3-4 愛馬もろふみ
朝の陽ざしと子供たちの元気な声に目を覚ます。
「そうか、クーの家に泊まったのだったな」
昨夜はクーの家族と夕食を取り、その際にビレス殿に付き合って少しだけ酒を飲んだのだ。
程よく酔いを回し、クーの話題を中心としてなかなか上手く話ができたと思う。
そして、クーの弟たちがウトウトし始めたところでお開きとなった。
私は来客用の部屋を一室借り、そこで寝巻に着替え髪を解き眠ったのだ。
「今は何時だ?」
枕元に置いておいた腕時計を確認すると、朝の六時前。日の出を少し過ぎたぐらいだろう。
子供たちの声がするということは、既に彼らは起きているということだ。牧場の朝は早いというし、もしかしたら日の出前には起きだして仕事をしているのかもしれない。
私は手早く身支度を済ませ、客室の扉を開ける。
するとちょうど目の前に今まさに扉をノックしようとしていたクーがいた。
「あ、おはようございます。そろそろ起こそうと思ってたところだったんですよ」
「うむ、おはよう。クーの家族はもう仕事を始めているのか?」
「はい。とりあえず朝ごはん前の簡単な仕事だけですけどね」
クリアさんが朝食の準備をする間に、ビレス殿と弟たちは家畜小屋から家畜たちを牧場に放つらしい。そして朝食後、家畜たちがいなくなった小屋で、部屋の藁を取り替えたり、糞尿の始末をするとのことだ。
今は、寝坊助の牛たちを起こして、小屋から引っ張り出しているのだとか。
家畜たちの中にも個性があり、外が好きな子もいれば、小屋の中が好きな子もいて、小屋の中が好きな子はなかなか外に出てくれないそうだ。
「動物の個性か。人と変わらないものだな」
「そうですね。お世話をしていると本当にそう感じます。あの子たちも、立派な私たちの家族みたいなものですね」
「なるほどな」
数十を超える大家族だな。
ダイニングへと入ると、クリアさんがちょうどテーブルに料理を並べていた。
「あら、ミラベルちゃんおはよう」
「おはようございます。何か手伝えることはありますか?」
「いいわよ。もう準備もできるしね。あ、じゃあ子供たち呼んできてもらっていいかしら?」
「分かりました」
私とクーは裏口から牧場へと出る。
牧場にはすでに家畜たちが放たれており、のんびりと朝日浴をしていた。
彼らの横を抜けて家畜小屋へと入る。
ちょうど最後の抵抗をしている一匹を外に出しているようで、ビレス殿が縄を引っ張り、子供たちが牛の尻を交互に叩いている。だが、牛も意思が固いのか、自室からなかなか出てこようとしない。
生粋の引きこもりだな。
「おう、ミラベルちゃんおはよう」
「おはようございます。クリアさんが朝食の準備ができたと言ってしましたよ」
「そうか。ならこいつをさっさと出しちまわないとな。ほら、いい加減出て来い!」
ぐっと縄を引っ張るが、やはり牛は頑なに抵抗する。
「ネル、手伝ってくれ」
「分かりました」
クーがビレス殿に協力して一緒に縄を引っ張る。しかし、鍛え始めたとはいえまだまだクーの筋力では加算になっていないのか、踏ん張った牛を動かすことができない。
「毎朝このように?」
「おう。こいつ藁に包まれて寝るのが好きでな。寝起きは悪いし、外に出たがらないんだ。一度出ていまえば諦めてくれるんだけどな」
引きこもりなうえに低血圧か?
ふむ、とりあえず私も協力するとしよう。
縄はクーとビレス殿が両側から握っているため場所はない。
手伝うとすれば、弟たちの方かな?
部屋の中へと入り、弟たちに近づく。
「手伝おう」
「姉ちゃんありがと」
「牛の後ろには回るなよ。蹴られるぞ」
「体当たりも注意!」
「了解した」
とりあえず横から近づいて、太ももの上あたりを叩けということか?
私の力で叩いても大丈夫だろうか? とりあえず優しく触ってみよう。
そっと手を伸ばし、牛に触れる。暖かさと共に、筋肉の踏ん張りを感じた。そうとう力を入れているな。よほど部屋から出たくないのだろう。
だが出てもらわなければ、部屋の掃除もできないし、そもそも私たちが朝食を食べられない。
「ほら、外へ出るんだ」
パンパンと叩いてみるが、無視された。これではだめか。
ならば!
私の腕が風を切り、パシンッ!っといい音が部屋に響いた。
これまで以上の刺激に、牛もその踏ん張りが一瞬緩む。その間にクーたちが縄を引っ張り、一気に部屋から引っ張り出した。すると、牛も諦めたのか、のっそのっそと重い足取りで小屋から出て行く。
最後にちらりと部屋を振り返ったが、そこまで外に出たくないのか……
「おお! 姉ちゃんすげぇ!」
「いいぞ! いいぞ!」
「尻叩きの天才だな!」
それはそれでなんか嫌だな……
全頭を小屋から出し終わり、戻ってこないように入り口の柵を閉めたところで、私たちは家へと戻ってきた。
テーブルには料理が綺麗に並んでおり、いつでも食べられる状態となっている。
「じゃあいただくか」
ビレス殿の一声で、賑やかな朝食が始まる。
パンにオムレツ、スクランブルエッグにベーコン。そして牛乳とヨーグルト。地産地消故の贅沢だろう。
パンにはたっぷりとバターを付け、スクランブルエッグを乗せて噛り付く。
弟たちは我先にとベーコンを取り合い、クーがさりげなく自分の分を手元に確保していたりと、大家族ならではのにぎやかさだ。
そんな朝食が終盤に差し掛かったところで、話題が今日の私たちの予定になった。
そこでビレス殿が一枚の封筒を私たちに差し出してくる。
「馬が欲しいと言っていただろ? 知り合いの馬牧場に俺から紹介状を書いておいた。こいつを見せれば、売ってくれるはずだ」
「お父さんありがとう。ここっていつもの場所だよね?」
「ああ。軍にも卸してるところだ。いいやつが見つかるだろう。けど、ネルは乗れるようになったのか? 傭兵になるときも馬に乗れなくて移動は徒歩だっただろう」
「あ、あはは。ミラの後ろに乗る予定です」
練習はしているが、まだ無理だな。御者はできるのだが、馬に乗ってバランスをとるということがどうもできないらしい。
なので、私たちが買う予定の馬は一頭だけ。それに二人乗りすることとなる。
当然積載量も増えるのだから、それだけ丈夫で体力のある子を選ばなければならないがな。
「一頭ならいい馬も見つかりやすいだろうな。二頭だと体力なんかを合わせてやらないといけないから、探すのが結構難しいんだ」
「なるほど」
片方が強靭な馬を選んでも、もう一頭がそれに付いて来れなければ意味がない。
結局遅い方に合わせるとなると、強い馬も思うように動けずにストレスになると聞く。それを防ぐためには、能力が同程度の馬を用意する必要があるからな。
一頭だけならば、最高ポテンシャルの馬を探せばいいだけなので、確かに楽だろう。
あと問題があるとすれば――
「後は私たちが認めてもらえるかどうかか」
「そうだな。彼らは臆病だが同時にプライドも高い。強い奴ほど殊更な。下手な強がりは簡単に見抜かれる。認めてもらいたいなら、正面から向かい合うと良い」
「ふむ。アドバイス感謝する」
「なに、ネルの相棒なら俺の娘みたいなもんだからな。協力できることならさせてもらうさ」
「格好つけてるけどお父さん、家の馬を選ぶときに馬鹿にされて体当たりされてるからね。あまり参考にしちゃダメよ」
「お、おい! それは言わない約束!?」
うむ、クーの父親だな。
クリアさんに横やりを刺され慌てるビレス殿の姿は、慌てているときのクーとそっくりだった。
朝食を終えた私とクーは、ビレス殿に紹介状を書いてもらった馬牧場へと向かった。
クーの家は、ファンジェラの比較的町に近い場所にあるのだが、その馬牧場はファンジェラの中でも北より。山の傾斜がよりはっきりとしてきた場所にあった。
坂になっているため、牧場の入り口から中の様子がよく見えるが、多くの馬たちが広大な土地で暮らしている。
あの中に私たちの馬がいると思うと胸が高鳴るな。
「さあ、ミラ行きましょう」
「うむ」
軍にも馬を卸しているだけあって、ここの牧場は入り口にちゃんとした来客用の窓口があった。
そこには女性がおり、入ってきた私たちを見て立ち上がる。
「おはようございます。シルビア馬牧場へようこそ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「おはようございます。傭兵団国境なき騎士団代表のミラベルともうします。今日は馬を購入したいと思い来させてもらいました」
「馬の購入ですか」
受付嬢はやや困ったように眉を下げる。おそらく私たちと同じように傭兵で馬を購入したいというものは少なからずいるのだろう。
だが、ふらっとやってきた傭兵に売ってくれるほど、傭兵の信頼度は高くない。中には盗賊崩れのような輩もいるから当然だな。
なので私はビレス殿から預かった紹介状を女性に渡す。
「これを。酪農家のビレス殿からの紹介状です」
「ビレスさんからですか?」
女性は封筒を受け取り、私たちに一言言ってからその場で中身を確認する。
封筒の中身はビレス殿の正式な紹介状と、私たちのことを書いた紹介文である。
「確認しました。おそらくこれであれば問題ないと思います。今責任者を呼んでまいりますので、席に掛けてお待ちください」
「うむ、よろしく頼む」
女性が建物の奥へと引っ込み、私たちはその間待合用の椅子に座って待たせてもらう。
「大丈夫そうですね」
「うむ。ビレス殿の紹介状のおかげだな。あれが無ければ門前払いであっただろう」
「帰りにお酒でも買って帰りましょうか」
「良いものをな」
そして少しすると先ほどの女性がもう一人の女性を連れて戻ってきた。
二十歳過ぎだろうか。プラチナブロンドの髪をなびかせる、乗馬着が似合う女性だ。
彼女が責任者だろうか? それにしては若い気もするが
私たちが立ち上がると、その女性が一礼する。
「初めまして。シルビア馬牧場の責任者、セレアと申しますわ」
「初めまして。国境なき騎士団代表ミラベルだ」
「副代表のクーネルエと申します。よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそよろしくお願いしますわ」
軽く握手を交わしたのち、着席を促されお互いに席に着く。
「まずこちらの紹介状は確認させていただきました。ビレスさんからの紹介であれば、わたくしは喜んでうちの子を販売したいと思いますわ」
「ありがとうございます」
「それで、具体的にはどのような子を何頭必要かしら? それによって値段も結構変わってくるのだけれども」
「うむ、こちらの希望としては、体格が良く体力のある馬を一頭探している。二人乗りの予定なので、荷物のことも考えるとなるべく馬体の良いものがいい。価格の上限は特に設定していない。欲しいと思い、認められればその馬を貰いたい」
予め予定していた希望を伝えると、ニッコリと笑みを浮かべてなるほどと頷く。
「それなら軍向けに育てている子たちを見てもらったほうが良さそうですわね。トルテ、二番柵に案内するわ」
「分かりました」
「では参りましょうか。馬は直接見るのが一番ですわ」
セレアに案内され、私たちは牧場の中へと進む。
遠目には分からなかったが、どうやら策で大まかに仕切られ、種類や馬体、特徴などに応じて簡単な分類がされているようだ。
私たちが案内されたのは、その中でも馬体が大きく逞しい馬たちのいる柵。
先ほど軍用と言っていたし、ここから父さまたちの馬も選ばれたのかもしれないな。
「ご自由にご覧下さいまし。ただ、馬たちをあまり驚かせないようにお願いしますわ」
「うむ」
「では失礼しますね」
セレアに柵を開けてもらい、二人で中へと踏み込む。とたん、まるで 自分たちの領域に不審者が入ってきたかのように馬たちが警戒し、こちらに視線を集中させた。さらに、散らばっていたはずの馬たちが、自然と一頭を中心に集まっていく。
なるほど、確かに軍用だ。
警戒心が強く、しかし臆病ではない。見知らぬものには強い警戒を示し、集団を作る。これをやってくれると、兵士たちはとっさの時に動きやすくなるのだ。
「さて、どうするか」
「まずは警戒を解いてもらうべきですかね?」
「うむ。ビレス殿は正面から行けと言っていたな」
私たちは一歩一歩と歩みを進め、馬の集団に近づいていく。
若い馬たちが他を守るように前に出てきたな。
そのうちの一頭に向かって手を伸ばす。
避けられることなく、手が顔へと触れた。馬の目はじっと私を見つめている。見極められているのか?
「おめがねには叶うかな?」
顔を撫でていると、不意にその馬が数歩下がり、方向を変えて歩いて行ってしまった。どうやら私ではダメらしい。
他の馬たちにも手を伸ばしてみるが、若い馬たちは次々に私の元から離れて行ってしまう。
「これはさすがにちょっと落ち込むぞ」
「あ、あはは」
既に半分以上の馬たちが私たちのもとから離れて行ってしまった。
残っているものたちは、多少年を取って老齢の貫禄が出てきているものばかり。
体格は良いが、持久力に問題がありそうだ。
出来れば若い馬が良かったのだが――
「むっ!」
集まっている馬たちをもう一度見て、私はとある一頭に目を付けた。
馬たちの中でも特に中心近くにいる一頭。肌にも張りがあり、まだ若い。体格も良く、なかなかの逸材だ。
「クー、あの馬はどうだ?」
「あの銀のタテガミの子ですか?」
その一頭は漆黒の馬体に銀のタテガミを持った特徴的な子であった。今までは他の馬に隠れて見えなかったのだが、減ってきたために気付けたのだろう。
「いいんじゃないですか。ミラの銀髪にも似てますし」
「そういう問題なのか?」
「いいんですよ。ここの子たちは、みんな私たちの求めるものは持っていそうですし」
まあ、確かにそれもそうか。最低限の要求スペックは、ここにいる馬たちは全員がクリアしている。後は、私たちの相性と限界の違いだけだ。
「では行くか」
一歩一歩と馬たちの間に踏み込んでいく。
視線が集まるなか、私とクーはただ一点その銀のタテガミを持った馬に向ける。
波が割れるように馬たちが道を開け、そしてとうとうその一頭の前まで来た。
近くで見ると、やはり綺麗な銀のタテガミだ。
「撫でさせてもらってもいいかな?」
尋ねて手を伸ばすと、向こうから顔を手に付けてくれる。これは好感触なのではないだろうか。
頬を撫でた後手を上へと伸ばしそのタテガミに触れる。
想像していたよりもずっと柔らかいタテガミが指先に絡む。
そしてするりと指先から抜けた。
「私たちと共に来てくれないか?」
「一緒に行きませんか?」
尋ねると、一歩私たちに近づきその顔を私の顔の横へと持ってくる。
どうやらこの子のおめがねに叶ったようだ。
「では行こうか」
その子を伴い、私たちの様子をずっと見ていたセレアの元へと戻る。
「決まりましたのね」
「うむ、この子と共に行こうと思う」
「青毛に銀のタテガミ。確か登録タグはF3、二歳の雌馬だったはずですわ。かなりの駿馬ですわよ」
「ほう、そんなに凄いのか。というか女の子だったのだな。だからかな?」
私たちに付いてきてくれたのは。
「どうかしら。まあ、後はこちらで準備しておきますので、お金の話をしましょうかしら」
「承知した。ではまた後でな」
「一緒に頑張りましょうね」
スキンシップを終え、後を牧場のスタッフに任せ私たちは牧場の入り口、そこに併設された応接室へと戻るのだった。
やはりというか、軍向けに育てられていただけに、値段は相応のものであった。
具体的に言うと、二百万エルナ。私たちの貯金が一撃で吹き飛ぶ値段だな。
だが私にもクーにも躊躇いはなかった。あの子を連れて行けるのなら、惜しくもない値段である。
即決し、支払いはチームの口座から引き落とされることとなる。
「ではありがとうございました。またのご利用をお待ちしておりますわ」
「うむ、こちらもいい買い物をさせてもらった」
握手を交わし、牧場の入り口へと出る。
そこにはすでに、鞍を装着された状態のあの子が待っていた。
「さ、持ち主の最初の仕事ですわ。この子に名前を付けてあげて下さいまし」
「名前が無かったのか?」
そういえばあの子とかこの子とかばかりで、名前を一度も聞かなかった。従業員に指示を出すときは、耳についていたタグの番号を言っていたな。
「ええ、名前は最初の持ち主が決めることとしていますの。それまでは、タグ番号で呼んでいましたの。もうこの子はミラベル様とクーネルエ様のものですわ。だからお二人が名付け親になってくださいまし」
「そうか。クー、どうする?」
「ミラが付けてあげてください。騎士の馬にふさわしい名前を付けてあげてくださいね」
「プレッシャーだな」
苦笑しつつ馬を見つめる。
さて、何にするか。騎士の馬。そうだよな。数年で引退になる馬とはいえ、この子も騎士の馬になる可能性はあるのだ。ならばそれにふさわしい名前を与えなくては。
銀のタテガミは是非とも名に入れたいな。
シルバー、騎士、二人乗り、相棒――
うむむ、悩む。
私が悩んでいると、早くつけろとせかす様に鼻先で胸を突いてくる。
「分かった分かった。ではもろふみで」
何となく思いついた名を告げたら髪を噛まれた。さすがに女の子にそれはダメか。
「ではシルバリオン。シルバリオンでどうだ?」
今度は噛まれなかった。納得してくれたのか、乗れと言わんばかりに体を見せてくる。
私は鞍に手をかけ、一息に飛び乗った。
「さあ、クーも」
手を伸ばし、クーもシルバリオンの後ろへと乗せた。
「どうだ?」
軽く首を叩いてやると、楽なものだと言わんばかりにひと鳴きした。
「では行こうか」
シルバリオンがゆっくりと歩みを始める。
セレアとトルテに見送られながら、私たちは新たな仲間と共に牧場を後にするのだった。
tips
若馬「俺はこの子についていけない」
老馬「儂も年じゃし……」
雄馬「ガキに興味ない」
もろふ……シルバリオン「私の背中に百合が咲くわ!」




