〒 エミリオン王国
私は一体、どこから来たのだろう。
オレンジ色に染まる町の大通り。大きな噴水の淵に腰掛け、アリアは考えていた。
行き交う人々。建ち並ぶ家や店。
ごく当たり前のような光景だけど、絵本から飛び出してきたようなそれは、少なくとも日本のものじゃない。
佐々木有亜、14才。
ごくごく普通の中学生である有亜・アリアが、なぜこんな異世界のようなところにいるのか。アリア自身が一番混乱していた。
噴水に映るのは、黒い髪に黒い瞳、ごく普通の日本人の自分。白いワイシャツに紺色のスカートという制服姿が、このヨーロッパに似た町並みになんとなく浮いているような、そんな感じ。
…まぁ、悩んでいても仕方ないや。アリアは立ち上がって、あたりを見回した。ふと視界の片隅に、重そうな荷物を2つ抱えふらついている女性の姿が見えた。
「手伝いましょうか?」
アリアは駆け寄って、荷物の1つを持つ。やっぱり重い。米10kg分ぐらいかな…。
「あら、ありがとうね。今からこれを家に入れるのだけど」
「大丈夫ですよ」
すると通りに並んだ家のうちの一軒から小さな男の子が出てきた。
「お母さん、おかえり!」
「ただいま。すぐごはんにするからね。手を洗ってらっしゃいな」
男の子はアリアをちらと見てすぐに家の中に入った。家の物置まで行き荷物を置くと、女性は夕ご飯の支度に取り掛かっている。
「ありがとう、助かったわ。これ、お礼といったらなんだけど…」
そう言って、アリアに、一枚の銀貨を渡した。
「ついでですから、ご飯も食べていきませんか?」
そんな、いいんですよ。そう言おうとした途端、お腹がきゅるると鳴ってしまった。女性は笑いながらアリアを家の中に招き入れた。
「さてと、おいしいご飯もいただいたし。どうしよう…」
すっかり暗くなった頃。アリアは銀貨一枚を握り締め、再び大通りに来ていた。どの店も閉める準備をしつつある。
「ん?」
アリアが見つけたのは、雑貨屋みたいなお店の前にあるワゴン。
[均一コーナー 銀貨一枚]
アリアは女の子、こういう雑貨屋を覗くのも楽しい一時だ。ワゴンの中にはハンカチや羽ペンなどが並んでいる。
ふと、アリアはそのすみっこに隠れるように置いてあったものを見つけた。手に取って見てみると、小さな折りたたみのナイフらしい。
「あぁ、お客さん、それ、ペーパーナイフだよ」
いつの間にか、ゴツいおじさん(店主かな)が隣に立っていた。
「ペーパーナイフ、ですか?」
「あぁ。ページをこれで切って読むタイプの本用だ。買うか?」
「…はい」
欲しい、というより、ゴツいおじさんの迫力に圧倒され、アリアはつい買ってしまった。
「毎度あり。待ってな、紙袋に入れるから」
そう言って奥に引っ込んだおじさんは、ちょっとすると小さな紙袋を持って現れた。
「ありがとうございます」
「また来いな、サービスするぜ」
イカツいしゴツいけど、人はすごくいい。
「はい、また来ます!」
その時だった。
何の前触れもなく暗闇の中から、突然、黒い影が2つ現れた。
「!?」
「まずい、ヤツだ!お客さん逃げろ!」
訳がわからないままアリアは紙袋を抱きしめ、夢中で走り出した。おじさんの怒鳴り声が遠ざかっていく。
「…ヤツ、って、なんだろう?」
大通りからすっかり離れた路地裏。ここまで来れば大丈夫だろうと、アリアは息を落ち着かせていた。
おじさん、大丈夫かな。
紙袋から、買ったばかりのナイフを取り出す。木の柄のしっぽには緑色の水晶がはめ込まれていて、軽く振ると刃が出るシャキンという音がし、星明かりに反射して輝いた。
「きゃああぁぁっ!!!!!!!」
静寂を切り裂く、女の人の悲鳴。
アリアはナイフを握り身構えた。もしかしたらさっきの黒いヤツらかもしれない。路地裏から、悲鳴があがった表通りを覗く。
…いた。
女の人が、黒い影に追い詰められ、逃げ場を無くしていた。
アリアは意を決し、そっと、黒い影に近づく。その気配を感じとったのか、黒い影が振り向いた。アリアはビクっとし、とっさにナイフの水晶を握った。
すると。
パアァンっ!
「!!!?」
白い光が、アリアの手元から発せられた。その光の鋭さに、黒い影も後ずさりする。
光がはじけると、アリアの手には自分の身長の半分以上はある剣が。無意識にアリアはその刃先を、光にひるんでいた黒い影の喉元に突きつける。
黒い影が揺らぐ。
「ホウコク、ホウコク…。うえサマニ、ホウコク…」
黒い影は片言で何かを呟き、そして、ふわふわと浮いた。月夜に照らされたシルエットは2つ。そのうちの1つが抱えていたのは、ゴツい筋肉質の中年男性。
「おじさんっ!?」
さっきの雑貨屋のおじさんだった。
「…ホウコク…」
影が彼方へ遠ざかっていく。アリアはただそれを、呆然と見送ることしかできなかった。
「…あの、大丈夫ですか?」
ふと我に帰ったアリアは、放心状態で星空を見つめている、さっき襲われていた女の人に声をかけた。どこか上品な雰囲気のその女の人は、すぐにハッとしてアリアに向き直った。
「ありがとうございました!あなた、お名前は…」
「…名乗るほどの者じゃないです」
アリアは女の人に背を向け、路地裏に戻り闇に隠れた。1つ深呼吸をして、そこでアリアは一晩を過ごした。
翌朝。
「おい、お前さんや」
声がする。
アリアは目を覚ました。
目の前には、1人の、細身の老人がいた。
「お前さん、絵が描けるのかの?」
「えっ、なんでですか?」
「手じゃよ」老人は言う。
「お前さんの手は、絵描きの手じゃ。それもなかなかのな」
アリアは学校で美術部に所属していた。そこでいくつか賞もとっている。
それが一目でわかった。この人は一体…。
「あの、あなたは」
「絵描きのアルディじゃ」
そう言い、目を細めた老人。淡い茶色のベレー帽を被ったその姿は、確かに、絵描きとしか言いようがない感じがする。
「お前さん、行くあてが無いと見た」
ギクっ、当たってる。実際前の日から何が起こっているのかも、アリアは見当がつかずにいた。
「そこでじゃが…、私の弟子にならんかの?」
日の出の光が老人を照らす、つまり今は早朝だ。この人、寝ぼけているのだろうか。そう思っていたら、老人は大きなバッグを持って立ち上がり手招きをした。アリアはため息を少しついて、老人に付いていくことにした。
老人・アルディは、昨晩黒い影と対峙したあの大通りで足を止めた。遊んでいた子供達が、アルディを見るなり駆け寄ってくる。
「おじいさん、今日は僕が描いてもらう番だよ!」
「ちょっと、あたしだってばぁ」
「ほほっ、可愛らしいもんじゃろう」
抱きついてくる子供達の頭を撫でるアルディを見て、なるほど本物なのだとアリアは思った。
「大丈夫じゃよ。今日からこのお姉ちゃんも一緒に描くからの」
子供達の視線が、一気にアリアの方へ向く。
「お姉ちゃん、本当に絵が上手なの?」
きょとんとしてそう言った男の子は、どこかで見たような。
「もしかしてキミ、昨日の家の子?」
昨日ご飯をご馳走してくれた家の男の子だった。
「ああ、昨日のお姉ちゃん!ね、僕を描いて描いて!」
「いいけど、紙と道具が」
アルディと目が合う。
「…ちょいと待っての、準備するからの」
アルディは噴水の淵に腰掛け、持っていた大きなバッグを開いた。
「見て見て!お姉ちゃん、上手だよ!」
しばらくして。男の子の似顔絵を描き終えたアリアの前には、数人の子供達が並んでいた。隣にいるアルディにも、同じくらいの人数がいる。
「楽しいもんじゃろう?」
「はい、とっても!」
アリアは笑顔で、サラサラとペンを走らせる。
「…でもさ、昨日のお姉ちゃん、だよね?」
アリアのそばで遊んでいた昨日の男の子が、アリアを見つめる。
「そうだよ、どうしたの?」
「だって、昨日のお姉ちゃん、髪が真っ黒で、目も黒かったよ?」
「…え?」
アリアのペンが止まる。
「ねぇもしよかったら、私の似顔絵を描いてくれない?」
「描いていいの?やったー!」
そして、アリアが並んでいた子供達の似顔絵を一通り描き終えた頃。
「出来たよ!」
男の子が画用紙を差し出した。
「ありがとう!どれどれ……」
アリアはその似顔絵を見て画用紙を落としてしまった。そこに描かれていたアリアは、髪と瞳が、緑色だった。
「アルディさん」
昼食に入った食堂で、アリアはアルディに、さっきの男の子が描いた似顔絵を見せた。髪の長さや目の大きさは自分の記憶通りだけど、色が全く違う似顔絵。
「私、こんな感じなんですか?」
「そっくりではないか。この緑色の具合やバランス、あの子は才能があるわい」
アリアは目の前が真っ暗になった。
もしかして。
「…私の髪と目の色って、こんな感じですか?」
そう言って取り出したのは、昨日買ったナイフ。その水晶の部分は、鮮やかで透明感のある緑色だ。
「そう、まさにこの色だの」
アリアは言葉を失った。
昼食を終え大通りに戻ると、役人らしき人達が噴水の前に立て札をかけていた。
そこに書かれていたのは、アリアには読めない文字。そして、緑色の髪で緑色の瞳の女の子が、剣を持っている絵だった。その剣も、尾には緑色の水晶が。
「心なしか、お前さんに似ておるの、ほほっ」
「まさか、気のせいですよ」
その日アリアは、彗星のごとく現れた新人絵描きとして注目され、依頼が殺到。アルディ曰く1ヶ月暮らしていけるほど、という報酬を得た。アリアはふと思いついた。
「あの、これで何か買ってきていいですか?」
「いいとも。自分で稼いだんじゃ、お前さんが使いなされ」
アリアがまず入ったのは、服屋。
淡い茶色のポンチョとブーツ、濃い茶色のスカート、赤いリボン。絵描きらしい服を一式選ぶと、女店主が「もしかして、アルディ先生のお弟子さん?」と聞いてきた。
「そ、そうですが」
「まぁ!どおりで。先ほどはうちの娘を描いていただいて…」
どうやら朝並んでいた子供達の中に、このお店の娘がいたらしい。
「どうも、ありがとうございました!頑張ってくださいね」
「いえいえ、こちらこそ。頑張りますよ」
「ふふっ。はい、これおまけ!」
店主さんが渡してきたのは、淡い茶色のベレー帽。アルディのものに比べると少し色が濃い。
「ありがとうございます、このお礼、きっとしますよ」
「あらまぁ、ごひいきにい♪ …あ、そうそう、聞いた?雑貨屋の旦那さん、ヤツに連れ去られちゃったって」
アリアの表情が固くなる。聞いたもなんも、この目で見たのだから、知っていて当然だ。
「ヤツ、って、他にもさらっていったんですか?」
「えぇ、あの旦那さんで10人目くらいかしら? 何せここエミリオンの国王様がさらわれちゃうし、王女様でしょ、材木屋のご夫婦に…」
この国では、あの黒い影はかなり深刻な問題らしい。
「その人達は、今、どこに?」
「それが分かれば苦労しないわよ」女店主は溜め息をつく。
「とにかく、アリアちゃんだっけ?気を付けてね」
「わかりました、ありがとうございます」
次に行ったのは絵の具屋。このお店のお兄さんはアリアを見るなり、珍しい色の絵の具を紹介してきた。しかしアリアは、店の隅のある物に目が釘付けになっていた。
「あぁ、これですか?」お兄さんがアリアの目線の先のものに気がついた。
「絵の具や筆を携帯する時のベルトポーチです。いかがです?」
「えっと、あ、これがいいです!」
アリアは白いベルトポーチを指差した。
「絵の具はこの赤と、青と、黄色と、緑と、黒に白、あとパレットは木のものが欲しいです」
「はいはい、あとは?」
「筆を、太いこれと、普通のと、小さいの、これで以上です」
「毎度あり!アリアちゃん、たまには来てね!」
これだけ豪勢に買ってもお金は余った。そろそろ夕飯の時間だ。アリアは焼きたてのパンをいくつか買い、アルディのもとへと急いだ。
アルディは噴水のそばで、バッグに荷物をしまっているところだった。
「おかえりなさい、アリア。いいにおいがするの」
「パン買ってきました。焼きたてですよ、食べましょ?」
「おお、ありがとの。よくできた孫を持って、わしゃ幸せじゃ」
「孫じゃないですよ」
「ほっほっほっほ」
その頃、エミリオン王国の玉座の間。
「王子様、あの黒い影が、今度は雑貨屋の店主を襲った模様でございます」
「王子なんて恐れ多いですよ、じいや。王女様の婚約者ってだけで、僕自身はただの一貴族なのだから」
「しかし、王様も王女様もいない今、あなた以外王族がいないのでございます。王様が帰ってくるまででも、威厳を持って頂かないと…」
「承知してます。にしても、あの黒いヤツら、一体何をしたいんだろうな、まったく」
それからしばらくの時が過ぎ、1ヶ月が経った。
アリアも絵描きの仕事にすっかり慣れていた。腰には白いベルトポーチ。筆を入れるところに隙間が出来たので、あのナイフが入っている。
いつも通り子供達の似顔絵を描いていた時。
「アリアさん、ですか?」
自分を呼ぶ声。見上げると、そこには、青い羽がついた白いハットを被り、マントを羽織った銀髪の男の子がいた。年はアリアと同じくらいだろうか。
「アリアです」
「やっと見つけた」男の子は、ほっとしたかのように息を吐いた。「探したよ」
「えっ、どうしてですか?」
「実は後で話があるんだ。仕事が終わったら、オルガ家の屋敷まで来てくれ」
「は、はい……?」
夕暮れ時になり仕事が終わった。
「ああ、オルガ家の屋敷というのはな、あそこじゃよ」
アルディが指差したのは、すこし遠くにある大きな豪邸。男の子は高貴そうな身なりだったし、あそこの家の人なのかもしれない。
「ではいってきます」
「気を付けての、アリア」
屋敷の入り口にはさっきの男の子がいた。
「そろそろじゃないかって思ってたんだ。ちょっと待っててな」
しばらくすると、ピンクのウェーブがかかった豊かなロングヘアをなびかせながら、ふんわりとしたワンピース姿を着た女の子が現れた。その少しあとに、だぼだぼのズボンを履いた赤髪の男の子が走って来る。
「全員そろったな」
赤い髪の男の子がボソっと言った。
「じゃあ、紹介するよ」白いハットの男の子が、うやうやしく帽子をとった。
「まず、こいつはサクラ」白いハットの男の子は、おっとりとしたピンク色の髪の子を手で示した。
「先日は姉を助けてくれて、ありがとうございました、アリアさん」
「え、姉?あ、もしかして、あの黒い影に襲われてた女の人の」
「妹です」
「なるほど、よろしくお願いします」
「で、こいつがタクユキ」今度は無愛想な赤毛の男の子だ。「材木屋の息子で、この間の格闘大会のチャンピオンだ」
「どうも」
赤毛の男の子・タクユキは、ペコっと頭を下げた。
「あれ?材木屋ってたしか」
「あぁ、こいつの両親は黒い影に連れ去られたんだ」
「よろしくお願いします、タクユキ」
「よろしく」
「そして」白いハットの男の子は、自分を指差した。「俺はリート•オルガ。この屋敷の次男だ」
「よろしくお願いします、リート」
「よろしくアリア。それでこのメンバーに集まってもらったのには、理由があるんだ」
「あの黒い影の正体を知りたいんだ」
サクラ、タクユキも頷く。
「旅に出てようと思ってるんだ。さらわれた人達を助けるのが、俺らの最終目的なんだけど」
「このエミリオン王国だけじゃないと思うんですよ。南の方にあるサルエマ砂漠王国もだし、北西にあるラフタ村なんて壊滅状態だって聞いてます」
「一度黒い影とやりあったお前なら分かると思うんだ。あいつらは、ただ連れ去っていってるわけじゃない。あっちも目的がある。それがとてつもなく恐ろしいものだと思うんだ。そうじゃなきゃ、国王までさらう必要ないだろう。ましてや、オレの両親まで」
「救いたい人がいるんだ」
「だから」
「一緒に旅してくれないか」
「…リート、サクラ、タクユキ」
3人がアリアを見つめる。
「名前、覚えたよ」
「来てくれるのか?」
「もちろん!ただ…」
「ただ?」
3人の目を見て、アリアは言った。
「これから話すことを、信じてくれれば、ね」
アリアは話した。
自分はこの世界の人ではないこと。
気がついたらこの世界にいたこと。
雑貨屋の店主が連れ去られるのを見たこと。
ペーパーナイフのこと。
「…なるほどな」
タクユキがこくこくと頷く。サクラも、リートも。
「俺は信じる」
「私も信じますよ」
「オレも」
「仲間という関係は」リートは言った。「信頼することから始まる、って言うしな」
「いつ出発するの?」とサクラ。
「明日でいいか?」
「オレはOK」
「私もです」
「アリアは?」
アリアは言葉に詰まった。
アルディがいる。
「ちょっと待ってて!」
アリアは、大通りへと走り出した。
「アルディさん!」
「おぉ、おかえりアリア。どうしたのかね?」
「…そうか、あの黒い影をのぉ」
「アルディさん」アリアは絞り出すように言った。「私、行ってもいいですか?」
「もちろんじゃよ」
即答だった。
「どうであれそれがお前さんの人生。そうじゃろう?お前さんはお前さんが決めたところへ行けばいい。お前さんはまだ若い。世界というものを、とんと見てくるとよい。ただし」アルディは、微笑んで言った。
「必ず、ここに帰ってくるのじゃぞ」
「アルディさん…」
涙が頬を伝う。アルディはアリアの頭をそっと撫でた。
「いいよ、って」
「おぉ!良かった」
「ただし、必ず、ここに帰ってこいって」
「……」
「必ず、帰ってこい、か」
「待ってくれる人がいる、ってことか」
「頑張ろう!」
「「「「おぉーー!!」」」」
そして、次の日。
晴れた空の下、アリア達は、エミリオン王国を後にした。