六
リビングに静寂が満ちる。
普段は食事を並べるテーブルの上には一枚の紙。それを挟んで僕と父が座っている。かれこれ十分は経っただろうか。否、案外一分も経っていないかもしれない。恐る恐るテーブルの上に紙を、全教科ほぼ平均点の、作為的な点数が書き込まれた通知表を差し出してから、膝とにらめっこしている僕にはリビングに掛かっている壁時計すら見られないのだ。
「……」
父の無言の沈黙が恐ろしい。きっと腕を組んで、父に見せつけるようにして顕わになっている僕の頭でも見ているのだろう。視線が鋭利な刃物の様に刺さるばかりだ。
「……」
それでも僕はだんまりを通す。黙り続ける。沈黙を貫いて、無言を死守する。僕の言葉は、子供の主張は既に伝えたのだ。
『悪い成績を取ってみたい』
我儘ここに極まれり。馬鹿も休み休み言えとは言うが、こんな馬鹿は休み休み言っても許されまい。自分でも分かる滑稽さ。それでも僕は一度、「成績」を捨ててみたかった。
父の言葉に背いた上で、父の期待に応えてみたくなった。
父が僕に「期待」しているのか、確かめたかった。
僕は待つ。父の、親の言葉をただ、待つ。
「敦」
長らくの静寂を破って、父は僕の名を呼んだ。
「どうだった。良い点数を取らないでいいってのは」
「楽だった。苦労が無いって意味じゃなくて、ただ気持ちが楽だった」
「そうか」
僕の答えを聞いて、父は静かに唸った。僕は思わず肩を震わしてしまう。それとほぼ同時に席を立った音がした。
「敦」
もう一度僕の名前が呼ばれる。さっきより上から聞こえる父の声。
「……後悔するな。慢心するな。虚栄を張るな。粋がるな。――楽しく生きろ」
それだけを言うと父は何処ぞへと歩いて行ってしまった。リビングに取り残された僕は、父の歩く音が遠ざかってから随分と遅れて、誰にも聞こえない位小さく返事した。
「はい」
久しぶりに、父に返事をした気がした。
暫定的にこれで完結とさせていただきます。
もし機会があれば続きを書くかもしれません。
ここまでのご愛読、ありがとうございました。