1-12 暗黙のルール
大通りを進み偶然見つけた靴屋でトアの靴を購入する。
その際しきりに店の店主が本当にいいのかと念押ししてきたが、なぜ誰もが私に確認してくるのだ。この町では、靴を買うことはそんなに大事なのか!?
トアもトアで、店主に向かって「大丈夫、分かってるから」などと半ばあきらめたような表情で言っていたが、いったい何だというのだ。しかもそれを聞いて店主も納得したように靴を売ってくれるし……
まあいい。とにかく靴は買えたのだ。
「そうだトア」
「なに?」
新しい靴を履いて、やや嬉しそうにコツコツと石畳を鳴らすトアが顔をこちらに向ける。
「宿を移動することになってな。そちらの場所を教えておこうと思う」
「あの宿ダメだったの?」
「いや、宿には問題なかったぞ。多少高いがその分安全で清潔だった」
不安そうに首を傾げたが、私はそれを否定する。
こういう情報はトアのような街の案内をする子供たちには大切なものだからな。正しい情報を教えてあげなければならない。
「移動はこっちの都合でな。チームを組むことになった相手と同じ宿に移ることにしたのだ」
「チーム? 傭兵団?」
「うむ。そうだなトアにも紹介しておこう。もしかしたら世話になるかもしれないしな」
「分かった」
だいぶ時間が経ってしまったな。もう町が真っ赤に染まっている。あと一鐘もすれば完全に日が沈んでしまうだろう。
私はトアを連れてあらかじめ聞いていた華海亭へと向かう。
前の宿である華山亭からは数分のところ。大通りからは二本ほど外れたところにある華海亭は、それほど大きくはない、むしろこじんまりとした印象のある宿だった。
「ここだ。トアが紹介してくれた宿の姉妹宿に当たるらしい」
「姉妹宿?」
「同じ人が宿をやっているということだ」
経営などの難しいことはトアには分からないだろうと、簡単にだけ説明して華海亭のドアをくぐる。
中は小さなカウンターと丸テーブルの並ぶ食堂になっており、階段から二階の部屋に行くのは華山亭と同じ仕組みのようだ。
そして丸テーブルの一つで、クーがお茶を飲んでいるのが見えた。
「クー」
私が声をかけると、クーがティーカップを置いて席から立ちあがる。
「ミラ、遅かったですね。もしかして監視が?」
「すまない。監視はすぐに撒いたのだが、その後少し面倒ごとにあってな。まあそれは後々で説明しよう。部屋は取れたのか?」
「それなんですが、すみません。シングル二つは開いていなかったんですが、ツインなら空いていたのでそっちに移ることになりました」
「気にしないさ」
急な頼みだったからな。ツインでも取れるだけで十分だ。これで男女であれば問題もあるかもしれないが、幸い私たちは女同士。同じ部屋で生活したところで何も問題はない。
「あれ、その子は?」
頭を下げたクーが、私の後ろに隠れていたトアを見つける。
「先ほど言っていた面倒ごとと関係があるのだが、とりあえず自己紹介だな。この子はトア。この町の子で道案内などをしてもらっていた」
「はじめまして。トアです」
トアの背中を押して私の後ろから引っ張り出すと、トアはペコリと小さくお辞儀をする。
クーも道案内と聞いてトアが浮浪児であることはすぐに気づいたのだろう。こちらを見てやや不思議そうな顔をしながらトアに「よろしくね」と声をかけていた。
「それで面倒ごととは?」
クーが座っていたテーブルに全員で移動し、仮面を外す。
ふぅ、やはり半分とはいえ口元が塞がれていると動いた後は息苦しく感じるな。
私とトアの分の飲み物も注文し、それが届いたところで改めてクーが訪ねてきた。
「うむ、私の責任もあってこの子が浮浪者どもに目を付けられてしまったようでな。先ほども追いかけまわされてところを助けたのだ」
「目を付けられた? 何をしたんです?」
私はトアと出会ったところから、一緒に行動した先ほどまでの流れを説明する。
適当に酔っ払いをあしらったこと、それを逆恨みして抵抗できないトアを狙ったこと、その男たちを撃退し、一人を警備隊に突き出したこと。男たちがギエラスという男の下っ端であることまで全てだ。
「はー、確かに面倒なことに巻き込まれましたね。よりによってギエラスですか」
「クーも知っているのか」
そこまで有名人だとは。
「私の場合は加入の時にギルドから注意人物だと教えられていましたから。裏路地に近づくと、ギエラスにつかまって売られますよって」
「私は教えてもらってないぞ……」
「ほら! ミラは最初から強いの分かってたじゃないですか! ギエラスや下っ端が来ても大丈夫だって安心していたんですよ!」
「そ、そうだな! きっとそうだ」
私が女扱いされていないなんてことはないはず。
私が自身に暗示をかけていると、隣に座っていたトアがクーに話しかける。
「クーお姉ちゃん」
「どうしました?」
「ミラお姉ちゃんが靴勝手くれたんだけど、どう思う?」
「靴を……買って?」
「うん」
トアがぶらぶらさせていた足をクーへと見せる。そこには先ほど買ったばかりの新品の木靴だ。
そしてゆっくりと視線をこちらに向ける。
「どうしたのだ?」
「あー、これは知りませんね」
「やっぱり……」
クーの言葉に、トアががっくりと肩を落とした。
「だからなんだというのだ。先ほどの靴屋の男も、グダグダと言っていたが」
「ミラ、浮浪者に物を与えるということの意味を理解していませんね?」
与えることの意味?
「何か特別な意味があるのか?」
「浮浪者にものを与えるというのは、その浮浪者を保護下に置くということです。要は、その浮浪者を引き取るから、手出ししちゃダメよってことです」
「なっ!? 食事を買ったときは何も言われなかったぞ!?」
「食べ物は一時的なものですから、保護ではなく施しと考えられています。教会の炊き出しと同じですね。けど衣類や道具、住処などは別です。それは浮浪者たちを保護し、職を与え、生活できる環境を用意することと同じ意味だと考えられているんですよ」
だからあの靴屋のおやじはくどいほどに私に確認をしてきたのか。
トアのような子供では、何か技術を身に着けているはずもなく、教養もほとんどない。そんな浮浪児を引き取っても、意味はないと思うのが当然だから。
「つまり私がトアに靴を与えたことで、トアを保護すると宣言したことになるのか」
「ええ」
私がトアに視線を向けると、冷めた瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。
その視線に心臓がドキリと跳ねる。それは、恐怖にも似た感情だ。
「大丈夫。私もなんとなく気づいてた」
「気づいてたって」
「ミラお姉ちゃんは意外と常識知らないみたいだから」
「……」
え、私はトアからそんな風に思われていたのか?
「だから大丈夫。私は今までと変わらないから。そろそろ行くね」
「まあ待て」
「ミラお姉ちゃん?」
立ち上がろうとしたトアをその場に押しとどめ、私は正面からトアの瞳の奥を覗く。
深い赤色の瞳。冷めたような印象を受けるその奥に、小さく揺れ動くものを感じた。
トアは寂しがっている。大丈夫なんて口では言ってはいるが、そんなルールがあるのならば物をもらって期待しないわけがないのである。
なんとなく分かってはいても、きっと心の隅ではもしかしたらと期待していたはずだ。その思いが、瞳の奥に小さく見えた。
騎士が――民の前に立つ存在が、少女を悲しませてどうする!
「トア、帰る必要はない。トアは私が保護しよう」
「ミラ、大丈夫なのですか? 今の私たち、すごく微妙な立場ですよ?」
確かにそうだ。私は騎士から追われる立場だし、チームも結成したばかりで今後の活動すらまだ決まっていない。ギルドの拠点も見つかっていないし、先は何も見えていないに等しい。
そんな状態でトアを引き取るというのは困難なことなのだろう。
けれども!
「私はトアの瞳の奥に期待を見た。騎士はその背に守る者の期待を裏切らない」
「まあ、そうなりますか」
「お姉ちゃん……」
なんだ、クーも分かっていたんじゃないか。
トアがものすごく心配そうな表情で呟くのだから、もう少し現実的な話をしないとな。
「クー、私がしなければならないことはなんだ?」
「トアちゃんを保護するにあたって、ミラがやらなければならないことは二つですね。衣食住の確保とトアちゃんの仕事の確保です」
「衣食住は分かるが、仕事もか」
「それが保護するということですよ。ただ守るだけではなく、将来的に生きていけるだけの力を与えなければなりませんから」
「ふむ、なるほど。それがルールというやつか」
「メビウス王国の法律に明確な文章はありませんが、暗黙のルールというやつですね。人道的に倫理的に言って、保護するならばしっかりと最後まで面倒を見なさいということです。中途半端な慈悲は相手にマイナスしか与えないですから」
衣食住の確保は大丈夫だろう。私の所持金もまだあるし、この後には緊急依頼の追加報酬も来るはずだ。問題があるとすれば仕事だろう。
トアは見た目的に五才ほど。浮浪児ならば教養など身に着けているはずがないし、私やクーのように戦う力を持っているわけでもない。
ならば町の中でできる仕事を与え、私たちが傭兵業として外に出ている間その仕事をしてもらうことになるはずだ。
「仕事は何ができそうか。家を買えばメイドとして仕事を与えられるが、今は宿暮らしだからなぁ」
「すぐに何かできなくても、勉強をさせるというのもありですよ」
「しかし勉強させる場所がなぁ。ギルドに預けるわけにもいくまい」
傭兵ギルドは託児所ではないのだ。仕事の間に子供を預かってくれと言われて、受けるわけがない。
「明日相談してみればいいのでは? ギルドなら各方面にコネクションもありますし、何か紹介してもらえるかも」
「そうだな。では明日は三人でギルドに行こう」
「ええ」
「だがとりあえず最初にすることは」
「「風呂だな(ですね)」」
汚れてごわごわになった髪や、埃まみれの服を見て私とクーは大きく頷くのだった。なによりちょっと臭うし。
宿にもう一人泊まる旨を伝え、私とトアの分の料金を支払う。ついでに、三人分の風呂の準備を頼むと、三人以上ならば大浴槽が使えるということなのでそちらをお願いした。
華海亭の風呂場は一階の奥に併設されており、他にも湯浴び場やサウナなども作られていてなかなか充実している。
「ふむ、家ほどではないがなかなか広いな」
「貴族の温泉と比べちゃダメですよ。トアちゃん、こっち座ってください。先に全身洗っちゃいますよ」
「うぅ……」
トアは風呂を始めてみるのか、恐る恐ると言った様子で浴室に入ってくると、言われるままにクーの前に座る。
クーがトアにお湯を掛けて全身をくまなく洗っていく中、私もその隣で自分の体を洗う。
「なかなか手強い汚れですね」
「これまでの積み重ねだからな。何度か洗わないと無理だろう」
「そうですね。じゃあトアちゃん、一回流しましょう。目をしっかり瞑っておいてくださいね」
「うん」
バサリとお湯をかけ洗剤を洗い流したのち、再び洗剤を付けて髪の毛を洗っていく。
三回ほどそれを繰り返せば、トアの髪でもしっかりと泡だちアフロのような真っ白い帽子ができた。
「なかなか似合ってるじゃないか」
「むぅ」
むくれるトアの頬を突いて、私は一足先に浴槽へと身を沈める。
ふぅ、やはりお湯につかるのは気持ちがいい。
「じゃあ流しますよ」
三度目ともなればさすがに慣れたのか、トアも頭からお湯をかぶることに躊躇がない。
手早く泡を洗い流すと、トアの本来の髪が姿を現した。
輝くような真っ赤な髪だ。それはトアの瞳と同じものだった。
これまでの汚れで赤茶色に変色していただけのようだ。
「綺麗な髪ですね。ミラの銀髪も好きですが、トアちゃんの赤い髪もなかなか」
「一番長くてサラサラなクーに言われても嫌味しか感じないぞ」
クーの髪は三つ編みにしている二束だけが胸を隠すほどに長いのだ。他は肩甲骨程度なので、なかなか面白い髪型になる。だが、その一本一本が輝くように綺麗で、シルクのようにつるりとしているのだ。
どう考えても、この中で一番綺麗な髪を持っているのはクーである。
「そんなことありませんよ。お二人の髪も毎日洗いたいぐらいです」
「変な趣味に目覚めてないか? ほらトア洗い終わったなら湯船に浸かれ。気持ちいいぞ」
クーが自分の体を洗い始めたところで、私はトアを湯船へと招く。
ゆっくりと入ってきたトアを隣に座らせると、口元まで浸かってしまいブクブクと気泡を出していた。
「トア、ここに乗るといい」
トアの脇から腕を入れ、私の正面へと移動させる。そのまま背中から抱きしめるようにして足の上にトアを座らせる。するとちょうどいい高さになったのか、トアがほうっと息を吐いた。
「気持ちいだろ」
「うん」
「臭いもしっかりと取れているようだな」
スンスンと嗅いでみても、香油の香りしか感じない。
これならば、誰に会っても不快にさせることはないな。
「トア、明日ギルドに行くぞ。あそこならば、きっとトアに最適な未来が見つかるはずだ」
「大丈夫かな」
「大丈夫だ。誰だって最初は何もできないのだ。私も最初は剣を持つことすらできなかった。それでも今はここまで強くなることができた。大切なのは、諦めない気持ちと自ら動くことだ」
「うん」
「その意気だ」
なに、意外と世の中なんとかなるものなのだ。
何事にも臆病になることはない。
やれば案外なんとかなってしまうものなのだ。だから私も騎士を目指す。傭兵という、騎士とはかけ離れた立場から。
絶対にたどり着いてみせる。
「隣失礼しますね。あ、私もトアちゃん抱かせてください」
「うむ」
少し熱くなってきたところで、クーが隣に座った。ちょうどいいと私はトアを渡し、風呂の縁に腰かける。
「あー、この抱き心地、くせになりそうです。トアちゃんはどうですか?」
「さっきより柔らかい?」
なんとかならないこともあるのかもしれない……そんな現実を見せつけられた風呂だった。
tips
浮浪者の保護は、大半が肉体労働者の確保か娼婦の確保のために行われる。そのため孤児が保護されることは非常に稀である。




