恐怖
「ありがとう、楽しかったぞ。また来てくれると嬉しいのう」
「昼ならいつ呼んでくれてもいいんだけどな」
「わらわは妖魔じゃからの。すまないとは思っておる」
アヤメが肩をすくめる。
「みんなに説明してもいいなら楽に来れるんだけどな」
「むう・・・お主の仲間と言うものを信じてもいいものか・・・」
アヤメが考え込む。
その間も、尻尾がゆらゆらと揺れている。
「俺の仲間には、やさしい妖魔がいると信じてるやつもいるぜ?」
「む、むう・・・」
「というか、俺の事を待ってる仲間に説明もしないといけないわけだし」
「え、あー・・・そこまで考えてなかったな・・・困ったのう・・・」
アヤメの耳が垂れる。
ついでに尻尾も垂れる。
「んー、じゃあ、何とか説明してみるよ。アヤメの悪いようにはしないからさ」
「お主のこと、信じてもいいか?わらわ死にたくないからの?」
「大丈夫・・・多分」
「そしてお主らのことも殺したくないからの?わらわ強いからの?」
「わ、分かったよ」
本当に強いのか、と一瞬思ったエルだが、殺したくないというあたり本当に強いのだろう。
「頼むぞ、エル」
「分かった。安心してていいからな。門!」
「ま、また来るんじゃぞー」
門を出ると、望が全く同じ場所で律儀に待っていてくれた。
「え、エル!大丈夫だったかい!?」
望がエルの肩を掴んだ。
かなり時間が経っていて心配していたのか、手に込められた力は強かった。
「だ、大丈夫だ。見ての通り、何もないだろ?」
「な、何もないんだね、よかった。で、誰に呼ばれていたんだい?」
「妖魔だ」
「・・・はぁ?」
望が信じられない、と言ったような顔をする。
妖魔と言えば、この日本では人間に危害を及ぼす危険生物という認識なはずだ。
日本に来てまだ全然時間が経っていないエルが妖魔にあってなんともなかったと聞いても、信じられるはずがない。
それを考えると、望の反応も当然のものだと言える。
「それは春風の言う、やさしい妖魔というやつに会ったという事かな?」
「まあ、そういうことだ。俺らの住んでるところの話とか、俺らの使う魔法とか、いろいろ聞かれたよ」
「・・・なんで?」
「色々な人間の話を書き留めてるらしい。家に本がいっぱいあったよ」
「え、えー・・・」
望が困ったように首をかしげる。
なんだか人が困る顔をよく見る日だ。
「じゃ、じゃあ、今日の仕事が終わったら報告しよう。今はあれだ、仕事に集中しよう」
「むしろ望が心配なんだけど・・・?」
「う、うるさいよ」
「にわかに信じられないが・・・どんな見た目だったんだ?」
「見た目はそのまま人間だった」
「え、そうなのか・・・」
見たまま人間というのが信じられないのだろうか。
また望は黙り込んでしまった。
「ちなみに、頭には耳、尻には尻尾があったぞ。九本な」
「・・・名前とかは?」
「タマモアヤメって言うらしい」
「・・・本で読んだことがあるな。というか、その人の本は売っているよ」
「じゃあやっぱり人間と仲がいい妖魔なんだな」
「妖魔の中ではかなり高位な存在・・・というか、名前は確か玉藻ノ狐と呼ばれていたはず」
そういわれて、エルは先ほどのアヤメの本当の姿を思い出した。
あの状態が、玉藻ノ狐と呼ばれているらしい。
「とても危険な妖魔と聞いていたんだが・・・昔の話なのかな・・・?」
「まあ、優しかったよ。それに、できれば争いは嫌だって言ってたし」
「そうなのか・・・ん?」
望が何かに気付いたのか、エルの後ろを見つめる。
「・・・おお、マジか」
エルも何かに気付いたようで、望の後ろを見つめた。
「立ち話が過ぎたみたいだね。エル、爆柱をお願い」
「おう」
爆柱を地面に叩きつけると、火柱が上がった。
『はっはァ、こんなところに人間だぁ』
『俺ぁもう腹が減って仕方がないだよ。人間、食っていくだ』
昨日と違い、確認できた妖魔は2体。巨入道だ。
望とエルは囲まれている。
「これ、大丈夫なのか・・・?」
「なんとか、凌ぐしかないよね・・・」
「結界は消費する魔力が大きいからあまり使いたくないし・・・、望の攻撃魔法は?」
「私のは威力があまり高くないから・・・有効打にはなりづらいかも・・・」
「攻撃できれば大丈夫だ・・・穴!」
エルたちの前に、小さな穴が開く。
「・・・これは?」
「ここに魔法を」
「えっ?わ、分かったよ。酸弾・参!」
黄色がかった弾が飛んでいく。
弾は空間に消え、望の後ろにいた巨入道の後ろに直撃した。
じゅっ、という音とともに巨入道から煙が上がる。
『ふがぁっ!?だ、誰だぁ!?人間がまだいるのかぁ!?』
巨入道が後ろを向き、エルたちから注意がそれる。
「あれは?」
「酸だ。気を逸らすには十分かな?」
「そうだな、それでいい」
「エル、右に避けろ!」
そういわれて、エルも望も右に避ける。
そのすぐ後、エルたちがいたところを巨入道が通った。
基本的に巨入道というのはこういう攻撃しかないらしい。
「くっさい!!」
「が、がまんだ!」
強烈な悪臭に、エルも望も顔をしかめる。
『誰もいないじゃないかぁ!?貴様らァ!?』
『早く食わせるだ!腹減りすぎて死にそうだ!』
「食わせるかアホ!」
襲い掛かってくる巨入道を避けるエルたち。
しかし、限界は訪れる。
「うわっ!?」
望が体勢を崩し、転んでしまった。
『はっはぁ隙だらけダァ!?』
『俺がもらうだ!人間、食うだ!』
望に向かって、巨入道が2体襲い掛かる。
「くっ・・・!」
望があきらめたかのように、歯を食いしばった。
「ノゾミ!門ッ!!」
瞬間、望の身体が消えた。
巨入道は止まれず、お互いの体を激しく打ちつけた。
『ふがっ!?』
『何するだ!!』
「きゃっ!?」
望がかわいい声を出し、エルの後でしりもちをついた。
「大丈夫か!?」
「・・・う、うん、ありがとう。もうダメかと・・・」
「ワープ、便利だろ?」
「うん、そうだね、なければ死んでいた・・・エル、感謝するよ」
「それは戦いが終わった後でなっ!仕方ねえ、結界!」
狭い範囲に結界を展開し、巨入道1体の動きを止める。
『う、動けねえだ!ここから出すだ!!』
「・・・エルさん!大丈夫ですか!?」
「・・・鉄棘!!」
ハルカゼと、千子が駆けつけてくれた。
千子の召喚した針が、巨入道の目に刺さる。
『ぐ、ぐわああああ!目が見えん!!』
「・・・春、風っ!」
「分かりました!火炎車!」
激しい炎の軌道が、巨入道たちを焼く。
『俺を舐めるでねえだ!!人間んんんんん!!』
炎の中から、巨入道が突撃してくる。
「その、口・・・ふさぐ!石礫!」
石、というにはあまりに大きな岩が、大きく開いた巨入道の口の中に入る。
『む、むごぉ!?』
岩の大きさに、あごが外れ、巨入道がのた打ち回る。
「刺突!」
望がそういうと、目が見えなくなった巨入道のまわりから、どこからともなく黒い棘が現れた。
棘は巨入道を串刺しにし、動きを止める。
「なんだ、威力高いのもあるんじゃん」
「私には、これだけだからね」
「トドメです!竹神!」
「・・・火球!」
鉄の棘やら、謎の黒い棘やら竹やらが刺さった巨入道が、突如燃え上がった。
後ろを振り向くと、そこにはフィラがいた。
「フィラ!」
「・・・熱線!」
フィラは続けて、光線を放った。
その光線は辺りを灼き払い、巨入道たちを消し去った。
「・・・よっし」
「またフィラさんにとどめを持っていかれました」
「いやいや、今のフィラの魔法の威力、おかしくないかい?手負いとはいえ、巨入道を消すなんて」
「パワープレイ」
エルは確信した。
巨入道は何度も攻撃しないと倒せないということが分かった。
しかし、フィラはそれを一撃で仕留めた。
やはり、フィラの魔法の威力の方がおかしかったのだ。
「さっきはありがとう、おかげで助かった・・・」
「いやあ、死人が出なくてよかったよ」
「退魔師が妖魔にやられるなんて、あってはいけないからね・・・本当に、ありがとう」
望が深く頭を下げる。
そんな様子に、エルは困ってしまう。
「そ、そんなに感謝されるようなことでは・・・」
「そのくらいだよ。もしあのままだったら・・・私は今頃、噛み千切られて肉片だ。少し、怖かった」
そういう望の表情は、今は安心したようなものになっている。
「エルの魔法は、人を助けられる魔法だね」
「補助しかできないけどな・・・」
「それもそれで、必要とされるんだ。いいじゃないか」
望がエルの魔法をほめてくれる。
エルは自分の魔法があまりいいものだとは思っていなかったが、少し、自信が持てたかもしれない。
「・・・エル」
「ん、どうした?」
「・・・私、強い?」
「それは俺じゃなくてハルカゼとかに聞くといいんじゃないか?」
「・・・そっか」
フィラがハルカゼに近づいて行く。
「じゃあ、警備に戻ろうか」
「そうだね、エルがいれば安心だ」
「過信してもらっては困るな」
「ふふ、そうなのかい?」
「移動距離によって使う魔力量が決まるからな、あんまり何度も使えないんだ」
もしフィラがワープを持っていたら、何度も使えたかもしれない。
しかしエルはフィラよりも魔力が低いため、そう何度も乱発はできないのだった。
「穴なら何度でも使えるんだけどな」
「それじゃあ私たちは通れないね」
「そういうことだ」
そこでエルはふと気づく。
エルがまだ使っていない気界だが、その魔法によってフィラの魔法を強化できるとしたら、囲まれても脱出可能ではないだろうか?
試してみたい気もするが、妖魔がいない。
命を懸けて試すというのもどうかとは思ったのだが。
「じゃあ、今日はこれで終わりですね」
「あ、ちょっと待って春風。エルから報告が」
「はい?報告?」
「あ、ああ・・・あれだ、ハルカゼの言う、やさしい妖魔ってやつに会ってきた」
「・・・はい?」
ハルカゼがぽかんと口を開ける。
「妖魔に会いました」
「・・・えええっ!?」
ハルカゼが大きな声を出して驚く。
義丸も、千子も驚いている。
「どういうことですか!?」
「え、えーと・・・黙ってたんだけど、一昨日その妖魔に一人で来てくれって呼ばれたんだ」
「な、なぜに?」
「俺たちの国のことを聞きたいと・・・俺の話を聞いて、何かに書いてたし」
「書く・・・?エルさんの話を書に?」
ハルカゼが首をかしげた。
「名前はタマモアヤメっていうんだ。見た目は人間だった」
「タマモアヤメ・・・って、小説家の玉藻菖蒲!?」
「・・・えっ」
ハルカゼと千子がさらに驚いた。
「有名なのか?」
「ええ有名です、とっても。代表作は『狐の雫』といって、舞台化もされた名作です」
ハルカゼの話だと、人間の貴族と両想いになった人間に化けた狐が、自分たちの立場に悩み、二人で心中するという悲恋ものらしい。
「小説も書いてたのか・・・」
「まさか玉藻菖蒲が妖魔だったなんて・・・」
「見た目は人間だけど、耳と尻尾がついてたぞ」
「春風も本で見たことがあるんじゃないかな。正体は恐らく玉藻ノ狐だ」
「ええ、トップクラスの危険度を誇る妖魔と聞いていますが・・・」
エルからすれば、あんな姿を見て危険といわれても全く実感がわかない。
本人も言っていたあたり強いんだろうけど。
「また来てくれって言われたし何度か仕事を抜け出すかもしれないけど、いいか?」
「え、えっと・・・、まあ、呼ばれているのであれば、いいんじゃないですかね?」
自分で言っておいて疑問形である。
「・・・フィラ?」
と、ここでまったく喋らないフィラに疑問を覚えたエルが声をかけてみる。
いくら口数があまり多くないからといってまったく話さないのはさすがにおかしい。
「・・・すー、・・・う、うぅん」
寝ていた。
体育座りの状態でフィラは寝ていた。
体育座りを見て、エルは先ほどのアヤメを思い出す。
一番安心する人間か。
「では、今日はこれで解散にしましょうか。皆さん、ゆっくり休んでくださいね」
「うん・・・お、お疲れ、様・・・」
「はい、お疲れさまです」
「ああ、オツカレサマ」
「・・・すぅー・・・くー・・・」
フィラはもう完全に寝てしまっている。
多分起きないだろう。
「お疲れさま。エル、今日のこと、私は忘れないよ。また明後日」
「ああ、また明後日だ、ノゾミ!」
望は、みんなに背を向け、さっさと帰ってしまった。
「・・・うん?」
その様子を、不思議そうに見るハルカゼ。
一瞬、望の顔が赤く見えたかもしれない。
「・・・ふあぁぁ」
目を覚ますと、時計が差している時刻は2時。
健康的な睡眠時間だ。
眠りについた時間は健康的ではないが。
「フィラがいない」
おそらくフジに料理を習っているんだろう。
エルには料理が分からないので、何も言えない。
「ハルカゼ・・・もフィラの手伝いか何かしてるよな・・・」
腹が減ったのでとりあえず下へ降りる。
「・・・おはよう、エル」
「あら、おはようございます、エルさん」
エルの予想通り、キッチンにはフィラとフジがいた。
しかし、ハルカゼはいなかった。
「ああおはよう。ハルカゼは?」
「・・・おでかけ」
どうやら一人で出かけているようだ。
「・・・ちょうどよかった、エル、食べて」
「おお、味見か。いいぜ」
出てきたのは、焼き魚。
「これは?」
「・・・サイキョーヤキ、っていうらしい」
「強そうだな」
おそらく最強焼きではないだろうが。
「・・・ミソ?」
「・・・そう」
口の中に広がる味噌の味。
しかし味は濃くなく、まろやか。
「うん、おいしい!」
「・・・やった」
「よかったですね、フィラさん」
「・・・フジさんのおかげです」
「そう言われると、教えた甲斐がありますね」
フジがにっこりとほほ笑む。
「フィラの料理のレパートリーが増えるな!」
「・・・もっと覚えて、いっぱいエルに食べてもらいたい」
「なんだか、花嫁修業をさせている気になりますね」
フジがなんだか懐かしげにしている。
「春風にも、私が死ぬ前に教えられることは叩き込んであげたいものです」
「し、死ぬって・・・」
「もう私はオババですからね、いつ死んでもおかしくないのですよ、ほほほ」
笑いながら言うフジ。
年を取るとこうなるのかと思うエルだった。
しかたないので街を一人で出歩いてみることにした。
「クルマなんてあっちじゃ走ってないもんなあ・・・」
エルガンデとは違い、道に四角い箱が走っている。
それもたくさんだ。
「・・・なんかあのクルマ高そうだ」
エルの視線の先には、やたら金色の装飾が付いた黒塗りの車が走っている。
派手で目立つ。
「って、乗ってるのはヨシマルか」
車の中で、義丸が誰かと話している。
「ということは、ヨシマルは金持ちというわけか」
車の中の義丸は、特にエルに気付くということもなく、どこかへ行ってしまった。
街には店がたくさんあり、人でかなりにぎわっている。
何度見ても、夜の静かさが嘘かのようだ。
「今日も妖魔が出たりするのかな?」
夜中のことを思い出す。
あの時助けていなければ、望はどうなってしまっていたのだろう。
殺された人間というものを見たことがないエルは、その先がよく分からない。
分かって得をするというわけでもないのだが。
「門で人助けか・・・魔決闘の時とは大違いだな」
魔決闘なら、門はフィラや自分の移動、攻撃にも使える。
こっちでは、門が妖魔に効くかはわからない。
「普通に俺も攻撃魔法が使いたいぜ」
一人ごちるエル。
「・・・お、ニホンのお菓子か」
街のはずれの辺りまで来たところで、お菓子を売っている店を見つけた。
少し離れたところにあるためか、客はあまりいなさそうだ。
「・・・いらっしゃいませ」
店に入ると、小さい声が聞こえた。
聞き覚えのある声。
「あ、チコ」
「あれ?・・・エル?」
千子だった。
店の看板には桜河と書いてあった。
「そういえばチコの名字は桜河だったな」
「・・・そう、ここ、私の・・・お店」
店の中には甘い匂いが漂っている。
「何か、買ってく?」
「ん、そうだな・・・じゃあこれで」
エルが指差したのは、ようかん。
ハルカゼがエルの家に泊まっていた時、一番最初にくれたものだ。
「これ、おいしいんだよな」
「ようかん、ね・・・5銭だよ」
「じゃあ、これで足りる?」
「・・・うえっ!?」
エルが出したのは、1円。
ようかん1本買うのには、十分すぎる金だ。
「ど、どうかしたか?」
「・・・ご、5銭、だよ?」
「え、えっと・・・どれ?」
「お、おさいふ・・・見せて」
そういわれ、財布を差し出すエル。
「・・・ぶあつい!?」
珍しく千子がかなり驚いている。
「せ、銭は・・・こっち。紙の方・・・じゃなくていい」
「ああ、そうなのか。じゃあ、この金属5枚でいいってことか?」
「・・・そ、そう」
「じゃあ、はい」
「あ、ありがとう・・・」
やっとのことでようかんを購入できたエル。
「金のこと・・・勉強したほうがいいか」
「そう、だね・・・私が、教えて・・・あげる」
「店番は?」
「お母さんに・・・任せる。こっち、きて・・・」
そういって、エルは千子の家に上がることになった。
「ありがとな。おかげで金の価値が分かったよ」
「春風、に・・・教えて、もらわなかった・・・の?」
「そういえば教えてもらってない」
「大事なとこ・・・」
千子がジト目でエルを見つめる。
「そういえばフィラも知らないはずだし、あとで教えてあげないとな。明日教えよう」
「ちゃんと・・・教えて、あげて」
「わかったよ」
「じゃあ、また・・・夜に」
「おう、またな」
エルは店を後にした。
「ただいまー」
「・・・」
「大丈夫です、靴は脱ぎました」
「そう、それならよかったです」
玄関で無言で見張っていたフジがにっこり笑う。
こんなことされれば自然と靴なんて脱ぐようになるだろう。
「えっと、フジさん、フィラは?」
「お料理の練習でずっと立ちっぱなしでしたからねえ・・・、お部屋でお休みになっているかと」
「わかりました、ありがとうございます」
「フィラさん、飲み込みが早いですねえ」
「ん?えーっと・・・」
その言葉に、エルは首をかしげる。
飲み込みが早いとはどういう事だろう。
フィラは食べ物をあまりよく噛まないということだろうか。
「覚えるのが早いということですよ」
「あ、そうなんですか」
やはり日本語は難しいと、エルは思う。
「フィラ、ただいま」
「・・・おおう」
2階へ上がり、部屋の扉を開けると、フィラが変な体勢で転がっていた。
「何があったんだこれ」
「・・・腰と、足が、痛い」
これが立ちっぱなしで料理の練習をしていた影響か。
「・・・エル、マッサージを、要求する」
「えー・・・」
「・・・お願い」
床で体を投げ出しているフィラがおもしろくてそのままにしていたいという気持ちがエルにはあった。
「つんつん」
「うひゃっ」
足の裏をつつくと、フィラがびくんと反応した。
面白い。
「つんつん」
「ぶっ殺す」
「ごめんなさい」
最近、エルは日本の謝り方を知った。
体を小さく折り、額を床に当てる。
これが完全なる謝りのポーズらしい。
「・・・見事なドゲザ。許そう」
「カタジケナイ」
結局あの後フィラにこき使われ、フィラのマッサージをしてあげた。
「さあて、今日も楽しい楽しい仕事だ」
「・・・やろーぶっころしゃー」
「どこで覚えたんですかそんな言葉」
ハルカゼがフィラの発言に微妙な反応を示した。
水川神社には、すでにみんな集まっていた。
「春風さん、エルさん、フィラさん、こんばんわ!」
一番先に反応したのは、夜でも元気のいい義丸だ。
「・・・ヨシマル、声、大きい」
「はい!ごめんなさいフィラさん!」
「・・・分かってない」
フィラがため息をついた。
「エルくん!フィラちゃん!二日ぶりだね!」
今日は元気なのがもう一人いた。
昨日は静かだったから余計に元気に感じる。
「そうだな、イノリ」
「さー今日のパートナーは誰かなー!」
「僕のパートナーになりたい人はいますか!」
義丸も祈もなかなかうるさい。
「じゃあ、そうですね、義丸くん、今日は私と組みましょう」
「分かりました!なんか久しぶりですね!」
義丸のテンションが上がる。
こうしてみると、なんだか義丸が犬のようだ。
「・・・エル、私と組もう」
フィラがエルによってくる。
「大丈夫なのか?」
「んー、警備だけなら問題ないかと。でも、もし妖魔が現れたらすぐに爆柱で知らせてくださいね」
「・・・分かった」
「じゃあ、私は千子とだね!」
「うん・・・祈、私と」
初めてフィラと組むことで、エルの中にほんの少しだけ、不安が生まれる。
この仕事を始めてからまだ3日だ。
まだ慣れたとは言えない。
それに、望と一緒にいて分かったが、妖魔はかなり強い。
いくらフィラが超火力とはいえ、大丈夫だろうか・・・?
「・・・私たち、一緒ならさいきょー、でしょ?」
「あ、ああうん、そうだな。最強だ」
最強。
その言葉に偽りがないことを信じて、エルたちは夜の街へ歩き出した。
「・・・」
「・・・」
2人とも、無言で進んでいく。
特に何も起こることはなく、静かな夜の街を歩く。
『坊やー』
突然、エルの頭の中に声が響いた。
「うおうっ!?」
「・・・えっなに」
驚くエルを見てさらに驚くフィラ。
この声はアヤメだ。
「え、えっとあれだ、昨日言った、妖魔の人だ。話しかけてきた」
「・・・へえ」
『その隣の小さいのがフィラじゃな?一瞬男かと思ったぞ』
「・・・声聞きゃわかるだろうが」
『お、怒らないでおくれ』
エルの声を聴き、少しあわてるアヤメ。
『わ、わらわはお主に教えることがあるのじゃ!』
「なんだ、また来てくれってか?」
『違うのじゃ。今この街には妖魔がおる。おそらく人間を食べるために動き回ってるはずじゃ。・・・近いぞ』
「・・・!」
アヤメの言葉に、緊張が走る。
「・・・エル、どうしたの」
「フィラ、近くに妖魔がいるらしい。探すぞ」
「・・・っ!」
フィラも身を締め、当たりを探し回る。
「アヤメ?どんな妖魔かはわかるか?」
『わらわもさすがにそこまで万能で無いでの。すまぬ、分からぬのじゃ。・・・じゃが、お主らの言う巨入道よりは強い妖魔じゃ』
「・・・マジか」
昨日、エルたちは巨入道2体に囲まれ、危機に陥った。
それより強い妖魔となると・・・。
『ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああ!!』
近いところから、男の悲鳴が響いた。
「っ!フィラ!爆柱!」
「・・・うん!」
フィラがローブの中から爆柱を取り出し、炸裂させる。
大きな火柱が上がり、自分たちの居場所を知らせる。
「フィラ、探しに行くぞ」
「・・・うん」
悲鳴が聞こえた方向へ、エルたちは走りだした。
「こ、これは!」
「・・・っ!」
目の前の光景に、エルたちは声を詰まらせる。
そこにあったのは、若い男の遺体だった。
生気を奪われ、全身の皮膚は白く変色している。
「フィラ、見るな!」
「・・・い、いやっ!あっ・・・!」
フィラの動きが止まった。
フィラの視線の先にいたのは―――男性のような見た目の、妖魔。
すらりと高い身長で、着物をまとっている。
顔には狐の仮面を付け、右手に持っているのは刀。
エルたちがどこかの本で見たことがあるサムライのような見た目だが、黒く変色した腕と、後ろに伸びた一本の大きな尻尾が人間でないと否定している。
『・・・人間』
その妖魔はエルたちに気付いたのか、刀を構えた。
どうする。
「門!フィラ!入れ!」
急いで門を展開し、フィラとその中に入る。
一瞬で妖魔の後ろに移動し、妖魔の視界から消えることに成功した。
『・・・?』
「エルさんっ!フィラさんっ!大丈夫ですか!?」
「僕が助けに来ましたよ!」
その時、ハルカゼと義丸が駆けつけた。
『シャー!!』
妖魔が振り向き、口から紫色の煙を吹き出した。
視界が紫色に染まった。
「エルさん!逃げてください!」
「・・・きゅう」
ハルカゼがそういうも、フィラがその場にへたり込んでしまった。
「エルさん!そこにいてはいけません!」
「で、でもフィラが!」
「いいからっ!」
妖魔の仮面が笑顔に変わる。
そして、刀を振りぬいた。
瞬速の剣閃が、エルたちに襲いかかる。
「避けてっ!」
ハルカゼが叫ぶ。
「門っ!」
展開した門の中に飛び込み、少し上からエルが現れる。
しかし、へたり込んでいたフィラが避けることはかなわなかった。
剣閃がフィラをとらえ―――フィラの首が飛んだ。
「え・・・?」
びちゃっ、と、エルの顔に何かがかかった。
ぬるりとした感触、手を見ると、真っ赤に染まっている。
「な、な・・・んだ、これ」
フィラの方を見ると、首から上がなく、頭のあった所からは、大量の血が噴き出している。
頭は、エルの近くにまで転がってきていた。
「あ・・・あ、あぁ・・・」
妖魔は怖いと聞いた。
確かに昨日、助けがなければエルと望は食われていたかもしれない。
でも、人間がこんな一撃で殺されてしまうなんて。
それも、知らない人とかではなく、エルが一番よく知っている女の子。
今までずっと一緒にいた、一番近くにいた女の子。
「お、おい、フィラ・・・」
皇帝になると約束し、結婚の予定だって取り付けた。
それが今、一瞬で水の泡と化した。
「あ・・・ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
嘘だ、こんなの絶対嘘だ。
そんなことを思いながらも、目の前にあるフィラの頭がそれを否定する。
「許さねえ・・・絶対殺してやる・・・許さねえ!!」
「エルさんっ!!」
殺す、とは言ったものの、エルには攻撃手段がない。
できるのは、仲間の補助くらいだ。
「ハルカゼぇっ!!火をつけろぉ!!!!気界!」
初めて使う魔法だ。
風が巻き起こり、当たりに酸素が充満する。
「え、あ、はいっ!!鬼火っ!!」
エルの殺気に応え、たくさんの炎の弾を出すハルカゼ。
炎の弾は一気に勢いを増し、酸素の力によって大爆発を引き起こした。
爆発は、事故を疑うほどの大きさ。
爆風で妖魔の身体は四散し、辺りを包んでいた紫色の煙も晴れた。
エルは爆発の光で目が灼かれ、辺りが見えなくなってしまった。
「エルさん、大丈夫ですか!?」
「妖魔はいなくなりましたよ。エルさん、無事ですか?」
声から、ハルカゼと義丸のものだと分かる。
「すごいですね、エルさん!あの威力の爆発、僕興奮しちゃいましたよ!」
その言葉に、エルは苛立った。
先ほど、妖魔によってフィラは殺された。
死んでしまった人間とは、もう2度と会えないのだ。
「・・・エル、大丈夫?」
そう、この聞こえている声だって、フィラはいるものだと思い込んでいる自分の幻聴なんだ。
「・・・エルー?聞こえてる?」
そう、フィラとはもう2度と・・・。
「・・・おいコラ無視すんな」
ぺちんと、頬を叩かれた。
「・・・ん?」
今目がよく見えないのでわからないが、なぜかフィラの声が聞こえる。
「え・・・?フィラ?フィラなのか?」
「・・・私以外の何に見えるの」
「えっゴメン今ちょっと目が見えなくて・・・」
まだ辺りが白く見える。
「あ、そうなんですか?エルさん、僕が治してあげます。聖光!」
視界が一気に暗くなった。
そして、目の前にいたのは、さっき死んだはずのフィラ。
「え・・・?は?なんで?フィラ、首は?」
「・・・なんのこと?」
フィラが首をかしげる。
しかし、そんなことはどうでもいい。
「フィラ!!」
「・・・えっ、なに」
エルがフィラに抱きついた。
突然のことで、フィラも結構驚いている。
さっきのはなんだったんだ。
「エルさん、さっきの妖魔なんですけど、剣狐といいまして、幻覚効果のあるガスを吐き出すんです」
「げ、幻覚?」
「はい、それで、フィラさんはその場で眠ってしまい、エルさんは幻覚を見せられた、という事なんです。あの範囲から出られれば何が起こっていたかはわかったはずなんですけど・・・」
「ええ?ああ・・・そういう・・・はあぁ~・・・」
エルはフィラを抱きしめたまま、大きくため息をつきその場にへたり込んだ。
「・・・え、エル、ちょっと、これ、恥ずかしい」
「エルくんっ!?さっきすごい爆発が・・・あれ?」
「え、エル・・・何して、るの?」
結構遠くにいたのだろう。
今頃になって祈と千子が駆けつけた。
タイミングがあまりよろしくないが。
「・・・爆発で起きてみたら、エルが泣きながら大声を上げてるし何事かと思ったよ」
「いやだってもう・・・お前に会えないと・・・」
「・・・なんのことだろう」
エルだけがあの時幻覚を見た。
あんな経験、絶対にしたくない。
と、その時、
『大丈夫かの!?』
とん、と音を立てて、白い、大きな狐が現れた。
「・・・え、何してんの」
『え、とはなんじゃ。坊やが心配で見に来たのに』
「てか、その姿内緒なんじゃなかったのか」
『・・・あっ』
このキツネ、アホである。
「・・・妖魔!」
フィラが身構えた。
「あ、ちょっと待ってフィラ。そいつ倒すべきやつじゃないから」
「・・・そうなの」
ハルカゼや千子は、その狐の美しさに思わず見とれてしまっているようだ。
『まあ、みんなわらわのことは知ってるみたいだし、大丈夫じゃろ』
「そんなもんなのか?」
『攻撃されれば逃げるがの』
「逃げるのか」
『痛いのは嫌じゃ』
エルとアヤメのやり取りを、義丸は首をかしげながら見ていた。
「えーと、春風さん、あれって、かつて最警戒対象だった妖魔ですよね・・・?」
「まあ・・・そういわれれば、そうですね」
「でもあの狐さんが小説家だって、望が言ってたよ!」
ハルカゼも祈も、なんだか不思議そうだ。
『攻撃されないみたいじゃな。よし!』
そういって、アヤメが一瞬で姿を変えた。
「おおっ!?」
その姿に、義丸が目を見開く。
「に、人間の体に耳と尻尾が!それにしてもお美しい!」
「・・・義丸くん、ああいう見た目の人が好きなんですね」
「い、いいえ!ただ、かなり美人だと・・・」
義丸があわてる。
「・・・シッポ、気になる」
フィラは手をわきわきと動かし、アヤメの尻尾を掴んだ。
「きゃんっ!?」
その行為にアヤメは体を大きく揺らした。
耳と尻尾も一緒に逆立った。
「お、お主何をするのじゃ!?」
「・・・気になった」
「か、勝手に触ってよいものでは・・・ひゃん!」
今度は後ろから手が伸びてきた。
「誰じゃっ!?」
「・・・気になった」
そういってアヤメの耳に触れたのは千子だった。
静かにしていると思ったらこれか。
「わ、わらわの耳と尻尾に触るでない!エルの安否は確認したし、わらわもう帰る!」
そういってアヤメはまた狐の姿に戻り、さっさと帰ってしまった。
「おちゃめな方ですね」
「ああ、まあ、子どもなのか大人なのかよく分からん」
「面白いじゃないですか」
確かに、アヤメが来てくれたおかげで沈んでいたエルの心もいつの間にか晴れていた。
フィラと一緒に仕事できないのは心配だけど、明日からもフィラとではなく、4人のうちの誰かと組もうと思ったエルだった。