屈辱とも安息ともつかぬ状態
神々はどこに行ったのか?
幾多ある柱のうち、
どの柱も、
身の内はおろか、
自分の周囲にすら見出せなかった。
だから想像のうえで光る神を自分の中に見出す。
身体の中央に光球が輝いている。
それは躊躇いながらも身体の隅々まで光を供給するだろう。
だがその光を自分以外が認めることはありうるのだろうか?
女は寝息を立てる夫を見下ろしている。ここは夫婦が休む寝所だという。こういう境遇を与えられて、というより無理やりに嵌められてどのくらいの時間が経つだろう?この世の終わりまで生きてそれを体験したところで、いまわの際までしっくりすることはないだろう。
婚姻の儀礼から三ヶ月がたった。
ようやく、身体の外にまで我が子の存在を物理的に確かめられるようになったが、
まだ瘴気は発していない。
魂を迎え入れるのはまだ先のことだ。
そうなったら、この土地の人間たちにどう申し開きをすればいいのだ?
夫が認めることは疑わなくていい。
彼女はさいしょから察知していたのだ。
器を用意していることが婚姻の提案を受け入れた理由だと喝破したほどだ。
まったく信じ難いことながら、
異民族たちは、
同性婚によって子を成せると、
天上の魂を地上に迎え入れられると本気で信じているのだ。
連中が奉じる不思議な教えからすると、
夫によれば高貴な血と聖別された血が重なると、
魂を受け入れられるべく肉体が成立するという。
それが自分だと主張する夫に、
女は反論の言葉を、
いかに思考を巡らしても、全く摑むことができなかった。
さらに畳み掛けられると、
女は開いた口がふさがらなくなった。
「この前、女同士の子供が生まれたのは270年前だったな」
あたかも270年まえに生きていたような、
本来は、実に非現実的な言いようが、
あながち嘘には視えない。
しかし、
なぜか、脳裏に言葉が浮かぶまえに、
じっさいに言葉が自分の口からほとばしった。
「270年前?そんな昔にあったことを、純朴にこの地の民は信じているというのですか?」
女の言葉など気にかけないという様子で、まるで誰かに説明するように続ける。
「そのときの相手も異民族、それも敵対する相手だった。我らの宗主民族、それも皇帝の娘が子を授かった」
そんな重要な歴史事項を女や、彼女が属する民族はわきまえていなかったというのか?
「しかしそんなことは、宗主国の誰も口にしていなかったわ」
女が生まれながらにして人質として預けられていたのは、とある有力元老院議員の家だった。自分たちを滅ぼした民族のことが話題に上ったことは何度かあったはずだが、そういう話題は口の端にも登らなかった。
この人たちと関われば関わるほどに、自分とはべつの世界の住人だと見なさざるを得ない。
ならば、いま、子宮の中で用意されている肉体のためだけに、我が魂を殺してまでここにいるのか?
それはちがう。
そう断言させられるだけの説得力が、
夫の寝顔にはある。
夫は寝物語として、この国の神話をよく聴かせてくれた。
ある女性がひとりでこの国を創始したという。
聖母、国母として崇められる先祖は、いつの間にか身ごもっていたという。それは女神が宿らせたと、神の話は教えている。
夫は言った。
「そのとき始祖たる聖母がどういう状況だったのか?想像するより他にないが、いまのそなたのように一族を敵に誅されたのではないか?そして自分だけが生き残った。彼女は自分を強力な誰かに捧げることで平和の使者となったのだ。その証拠に先祖たちの何人かがこの方法を使っている」
誅されたという表現が気に入らなかったので、単刀直入に訂正を要求すると、
夫は簡単に表現をしなおした。
しかし、言い訳が付いているのが蛇足だった。
「私のケントゥリア語は古典すぎてよくない。そなたと違って人質に取られたわけではないから、生の言葉を耳にして育ったわけでなく、書籍で我慢するより他になかった。こういうときに送ってくるのは古典と相場が決まっている」
言外に、宗主国の支配に甘んじ過ぎていたゆえに滅びた、という言葉を、妻は見逃さなかった。
舌の下に走る溝にひそかに隠したのだが、簡単に見つかってしまった。
女の心にひっかかったのは、
平和のためにという言葉だった。
何も、
全滅させられたことが不満なのではない。
敗北したのならば消滅するのは、
世の法則のようなものだからだ。
ただ、
この、
女の立場からすると、道ならぬ結婚が、
あたかも平和のための手段のように言われるのが我慢できなかった。
もっと気にくわなかったのは、
そういう自分がこの屈辱とも、安息ともつかぬ状態を悪くないと思っていることだった。