2-2 広がる名前
私はギルドの自分のデスクに座り、頭を悩ませていた。
「どうしたものかしら」
「あら、何か悩み事? 男でもできたの?」
ペンを唇と鼻の間に挟んで不細工な顔をしていると、ヒューエ先輩が突然横からのぞき込んでくる。それに驚いて「ひゃっ」と悲鳴を上げながらペンを落としてしまった。
「あらら、だいぶお悩みみたいねぇ」
「ヒューエ先輩……」
落ちたペンを拾いながら、クスクスと笑うヒューエ先輩にじとっとした視線を送る。
「ふふ、それでどうしたの? もしかして本当に男?」
「そんなわけないじゃないですか」
彼氏の影すらつかめていない状態ですよ。
「ヒューエ先輩は、相変わらず何人かキープしているみたいですけど、私はそんな器用じゃないんです!」
「大人の魅力って言ってよ」
「新人の少年をキープするのが大人の魅力なら、そんなのはなくなればいいと思います」
ヒューエ先輩は、傭兵志望の新人が来ると受付を開けて自分の元に誘導するのだ。
そして大胆に開けた胸元と流し目で幼気な少年たちを篭絡するのである。
そのくせ自分から誘うことはなくて、ドキドキしながらヒューエ先輩を気にする様子の少年たちを見て楽しんでいるのである。実に性格が悪い!
「もう、じゃあ何なのよ。最近担当の子たちは調子いいんでしょ?」
「調子良すぎるんですよ。ほら、ミラベル達」
「ああ、あの子たちね。たまにこっちで完了処理するけど、確かに失敗がないものね」
登録して一カ月の新人であれば、多少なりとも依頼の失敗を経験するころだ。
最初は簡単な依頼で成功を重ね自信を付け、多少難しい依頼で失敗を経験し反省を学ぶ。そうして少しずつ傭兵としての実力を付けていくのが登録して一カ月という時期だ。
だがミラベルには失敗がない。
討伐依頼は当然として、素材採取も採取品は綺麗な状態のものを回収してくるし、非戦闘部署の護衛も彼らから高評価の完了報告書をもらってくる。
ミラベルの実力を考えれば当然のことなのだが、それ故に悩むこともあるのだ。
「次はどんな依頼ならいいかなって思いまして」
「もうすぐクラスアップ試験なのよね。クーネルエも一緒だし、ギルドからの信頼度も問題ないし、さっさとテスト受けさせて上げちゃえば?」
「私としては失敗も経験して欲しかったんですけどね」
確かに、子供のころから傭兵の親や兵士から師事を受けて技術を身に着けた新人は、するすると次のクラスに上がっていくこともあるのだが、そういう子たちは困難な依頼で初めて失敗を経験することになり、対処法が分からずにがむしゃらに突っ込んだ挙句、最悪命を落とすこともあるのだ。だから失敗や反省もしっかりと経験させてあげたい。
かといって、あの子たちが失敗するような依頼だと、既に命の危険になるような依頼ぐらいしかないのも事実なのだ。
「相変わらず過保護ねぇ」
「私としてはそんなつもりはないんですけどね」
どうも私は、傭兵の皆さんからギルド一の過保護担当と呼ばれているらしい。
私としてはそんなつもりは微塵もないのだが、ヒューエ先輩や他の担当の話を聞いていると、そんな突き放すようなことをして大丈夫なのかとハラハラしてしまうことも多々ある。
つまり、こういう性格なのだから仕方がないのだ。
「信頼度も十分貯まってるし、テスト前に受けられるのはあと一つか二つぐらいねぇ。クーネルエだけならまだしもミラベルがいる時点で討伐系依頼の失敗はないだろうし――まだ受けてないタイプの依頼とか経験させておいたら?」
「まだなのは――これですかね?」
それは今日出されたばかりの依頼だ。内容は来週一週間の警備任務。
ヒューエ先輩に依頼書を見せると、うんうんと頷いている。
「いいんじゃない? ウェーダ宝飾店って数年前から定期的に依頼を出してくれるところよね? 変な評価もないし、初めての警備任務にも良さそう」
「じゃあこれを紹介してみます。問題なければクラスアップテストですね」
「分かったわ。こっちに来たらそう伝えておくわね」
「お願いします」
さて、ミラベル達の案件はこれで良し。
次は最近クラスの上がった傭兵さんの依頼ですね。さてさて、何にしましょうか。
傭兵さんの性格や実力、依頼実績を思い出しながら、私は良さそうな依頼を探していった。
◇
トエラのギルドへと戻ってくる。
私とクーが中へ入ると、一瞬視線が集中しすぐにサッと逸らされた。
気にすることなく受付へ向かうと、その途中にいた男たちに声が漏れ聞こえてきた。
「おい、あいつの仮面見ろよ。少しからかってやるか」
その男は、どうやら私の仮面を見てクスクスと笑っているようだ。
「止めとけ。お前じゃ相手になんねぇよ」
「んだよ、知り合いか?」
「知り合いじゃねぇが、最近じゃ有名だ。仮面の傭兵ミラベル・ナイトロードっつってな。ギエラスを殺した張本人だよ」
「は!? マジかよ。あのギエラス殺した奴があいつ!? ってか仮面の傭兵なのに本名フルネームで出てんじゃん」
「まあ、ギルドで盛大に名前呼ばれてたからな」
ふむ、本当になんで私は仮面を付けているのだろうな……
自分の仮面に手を当てて、軽くなぞる――ソーマにあったら一発殴っておこう。
「ミラ、どうしました?」
「いや、何でもない」
そのまま受付へと向かうと、閉まっていた受付を開けてルレアとトアが出迎えてくれた。
「ミラベル、それにクーネルエさん、お帰りなさい」
「ん、お疲れ様です」
「うむ、今戻った」
「ただいま戻りました」
「依頼の完了報告だ。依頼品はこれだ」
私は袋から穴ジカの角を一本だけ取り出し受付に置いた。
ルレアが丁寧な手つきでそれを回収すると、依頼書を確認して不思議そうに首を傾げる。
「一本だけですか? ミラベルたちならもっと取ってこれると思ったんですけど」
「実はな……」
私は昨日宿でクーと話し合ったことをルレアにも伝える。すると、ルレアもどこか納得したようにうなずいた。
「なるほど、そういうことでしたか。だから女性の傭兵はこの依頼を受けたがらなかったんですね」
どうやら私たち以外にも、あの鳴き声にやられた傭兵が大勢いるらしい。
「これは少し考える必要がありそうですね――分かりました。では一本で完了報告を出します。規定値ですが最低本数なので依頼料は一万五千エルナになります。五万エルナ以下なので、支払いは現金払いのみとなりますがご了承ください。トアちゃんお願い」
「ん、分かりました」
トアが足元の金庫から一万五千エルナを取り出し、トレイに置いて受付の上に乗せる。
ルレアがその金額を確認して、私たちにトレイごと差し出してきた。
「ご確認ください」
「うむ。確かに確認した」
どちらが受け取るか、クーに視線で尋ねると、どうぞと小さく口が動いたので私がまとめて受け取っておく。
後でホームに共同資金の金庫でも置いておくか。
「ではこれで依頼は完了となります。お疲れさまでした――と、いうところでお二人に伝えておきたいことがあるんですが」
「なんだ?」
ルレアが話を切り替えたところで、私の肩がトンと叩かれる。
「む、ヒューエか」
「やほ、お疲れ様。クーネルエもお疲れぇ」
「お疲れ様です」
「それにしても、なんでミラベルは仮面被ってるの? もう、仮面を付けてる意味ってないでしょ?」
「私もそう思ったのだがルレアがな」
ホームの購入手続きを済ませ住民権を得た翌日に、ソーマが息を切らしながらギルドに駆け込んできた。
そこで私が住民権を得てこの町の庇護下に入ったことを伝えたところ、涙ぐみながら父さまに判断を仰ぐと言って王都に戻っていったのだ。
だから、私が仮面を付けている理由はないはずなのだが――
「こっちの方が目立ちますし、噂も立ちやすいんですよ。ミラベル達は、とにかく名前を広げないといけないので、そのためには少しでも噂が広がりやすい恰好の方がいいと思いまして」
「ああ、なるほどねぇ。まあ、少女の傭兵よりも仮面の傭兵の方が噂は広がりやすいわね」
「そうなのか?」
どちらも珍しいことに変わりはないし、どちらでもいいと思うのだが。
「全く違うわ。見た目を伝えやすいってのは大切なのよ。美少女とか少女って言っても千差万別。けど、仮面の傭兵ならイメージしやすいでしょ? 酒場や喫茶店でイメージを共有しやすくなるのよ。例えば、この前ギルドに金髪の可愛い子がいてさっていう噂と、この前ギルドに仮面を付けた奴がいてさっていう噂なら、後者の方がイメージがはっきりしている分記憶にも残りやすいと思わない?」
「ふむ、なるほど」
「だからルレアは仮面を付けておくように指示したってことでしょ?」
「そういうことですね。現に今も注目を集めていますよ?」
確かにそうだ。先ほど漏れ聞こえて来た会話でも、一人は私のことをはっきりと把握していた。しかもフルネームまで。そこまで知っている必要があるのかとも思うが、まあ有名になれば王族の耳に届きやすくなることも間違いではないな。
「少しでも有効なことならどんどん使っていかないと、先は長いですからね」
「何だったらクーネルエも付けてみたら? 仮面の傭兵団ってすごいインパクトになりそうよね」
イタズラ心のこもった言葉に、クーは苦笑しながら遠慮しますと答えた。
まあ当然だろうな。私もできることなら外したいし。
「まあいい。それで、ルレアの話はなんだったのだ?」
ヒューエの登場で話がずれてしまったが、何か言いたいことがあったはずだが。
「ああそうでした。二人へのギルドの信頼度が貯まってきているので、そろそろクラスアップのテストがありそうです。具体的には次の依頼を完了した後ぐらいですね」
「そうか。やっと上がるのだな」
「これでもかなり早い方ですけどね」
「そうですね。私なんて失敗続きだったせいで……」
そういえばクーは一年以上Cクラスだったな。
「分かった。次の依頼を成功させればいいのだな。候補はもう出ているのか?」
「ええ、これなんてどうでしょう?」
ルレアが依頼用紙を差し出してくる。それを受け取りクーと一緒に内容を確認した。
「警備任務一週間か」
「初めてのタイプですね」
クーとチームを組んでからは、採取か討伐ばかりだったからな。たまに護衛依頼もあったが、それも近場の町までなどだった。
なので警備自体も、一週間という長期の依頼も初めてだ。
だが、ランクアップ前にはちょうどいいかもしれない。
「私としては問題ないと思うが」
「私も大丈夫ですよ。ウェーダ宝飾店って傭兵の間でも結構有名なところですから」
私が詳しく説明を求めると、三人でウェーダ宝飾店について色々と教えてくれた。
それによれば、ギルドに定期的に警備依頼を出してくれるお得意様で、店主の対応も悪くなく新人でも心よく受け入れてくれるのだとか。おかげで、警備任務の試金石になっているところがあるらしい。
今回の一週間警備も、大量に入荷する宝石を加工して各地に配送するまでの間、警備を強化したいための依頼なのだとか。
そこまでギルドから信用されているのならば、こちらとしてもぜひ受けておきたい。
「ではこの依頼を受けよう」
「分かりました、受理手続きを進めておきますね。警備任務はお店の人との関係も大切なので、依頼の開始前に一度挨拶に行くといいと思いますよ」
「そうだな、了解した」
「今日はもう家に戻る予定ですけど、トアちゃんはどうしますか?」
クーがトアに問いかけると、トアはルレアの方を見上げる。
ルレアが、今日の勉強はもう終わっているから、どちらでもいいと言うと一緒に帰ることを選択した。
トアが受付の扉からこちらに出てきたトアを抱き留め、私はそのまま腕に座らせ持ち上げる。
「今日はクーが腕を振るってくれるらしいぞ」
「ん、楽しみ」
「期待していてください」
今回の依頼はどんなものだったのかをトアに語って聞かせつつ、私たちはホームへと戻るのだった。
◇
「なあ、仮面の騎士って知ってるか?」
「んあ? なんだそりゃ」
依頼を追え、傭兵団「勝竜」の俺たちは行きつけの酒場で打ち上げを行っていた。そんな中、仲間の一人が放った話題に全員が注目する。
「ここ一カ月で有名になってきた話なんだがよ、仮面を付けた傭兵がギエラスをぶっ殺したらしい」
「ギエラスって指名手配中の殺人鬼だよな?」
「俺もヒューエさんから注意されたことがあるぞ。あいつはヤバいからスラムには近づくなって」
「そうだ。そのギエラスが、仮面を付けた傭兵に殺されたらしい。警備兵がギエラスの死体を回収したって話もあるし、まず間違いないはずだ」
まじかぁ。あのギエラスが死んでたのか。俺も直接はあったことはなかったが、ギエラスが現役時代からかなり危ない奴だって話は噂に聞いてたからな。
その後にギルドを除名されてスラムで暗躍してるって聞いて、ああ確かにやりそうだとも思った覚えがある。
けど、当時からギエラスの実力だけは評価されてた。だから、これまでも放置されてたんだがそれが殺されたってなると――
「仮面の傭兵はAクラス以上の奴なのか?」
ギエラスはAクラスの実力はあると言われていた。そんな奴を殺せるなら、それは同じAクラスか制限解放者ぐらいだろう。
「俺も最初はAクラスか制限解放者と思ってたんだけどよ、それならこんな話しねぇって」
「ってことはBクラス以下かよ」
「チッチッチ、甘いな。Cクラス。それも新人だよ」
「新人だぁ!? 冗談にしても笑えねぇぞ」
さすがに俺も、それは笑えねぇわ。冗談にしても出来が悪すぎる。
だが、話を持ち出した仲間は俺たちの言葉を一蹴する。
「マジだよ。俺だって思わず調べちまったんだ。Cクラスの新人傭兵ミラベル・ナイトロードが仮面の傭兵で間違いねぇ。あいつが仮面を付けたり外したりするところを見てるやつも大勢いる」
「マジかよ」
「つか名前までバレてんじゃん。仮面付けてる意味あるのかよ」
「なんか騎士と揉めてるところを見たやつもいるらしい」
「騎士と揉めるとかギエラスよりやべぇじゃねぇか!」
ギエラスだって騎士とは揉めたことが無かったからな。せいぜい警備兵や貴族の私兵程度だ。さすがに、この国の騎士が出てきたら、俺だったら尻尾撒いて逃げるね。
「俺が予想する限り、仮面の傭兵の所属してる傭兵団の名前が問題だと思うね」
「団名? その程度で?」
「その程度なんてレベルじゃねぇよ。なんせ団名が国境なき騎士団なんだからな!」
「騎士団語ってんのかよ!?」
「そりゃ問題になるわ!」
「超挑発的! マジ受ける!」
そりゃそうだ。騎士団なんてこの国の名誉ある最高の職場だ。そんなの名乗れば騎士団が出てきてもおかしくないわ。
全員酔いが回ってきたのか、勢いよく笑いあう。
「そういやぁよぉ、こいつがクラスアップするときの試験でさ――」
そしていつの間にか話題は変わり、飲み会はつつがなく続いていった。
俺たちの頭の片隅に、仮面の騎士、そして国境なき騎士団の名前を残して――――
tips
警備依頼 基本的に短期間の依頼が傭兵ギルドへ来る。
長期のものは専門の施設警備団に依頼を行う場合が多いため、興行中の周辺警備や一時的な警備強化を目的としたものが多い。




