4-1 報告書
お待たせいたしました。四章「騎士の少女と魔を従えるもの」開始します。
ゆっくりと鉄格子でできた門が開き、馬車は中へと進む。
丁寧に整えられた芝と垣根の間を抜け、馬車は館の前で停車した。
すると、すぐに館の入り口で控えていたメイドが、馬車の扉を開き頭を下げる。
「お帰りなさいませ旦那様」
「うむ」
馬車からゆっくりと降りてきたのは、この館の主バラナス・ナイトロードである。
バラナスは、先日発見された裏取引きの名簿の調査でメビウス王国内の町を飛び回っていた。そしてようやく一段落がつき、久々に我が家へと戻ってくることができたのだ。
バラナスが馬車を降りると、出迎えたメイドが早速荷物を館の中へと運び始める。
そして少し遅れるようにして一人の男性が館から出てきた。
「旦那様、お帰りなさいませ。お疲れさまでした」
筆頭執事のセルバだ。
「ああ。ようやく一息つける。書斎に紅茶を頼む」
「承知しました」
後のことをメイドたちに任せ、バラナスは自らの書斎へと戻り、こだわった椅子にどっさりと腰を下ろす。
柔らかく体を包み込む感覚に、体の中に貯まっていた疲れがどっとあふれ出すのを感じた。
そこにちょうど良くセルバがティーセットを持って現れる。
ティーポットに茶葉を入れ、アルコールランプで沸かしたお湯を適温に戻して注ぎ入れる。
芳醇な香りがティーポットの口から溢れ、その香りにバラナスは帰ってきたのだと改めて実感した。
「だいぶお疲れのようですね」
ティーカップへと注いだ紅茶を差し出し、セルバが問いかける。
「ああ、さすがに案件が案件だ。抵抗が激しいところもいくつかあってな」
裏取引の帳簿は、これまで巧妙に隠れていた暗部を突然白日の下に晒した。当然、そんな連中が容易に騎士団や兵士隊の調査を受け入れるはずもなく、必死に隠ぺい工作を行い、時には武力を持って抵抗を試みる組織もあったのだ。
バラナスは、主にそんな武力抵抗を武力をもって鎮圧するために動いていたため、疲れもひとしおだ。
「だが全てではないが主要な連中は片づけた。これで王国の膿もだいぶ解消されただろう」
首をゴリゴリと鳴らしつつ、騎士たちに半ば蹂躙にも似た制圧をされた者たちのことを思い出す。
表の仕事は順調で、周りからの評判もいい。そんな者たちですら、一皮むけば人身売買や麻薬密売の片棒を担いでいるのだから驚きだ。
下手に欲をかかず、真面目に仕事を続けていればそれでも十分に幸せを手に入れることができたであろうにと、バラナスは彼らの欲深さに呆れるばかりだった。
「それはよろしゅうございます」
「こちらは変わりないか?」
「はい。館は平和そのものでした」
ミラベルがいない分、親子喧嘩も発生せず訓練場が破壊されることもない。おかげで、最近では静かな午後を過ごせると使用人たちも喜んでいるほどである。
「ただ、他の貴族の間では少々慌ただしい者が何人かいたようですが」
「今回の資料から芋づる式に名前が出るのを恐れた連中か」
「そちらは兵士隊が押さえたようですが」
「当然だな」
今回の騒動で明るみに出てしまう程度の悪事しか働けない貴族に兵士隊が後れをとるはずなどあるはずもなく、国政に係わっている柱貴族たちは当然のように今回名前が上がった商人たちと係わりのある者はいなかった。
だがバラナスは、彼らが完全に潔白だったとは思っていない。
本当の悪とは簡単には明るみに出ないものだ。気づいた時には手遅れになっている。それが厄介な病気というものであり、本当の悪という存在だと考えているからだ。
だが今回の調査はかなり大規模なものだった。手足の末端と言えど斬られれば多少の痛みはあるし、叩かれればしびれも残る。しばらくは潜んでいる者たちも静かになるだろうと考えていた。
「こちらは一段落したが、ヴェルカエラではかなり面倒なことになっていると聞いている。資料はあるか?」
情報は副団長という立場もあり他の町にいても多少は入ってきていたが、やはり詳しい情報や情報源の確かなものというのは少なく、穴抜けの情報から推測しなければならない部分も多かった。
一応の終息は見たと聞いているが、念のため情報を精査しておきたいとセルバに届いた情報を纏めておくように頼んでおいたのだ。
「はい、テーブル左手の封書がそちらになります」
「これか」
他の書類と共に置かれていた封書。それを手に取り中を開く。
「ふむ」
内容は大まかに三つに分かれていた。
ヴェルカエラまでの護衛、スタンピードの対処、フィリモリス王国での化身級の討伐である。
スタンピードの発生や化身級の発生は聞いていたが、その討伐の情報までそろっていることに少し驚く。
「化身級を倒したのか。フィリモリス王国の連中もやるではないか」
災害同様の存在である化身級を撃破する。それは、騎士団と言えど簡単にできると断言できるものではない。多大な被害を出していたとしても、化身級を倒せたというのならば、それは世界に誇れる快挙であろうと概要だけ見た時点でのバラナスはそう思い込んでいた。
そして細かい内容を確認し始め、早々に大きなため息を吐くこととなった。
「あのバカ娘は何をしているのだ……」
騎士団の移動ルートを先行し、進路上の害獣と魔物の駆除を行う。
そんな文章を見つけ、ため息を吐くなという方が無理があるだろう。
おかげで、騎士団には怪我――どころか戦闘は一度もなく、安全にヴェルカエラへと到着することができたようだ。だが気になる情報もある。
息子たちとレオンハルトがミラベルを諫めるために私闘を行い、レオンハルトとの戦闘中ににミラベルが見たこともない技を使ったというものだ。
それに関して、息子たちからどのような技だったのかの予想が書かれていた。
それによれば、あふれ出した覇衣が嵐のようにミラベルを中心に渦を巻き、その渦から常に覇衣を補給することで連続して覇斬等の覇衣を放つ技を連続して放てるというのも。
また、全ての覇衣を剣へと凝縮して放つ、覇斬を超えた威力の技。
覇衣の嵐を嵐覇、覇斬の強化版を覇断と断定的に名付けたようだ。
「意味が分からんぞ」
そもそも覇衣が嵐のように渦を巻くとは何なのだろうか?
覇斬を連打? そんな凶悪なものをレオンハルトにぶつけたのか?
覇断? ただでさえオーバーキル気味になる覇斬をさらに強化してどうするのだろうか。というか、それもレオンハルトは受けたのか? あいつ、死んでいないよな?
思考がぐるぐると回る中で、バラナスは一つの決断をする。
「セルバ」
「はい」
「胃薬を頼む。それとハーブティーを入れてくれ」
「承知いたしました」
セルバが胃薬を取りに退室し、その間に続きを読み進める。
スタンピードはヴェルカエラ北砦を襲う形で発生したようだ。たまたま視察に来ていたルーテ様と護衛の騎士団がそれに巻き込まれ、持ちこたえている間にヴェルカエラから増援が到着、鎮圧に至ったわけであるが、またしてもここでミラベルの名前が出てきていた。
増援として真っ先に駆け付けたのがミラベルとその仲間であるクーネルエという名の少女。
東門を突破される寸前であり、たった一人で門の魔物を殲滅したミラベルの背中に砦の兵士たちは勇気づけられたそうだ。
さらに、西門でも第三波の襲来に対してクーネルエの魔法による上空の厄介な魔物の撃破と、ミラベルの登場による士気の高揚が見られたと書かれている。
その報告にバラナスは奥歯を噛み締める。
背中で勇気づけ、目の前の敵を蹴散らす。それはまさしく騎士としての理想の姿だ。
それをミラベルが体現してしまっていることは紛れもない。ミラベルの行動が徐々に周りの評価を改め始めている。女、子供は守られるものというメビウス王国の基本的な価値観が塗り替えられようとしている。
騎士たちの多くがミラベルの入隊に賛成してしまえば、自分一人では押さえきれないだろうことは理解していた。
「今一度、騎士団のあり方を世界に見せつけねばならんか」
「お待たせいたしました」
セルバが薬とハーブを持って戻ってくる。先に水を貰い、薬と共に一飲みした。
その間にセルバがハーブティーの用意を始め、室内にハーブのさわやかな香りが漂い始める。
落ち着いた雰囲気の中準備を整え、バラナスは最後の部分を読み始めた。
「化身級、名称はヴォルスカルノか。火山地帯に眠る炎と溶岩の化身か」
他国のことなので魔物に関する詳しい情報は少ない。
ほとんどの情報は、スタンピードの原因調査のためにフィリモリス王国へと向かったミラベルとクーネルエからの情報だ。
なぜミラベルを送るのかと愚痴りたくもなるが、状況からするとミラベルしか自由に動けなかったのも事実であり、グッとこらえた。
ヴェルカエラ北砦から山岳部を西へ。魔物の移動の跡を発見し、それを追跡すると町を襲っている化身級と遭遇。そのまま戦闘へ。
他国と言えど、民を守ろうとする姿はいいことだと思うが、だからと言って化身級にたった二人で戦いを挑むのは明らかに無謀だ。
その上、フィリモリス王国の軍はほぼ壊滅しており、避難誘導で精一杯の様子――そこまで読んで、フィリモリス王国軍が討伐したと思っていたバラナスの脳裏に嫌な予感がよぎった。
町の中からミラベルが注意を引くことで化身級を引っ張り出し、外で待機していたクーネルエが魔法を放つ。魔法は防がれるも一定の効果があることは分かり次は川の中に落として弱らせたところでもう一度魔法を使い撃退する……
「やはりかぁ……」
化身級を倒したのがミラベルと仲間の少女だったことを知り、深く、深くため息を吐く。
これは押さえられない。
化身級と正面から戦える存在と、化身級すら消滅させることできる魔法使い。この二人を国が放っておくわけがない。その上、砦にはルーテ第二王女がいたはずだ。王族にその名が実績と共に知られてしまった。
チリチリと胃が痛む。
ハーブティーの香りを吸い込み、少しでも心を落ち着けようとする。
「ぬぅ」
落ち着けない。
「何とかせねば……なんとか」
妙案はないかと考えつつ、続きを呼んでいく。
砦へと戻ってきたミラベルは、両腕に罅が入っており、神経も断絶、医者の見立てでは全治三カ月とのこと。
腕の様子は心配だが、全治三カ月程度の診断であれば後遺症は残らないだろう。その間に出来る限りの根回しをしておこう。それに、この間に少しでも剣以外のことに興味を持ってくれたらうれしいのだがと考え、それはきっと無理なのだろうなと思いなおす。
それが出来ていれば、ミラベルが化身級を倒すなどということはしていないだろう。
「セルバ、柱貴族たちと面会予約を入れておいてくれ。おそらく彼らにも化身級の情報は行っているはずだ。ミラベルを押さえ込むためにも、彼らをこちら側に押さえておきたい」
柱貴族はこの国の創立から続いてきた家がほとんどだ。彼らならば、メビウス王国の伝統を大切にする意識が強く、ミラベルやクーネルエの騎士団入りに対して反対の意見を出してもらうこともできるだろう。
王家と言えど、柱貴族の多くが反対すれば意見は聞き入れざるを得ないはずである。
それで押さえ込めればいいのだが……
「承知しました。連絡が取れ次第順次に」
「うむ。それとこいつがフィリモリス王国の情勢の報告書か」
「はい、情報屋からの購入と国からの資料を纏めてあります」
「助かる」
それは化身級出現後のフィリモリス王国の動きを調べたものだ。
ヴォルスカルノに襲われた町へは大量の支援物資が送られており、そのために南部と西部で一時的な穀物の値上がりが見られる。
そこに加えて、どうやら防衛戦の準備も進めているようだ。相手はお国柄を考えセブスタとマーロだろうと予想する。
王家がどのように判断するかはまだ分からないが、状況を見るにかなり拙そうだ。多くの商人が買い込みではなく移動を開始しているのは、明らかに巻き込まれるのを恐れてだ。つまり、町まで攻め込まれる可能性が高いと考えているのだろう。
確かに、同時に二国を相手にするのは、今のフィリモリス王国では厳しいだろう。防衛線を引くとしても、バラナスも国境線は捨て王都に近い砦での戦いを考える。
「場合によっては我が国も動くな」
騎士団が派遣されることはないだろうが、兵士隊と傭兵から侵攻軍が編制される可能性はある。
兵士隊の抜けた穴を埋めるために、大きな配置転換が予想された。
「膿の掃除が間に合ったのは幸いだな。騎士団が戻ってきたら、再編を行おう」
スタンピードの鎮圧で怪我をしているものもいる。彼らが帰還したらこっちの部隊の入れ替えを行い、非常時に動ける体勢を整えておく必要がある。
せっかく家に帰ってきたばかりだが、明日以降も忙しくなるなとバラナスは冷めたハーブティーを飲み干し、お代わりを頼むのだった。




