2
私、ミラベル・ナイトロードは今、執務室で父と向かい合っていた。いや、向かい合うというよりも、にらみ合うといったほうが正しいのかもしれない。
私の父であるバラナス・ナイトロードは、メビウス王国の騎士団で副団長をしている。その巨漢と三白眼により、睨みつけるものを問答無用で黙らせる迫力があった。幼いころから私も、父の射殺しそうな視線には恐怖することが多かったが、今はそれに引くことはできない。
「なぜですか、お父様! なぜ私に騎士試験を受けさせてくださらないのです!」
私は、今年十五歳になり、晴れて成人となる。成人になると騎士試験というものが受けられるようになり、それに合格することで、この国の正式な騎士になることができるのだ。騎士になるというじい様との約束を、ようやく果たせると思っていた。なのに、私が騎士試験を受けると言ったとたん、父はそれを拒否したのだ。
それが私には理解できなかった。
「何度も言っているだろう。女の騎士などこの国にはいない。いや、いらないのだ。この国で女が剣を振るう必要はない」
「そんなことはありません! 王妃様や王女様の警備、他国の女性要人の警備には、必ず女性の手が必要になってくるはずです! むしろ、女性騎士がいない今の方が問題は多いでしょう!」
王家の女性にも、護衛には全員男性騎士が付いている。だが、着替えや湯あみなど、肌をさらさなければならない場面で、男性騎士はどうしても一時的な退室が必要となるのだ。女性騎士さえ雇用すれば、その必要はなくなるというのに、この国は頑なにそれを拒む。
確かにこの国の風習では、女性は守られるものという考え方が一般的だ。だが、それも時と場合によるはずである。
常に、男性が女性の味方であるとは限らないのだ。同性の護衛はあって当然だと私は考えていた。
「他国も我が国の風習は理解している。我が国が他国に合わせてやる必要はない。それが気になるならば、他国が女性要人を使わなければいいだけの話だ。それに、王家の方々は昔から男の騎士によって守られてきている。お前は着替えなどのことを気にしているのかもしれないが、そもそも入り口を守り、中にさえ入れなければ関係のない話だ」
「暗殺の危険性があるではないですか!」
入り口を固めていたとしても、天井裏から、床下から、窓からなど、襲える場所はいくらでも存在するはずです。私ならば、単身で窓から飛び込み、中の要人を殺害することなど容易い。私で容易いのだから、他国が本気で送り込んでくる暗殺者にも容易にできてしまうはず。
「それは暗部の仕事だ。屋根裏は暗部が守っているし、そこにはちゃんと女性もいる」
「ならばなおのこと、騎士に男性しかいない理由が分からない!」
「騎士は民の前に立つものだ。前に立つ者の中に女がいては、男たちのプライドはどうなる。彼らの心情も考えよ」
そんなもののために、私とじい様の約束は反故にされそうになっているのですか!
心の底から湧いてくる怒りに、私は拳を握りしめた。
そして、怒りに任せ言ってはいけないことを言ってしまった。
「私は! 私は自分より弱いものに守られるつもりなどありません!」
「ミラベル!」
「事実ではないですか!」
私にはじい様の言う通り才能があった。
あの頃は剣が重くてまともに振ることもできなかったが、体ができて剣を振れるようになると、その才能は一気に開花した。
二つ上のルー兄さまには、一年で勝てるようになった。五つ上のフィエル兄さまには三年で勝てるようになった。そして今は騎士団副団長である父にも勝てるようになった。
今私の全力を正面から受け止めることが出来るのは、現騎士団長のレオンハルト・クロークス様と、じい様ぐらいだろう。
「お前には女性としての幸せな人生を歩んでもらいたいのだ。いつまでもナイトロード家に縛られて、剣を振る必要はないんだぞ?」
ナイトロード家は古くから続く騎士の家系だ。
これまでも騎士団の団長や副団長を多く輩出してきており、メビウス王国のナイトロード家と言えば、王国の剣として他国にもその名が轟いている。
父は、どうやら私がその名前のために剣を振るっていると思っていたようだ。
だが違う――
「私が義務感で剣を振っているように思われるのは心外です! 私は好きで剣を振っている。そしてじい様との約束をかなえるのが夢なのです!」
「子供のころの口約束だろ。父だって、きっともう忘れている。お前も今年で成人なのだ。婚約の一つでも決まれば、落ち着くだろう。少しは女性としての幸せを探してみなさい」
「だから私より弱いものに嫁ぐなど嫌だと言っているではありませんか!」
何が悲しくて、自分より弱い者の背中に隠れなければならないのか。
だが、父は聞く耳を持たず話は終わりだと言わんばかりに退室を促す。
「部屋に戻りなさい。今は頭に血が上って熱くなっているだけだろう」
「分かりました。そこまで強引に進めるのであれば、私にも考えがあります」
「何をするつもりだ」
「失礼します」
「おい!」
一度退室を促されたのだ。今更止まるつもりはない。
そのまま勢いよく扉を開け、私は自室へと戻るのだった。
自室へと戻ってきた私は、クローゼットの奥にしまってあったカバンを引っ張り出す。
騎士の遠征用に使うもので、内容量はかなり多い。
そこに下着や衣類、簡易野営キットなどを詰め込み、口を縛って閉じる。
そう、私の考えとはこの家を出ることだ。
騎士の指揮官ともなれば、その場での即決即断も必要な能力になる。だから私も、騎士の考え方に倣い即座に動くことにした。
それで騎士になれるのかと問われると、確かに難しいかもしれない。だが家でこのまま、あの頑固者の父を説得するよりも可能性が上がる方法はある。
それを実行するためにも、私はこの家を出る必要があるのだ。
きっと貴族の一人娘が、家を出て何ができるのかと思うものもいるだろう。
だがここはナイトロード家。騎士として兵士用の訓練は、兄に混じって子供のころから受けてきた。
野営の準備に食料の取り方、その他諸々行軍に必要なことも全て知っているし体験したこともある。
いろいろと荷物を詰めたカバンを背負い、最後に愛剣を腰に下げる。
「では行くか」
壊れそうな勢いで部屋の扉を開け、玄関へと向かう。
使用人たちが何事かと慌てて飛び出し、私の遠征姿を見て慌てて駆けだした。きっと父の下へと知らせに向かったのだろう。
必死に止めようと説得してくる使用人たちもいるが、私は彼らの言葉を全て無視する。
「止めてくれるな! 私は騎士になるのだ! その為ならば、あえて父に逆らおう!」
「そうではございません! お嬢様と旦那様が戦うとなれば、屋敷の使用人に危険が及びます!」
「ならばいつものように訓練所に退避させておけばよかろう」
私が家を飛び出すとなれば、父はきっと実力行使で止めようとしてくるはずだ。
その時、戦いになるのはもはや必然。互いの意見が食い違ったとき、実力を持つ者がその意思を貫くことができるのもナイトロード家の伝統だ。
「ええい、全使用人に通達しなさい! お嬢様が暴れます! 至急訓練所へ退避を! 退避後は日が明けるまで出てきてはいけませんよ!」
ナイトロード家の使用人の中でも特に長く仕えている通称「爺や」がそんなことを使用人たちに通達すると、慣れた様子で彼らが避難を始めた。
「お嬢様、本当に行かれてしまうのですか?」
「うむ、これまで世話になったな爺や。私はじい様との約束を守るのだ」
「分かりました。私はもうお止めいたしません。ただご自愛ください」
「ありがとう」
爺やが足を止め、私に向かって頭を下げる。それを背に受け、私は玄関の扉を勢いよく開いた。
その先には、腰から剣を下げた父の姿。
「ミラベル」
「父さま、もはや言葉で止まる私ではありません」
「そうか。ならば、実力行使も止むをえまい」
剣を引き抜き構える父。
「それでこそ私の父さまです」
私も愛剣を抜き放ち、中断に構える。
同時に、私たち二人の体からオーラが立ち上り、まるでマントのようにお互いの体を包み込んだ。覇衣と呼ばれる剣士たちの到達点の一つだ。
覇衣は剣の先まで纏わりつき、静かに空へと溶けていく。
「行くぞ! ナイトロード流秘伝奥義、覇斬!」
父さまが踏み込みと共に剣を振るう。
ズバンッと風を切る音と共に覇衣が衝撃波となって私に襲い掛かってきた。
「ハァ!」
私も剣を振りぬき、迫りくる覇衣の波を切り裂く。
父さまの放った衝撃が真っ二つに裂け私の背後へと流れると、まるで巨大な剣を振り下ろしたように屋敷の壁を切り裂きガラスを砕き室内を破壊する。
さすが父さまの覇斬だ。切り裂いてなおこれだけの威力を保つか。
だが私には通用しない!
それが合図となるように、私たちは互いに駆け寄って剣をぶつける。余波が地面を抉り、庭師が賢明に整えた芝を削り取る。
「父さま、今日は遠慮いたしません!」
「ぬかせ!」
数合剣をぶつけ合ったのち、私はステップで父さまから距離を取り剣を上段へと構える。
「むっ!」
大技が来ると警戒したのか、父が防御態勢を取った。これならば、父も致命傷を負うことはあるまい。
「父さま、私の一撃耐えていただきます! ナイトロード流秘伝奥義!」
「なに!? それはミラベルには教えていないはず!」
「覇斬!」
振りぬかれる愛剣。空間が炸裂し、父の覇斬以上の音が一帯に響き渡る。
放たれた衝撃派は、周囲の空気を破きながら防御態勢を取る父さまへと襲い掛かる。
「くおっ!?」
覇衣で必死に衝撃波を受け流そうと試みるが、それ以上の波が父さまへと襲い掛かりその巨躯を持ち上げた。足が浮いてしまえば、受け止めることはできない。
波にのまれた父は、吹き飛ばされ背中を家の門へと強く打ち付ける。その衝撃に門がひしゃげゆっくりと口を開いた。
周辺には私の放った覇斬の余波が飛び散り、レンガを積み上げて作られた壁がボロボロと崩れ落ちている。
「くっ、なぜミラベルが覇斬を……」
父さまはまだ意識があるようだ。倒れたまま顔だけをこちらに向けてくる。その手から剣を離さないのは、さすが騎士団の副団長だ。
「私は父さまがフィエル兄さまに覇斬を教えているところにいたではありませんか。それを見て学び、そして先ほどの覇斬を自らで受けることで完成させたのです」
「馬鹿な……それだけで秘伝奥義を」
「父さま、そのダメージではもう立つことはできないでしょう。私は通らせていただきます」
「くっ」
「今までお世話になりました。私は私よりも強いものに会いに――いえ、騎士になるために旅立ちます」
「お前……今当初の目的を忘れていたな」
「何のことか分かりかねます!」
少しだけ耳を熱くしながら、私は倒れている父さまの横を通り過ぎる。
フフフ、ここから私が騎士になるための物語が始まるのだ。見ていてくださいじい様。私は立派な騎士になって見せます!
目指すのは、ここ王都メビエラから東へ一日。傭兵ギルドの本部がある、トエラだ!