圧力が放たれ、ヴァルガスの回りに靄が漂い始める。
なかなかに洗練された覇衣だ。騎士団の上位連中とも引けを取らない。いや、むしろあいつらよりも扱いは上手いか。さすが制限解放者だな。
「覇衣を使うと、体内の覇気が活性化して自然と身体能力が上がる。これは常識だな」
「うむ。私も良く使っている」
「けどそれだけじゃやっぱりこいつを振り回すのは無理だ。まあ、振るだけなら可能だが、止めようとしたところで腕が折れる。だから俺はここから覇衣を使って素振りをサポートするわけだ。よく見てな! アーマメント!」
気合いと共に覇衣が大きくうねり、まるで生き物のようにヴァルガスの右腕へと纏わりついていく。
その現象には身に覚えがあった。覇斬を放つときの集束と同じだ。
ヴァルガスの全身を覆っていた覇衣は右胸から右腕全体を覆うように集束し、その濃度を増してまるで覇斬の刀身が体に張り付いているように変化した。
それはまるで、肩から右腕全体を覆う鎧だ。
「こいつが俺の覇衣の使い方。アーマメントだ。お前ら! 行くぞ!」
ヴァルガスが斬馬刀を後方へと流す。
そして勢いよく振りぬくと、まるで短剣を振る様な軽さで腕が動き、強烈な風を訓練場全体へと巻き起こした。
見物していた男たちは自分の体で巻き起こった砂ぼこりから酒と摘を守り、それ以外の者たちは歓声と喝采を送る。
「さすが兄貴だ! こんだけスゲー素振りは兄貴しかできねぇぜ」
「訓練場全体に風が起きるからな。あんなの受けたら剣ごと真っ二つにされそうだ」
「つか、あの速度なら受けることもできねぇだろ。俺たちじゃ、気づいたら斬られてるさ」
「ちげぇねぇ」
笑いながら先ほどの一振りについて口々に感想を述べる傭兵たち。
確かに先ほどの風は強烈だった。あれを正面から受ければ、一瞬の隙を生み出すことも可能だろう。
だが私にはそれ以上に注目すべき点があった。
「ミラ、どうしたんですか?」
私が斬馬刀の刃先を睨みつけるように見ていると、それに気づいたクーが尋ねてくる。
「嬢ちゃんは気づいたみてぇだな」
「今のがアーマメントの本当の使い方か」
「おうよ」
「ミラ! 二人だけで理解してないで、私にも教えてください!」
ゆさゆさと体を揺すられたので、クーに解説する。
「アーマメントは確かに素振りの速度を上げ、力を補強するのにもつかわれている。だが、一番重要なのは最後だ。斬馬刀の切っ先を見てみろ」
「切っ先?」
クーがそこに視線を向ける。
斬馬刀の切っ先は、地面から砂一粒ほどの隙間を開けて停止していた。
「あれって」
「気づいたか。本来あれ程大きな剣であれば、地面などに叩きつけるのが普通だ。そうでなければ反動で体を持っていかれる。だがヴァルガスはあの瞬間、地面すれすれでピタッと斬馬刀を停止された。あんなことをすれば、本来なら腕の骨が折れているはずだ」
「そう言うこった。アーマメントの本来の意味は、外部からの腕の補強。負荷を物質化した覇衣に受けさせることで、肉体への負担を最小限に押さえることよ」
「そんな使い方があったのか」
覇衣を圧縮すれば物質化することは知っていた。覇斬はそれを利用した技なのだから当然だ。
だが、それを鎧として纏う発想はなかったな。そもそも、剣の刀身を覆う程度の物質化でほとんどの覇衣を使ってしまうのだ。そしてその攻撃を当てれば相手は倒せてしまうのだから、防御に使うという発想自体がナイトロード流には無かった。
攻撃に使うか防御に使うか。本来ならば一長一短だな。
攻撃に使えば強力な一撃を放てるが、こちらの肉体は無防備になる。逆に防御に使えば、肉体の防御は強固なものになるが火力が不足して相手を倒せない可能性がある。
だが私の嵐覇ならば――
嵐を巻くほどの覇衣ならば、両方を同時に扱えるのではないだろうか。
「どうだ。こいつなら、嬢ちゃんの攻撃の反動も受けきれるんじゃないか?」
「うむ、その可能性はある。少し試してみても?」
さすがに技をこの場で放てば、訓練場が吹き飛んでしまうからできないが、ヴァルガスの使うアーマメントの訓練ぐらいは本人の前でしてみたい。
「おうよ、やってみな」
「では」
まずはいつものように覇衣を発生させる。覇斬の場合はこの覇衣を剣へと纏わりつかせるように意識していた。それを今は右腕へと巻き付けていく。
「これは――動かない?」
ヴァルガスのように右腕へと覇衣を集束させてみたが、すると私の腕が動かなくなった。
肘が、手首が、指の関節が、そのすべてが物質化した覇衣によって固定されてしまっているのだ。
「ハハハ! やっぱそうなったか」
困惑する私をよそに、ヴァルガスが笑い声を上げる。
「俺も最初はそうなってよ。形が同じで動かないもんに纏わせるなら問題ねぇが、腕みたいな細かく動くもんに纏わせるにはしっかりと可動域を想定する必要がある。それが甘いと、今の嬢ちゃんみたいに動かせなくなったり、アーマメントが緩衝して引っかかりを覚えたりするようになる」
腕を持ち上げ、自らのアーマメントを私の目の前に持ってきたヴァルガスは、その指を一本一本丁寧に曲げていく。
「これぐらいできるようになるには、俺も数カ月かかっちまったからな。纏わせながら、少しずつ修正していくしかねぇぜ」
「そうか」
やはり一朝一夕には習得することはできないか。
だが参考になりそうなものはあるな。
重装兵の甲冑などの関節を真似れば、それを基礎にして私の体に合わせて調整していけばいいはずだ。
ヴァルガスは平民だし、重装に触れる機会はなかったはずだ。それを考えれば、もう少し期間は短縮できるかもしれない。
「これはいいヒントになった。ヴァルガス、感謝するぞ」
「へっ、あんたなら俺やクローヴィスと同じところまで上がってこれそうだからな。期待してんぜ」
期待されては応えないわけにはいかないな。
手始めに私は、重装の小手を思い出し、アーマメントを変形させる。
「うむ、見ているといい。私は誰よりも強く、誰よりも先頭に立つ騎士となって見せよう」
若干干渉の残るアーマメントの小手で、私は握りこぶしを作るのだった。




