3-10 殲滅調査
その瞬間、俺は死を覚悟した。
これまでに見たこともない量の覇気を纏った剣に体が威圧され、言うことを聞かない。
足が震え体が強張る。その感覚を何年ぶりに体験しただろうか。
あれは、既に人の踏み込んでいい領域ではなかった。
剣が振り降ろされる直前、思わず目を閉じた。騎士としてあり得ない行動だろう。だが、そうしなければ心が耐えられなかったのだ。
直後、激しい衝撃が俺のすぐ横を通り抜け、飛び散った土の一粒一粒が凶器となって俺の全身に襲い掛かってきた。
鎧と盾のおかげで致命傷は避けたが、鎧のなかった部分からは血が零れている。
だが、怪我を負った程度で済んだことに、俺はホッとしていた。
「助かった……」
そんな言葉が口から漏れる。
土煙が晴れてくると、その惨状が露わになる。
通り抜けた衝撃の跡。俺が後一歩左にずれていれば、地面を優に一メートルは抉る衝撃によってバラバラになっていただろう。
あれが覇断。技を放つ直前、ミラベルが言った世界を断てという言葉すら現実味を帯びるほどの威力を持った技だった。
「そうだ、ミラベルは」
あれだけの技。使う者の負担も大きいはず。
慌ててミラベルの様子を確認に向かう。ミラベルは気を失い地面に倒れていた。
「おい、大丈夫か!」
上体を抱え頬を叩く。意識はないながらも「うっ」と反応が返ってきた。
とりあえず危険な状態ではなさそうだ。見たところ怪我はほとんど無いようだし、技を暴走させて自爆させたわけでもないようだ。
となると、制御下に置いた状態で使って気を失ったのか? 覇断、どれほどの威力があったのだ……
と、そこにナイトロード兄弟と、ミラベルの傭兵仲間が駆け寄ってきた。
「ミラ!」
「団長、ご無事ですか!」
「団長、生きててよかったです」
少女は意識のないミラベルへと抱き着き、必死に声を掛けている。
俺は少女に、ただ気を失っているだけで危険はないことを伝え、兄弟へと振り返る。
「直撃は免れたからな。当たっていれば死んでいた可能性が高かったが」
「いやー、凄かったですね。全力で逃げたのに、背後からのプレッシャーで足が震えていましたよ」
ルーカスが呑気に言っているように聞こえるが、額には大量の汗が浮かんでいる。この程度の運動で汗を噴き出すような鍛え方はしていないし、おそらく冷や汗だろう。
「団長、ミラベルにいったい何があったんですか?」
「分からん。ただ戦っている最中に覇衣の密度が各段に上がっていった。それと追い詰めるほどに笑っていた。強者と戦えることの楽しさは理解できるが、あそこまで凶悪な笑みを見たのは久しぶりだ」
覇衣は嵐覇へと昇華した時のミラベルの笑みは、これまで見たどんな笑みよりも楽しそうで、凶悪だった。きっとこいつらがあの笑みをみていたら、その場で失神していただろう。
「なんだか途中から覇衣が渦を巻いているのが見えましたが」
「ミラベルは嵐覇と名付けていた。あれだけの量の覇衣を纏わず、嵐のように渦状に回転させて自身の回りに配置していたな。そして渦の中から覇気を必要な分だけ取り出し攻撃に使っていた」
「訳が分かりません」
見たままを話したが、二人には理解できなかったようだ。
まあ、直接対峙し目にした私でもいまいちあの現象を理解しきれてはいない。遠目に嵐覇を見ていた二人ではなおさらだな。できることなら詳しく調べたいが、使ったミラベルがあの状態ではもう一度というのも難しいだろう。
「しかし困ったな。ちょっと訓練をつけてやるつもりがこんなことになるとは」
「そうです! ミラベルがこれ以上強くなってしまったらどうするんですか! ただでさえ、騎士団への入団を認めない理由が女性だからという理由だけなのに、こんな個人で部隊を相手にできそうな実力になってしまえば、上層部も意見を変えざるを得ませんよ!」
フィエルの言う通りなんだよな。
騎士は常に戦場に出られる準備をしていなければならない。だが、一人が欠けたことでピンチになるような軟な騎士は一人としていない。
ミラベルが先ほどの技を自由に使えるようになっているのだとすれば、国の防衛力として確実に上層部は手元に置きたがるだろう。
それを拒否するだけの権威を、俺もバラナスも持ってないからなぁ。
「とりあえず今日のことは騎士団内では極秘だ。キャンプ地に戻っても何も言うなよ」
「言えるわけがありません」
「まあ、騎士団長殺されかけましたしね。言えるわけがありませんよ」
それもそうか。ある意味心配はなかったわけだな。
そんなことを考えていると、少女がひと際大きな声でミラベルの名前を呼んだ。
「ミラ!」
「うっ……私は」
どうやら意識を取り戻したようだ。
私たちもミラベルの回りへと集まると、ミラベルは全員の顔を見回し、不思議そうに首を傾げる。
「おかしい、私は戦っていたはず」
「技を放とうとした瞬間に気を失ったのだ。覚えていないか?」
俺が問いかけると、ミラベルは目を瞑って記憶を探る。
「薄っすらと。調子が良くて、覇衣が溢れていた。ただ目の前の敵に勝ちたいと思って、心が昂っていた。そうだ、嵐覇と覇断」
「思い出したようだな。あの技は間違いなくミラベル自身が生み出したものだ。今でも使えそうか?」
「いえ、無理みたいです。それに、腕が痛む」
「見せてください」
少女がミラベルの右腕をまくり上げる。そこには、内出血を起こし所々に青あざが浮かんでいる痛々しい腕があった。とても十四歳の少女のものとは思えない。
「すぐに薬を」
「内出血に聞くような薬があったか?」
「痛み止めと火傷用の軟膏です」
「ああ、火傷用の軟膏は痣や筋肉痛にも効くと聞いたことがありますよ」
ルーカスがどこで聞いたのか分からない知識を披露するが、少女も同じことをしようとしていることを考えると本当のことなのだろう。
少女はミラベルの腕に軟膏を塗りたくると、包帯を巻いて処置を終える。
「他に痛むところはありませんか?」
「大丈夫だ。直接的なヒットはほぼなかったからな」
ミラベル相手だと、私も全力でやらなければならないのだが、あれだけやっても致命打は一つとして与えられなかったんだよなぁ。他の騎士なら手加減していてもボロボロに出来るんだが。
ああ、最近はフィエルとの訓練でも手加減が出来なくなってきたか。やはりナイトロードの血というか意識というものは侮れんな。
処置を終えたところで、ミラベルが自力で立ち上がる。
足元のしっかりしており、戦闘や技の後遺症はなさそうだ。
「レオンハルト様、ご指導ありがとうございました! まだあの技は習得できていませんが、いずれ必ず自分のものにしてみせます」
「うむ、励むのだぞ」
「ありがとうございます!」
この前向きな姿勢が実に好ましい。
「では私たちはそろそろ先へ行こうと思います」
「え、ミラ大丈夫なんですか!?」
「うむ。筋肉には傷はついていないようだし、左腕は普通に使えるからな。それに、殲滅だけならば私が補助として動き、クーの魔法でまとめて消せばいい」
「それもそうですね」
ああ、そうだ。俺がここに来た理由はそれだ。別にミラベルを訓練しに来たわけではなかった。
うっかりフィエルとミラベルの戦闘を見て昂り、本題を忘れるところだった。
「ミラベル、このまま騎士の先行をするのであれば、時々偵察班に情報を回してほしい。こちらもどんな魔物がどこにいたのか程度は把握しておきたい」
「了解しました。では半日置き程度で偵察班に伝えようと思います」
「うむ、こちらからも偵察班に伝えてく。頼んだぞ」
「お任せください!」
ドンと自身満々に胸を叩くミラベルに、私は満足げに頷くのだった。
ん? フィエルよ、頭を抱えてどうした?
◇
団長たちと別れ、私たちは予定より少し遅れたが町を出発した。
街道沿いを進み、しばらくすると道が細くなってくる。そのあたりから魔物や動物が出やすくなる地域だ。
シルバリオンの嗅覚と、私の気配察知でこちらを狙っている存在を探していると、後ろからクーが尋ねてきた。。
「ミラ、本当に右腕は大丈夫ですか?」
治療してくれた右腕か。痛みは多少残っているが、動きに違和感は覚えない。
軽く振ってみたが、関節が痛んでいるわけではなさそうだ。
「この通り大丈夫だ。痛みも痣と同じ程度しかない」
「けど、念のために今日は右腕は極力使わないようにしてください」
「うむ。その分クーに負担をかけてしまうが、よろしく頼むぞ」
「任せてください。着替えはばっちり持ってきてありますから」
なら安心だな。毎回消滅させるのももったいないが、だからと言って街道をマント一枚で進むわけにもいかないからな。馬にまたがるせいで、足を大きく開けなければならないし。
さらに進んでいくと、シルバリオンがそわそわとし始める。これは、何かいる気配を感じているな。
私は意識を集中させ、シルバリオンが何に反応しているかを探る。
「……見つけた。クー、左前方、茂みの中」
「何がいますか?」
「一匹。おそらく魔物だ」
ここから先に攻撃を仕掛けるか? いや、相手はすでにこちらに気付いているだろう。足を止めれば、バレたと考えて逃げる可能性が高い。
ならば、わざとこちらを襲わせて、カウンターで足を奪うか。
「シルバリオン、大丈夫だ。私が守る」
軽く首を撫でてやれば、そわそわとしていたシルバリオンが落ち着きを取り戻す。
「カウンターで足を潰す。そしたらトドメを任せるぞ。短剣でいい」
「分かりました。訓練の続きですね」
「うむ」
こちらも準備を済ませ、街道から少し外れた道を進んでいく。
そして一瞬空気が変わった。奴の攻撃範囲に入ったようだ。
直後、茂みから勢いよく飛び出してきたのは、巨大なウサギ。凶悪な牙を持つ、魔物のウサギだ。
傭兵の魔物狩りの中では初心者が良く討伐に向かう対象だな。これならクー一人だけでも処理できる。
だが、念のために私がシルバリオンから飛び降り、砂ぼこりを巻き上げながら掛けてくるウサギと対峙する。
いつ見ても、ウサギとは思えない凶暴さだな。まあ、肉食だから当然だが。
左手で逆手に剣を抜き、すれ違いざまに右前後の足を根本から両断する。
これで死なないのだから、本当に魔物の生命力はすさまじい。
地面へと転がるウサギは、シルバリオンから少し離れた位置で止まる。
クーがすかさず降りてきて、ウサギの胴に短剣を突き立てた。
うむ、的確に急所を貫いているな。
心臓のやや上。魔物が魔物たる所以とも言われる魔石を砕き、ウサギが絶命する。
魔物は魔石を砕かれるとどれだけ体に異常が無くても絶命する。だが、肉体を維持できないほどに損傷を負っても絶命する。
魔石はウサギの様な初心者向けの魔物でもない限り高額で取引されているため、いかに魔石を砕かずに魔物を殺すかは傭兵の腕の見せ所と言ったところだな。
「クー、ナイスだ」
「えへへ、さすがにウサギの魔石は砕きなれましたね」
「そうか。ではそろそろ次のステップかもな」
次は鳥かリスの魔物辺りと戦わせてみるのもいいかもしれない。あいつらは、ウサギよりも体格は小さいが空からの攻撃や奇襲などが得意な連中だ。
頭を使ってくる連中の対処は、難しいがいい経験になる。
「ではどんどん行こうか」
「はい!」
ウサギから食用に太ももだけを頂戴し、私たちは道を進んでいく。
午前中の間に戦った魔物は三匹。ウサギ二体に鳥型が一体だった。
日常で出会う数としては多い方だが、騎士団が後方にいることを考えるとこんなものかもしれないと言ったところ。
魔物は軍の移動や強い存在に惹かれて襲ってくるからな。昼に一度だけ偵察班と合流し、そのことを伝えた私は、特に疑問を持たなかった。
だが、午後。それは明らかな変化となった。
トエラの町から西に向かって三日。私たちはウルバ平原へと到着した。
この平原を越えた先に目的地であるヴェルカエラがある。だが、この平原とてつもなくデカい。
平原の七割を占める荒野に、二割の草原、残り一割の森と川がウルバ平原の全容だが、直線に突っ切るだけでも七日かかるほどの大きさを誇るのだ。
ヴェルン山脈から流れ込む水が作った大河が流れているため基本的に水に困ることはないが、土地自体に栄養が少なくかつ土も農業に適さないもののため、七割もの荒野が広がっているらしい。
かと言って森林や草原地帯が有用かと言われると、皆顔を顰めるだろう。
ウルバ平原に集まる生き物の八割がその草原と森林に集まるのだ。必然的に危険な魔物たちの坩堝となり、とても一般人が暮らしていけるような場所ではないのだ。
と、ここまでグダグダとウルバ平原について説明してきたわけだが、要は何が言いたいかと言えば、森林や草原に危険な魔物が集まっているから、荒野側は意外と安全だよと言うことだ。
事前知識ではそうだったはずなんだがなぁ……
「クー!」
「はい、行きます。エクスティングレーション!」
クーの消滅魔法が発動し、魔物の群れがまとめて光となり跡形もなく消滅する。
私は額に浮いた汗を拭い、ふぅと息を吐いた。
「一体どうなっているのだ」
「魔物が後を絶ちませんね」
一日で二、三回遭遇する程度なはずのこの荒野で、既に午後に入ってから七度目の戦闘。しかも、雑多な種類の魔物の混成部隊である。
狼の魔物の上に、リスの魔物が乗っている姿は実にシュールだが、飛び掛かってきた狼からさらに追撃が来ることを考えると、笑えない光景だ。
おかげで、クーの消滅魔法が輝いている。
私が剣でけん制しつつ、魔物の集団を一つにまとめ、クーの準備ができたところで一気に離脱。クーがその周辺ごと一気に消滅させているのだ。
クーがいなければ、意外と大変な仕事になっていたな。
「日も傾いてきた。そろそろ宿場町が見えるはずだな」
「そうですね。一度偵察班と合流しますか?」
「うむ、町に入る前に情報を渡してしまおう」
その場に待機し、しばらく待つと偵察班と思しき騎士の姿が見えた。
その騎士は私たちを見つけると、真っ直ぐに向かってくる。
「ミラベル様、お疲れ様です。調子はどうですか?」
「うむ、ご苦労。こちらは順調だ。そろそろ宿場町が見えるはずだからな。一度情報を渡しておこうと思う」
「ご協力感謝します」
私たちは、午後の間に倒した魔物たちのリストを騎士へと渡す。
それを見た騎士は、目を丸くして驚いていた。
「この数は――」
「ああ、明らかに魔物の数が多い。本来単独で動く魔物が集団で行動しているのも気になるな」
「そうですね。これは団長に伝えておきます。今後も増える可能性があるならば、十分にお気を付けください」
「うむ。そちらも気を付けろ。私たちが見つけられなかった魔物がいるかもしれない」
「はい、ご忠告感謝します。では、私は本隊へ戻りますので」
「団長によろしく頼む」
偵察班が馬を駆けさせ本隊へと情報を届けるべく戻っていく。
その背を見送り、私たちもシルバリオンへと跨り、宿場町へ向かうのだった。
tips
魔物
動物が何らかの原因で体内に魔力をため込み、魔石を有したもの。
魔力で身体能力が強化されているため、肥大化し狂暴になっている。狂暴故に単独で行動することがほとんど。
体内の魔石を破壊するか、肉体を維持不可能なレベルまで破壊すれば死亡する。
魔石は高値で取引されるため、採取できることが望ましいが、傭兵なので命大事に。




