3-2 馬車の旅
翌朝から私たちはクーの実家へ帰る準備を進める。
クーの実家は、トエラから北へ十五日ほど向かったところにあるファンジェラという町である。
メビウス王国の中でも北端に位置する大きな領地であり、広大な草原が広がっていることで有名な町だ。その広大な土地を使った放牧が盛んであり、メビウス王国の軍で使われている軍馬の多くもこの町から輩出されている。
と、ティエリスが言っていた。
放牧が盛んなことはクーから聞いていたが、まさか軍の馬のほとんどがファンジェラから送られてきていたとは――その上、父さまや兄さまたちの愛馬もファンジェラ出身らしい。
「トエラからだと途中のセイレーラまでは定期便があるんですが、そこから先は行商に乗せてもらうか、自分たちで歩くしかないですね」
「メビエラ内の道はだいぶ整備されているが、定期便がない町もあるのだな」
数代前の王が国内の産業促進を行うため、巨額の費用を投じてメビウス王国内の主要道路の整備を行った。交通の便が各段に良くなり人の動きが多くなると、町どうしの移動を専門に扱う商人が生まれた。それが今の定期便の前身だと言われている。
今ではメビウス王国内のほとんどの町に定期便が存在し、直通がなくとも大きな町を経由すれば大抵の町には行けるようになっていた。
故に、有名な町に定期便が無いと聞いて驚いたのだ。
だがクーの理由を聞いて、納得した。
「ファンジェラ自体が広大で、土地も多いんです。おかげで、どの家でも馬を持っていて、移動は大抵自分の持ち馬を使っちゃうんですよね」
「なるほど、定期便自体の必要性があまりないのか……ん? 以前クーは乗馬ができないと言っていなかったか?」
住人のほぼ全員が持ち馬を持っているのならば、当然乗馬もできるのだろう。
その中でクーだけできないのは――
「私……不器用なんです。移動の時はいつも誰かに同乗させてもらってました」
「そうだったのか」
そういえば、やけに後ろに乗るのは上手かったな。こちらの操作を一切邪魔せず、腰を掴む手も弱すぎず強すぎず絶妙だった。
ある意味ファンジェラ出身で納得できるかもしれない。
「わ、私のことは良いんです! それよりも、移動をどうするかですよ」
「定期便で行けるところまでは行くとして、その後は行商に乗り合わせられれば一番だな」
「そうですね。行商の数は多いですから、そこまで難しくは無いと思います。一日二日探してみれば、どこかには乗り合わせられるかと」
「そうか」
宿場町はしっかりと整備されているということなので、とりあえず五日分の着替えを用意し、非常食をいくつか持っていくことにした。
これだけあれば、宿場町を一つ二つ飛ばしても問題ないだけの量にはなっている。
そして傭兵ギルドへしばらく町から出ることを伝える。
ルレアがトアを預かるか聞いてくれたが、今はティエリスもいるのでこれからは大丈夫だと断っておく。
行きで半月、帰りで半月、向うで数日過ごすことを考えると一カ月半は家を空けることになるな。
トアが寂しくないように、ティエリスには多めに留守代を渡して本などを自由に買えるようにしておこう。一応ギルドの仕事があるし、ルレアやヒューエもいるから大丈夫だとは思うが念のためだ。
王女様の視察は二カ月後だし、何とか間に合いそうだな。
そしてすべての準備を終え、私たちは後のことをティエリスとトアに託し、定期便へと乗り込むのだった。
トエラの町を出てから十二日。私たちは予定通りに定期便の終点セイレーラへと到着した。
セイレーラは定期便の終点ということや、そもそも北の辺境へと近づいていることもあり町の規模はかなり小さい。というよりも、周辺の農村から集まった穀物や野菜の集積場の様相を呈している。
町というよりも、村が肥大化した姿と言ったほうが納得できるだろう。
私たちは馬車を降り、今日泊まる宿を探す。
「ここまでくると、いい宿というのはありませんね」
私たちが求めてしまうのは、やはり風呂付の安全な宿。だが、辺境近くになると宿は画一的にただ泊まるだけの場所であり、そのようなオプションはほとんど無い。
せいぜいが有料でお湯を貸してくれるぐらいだろう。
「まあ仕方があるまい。お湯が貰えるだけありがたいと思わなければ」
「そうですね。いい宿になれちゃうのも考えものです」
適当な大きさで見た目から清潔感の漂う宿があったため、そこに部屋をとる。
湯はやはり有料だったが、部屋まで運んでくれるらしい。
私たちは早速部屋へと入り、重たい荷物を床に下した。
「ふぅ、ようやく一息だな」
「そうですね。今日はこのままご飯を食べて就寝ですかね」
この町に定期便が到着したのは、既に夕日が沈みかけた時間だ。時間を確認すれば、十八時を回っている。この時間では行商はすでに宿に入ってしまっているだろうし、探すのも大変だろう。ただ乗り合わせさせてもらえればいいだけなので、出発前の行商を捕まえるのが一番簡単だ。
「そうだな。クッションがあっても、やはり尻の違和感は残ったままだしな」
「確かに。まだ馬車で揺れてる感覚が残ってますよ」
トエラから定期便に乗り二日目。そこで私たちはとある問題に直面していた。
尻が痛いのだ。定期便は簡素な作りの幌馬車であり、当然座面には綿など仕込まれていない。路面が整備されているとはいえ、馬車でごとごとと二日も揺られれば、尻が痛くなるのは当然と言えた。
そこで、急遽町に寄った際に雑貨屋でクッションを購入したのだ。
おかげで尻の痛みはだいぶ軽減されたが、やはり座りっぱなしの違和感は残る。
クーも言うように、ベッドに腰かけているにもかかわらず、体がふらふらと揺れている気がしてしまう。
「そうだ、お互いにマッサージしませんか?」
「マッサージか。それもいいな。ではクー、うつ伏せになって寝ると良い」
「え? 私から? ミラが先でも――」
「いいから、いいから」
クーの体は揉んでいても気持ちがいいからな!
私はクーのベッドへと移動し、うつ伏せに押し倒すとその上に跨る。
服を首元までまくり上げれば、しっとりとした肌に思わず生唾を飲み込んだ。
「ミラ?」
「何でもない。では行くぞ」
肩から首へ、そして背骨をなぞるように筋肉を揉み解していく。
強弱を付けつつ、凝っている部分は入念に――む、肩の凝りが酷いな。剣の重さが合っていないのか?
「クー、短剣を振っていてすぐに疲れるなどはあるか?」
「ありませんがどうかしましたか?」
「肩がやけに凝っているのでな。合わない重さの剣を持つと肩がこるのだ」
あえて重い剣を振ることで、筋肉を鍛えることもあるが、その際も騎士団の者たちは肩こりに悩まされ医務室へと通っていた記憶がある。
しかし剣ではないとなると、何が原因なのだ?
「肩こりでしたら、胸のせいですね。最近また大きくなったみたいで」
「何!?」
「栄養バランスが改善されましたし、運動も適度に行うようになったせいなんでしょうね」
そのせいで肩が凝って仕方がないですと苦笑するクーの首筋に、私は手を掛ける。
「わ、私は全く成長していないのだぞ!? なんでクーばっかり!」
「ちょ、ミラ!? わわ、頭揺らさないで……きもちわるく、うえっぷ」
ハッと我に返ると、クーがぐったりとしていた。
「だ、大丈夫か?」
私が恐る恐る尋ねると、クーが体を捻って起き上がる。
「ふふふ。ミラ、次はミラの番ですよ」
「う、うむ。クー、まだ調子が悪そうだし、少し落ち着いてからでも――」
「いえいえ、ミラにもしっかりとマッサージしてあげないといけませんからね。さあ、横になってください」
クーの笑みに逆らえず、私は言われるがままにうつ伏せに寝転ぶ。
その上にクーが跨り、そっと手を当てた。私の尻に!?
「クー!?」
「硬くなりそうだと言ってましたからね。しっかりと揉み解してあげますよ」
「ふぁっ!?」
尻肉に埋まってくる指の感触に、思わず変な声が漏れる。
さらに、パンを捏ねるように動く指先は、私の尻臀を必要にこねくり回した。
「ぬぬ、なかなか硬いところがありますね」
「それは筋肉だ!」
「筋肉であろうと、解さなければ」
「ひゃんっ」
「あらあら、騎士ともあろう人が、可愛い声を出しますねぇ」
調子が出てきたのか、クーの指が尻から下がり太ももをもみ始める。内股からも見上げるように動く指は、恥ずかしさとくすぐったさに合わせて、気持ちよさも伝えてくる。
「くっ、騎士ともあろうものがこの程度で」
我慢しなければ。そう思っていても、体が反応してしまう。
グッと指を押し込まれると、筋肉がグリッと踊り足全体がびくびくと跳ねる。
「なかなか耐えますね」
力を込めて揉んでいるせいか、クーの息が上がり始めていた。横目で見ると、頬も上気している。これはチャンスかもしれない。
もう少し耐えればクーは疲れ果てる。その隙を突いて体勢を立て直し「ひゃっ」
「知っているんですよ。ミラはここが弱いってこと」
いつの間にかクーの右手が私の脇腹へと伸ばされていた。
滑らかな指先がツツーッと私の腹を撫で、私の体が勝手に跳ねる。
「私が疲れればって思ったでしょ? そんなに時間はかけません!」
「ひゃっ、わ、分かった。私が悪かった! 降参だ!」
クーのくすぐりマッサージの刑は、隣の部屋からドンッと壁を叩かれるまで続くのだった。
叩くのならもっと早くたたいてほしかった。騒ぎ始めてからなぜ十五分も耐えたのだ……隣の宿泊客よ……
翌朝、朝食をとっていると、やけに周りの男たちからの視線を感じたが、まあクーもいるし気にしないでおこう。
そして宿をチェックアウトし、町の門へと向かった。
そこにはすでに出発準備を進める商人たちが集まっており、活気に溢れている。
「さて、ファンジェラへ行く行商はいるかな?」
「手分けして探しますか?」
「いや、変にブッキングしても面倒だ。数も多くないし、一緒に動こう」
一度許可してくれたところに、他のところを見つけたからやっぱり無しでというのはなかなか気まずいからな。それに見たところ、今から出発する行商は七つほど。全部に聞いてもさほど時間はかかるまい。
「分かりました。では早速、すみませーん!」
クーが荷積みをしている男に声をかけ、そこから行商の責任者を教えてもらう。
さらにそちらへと向かい、交渉を始めた。
「すみません、ちょっといいですか?」
「ん、なんだい嬢ちゃん」
「私たち傭兵をしておりまして、ファンジェラへ行く行商を探しているんです」
「ああ、相乗りか」
ここら辺では傭兵が相乗りするのは珍しくないため、行商もクーの求めるところをすぐに理解する。
「残念だけど、うちは今回ファンジェラには行かないんだわ」
「そうなんですか……どなたかファンジェラへ向かう行商って知りませんか?」
「どうだったかなぁ。あんまよそ様のルートは聞かないしなぁ」
頭をぼりぼりと掻いた後、行商は「ああ」と何かを思い出したように手を打つ。
「あの一番奥で準備してる馬車。あいつはファンジェラに行くって言ってたな」
「えっと、あの方ですか?」
行商が指さしたのは、ここから少し離れた場所で準備を進める三台の馬車。
二十歳過ぎぐらいの青年が、指示を出して積み込みを進めている。
「あれ、もしかして」
「クー?」
「あ、ありがとうございました」
「おう、良き旅を」
教えてくれた行商に礼を述べ、クーは駆け足に教えてもらった青年の元へと向かう。私もそれに少し遅れてついていくと、クーは青年の顔を見て何かを確信したようにやっぱりと頷く。
「スクルドお兄さん」
「え? あ、クーネルエちゃん!?」
スクルドと呼ばれた青年は、振り返りクーの姿を見つけると驚いたように目を見開く。
「はい、お久しぶりですね」
「久しぶりだね。傭兵になったって聞いたけど、こんなところでどうしたの?」
「今も大活躍中ですよ。所用でファンジェラに戻る途中なんです。それで、お兄さんがファンジェラに向かうと行商の方から聞きまして」
「なるほど、相乗りだね」
「出来ますか? 二人なんですけど」
「それぐらいならお安い御用さ。もう一人はそちらの方?」
スクルド殿の視線がこちらに向く。私は軽く一礼した後クーの隣に並んだ。
「はい、私の相棒のミラベルです」
「ミラベルだ。よろしく頼む」
「こちらこそよろしく。クーネルエちゃんがお世話になってるようで」
「いや、私もクーにはいろいろと助けてもらっている」
軽く握手を交わした後、私たちは話題を元に戻す。
「ファンジェラに行きたいみたいだけど、それなら相乗りで構わないよ。その代りに護衛はお願いね」
「任せてください。私の力をお見せしますよ」
「うむ。何もないことが一番だが、万が一があれば私たちが対処しよう。これでも傭兵の中では実力者を自負している」
「もう少しで準備が終わるから、乗り込んで待っててよ」
「ありがとうございます」
「よろしく頼む」
馬車へと乗り込み、出発の時間を待つ。
その間に、クーにスクルド殿との関係を聞くことにした。
「お兄さんと言っていたが、クーに兄はいなかったのでは?」
「近所のお兄さんなんです。子供のころは、よく遊んでもらってたんですよ」
弟たちが生まれるまでは、スクルド殿がクーの遊び相手だったらしい。スクルド殿の実家は商店を営んでいるらしいが、ファンジェラの例に漏れず家馬を有しており、乗せてもらったりしていたそうだ。
弟が生まれてからは、そちらの面倒を見ることが忙しく遊ぶ機会がめっきりなくなってしまい、その上行商としてファンジェラを出てしまったため、もう数年近くも会っていなかったのだとか。
そんな話を聞いていると、出発の準備が整ったのか笛が鳴らされ馬車がゆっくりと動き出すのだった。
tips 町まとめ
メビエラ 王都
トエラ 傭兵ギルド本部のある町 ミラベル達の拠点
オーロスエラ トエラから南へ行ったところにある町 オーロスの森の近く
セイレーラ トエラから北へ行ったところにある町 定期便、北の終着点
ファンジェラ 北の辺境 クーネルエの出身で、牧畜が盛ん




