3-9 進化
視界が土煙によって完全に塞がれている。
私は気を抜かず、剣を構えていつでも動けるようにしていた。
今の一撃、私の攻撃が僅かに兄さまの攻撃を上回った。
だが、兄さまの戦い方はカウンター主流。それは同時に防御にも長けていることになる。
だから、届いていても受けきられた可能性も捨てきれない。
一陣の風が草原を吹き抜け、土煙が晴れた。
「私の勝ちのようですね」
そこには剣を地面に突き立て、片膝を突いた状態の兄さまがいた。
「くっ、まだ私は勝てないのか……」
「僅かな差でした。覇衣を使った攻撃の練度が差を分けたのでしょう」
私は覇斬のみならず、ほとんどの攻撃に覇衣を用いる。逆に、兄さまは防御に覇衣を用いていた。
その差が攻撃の際、私を勝利に導いてくれた。
「兄さまは確実に強くなっていました。ですが、私とて簡単に負けるつもりはありません。私の夢と志は、何人たりとも砕くことはできません」
「私も騎士だ。約束は守る。ここでの説得は諦めよう」
兄さまの言葉に、私はホッと息を吐く。
どうやら、これで一件落着しそうだ。
そういえばクーたちは大丈夫だろうか。
最後の衝撃波はなかなか激しいものがあった。近くで観戦していたとしたら、ちょっと危ないかもしれない。
不安になってクーたちの姿を探すと、少し離れた位置にマントの前をしっかりと閉じ、殻にこもるようにうずくまっているクーの姿があった。その後ろには、心配そうにおろおろとしているルーカス兄さまとシルバリオンの姿もある。
あの様子を察するに、クーが魔法で衝撃を消滅させてくれたのか。
「ルーカス兄さま! ちょっとこっちへ」
私は声を掛け、兄さまをこちらへと呼ぶ。
とりあえず事情を説明して、クーに服を着るタイミングを作ってあげなければ。
「え、でもクーネルエさんがこんな状態なんだけど」
「クーは大丈夫です。むしろ兄さまが近くにいると動けないのでこっちに来てください」
「あ、うん。分かった」
理解できないながらも、ルーカス兄さまは私の言う通りにこちらへと近づいてくる。
その間にクーはシルバリオンを壁にして、兄さまたちから視線を遮った。
「とりあえず決着は付きました。私はこのまま自分の依頼を遂行します」
「分かった。兄さんが負けちゃったんじゃ、仕方がないね」
「今回は諦める。だが、次は絶対に負けない。必ずお前を家に連れて帰るからな」
剣を杖代わりに立ち上がるフィエル兄さまに、ルーカス兄さまが肩を貸す。
「兄さんも諦めが悪いねぇ」
「当たり前だ。妹が生涯独り身になるかもしれないんだぞ。兄として止めるのは当然の務めだろう」
「戦闘での怪我とかの前に、結婚の話が出るのは何と言うか家らしいね」
「あの、行き遅れるってどういうことでしょうか? 確か騎士は結婚に制限が無かったと思いますが」
そこに着替えを終えて戻ってきたクーが、不思議そうに首を傾げた。
「それは騎士に男しかいなかったからだ。騎士は非常時に備え常に動ける状態でいなければならない。女性には生理や妊娠がある。ミラベルが生理痛程度で誰かに後れを取るようになるとは思えないが、まさか妊婦が戦場の最前線に立つわけにもいかないだろう。だから、もしミラベルが騎士になった場合、引退するか第一線から退くまで結婚はできなくなる」
「なるほど、でも引退してから結婚すれば」
「それは平民だからできるのだ」
つまりはこういうことだ。
平民ならば、引退後誰かと結婚して村や町に定住することもできる。それは傭兵でもあることで、長年チームを組んでいた者たちが、結婚を機に引退するという事例はいくらでもある。
だが私は曲がりなりにもナイトロード家の長女。貴族令嬢なのだ。
ナイトロード家は栄誉一位貴族に属し、その位は領主貴族と同等のものだ。そんな家の長女が平民の家に嫁ぐことはできない。
最低でもどこかの貴族の家に嫁がなければならないのだが、騎士の役目を終えるとすれば早くても三十後半。そんなおばさんをどこの家が欲しがるだろうか。
つまり、私が騎士になった場合、生涯の独り身が約束されることとなるのだ!
「私は一生独身でいいと言っているのだがな」
「いいわけあるか! 支え合えるもののいない人生がどれだけ大変なことなのか、いくらでも体験談は転がっているだろう」
「つまり兄さんは、ミラベルの将来が心配で騎士になるのを反対しているんだよ」
「そうだったんですか」
クーが納得したように頷く。
フィエル兄さまは過保護なのだ。私は強く、一人でも生きていける。それに、独身だからと言って、周りに誰もいないわけでもない。
使用人たちがいれば、生活の保障はできているようなものなのだ。気にする必要はないと言っているのに、兄さまは誰かと結婚するべきだと主張を変えない。
そもそも婚約の話などほとんど来ないのだがな。
「けど、ミラは結婚する気はないんでしょ?」
「うむ。私が守りたいものは、家庭ではなく民だからな」
「範囲が広すぎてピンときませんが……そうなると誰からから強要されても難しいのでは? 支え合うということは、両者が歩み寄らなければいけませんし、片方だけが支えようとすると、いつか折れてしまいますよ?」
「ぬぅ……」
フィエル兄さまが唸る。
第三者からの率直な意見というのは反対しにくいものだからな。
「だが私は諦めない。いつかミラベルにふさわしい男を探し出して見せる」
「そんなこといって、婚約を申し込んできた人をことごとく返り討ちにしているくせに」
「なっ!? そ、それはあいつらが弱いのがいけないのだ」
「ルーカス兄さま、返り討ちってなんのことですか?」
「兄さん、ミラベルの顔に寄ってきた貴族のボンボンに、俺に勝ったら婚約を認めるって言って決闘を持ちかけているんだよ。父さんも承認してるから、相手側も自分から申し込んだ手前拒否はできなくてね。それで、本気出して叩きのめしてるの。ようはシスコンなんだよね。ミラベルの婚約相手が見つかるのは、相当先になるんじゃないかな」
「私は断じてシスコンなどではない!」
そんなことをしていたのか。だから私に結婚の話が全然入ってこなかったのだな。
今日戦った感じ、フィエル兄さまの実力はかなり伸びていた。騎士を目指していない貴族ではまずい相手にならないだろうな。それに、騎士団の中でも実力は上位だろう。候補になりそうなのは、同じ騎士団の上位のものか、他国の武人か。
まあ、兄さまを倒しても次は私が相手になるのだがな! 結婚しないためになら、私は本気で立ち向かおうではないか!
「それ、ミラは結婚できるんですか?」
「無理だろうね」
ルーカス兄さまが断言した。
ならば安心だな。
「さて、では私たちはそろそろ行かせてもらいます。今日も魔物を殲滅しなければならないので」
「なるほど、どういうことかと思えばそんなことになっていたか」
「む?」
突然聞こえてきた第三者の声。その声に全員が驚き、声の主を探す。
私の気配察知のみならず、兄さまたちの警戒すら抜けてきた!? 相当な手練れだ!
「誰だ!」
「私だ!」
草原の一角に突如立ち昇る濃密な覇衣。そして草の中から立ち上がった人物が来ていたのは、純白の鎧。腰に下げた片刃の剣は通常の二倍はありそうなほど肉厚で、とても騎士の剣とは思えない。
だが私たち兄妹は知っている。あの剣を持つ人物の存在を。
「「騎士団長!?」」
「レオンハルト様!」
「え、騎士団長様!?」
そこにいたのは、私の目指す存在。メビウス王国現騎士団長、レオンハルト・クロークス様だった。
濃密な覇衣を纏ったまま、団長が剣を抜く。
「ミラベル、久しぶりだな」
「お久しぶりです、レオンハルト様!」
「久しぶりついでに稽古を付けてやろう! どれほど強くなったか、見せてみるといい!」
「ありがとうございます!」
「クーネルエさん、すぐに逃げるよ! 団長とミラベルの余波はさっきの比じゃない。兄さんも早く」
「ああ!」「はい!」
兄さまたちが急いで離れ始めた。それを視界の隅に、私は再び覇衣を纏う。
私よりも強い方との久しぶりの訓練。胸が高鳴る!
「参る!」
纏った覇衣を全て剣に乗せ、私は最大火力の覇斬を放った。
「面白い!」
団長はそれを正面から受け止め、その肉厚の刃に覇衣を纏い、覇斬をゆっくりとしかし確実に砕いていく。
「はぁぁああああ!」
気合いの籠った声と共に、剣が振りぬかれる。私の放ったその瞬間に覇斬は両断され、ただの気となって空気中に溶けていく。
全力の覇斬をこうも容易く受け止められたことには驚いたが、何かしらの対処はしてくると分かっていた。
相手は私よりも格上。一瞬でも気を抜けばやられる相手だ。
ひたすらに攻めて、相手の動きを封じる!
「ここだ!」
「見えているぞ!」
身体強化により限界近くまで上げた脚力で一気に懐へと飛び込み剣を振るう。しかし、正面からの突撃は、団長には簡単すぎたようだ。
即座に横へと飛び、刃走をけん制に使いながら、団長の背後を取るべく草原を掛ける。
団長もすり足を使い体を反転させるが、私の方がやや早い。
「ここなら」
背後を取り、一気に飛び込む。
瞬間、団長は剣を逆刃に持ち、背後を見ることなく振り上げてきた。にもかかわらず、タイミングは私の首を的確に狙っている。
「覇衣は強化と攻撃ばかりではないぞ」
「動きを覇衣で感じていたのか」
全体に薄く広く放った覇衣を使い、私が飛び込んできたのを感じ取っていたのだろう。
そのような使い方もあるのかと感心する。
覇衣は私たちの身からあふれたもの。当然、そのオーラにも薄っすらとだが感触は残っている。
それを上手く使われた。
ブレーキをかけ、ギリギリで剣を交わす。
攻撃は防がれたが、背後をとったとこに変わりはない!
「貰った!」
背中を狙うと見せかけて、足元へと剣を振る。
団長に大きな一撃を与えられるなんて思わない方がいい。小さくとも確実なダメージを。
「衝覇!」
「なっ」
団長が腰を落としたと思った瞬間、私の体が不意に浮かび上がる。
直後、衝撃と共に後方へと吹き飛ばされた。
痛みはほとんど無い。ただ、一秒に満たない僅かな時間だけ浮き上げられ、踏ん張れなくなったところに軽いプッシュをくらった感じだ。
だがそれだけの時間があれば、団長の攻撃準備は整ってしまう。
「今度はこちらから行くぞ」
盾を前に構え、団長が踏み込んできた。
私は着地と同時に防御態勢をとる。覇衣を前面に集中させ、剣を構えて攻撃に備える。
「対処は良いが、俺には無意味だ!」
振りぬかれたのは、前面に構えていた盾。
私の剣にぶつけ、そのまま体を押し込むように突き飛ばされる。
「くっ」
後方へと飛ばされながら、私は刃走二連を放つ。
足と首。二か所を狙った攻撃は、団長の強烈な一振りによって両断された。
まだ見せたことのなかった技をあっさりと対処されたことに、ギリッと歯を食いしばる。
やはり強い。私の全力を容易に対処してくる。
だがだからこそ、挑みがいがある!
自身の覇衣の密度が上がるのを感じた。昂っているからか。私の感情に覇衣が呼応しているのか。
「まだいける!」
「むっ」
「覇斬!」
「くっ、威力が上がっている!? だが無駄だ!!」
初撃よりも確かに威力は上がった。だがそれすらも団長は防いできた。
流石だ。きっとこれまでにも、私と同じような実力の持ち主と戦い勝ってきたのだろう。
楽しい。挑むのが楽しい!
「これ以上はまずいな。決着を付けさせてもらうぞ!」
「むっ、させません!」
団長が積極的に動いてきた。
刃走を盾で弾き、真っ直ぐに突っ込んでくる。
私には団長のように突撃を受けきるだけの力はない。躱すのは容易ではないはずだ。ならば、攻撃を受け流す。
下段から振り上げられた剣を、私は押さえ込むように剣で受け止める。そのまま剣を立てていき、頭上へと抜けさせた。
上手くいった。
振り上げたということは胴ががいたはず。
視線を剣から団長の胴へと移すと、目の前に盾が迫っていた。
「なっ!?」
ガンッと激しい衝撃を受け、私は吹き飛ばされる。
体勢を立て直す余裕もなく、そのまま地面を転がった。
転がりながら団長の姿を確認すれば、追撃のために迫ってきている。今立ち上がるために止まるのは危険。
転がりながら、団長の剣を私の剣で弾く。
「これすら防ぐか」
「まだ終わらせません!」
追撃が止まった瞬間に立ち上がり、口元に垂れた血を拭う。
何だろう。また覇衣の密度が上がった。あふれ出る色がすでにどす黒い。もっと広げないと、私自身に影響が出るな。
覇衣の範囲をさらに広げ、色を赤黒く安定させる。
ああ、集中できているのがわかる。風が読める。地面の感触がよく分かる。草の一本一本の動きまで全てが見えている。
団長は動く気配がない。驚いている? 覇衣が増えたからだろうか。まあいい。今は目の前の相手を倒すことだけを考えよう。
「なんだ……それは」
団長の声が聞こえた。
「覇衣……なのか……だがこれは、これではまるで――
――嵐ではないか」
嵐か。確かにそう見えるかもしれないな。
私を中心に渦を巻く覇衣のオーラ。直系十メートルに及ぶ覇衣の嵐。
もはや衣でもないしな。その名を使おうか。
「そうですね、嵐覇そう名付けましょうか」
「だが衣は剥がれた。当たれば落とせる!」
団長が動く気配を見せた。
確かに防御面は弱くなっているな。だが、ナイトロード流の真骨頂は殲滅にあり。攻撃特化の私には、嵐覇は最適かもしれない。
剣を掲げる。
嵐覇の一部が吸い込まれるように剣へと巻き付いた。
「覇斬!」
「無駄だ!」
防がれる。すぐに次の嵐覇から剣へと補充される。
「覇斬!」
「何度やろうとも!」
再び防がれる。放った直後に、やはり剣へと覇衣が補充された。
一発ずつではだめだ。団長の言う通り意味がない。
ならば――
「覇斬――」
「無意味なことを繰り返すのがミラベルの戦い方か!」
「乱舞!」
全ての動きに覇斬を加える!
「ハァァアアアアア!!!!」
二本、三本、四本!、五本!、六本!!
がむしゃらに、もはや狙いなど付けられないほどの力が腕にかかる。
だが、覇斬の範囲は広い。直撃の必要はない。
このまま削り切る!
「くぅ、なんだこれは……これが覇斬だというのか!?」
「倒れろぉぉぉおおお!」
これ以上は私が持たない。
十五本目の覇斬を撃った後、私は頭上に剣を構え、両手で柄を握る。覇気を纏え、もっと、もっと! もっと!!
団長は足を止めている。今なら狙える。今なら倒せる。最大の一撃を今!
「世界を断て! 覇断!」
今の限界を叩きこんだ一撃を振り下ろした直後、私は力の本流に巻き込まれ、吹き飛びながら意識を失った。
tips
妹の将来を心配しない兄などいない!




