第九話 『ちょっと待て、何があった!』
「ふぁぁ……」
何か夢を見ていたような気がする。全く覚えていないならそんなに面白い夢じゃないな。
トントンと何かを叩く音を聞いて目を覚ました俺は周囲を軽く見渡す。窓の外はまだ暗い。
「お、起きたのかい?」
蝋燭の火程度の小さな明かりの下でリベールさんが紙のようなものを揃えて纏めるといった仕事をやっていた。
「これは何をしているんですか?」
少し興味が湧き、俺は纏められた紙を眺める。妙な色をしている紙は例えるなら黄ばんだ白いシャツ。
「あぁ、コレはオルタルネイヴで仕入れた布で、一度水で濡らし天日干しで乾燥させて油をしみこませて使うもんさ。そろそろ夜道も格段に暗くなってくる時期だからね」
「へぇ……なんとも使い方が解らないですけど」
リベールさんは一度手を休め、椅子に座ったまま身体を俺に向ける。軽く顎で空いてる椅子を指したので、俺はリベールさんの正面に椅子を移動させ座る。面接の気分だな。
「で、アンタ…なんか訳ありのようだけど、差し支えなかったらあそこに居た理由とか話してくれないかい?」
「……」
一瞬迷ったが隠してもしょうがない。
「俺、そのコールなんちゃらとしてこっちに呼び出されたんだと思います」
リベールさんは口を挟もうとしたが、黙って先を促す。
「で……実は俺、戦争とか戦とか全く関係のない所の人間で恥ずかしい話、戦が怖いんですよ。最初の約束ではそのまま元居た場所に返すって話で、一ヶ月ぐらいはこっちの文字の読み書きとか、文化とか教えてもらってたんですけど…昨日急に戦の訓練のようなものをさせられて。最初は何かの間違いなんじゃないかって思ってたんですけど、夜中に俺に色々教えてくれている人物と偉そうな人が話している内容を聞いちゃって……」
「それで逃げ出してきたって訳?」
「はい……」
リベールさんは一度考えるように唇と顎を手で隠しちょっと姿勢を正した。
「戦の無い世界ねェ…ちょっと信じられないけど、アンタの持っていたけいたいとかいう奴を見れば何となく解る気もするけどさ…でも、アンタ後悔はしてないの?」
後悔? 逃げ出したことの後悔なのか?
どうなんだろうか。まだイマイチ実感が無いからわかんない。
「後悔しては…いや、まず後悔しているかもわからないですね」
「まぁ、それもそうだろうね。そんなに早く後悔するくらいなら今此処に居るわけも無いか」
リベールさんは軽く頷くと声のトーンを一つ落とし、話しかけて来る。
「アタシ達はぶっちゃけスピリットや、領主や国同士の戦なんて迷惑でしかないんだよ。今はそうでもないけど、此処の町はアド帝国とルノ帝国の前線の間にある町でさ、町の近くでよく戦が行われていたよ。何の力の無いアタシ達にとっちゃ良い迷惑さ」
「町人達は戦に招集されないんですか?」
「するわけが無いよ、あたし等が武器を持ったところで敵いやしないよ。それだけ身体の作りが違うんだよ」
身体の作りが違うってのは良くわかる。召喚された最初の日、とてつもない動きや体力をしていたエリファ等。ただ単に俺の運動不足かと思って居たが、メルコスさん達とはあまり体力も変わらなかった。
「まぁ。何処の地方の村や町だって同じような問題を抱えてるんだけどね。アンタにこういう事言うとお願いするのもなんか変だけどね、一つお願いを聞いてもらっていいかな?」
「で、できる限りなら。家事などなら喜んで」
リベールさんは笑いながら頼もしいねと俺の肩を叩く。
「それもお願いしたいんだけど、一番気にかけていることは…ベルの事さ」
「いや、襲いませんって」
「そういうことじゃないんだよ、あの子、一人っ子でアタシ達はあんまりかまってやれなくてさ…今日あんなに嬉しそうにしていた顔見るの久しぶりでさ」
声が少し震えている。俺も冗談の一つでも言おうと思っていたのだが、それを喉の奥に押し込めた。
「おっと、寝てたの邪魔したね。寝るときは奥の部屋使いなよ。アタシもそろそろ寝るよ」
「あ、はい……」
少しはぐらかされた感じもするんだが、深く追求することも無いか。
リベールさんが明かりを消し、真っ暗になった部屋の中で俺は空一面に広がる星空を眺めていた。
「ギメイちゃん居るかい?」
家のドアを叩く音で、俺は文字の練習をしていたノートを閉じた。
「あ、ドッペさん何か用ですか〜?」
「お、ギメイちゃん、ちょっと使い頼まれてくれないかい?」
「うぃっす、喜んでッ!」
この町に住み始めて三週間が経過した。当初、俺の黒い髪と名前じゃ目立ち過ぎるという理由でフードをリベールさんに作ってもらい、名前を考えた。
流石に真田という名前では浮いているみたいで、皆で頭を使って考えた名前はどれもコレも俺の口が回らない、覚えられないという理由で難航していたが、なんとか『ギメイ』という名前で落ち着いた。
この名前も浮いているといえば浮いているのだが、『トウゴクの出身です』って言ったら皆納得するみたいで、フードの中の髪を見たがる人間も居ない。マジでスッゲー名前だ。
「うん、じゃーこの『コーリョウ』をいつもの所に届けてくれるかい?」
「いえっさぁーッ!」
調味料などを作っているドッペさんからよく仕事を回してもらう俺。内容はいたって簡単で荷車に載せた塩などを隣の集落まで運ぶとか、そんなん。
いつもどおり地図を持って俺は町を出る。何かあった時のために自警団の人と一緒に行くのはいつもの事。
「よくギメイさん隣の町まで行く気になりますよね……」
「え、なんで?」
隣で俯き気味に喋る自警団のにーちゃん。
「だって、最近盗賊やアド帝国の軍隊がここら辺うろうろしているって噂が……」
「そんなの噂だって、ニ週間前からずっとそんな話出てるじゃんよ。それに、俺たちが運ぶのは調味料だよ? 流石にそれを狙ったりはしないでしょ!」
自警団のにーちゃんはため息を一つ、そしてやる気なさげに渋々と歩いた。
二時間半の道のりを歩きとおし、隣の町に着き、依頼されていた場所まで荷物を運ぶとちょっと休憩。
「あと少ししたら帰りますか! 暗くなる前に町に着きたいしさ」
「そ、そうですね」
って、アレ? ポッケの中にお金が入ってないぞ?
「なぁ、お金が無いんだけど?」
「はぁ!? ギメイさん、手に持ってるその飲み物店で買ったでしょ?」
と、言うことは何か、俺はお金を落としてしまったのか?
「えーっと、お金で飲み物買った。うん。それは覚えている」
「じゃぁ、何処かで落としたんですよーーー!!」
「やっべぇ、探すぞ!」
俺は自警団のにーちゃんを巻き込んで落としたお金を探す。コレはマジでヤベェ! 流石にドッペさんがブチ切れる!!
何時間も探したが一向に見当たらない。困りきった俺達は町についてから自分達が通った道をスミズミまで見たけど見当たらない。くそ、交番は無いのかよ!?
「おーい、ギメイちゃん」
荷物を渡したおっちゃんが走ってこっちに来る。
「い、今それどころじゃないッス!」
「いや、お金渡してなかったからさ」
俺と自警団のにーちゃんの間に気まずい空気が流れる。
「そ、そっかぁー俺ポッケに入っていた前のお金で買ったんだったーいやぁ、ミス、ミス。イージーミスだケアレスミスだよ♪」
「……」
自警団のにーちゃんから怒りのオーラが見える。
「何をどうやったらそんなこと忘れるんですか!? もう日が落ち始めましたよ、今出たら帰り着くの夜になりますよ!!」
「いやぁ、もう少し休憩して朝一でつくことにしましょうよ。俺のバイト代、君の護衛金に少し足すからさぁ……」
話し合いの末、何とか朝方に町を出ることに。茶宿で休憩し朝方に俺達は町を出たのだった。
二時間ほど歩いた頃、なにやら周囲の空気の臭いが少し変わった。最初気のせいかと思ったが、十分、二十分と歩くにつれてその臭いは強くなってきた。
「なんか焦げ臭いってか、説明し辛い臭いしない?」
「あ、それ自分も思ってました」
何処から漂ってる臭いなのか周囲を見渡すと、正面右四十五度の方角に灰色の煙が上がっている町があった。
「おい、あの位置ってッ!」
俺の頭の中を嫌な予感が駆け巡る。こんなところをゆっくり歩いてる場合じゃねェッ!
「ぎ、ギメイさんッ!?」
「アンタは後から来てくれ、先に何が起こっているか見てくるッ!」
困惑したような声を上げる自警団のにーちゃんを置いて、俺は目標の町まで全力疾走を開始する。
焦れば上手くいかないと昔の人は言ったみたいだが、今の俺を突き動かすのは焦りのみ。焦れば焦るほど俺の身体は羽が生えたかのように軽々と動いてゆく。
「何だよ、コレは!!」
リカーベルの町の門は無残にも打ち破られて、塀の一部も壊されていた。
地面には無数の足跡。そして何よりも鼻をつく鉄臭い臭いと、木材の焼けた煙で気分が悪くなった。
やっべぇ、何だよ、この臭いは……それよりも俺はやらなきゃならないことがあったんだ。
町の有様はひどい状況だった。昨日の今頃では町の中央道を色んな人が行き来していたが、今は人っ子一人居ない。周囲の家の損傷もひどい。被害の軽い家で家の塀や壁が少し壊れる程度。ひどい家は全焼。一日でそんなに変わっちまうもんなのかよ!
「はぁ…はぁ……嘘…だろ?」
全力でメルコスさんの家に走って戻ってきた俺はその凄惨たる情景に足の力が抜けた。
打ち破られた家の扉。入り口の所で倒れているメルコスさん。家の奥の方に誰か一人倒れている。
唾を飲み込み、俺は恐る恐る家の中に足を踏み入れた。
「ッ!?」
家の中に入るだけで生臭い臭いと、鉄臭い臭いが俺の嗅覚を刺激する。
とりあえずはメルコスさん……。
倒れているメルコスさんに近づくと、周囲の床の色が違った。何か赤黒く変色している。
「メルコスさん?」
うつ伏せで倒れているメルコスさんを仰向けにする……。
「うッ、ウゲ、げぇ…オェッ!!」
見開かれた目、口の周りにこびり付く血。喉の中央部分からは『中身』が見えた。
朝は何も食べてないのだが、胃液だけがとめどなく出てくる。
「はぁ…はぁ……」
涙目になりつつもメルコスさんの目蓋に触れ、瞳を閉じさせる。
ひどく気分が悪いけど、まだ俺のやることがある。
持てるだけの気合を振り絞り、俺はまた一歩脚を進めたとき……。
「誰……かいる……の?」
この声はッ!
「あぁ、俺だッ! 真田槍助だッ! 何処に居るんだい、ベルちゃんッ!!」
耳を澄まして消え入りそうな声を聞いていると、台所下の床がゴトリと動き、ひょっこりとベルちゃんが顔を出す。
外に出た途端、ベルちゃんの顔色が変わる。
「ぶ、無事だったか……ごめん、帰るのが遅くなったよ……」
ベルちゃんの頭を腹の辺りに押し付けて、俺の背中の後ろの現実を見せないようにする。
「ねぇ、ソースケおにーちゃん…お父さんとお母さん……死んじゃったの?」
何て答えればいいんだよ? 正直に言うか、ごまかすか。
「ギメイさ……ッ!!」
家の入り口で自警団のにーちゃんが叫ぶ。
「め、メルコスさんらも……とりあえずギメイさん、今オルタルネイヴの街から自警団と軍隊が来ますので、まずはベルちゃんを安全な修学所に連れて行ってください!」
そう言って駆け出す自警団のにーちゃん。
「べ、ベルちゃん…此処は離れよう」
俺の胸の中でただ震えるだけの小さい肩を抱きしめる。こうして何か温もりがないと、俺自身が恐怖と不安で押しつぶされてしまう。
「うん……最後に、お母さんとお父さんにさよなら言うね……」
フラフラとベルちゃんは二人の亡骸に近寄りしゃがみ込む。それにつられる様に俺も二人に向けて手を合わせた……。