3-20 目覚めて
「うっ……」
体の痛みにうめき声が出た。
ゆっくりと瞼を開けると、ランタンの明かりが目に入ってくる。
眩しい。
目を細めて左右を見ると、左側に人影を見つけた。
クーだ。私の眠っていたベッドにうつ伏せになり、すやすやと寝息を立てている。
ここはどこだろうか。クーも一緒ということは、変なところへ連れてこられたわけではないはず。壁際には私の剣と服も掛けられているし、おそらく病院だろう。
ムズムズしたので、寝返りをうとうとしたが力を入れると両腕に痛みが走った。
驚いて自らの手を持ち上げてみる。
両腕はぐるぐる巻きに包帯が巻かれ、固定されていた。
「ふむ、これは酷いな」
覇斬乱舞はここまで私の腕をボロボロにしてしまうか。戦闘中からかなり痛みは感じていたが、この様子だと確実に骨に罅は入っているのだろうな。ぶらぶらはしていなかったから、折れてはいないはず……だが問題は神経と筋か――
最後の覇斬を放った時、ぶちぶちと言う音が体内に響いていた。あれは確実に繊維を引きちぎったときの音だ。
あの後遺症が残ると、私の騎士生命に問題が出てくる。
ゆっくりと両手に力を入れてみるが、感覚はない。痛みが走るだけだ。
「さて、どうしたものか」
おそらくずっと看病してくれていたのだろうクーを起こすのは忍びない。かといって、クーを起こさなければ、現状が全く分からない。
外は暗いから夜なのだろうが、具体的な時間は分からない。まだ夜の浅い時間なのか、それとも深夜なのか、はたまた明け方前なのか。
できることなら、浅い時間であると良いのだが。
そんなことを考えていると、扉の向こうからカタカタと足音が聞こえてくる。その音は、私たちの部屋の前で停まった。
コンコンと軽いノック音が響き、声が掛けられる。
「クーネルエさん、ミラベルさんの様子を見に来ました。入りますよ」
返事を待たず扉が開き、純白の制服を纏った女性が入ってきた。
その手には桶が抱えられており、中からちゃぽちゃぽと水の揺れる音が聞こえてくる。
女性は、体を起こしている私を見て、驚きに目を見開く。
「ミラベルさん、意識が戻ったんですね!」
「うむ、クーが眠っているので静かに頼む」
女性の声に、クーの瞼が小さく揺れたが、すぐにまた整った寝息を立て始める。よっぽど疲れているのだろう。しっかりベッドで寝かせてやりたいが、今の私は立てないしなぁ。
「あ、失礼しました。調子はいかがですか? 頭痛や吐き気などはありますか?」
「いや、そのようなものは感じない。両腕が痛むがね」
「当然です。骨には罅が入っていましたし、筋肉がボロボロになっていたんですから。どうやったらあんな状態になるのかと、先生も首を傾げていましたよ」
「ハハハ、魔物と戦うというのはそういうことさ。それより、現状を把握したいのだが」
「そうですね、では私の知る限りをご説明します」
女性の話を聞き、現状をだいたい理解することができた。
ここはヴォルスカルノに襲われていたクシュルエラの病院。南部の無事だったところを使っているらしい。
ヴォルスカルノの撃破後、意識を失った私はクーと兵士たちによって医者の元へと運ばれ治療を受けたのだとか。それが一昨日のこと。
治療を済ませても意識の戻らない私を、クーが付きっ切りで見ていてくれたのだそうだ。クーには感謝しなければな。
そっとクーの髪を撫でると、くすぐったそうな嬉しそうな表情で笑みを浮かべる。
クシュルエラの兵士には、クーから大まかにどのようなことがあったのかは話し終えているそうだが、私も意識を取り戻したら事情を聴くこととなっているらしい。医者の診断次第では断ることもできるそうだが、私自身はさほど異常を感じないことだし、普通に聴取を受けることになるだろう。
ちなみに、今は二十の鐘が鳴る前だとか。浅い時間だったらしい。
「おおむねは理解した。ありがとう」
「いえいえ。あ、ミラベルさんお腹の調子はどうですか? 何か簡単なもの食べられます?」
「そうだな。ずっと寝ていてお腹は空いている。簡単に食べられるものがあると助かるが」
「分かりました。厨房の方に伝えておきますね」
「感謝する」
「じゃあ包帯だけ変えちゃいましょうか」
女性はベッドを揺らさないようにしながら、私の両腕の包帯をテキパキと交換していく。
包帯の下の私の腕は、まだ青痣が酷く腫れ上がっている部分もあり、かなり痛々しい状態になっていた。それを見ると、余計に痛みが強くなる気がするな。
「申し訳ありませんが、お薬はお持ちいただいたものを使わせていただいています。どこもかしこも、資材不足なので」
ああ、トア謹製の薬か。まあ、怪我人も多いだろうし自分のものを持っているのなら、そっちを使うのは当然だろう。
女性はベッドの横にある棚から薬を取り出し、痣や腫れに塗り込んでいく。ひんやりとした感触が心地よい。
クスリに風を当ててある程度表面を乾燥させた後、新しい包帯を巻きつけていく。
「はい、これで完了です。では後ほど軽食をお持ちしますね」
「うむ」
女性が退室し、クーと二人きりになる。
さて、ここでクーを起こすべきかどうか。まだ二十の鐘だということだし、時間的には問題ないだろう。それに、かなり心配してくれていたようだし、目を覚ましたのだから教えてやるべきだろうか。
というか、起こさないと怒られそうな気がするな。
「クー」
と、いう訳で私はクーの肩を揺する。
二度、三度と揺すれば、クーの瞼がゆっくりと開いていく。そして私を視界に入れたとたん、ブワッと涙があふれ出す。
「ミラ――」
「おはよう、クー。心配をかけたようだな」
「ミラ!」
ひしと抱き着いてきたクーの背に包帯で固められた腕を回し、撫でる。
「よかったですぅ。一日全く目が覚めなくて。お医者様は大丈夫だって言ってくれるんですけど、それでも心配で……じんヴぁいで」
おおう、もう言葉になっていないぞ。
「私は大丈夫だ。先ほど来た看護師に簡単な食事を頼んでおいた。一緒にどうだ?」
「いだだぎまずぅ」
「うむ」
その後、私は看護師が持ってきた軽食をクーと取り、医者の診察を受けた。
結論から言えば、両腕の怪我以外には異常なし。全身に筋肉痛が出てはいるが、これは身体強化を使い続けた反動であり、ただの運動のし過ぎと同じ状態であるため、異常には含まれない。寝ていれば治る。
問題は両腕なのだが、これは全治一カ月と診断された。
一カ月は絶対安静。その後リハビリを開始し、三カ月程度で日常生活には支障が出ないようになると言われた。
正直参ってしまう。三カ月も剣を振れないとなれば、感覚が鈍る。何とかして剣を握る方法を考えなければ。
翌日、早速私の病室にフィリモリス王国の兵士たちがやってきた。聴取のためだ。
特に聞かれて困ることもないので、私もそのまま受けることにする。
私たちの聴取にやってきたのは、私がヴォルスカルノの戦っている最中に避難誘導をしていた部隊だった。
「改めて自己紹介をしよう。私はフィリモリス王国クシュルエラ配属、オージンだ。階級は二等指揮官だ。クシュルエラでは部隊長をしている」
「傭兵団国境なき騎士団団長のミラベルだ。所属はメビウス王国のトエラ。団員にこっちのクーネルエがいる」
「よろしく頼む」と握手はできないが簡単に挨拶を交わし、聴取が始まる。
内容は主に、なぜこんなところにいるのかということと、どのようにしてヴォルスカルノを撃破したのかということだ。
この辺りはすでにクーも事前に説明しており、確認の意味が強い。
ただ、私たちがメビウス王国の依頼でこの国に来ているということには、あまりいい顔はされなかった。
「どのような依頼か聞いても?」
国からの依頼は秘匿事項が含まれることが多い。迂闊に話せば情報漏洩の処罰を受ける可能性もある。そのため、軽めの尋ね方をしてくれたのだろう。
向こうの気づかいに感謝しつつ、スタンピードの発生とそれの対処、そして原因確認のため傭兵である私たちが依頼を受けたことを丁寧に話した。
ここで下手な説明をすれば、変な勘違いをされかねないからな。「天災の影響でどの程度国力が疲弊しているかの調査」などと勘違いされた日には、メビウス王国とフィリモリス王国が一気に緊張状態に突入してしまう。
だいたいの説明を終え、オージン隊長の様子を窺う。
オージンは自分の取った調書を読み直し、一つ頷いた。
「うん、これなら上も問題なく納得してくれるだろう。これで聴取は終了だ」
「そうか」
「それでなんだが、二人はこの後どうするつもりだ? その腕では戻るのも一苦労だろう」
「うむ、だがこれも依頼だ。砦には重要な方もいるのでな。少しの無茶はしなければならない」
北砦には今もルーテ様がいらっしゃるはずだ。なるべく早く元凶の排除をお伝えしなければならないだろう。貴賓室があるとはいえ、いつまでも砦に王族を置くことなど推奨できない。
「そうか、とどまってくれるなら最高級のホテルを用意するつもりだったのだが」
「ふっ、済まないな。私はメビウス王国が好きなのだ」
「上を説得するのが大変そうだ」
「ならこれを使うといい。上も諦めがつくはずだ」
私はクーに頼んで荷物の中からナイフを一本取り出してもらう。食器サイズの小さな投げナイフだ。
「これは――なっ!?」
オージンはナイフに掘られた家紋を見て、硬直する。その様子に、私はニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「これならば納得してくれるだろう?」
「そうだな。有効に使わせてもらおう。お前たち、戻るぞ」
「「ハッ!」」
「では失礼します」
兵士たちが出て行った部屋で、クーが首を傾げる。
「あのナイフ、なんだったんですか?」
「ナイトロード家の家紋が入ったナイフだ。貴族としての身分証明には使えると思ってな。何本か持ち歩いてるのだ」
私としては傭兵である内は貴族の身分など使いたくないのだが、この血に貴族の血が流れている以上そうはいかない場面が出てくることはある――とティエリスに言われ持ち歩くようにしたのだ。
もちろん、家出するときはこんなもの持ってきていなかったので、ティエリスに持ってきてもらったのである。
そのナイフが早速役立ってしまうとは思わなかったがな。
「なんでそのナイフが役に立つんですか?」
「彼らは私たちの高級ホテルを用意すると言っていただろう?」
「ちょっと惜しかったですね」
まあ確かに高級ホテルならばいい風呂もあるだろうし、少し残念は気はするがな。だが、彼らの提案に乗ってしまうともっと面倒なことになる。
「あれは私たちをこの国に囲い込みたいということだぞ?」
「ええ!?」
「私たちは化身級を退治しているのだぞ? それほどの戦力、国が逃したいと思うか?」
「ああ! だから所属国家のことや、メビウス王国が好きだなんて言ったんですね」
「メビウス王国が好きなのは事実だぞ?」
「まあそうですけど」
だからオージンは上の説得が面倒くさそうだと言ったのだ。
化身級を退治できる傭兵をみすみす逃したとなれば、嫌味が酷いだろうからな。
そこでナイトロード家の家紋が入ったナイフである。
あれがあれば、家紋がどこの家のものか分からずとも貴族の娘であることが理解できる。その上、その家紋がナイトロード家のものだと判明すれば、まず諦めるしかない。ナイトロード家のメビウス王国に対する忠義は他国にも知れ渡っているからな。
「そういうことだったんですね」
「こちらとしても、いつまでも引き留められるのは困るのでね。早めに対処させてもらった。明日の朝にはここを出て砦へ戻ろう」
「分かりました。退院の準備、しておきますね」
「よろしく頼む」
翌朝を迎え、私たちは病院を後にする。
シルバリオンは私の顔を見ると嬉しそうに近づいてきてくれた。お前も心配してくれたのだな。
よしよしと包帯の腕で鼻すじを撫でてやる。
さて、両腕が使えない状態では手綱を握れない。つまりシルバリオンに指示を出せない。そうするのかというと、ここでクーの日ごろの訓練の成果を発揮してもらうことにした。
体を固定できない私がいつも通り前に乗り、クーがその後ろへと乗る。そして手綱を持つのはクー。こうすることで、クーの両腕で私の体を支えてもらうのである。
私がクーに抱きこまれる形だな。
「これは――なかなか恥ずかしいな」
実際にやってみると、抱っこされているようでかなり恥ずかしい。病院の前には今も大勢の人がおり、興味深そうに私たちの様子を観察しているから尚更だ。
「ふふ、個人的にはなかなか楽しいですね。じゃあ行きますよ」
「うむ。安全にな」
「任せてください。じゃあシルバリオン、よろしくお願いしますね」
シルバリオンが人を避けながらゆっくりと歩き出した。クーは特に指示を出していない。
「あ、あれ?」
「ふむ、このままシルバリオンに任せてしまったほうがいいかもしれないな」
「そんなぁ!?」
がっかりするクーを背もたれにしながら、私たちは砦を目指して町を後にするのだった。
◇
ナイフを所持し会議室へ入ることはできない。
オージンは予め見張りの兵に事情を説明し、途中で中に持ってきてもらうこととした。
そしてオージンの説明が始まる。
ヴォルスカルノを討伐した二人組が傭兵であること、その所属がメビウス王国であること、なぜこの町に来たのか。そしてその能力。
若干十四歳にして覇衣を使いこなし、さらにその上の技まで使う少女。
固有魔法の中でも特に強力な消滅魔法を扱う少女。
その話だけを風の噂で聞いたのならば、誰も本気にはしないだろう。
だが、現にその二人によってヴォルスカルノは討伐され、町は大きな被害を出しながらも守られた以上、それを否定することはここにいる人物たちの中にはいない。
一通りの説明を終えたところで、上役たちはそれぞれに話し始める。
「スタンピードがメビウス王国まで行っていたか」
「何か言ってくる可能性は」
「災害にたいして言われてもどうしようもない」
「それよりも国内だ。流通経路の立て直しを」
「外を無視もできない。動きは常に監視しなくては」
「戦力の補充は間に合うのか? 今攻められでもしたら」
「すでに要望は送っている。国がどう動くかは知らんがね」
「悠長すぎる! 町よりも軍備の再編を優先すべきだ!」
「暴動を起こしたいのか!」
「攻め込まれれば終わりなんだぞ!」
「メビウス王国とは友好的だ。その心配はない。それとも山岳の向こうから蛮族が来るとでも?」
「その傭兵はメビウスの出身だろう? 情報が洩れるのでは?」
「スタンピードの対処で忙しいでしょうし、それはどうか」
「そうだ、その傭兵だ! 我が国に引き込めば強力な戦力になる!」
そしてオージンが懸念していた遠い、フィリモリス王国へと引き込めないかという話題が出る。
「それに関してですが、傭兵たちからはすでに拒否されています。メビウス王国が好きだと」
「それを何とかするのがお前たちの仕事だろう!」
無茶苦茶をいう上役に、オージンは内心でため息を吐く。
傭兵の勧誘など、一兵士の仕事ではない。
「それと、傭兵から預かっているものがあります。もし勧誘をしようとする者がいる場合はこれを見せる様にと」
見張りの兵に頼み、布に包まれたそれが持ち込まれる。
テーブルの上で布が開かれ、その中にあったミラベルのナイフが姿を現した。
反応は二つ。
首を傾げるものと、ナイフの意味に気付き驚きの声を上げるものだ。
そして、勧誘を進めたものは前者であった。
「なんだこれは。食器ナイフか? 綺麗な紋様ではないか。どこのものだ?」
「知らないのか! それはナイトロード家の家紋だぞ! それを持っていたということはまさか!?」
「はい、あの傭兵の片方ミラベルと名乗る者はナイトロード家の血族、戦闘能力をみると場合によっては直系の可能性が高いかと」
「この話は止めだ! ナイトロード家に手を出すのは、メビウス王国と戦争をするようなものだ! そんなことできるわけがない!」
ナイフの効果は絶大だった。
即座に話題が修正され、今後の通商回復に関して計画が進められていく。
そんな様子に安堵のため息が漏れたオービスは、副隊長に脇を小突かれハッと気を引き締めなおすのだった。
tips
メビウス王国の軍は基本的に役職制。位はそのまま役職名となり、就くことができる役職に制限はない。そのため実力のあるもの、優秀なものならば即座に隊長やその補佐となることも可能。
役職どうしにも明確な差は少ないため、上下関係が意外と緩い。
対してフィリモリス王国は階級制。役職のほかに階級があり、階級によって付ける役職が変わってくる。当然として上下関係は厳しく、いくら優秀であってもまずは一兵卒からとなる。




