第七十五話『極秘任務の話』
-大広間-
「状況整理にしても何を話すんだよ? ヘルムランドの事で言ってないことでもあるのか?」
他の部隊長の前では話せないとんでもない話があるのだろうか?
だとするのならば、ヘルムランドの状況はかなり危うい状況にあるのではないだろうか。
「はい、その通りです」
エリファが静かに首を振り苦笑いを浮かべる。
「アリヴェラ平原での戦、サナダ様達は金将マッシュと戦いました。ディレイラさん達は誰と戦っていましたか?」
「青の騎士……ケルヴィン」
レイラがすっと右手をあげ言葉を続けた。
そうそう、確かレイラ達は中央砦を守っていて、ケルヴィンを打ち破ったって言ったよな。
「数で勝る上に中央砦という防御施設を持つこちらの方が有利な状況で戦を進められ……正面から戦いこれを打ち破り敵将を捕縛する事が出来た」
部隊を率いるとか言われた時にそんな話してたよな、確か。
「本来ならばケルヴィンを調略をするべきだと思うのですが、そうも言ってられない状況です」
調略……えっと、なんだっけ? 言葉は聞いたことあるんだが。
「敵だった者を此方に引き込むことですよ、サナダ様」
調略という言葉に頭をひねっていると、エリファが説明を加えてくれる。
「ケルヴィンを味方にするのか?」
「そうしたいところですが、一つ問題があるんです。こちらの士気にも関わる事なのでこれから口にすること、決して他の部隊長などに言わないでください」
「何か嫌な予感がするな」
アリシャが苦笑いを浮かべる。
「何やらとんでもないことになっておるのは間違いなさそうじゃのう……」
エリファの前置きを聞いて、ガルディアが頭を搔き毟る。
ローチやドルフも何のことやらと眉を寄せているところを見ると、何も知らされてないらしい。
と言うより、この件を知らされているのはエリファだけらしい。
「予測の範疇ではありますが、おそらくヘルムランドの情勢に青の騎士が関わってくるのでしょう?」
ジーニアがエリファに問いかけると、エリファは静かに頷く。
「ケルヴィンが関わってくるってどういうことだよ、ジーニア?」
「先ほどの説明で、こちら側が大敗したとは言いましたが、肝心の被害の事は一言も口にしませんでした。普通であれば、どの部隊が壊滅的な被害を受けたか、そう言う事も言うはずなのです。ですが、それを言わなかったとなると、言えないほどの被害を被ったに違いないのです。そうでしょう、エリファさん?」
ジーニアの問いにエリファは静かに頷く。
今更だが、ジーニアの鋭さには驚きを隠せない。
俺は負けることのない状況で負けたという事に気を取られて、そういった被害云々という事は失念していた。
「実は、その戦にてアシュナ様が敵に捕縛されているのです」
「は? えっと、アシュナって言ったらあの人だろ、ヘルムランド奪還組の主要人物の一人で、領主の……」
いちばん最初のガリンネイヴ平原での戦で本陣まで切り込んでいったちょっとさばさばした性格のアシュナの顔が思い浮かぶ。
直接的に係わりは少ないのだが、エドラとは違い話が解りそうな人だと感じたのでよく覚えている。
「アシュナ様は総崩れとなった此方側の兵を一人でも多く逃がすために殿となり、敵の追撃を防いでいたのですが、その際負傷し、敵に捕縛されております」
「そういうことか。敵からすれば捕縛されているケルヴィンをどうあっても取り戻したい。アシュナに関してもそうだ。アシュナはこちらの領主の一人。絶対に欠かすことのできない存在だ」
アリシャやレイラはうんうんと頷き始める。
えっと、どういうこと? お互いに大事な将を捕縛しているんだから……あ、捕虜交換でもするんだな。
「身柄をお互いに交換すると言ったわけか?」
恐る恐るその事を口にすると、エリファは大きく頷く。
「はい、その通りです」
言いたい事は何となくわかった。でも、わざわざそれを俺達に伝える必要はあるのだろうか。捕虜の交換というところまでこぎつけているのであれば、秘密裏に行うべきではないだろうか。
「しかし、それをわざわざ僕たちに言う必要はないのでは? そのような状況になっていると知っている者が少なければ少ないほど他者にその情報が漏れる心配はないのですから」
ローチが俺の思っていた事を言ってくれる。
「それはそうなんですが、ケルヴィンが捕縛され、ここまで護送されているからです。そして我々でケルヴィンをヘルムランド近郊まで護送することになっています」
「……成程、だから俺達に説明を加えたってわけか。そりゃぁ護送する奴らに最低限の情報は与えておかないとまずいからな。勿論、伝えないという手もあるが、そうなれば無事にケルヴィンを護送できないかもな」
「なんで護送できないんだよ?」
言っていれば護送できて、言わなければ護送できないって?
「真田は中身の判らない物を運べる? この中身はなんだろうと不思議にはならない?」
「もし、その中身が敵の中心的な将であれば、この護送は何らかの策で、敵将が逃げ出そうとしていると疑いを持つでござろう? それで最悪、ケルヴィンを切り殺してしまえば、当然敵もアシュナ殿の命を奪う。最悪の事態とはそういうことでござるよ」
なるほど。確かに中身の分からないものは気になってしょうがない。決して部屋を覗かないでくださいなんて言われただけではその中を覗かないなんてできるわけがない。
「まぁ、護送については理解した。でも、すでに解決策が見つかってるわけだから、なんで口にしちゃいけないんだ?」
折角捕まえたケルヴィンを逃してしまうのは惜しいが、敵に捕まったアシュナが戻ってくるなら別にこちらのマイナスではないのに。
「ヘルムランド攻略の具体的な策のない今、戦えば負けるという事を無理に伝える事もないだろう。それに、領主すら捕縛されるんだ。今は五分の状況のように思えるが、ヘルムランドの砦の一つを落とすことができなければ、更にこちらの被害は増えるばかりだ。連戦連勝で将兵の意気は高いがここで負け続ければ一気にその指揮は下がる。逆に敵の勢いは増す。ガリンネイヴ平原まで侵攻されたのがいい例だ」
ガリンネイヴ平原前って俺知らないんだよな。
「アリシャ、それを言っても真田は知らない」
「あぁ、そうか」
すかさずレイラがフォローを入れるとアリシャはバツが悪そうに頭を掻いた。
「……じゃぁ俺はさしずめ勝利の女神もとい、勝利の神様なんだな」
重くなりかけた場の雰囲気を盛り上げるためにわざとふざけてみるが、誰一人、違ぇよと俺を小突いてくれない。なんか寂しいぞ。
「ま、確かに流れを変えたのは確実にお前だしな。これからも期待しているぞ、次はヘルムランドの流れを変えてくれよ」
アリシャは軽く俺の頭を叩く。
「その前にサナダ様は怪我を治さないといけませんよね」
エリファが小さく笑う。ま、確かに怪我を何とかしないことには話になんないよな。
しかし、いまのところ傷口の痛みなんてないんだ。ずっと包帯を巻いたままだからわからないが、結構怪我も良くなってきてるんじゃないんだろうか。
試しに傷口の辺りを指で撫でてみるが痛みはない。一度包帯を外して確認した方がよさそうだな。
「では、今の話くれぐれも他の将及び兵にはしませんようにお願いいたします」
念を押すようにエリファがそう言うとその場にいた全員が頷いた。
勿論俺もだ。雰囲気に飲まれて頷いたといった方がいいかもしれないが。
「エリファ、ちょっといいか?」
解散ムードになった事を確認して俺はエリファを呼びとめる。広間から出て行こうとしていたアリシャ達も足を止めて俺の方を向いている。
「はい、なんでしょう?」
エリファは振り返りにっこりと俺に微笑む。
「怪我の事なんだけどさ……」
「何度言っても怪我が治るまでは訓練に参加はさせられませんよ」
アリシャ達はエリファの言葉を聞いて、「なんだ、またその話か懲りないな」と笑いながら広間を後にした。
「それは解っているよ。それで、不思議な事に怪我した場所を触っても痛みがほとんどないんだ、これって治ってるんじゃないの?」
「まさか、そんな事はありえませんよ。治るにしても早すぎます。ここで焦って治ってもないのに治ったふりをするのはいけませんよ」
宿題が終わったと嘘を吐く子供を諌めるような感じでエリファは言う。
「痩せ我慢なんかしてないって」
エリファにそう言うとエリファは俺の顔をじっと見て手を叩く。
「そこまで言うのなら一度見てみましょうか」
その提案に俺は頷くと傷口に巻かれてある包帯を解き始めた。
「えっ……」
傷口を見た途端、エリファの目が驚いたかのように見開かれる。
エリファの表情を伺っていた俺も驚いた真相が知りたくて傷口の方に視線を向ける。
上半身や腕に刻まれた傷はほとんど完治しかけており、傷口の端はすでにかさぶたが取れ、赤っぽい肌の色をしていた。
流石に傷の中央はまだかさぶたに覆われており、無理に剥がせば出血しそうではあったが、膿んでいる様子もなく、もうしばらくすればかさぶたも奇麗に剥げそうな状態にある。
「……自分でも驚いたな。こんなにも治りが早いなんて」
「そうですね……何かやりましたか?」
何かやったかと聞かれても療養していたとしか言いようがない。特別薬を塗りこんだとかそんな事もなく、ただ包帯を巻いた状態で日夜暇を持て余していただけだ。
「いや、特には……」
「それにしては怪我の治りが早すぎます」
「そんな事言われてもねぇ……治りかけているもんは治りかけてるんだし」
エリファはかさぶたの上に指を走らせ、傷口を指で数回叩く。
しっぺをされたような感覚だが、大げさに転がりまわる必要もない。かといって我慢をしているわけでもない。
「にわかに信じられませんが怪我は殆ど治っていると言っていいでしょう」
怪我の状態を見てエリファが口を開く。その言葉を聞いて無意識的に表情が緩んでいるのが解る。
治ったのなら訓練なんかにも参加できる。
「はぁ……本来ならもう少し休んでいていてほしかったところですが、怪我がこのような状態なら訓練に参加してもいいでしょう」
「よっしゃ!」
ようやく訓練禁止期間から解放され俺は大きくガッツポーズをするが、その様子を見てエリファがキッと表情を引き締める。
「ただし、あまり派手に動かれても困ります。剣を振るのは許可しますが、他人と打ち合う事はまだやらないでおいてください。例えそれが実力のない自分の部下が相手でもです。もしそのような現場を見たら怪我の治りがどうであれ、強制的に一時訓練を禁止しますよ」
釘を刺されたようで俺は苦笑を浮かべる。隠れてアトラとでも動きを取り戻すために打ち合いをやろうと思っていただけに『そんなことはねぇよ』と否定することもできなかった。
「サナダ様は本当に不思議な方ですよね」
「なんだよ、急に?」
「こちらに来た時も最初は障壁など使えなかったはずなのに、ある日を境に当然のように使い始めたり。傷だってほんの数日前まではアリシャさんに叩かれては痛がっていましたのに」
「見てたのかよ」
見てたのならアリシャに一言もう少し自重するようにと諌めてほしかった。
「止めてくれよって顔をしていますね。それはできませんよ。あれは一種の挨拶ですからね」
エリファはそう言うとクスクスっと笑い、俺の刀を手に取った。
鞘と鍔を結んだ紐を解いているようで解き方を覚えようと凝視するが、あという間に紐をほどき終わってしまい最初の動作すら覚えられなかった。
「はい、出来ましたよ。くれぐれも無理はしないで下さいね」
刀を手渡され、その場で一度抜刀してみる。
動きに問題はない。感覚としては数週間ぶりに自転車に乗った時のような、最初はふらつくが次第に感覚が戻ってる。
「ははっ、身体鈍ってるみたいだ。気合入れて素振りしないとな」
エリファにそう答えて、かさぶたから出血する様子もないし包帯は巻かずにシャツと上着を着る。
久々に直接肌にシャツが触れる感覚に感動を覚える。ちょっと危ないな。
「あ、そういえばその服はどうですか?」
エリファが俺の着ている服を見て聞いてくる。
「バッチリ、最高だね。こんなものがあるなら最初から出してほしかったぐらいだよ」
「特注で作らせた甲斐がありました。大切にしてくださいね」
「と、特注かよ!」
いや、確かにこんな服があるのなら最初から出しているよな。
エリファには貰ってばかりでいつかお礼をしなくちゃな。
「まぁ、ありがとう。大切に着るよ」
それから俺は小躍りしそうな勢いで部屋を出た。
さて、明日からが本番。気合入れて訓練しますか!