第五十話 『アリヴェラ平原戦6』
−東国本陣−
アド帝国の兵が次々と前方から東国の本陣へと斬り込んで来る。
規則的に攻めてくる訳ではなく、変則的に。
「アド帝国兵本陣へと切り込んできました『カコウ』殿ッ!」
カコウの鎧を代わりに身に纏いカコウとして采配を振るうロウキュウの元に本陣の前線で戦っていた一人が報告に来る。
「前へッ! 前へ出るでござる! 後ろに退けば攻められるだけ。他の仲間達も戦っている! 此処で我等が下がってどうする!」
ロウキュウは叫ぶと刀を掲げ前へと駆け出す。周囲の近衛兵達も慌ててその背中を追う。
「御大将より後方で戦ったとあれば、挽回できないほどの恥だぞッ! 皆『カコウ』殿に続けッ!」
本陣の動きに注意を払って戦っていた散開した部隊も更に前へと駆け出す。
「矢は飛んで来ないッ! 恐れることは無い、皆突撃ッ!」
力強く前へと野太刀を突き出すとロウキュウの肩からぶら下げられた肩を守る防具、袖が小手とぶつかり音を立てる。
前方から高波のように押し寄せるアド帝国兵。ロウキュウはその光景を見て目を瞑る。
敵が前から来るって事は、前方で戦っていたチュウショウ隊は破られたか。もしチュウショウが生きているとするならまだ敵後方で陣の乱れがあると思うけれど、押し寄せる敵には乱れが無い。逝ったのねチュウショウ…貴女はどんな最期を迎えたの? 貴女の事だから私より冥土へ先に進んでも他の事に気を取られているでしょうね。安心して、すぐに追いつくから。
ロウキュウは心の中でチュウショウに語りかける。そして目を見開いて柄を強く握る。
「敵に我等が勇士…刻み付けるぞッ!」
ロウキュウの言葉に周囲の兵が答え、自分達の倍以上の敵に颯爽と立ち向かう東国武士団。死を恐れずただ前へと進む東国武士団の姿にアド帝国兵は再び恐怖を覚え、迫り来る東国武士団を各撃破しようとはせず、近くの隊と共同し攻撃を再開させた。
「や、矢を放てッ!」
「矢は飛んでこない、皆安心せよ!」
ロウキュウはすぐさま声を張り上げ周囲の不安を解和らげる。
矢が飛んでこないという保障は無いが、場の状況からしても矢は放てないとロウキュウは踏んでいた。
敵味方入り乱れて戦闘が行われている場所に矢を放てば当然、東国武士団と戦っているアド帝国兵にも矢が降り注ぐわけで、被害も数の多いアド帝国側が大きくなることは解りきった事である。
「これ以上前に出ては危険です『カコウ』殿ッ!」
ロウキュウはまだ前に進みたかったが、今この場に居るのは『ロウキュウ』ではなく『カコウ』としての自分であり、その自分が無理をして前に出て討ち取られれば即刻他の者を危険に晒す事になる。
周囲に居る者は皆全てこの場で打ち果てようとしている者達だけだが、少し離れた場所では敵の包囲網から逃げようとしている者達も居るはずである。ロウキュウの死がきっかけでアド帝国兵の次なる動きは『東国残党狩り』となり、撤退している者達が生き延びれる確立が低くなってしまう。前へと進もうとする足を止め、ロウキュウは心を落ち着かせた。
少し時間が経つ頃には東国武士団は生き残っているものが十数名というほどまで減っていた。
いくら気力で敵に勝ろうと、個人個人の実力で帝国兵に差をつけようと圧倒的な数の前には意味を持たない。
一人で二人と戦っていたものがいつの間にか三人、四人と増え、次々と討ち取られてゆく。ロウキュウの周囲では足を止めたときはまだ帝国兵が居なかったはずだが、現時点ではその周囲にはたくさんの帝国兵が立ちはだかっていた。
「ひい…ふう…み…まだこんなに居るのか」
ロウキュウは周囲に居る敵兵を十名まで数え、数えるのを諦めた。足元には結構な数の帝国兵が転がっているのだが、それの何倍もの敵兵が取り囲んでいる。
かなり前に追った左腕の傷の状態が芳しくない。まだ動かせば痛む程度だった傷が今は少しの衝撃で傷口に真っ赤に焼けた棒を押し付けられているような痛みが全身を貫く。
傷口を確認できればまだ痛みも和らぐかも知れないが、そんな余裕はあるはずも無い。
「フッ!」
左側から襲い掛かってくるアド帝国兵を切り捨て、ロウキュウは大きく息を吸い込んだ。
「戦の手柄を欲するのならばこの首を取り手柄とせよ! 我は此処に在りッ!」
−アリヴェラ平原外れ−
敵の罠ではないだろうかと思うほど容易く包囲網から抜け出すことが出来たカコウら。その理由は敵の連携の乱れであった。功を焦ったのか、アド帝国の部隊が我先にと攻め始めたおかげで、カコウらは敵兵に気が付かれる事無く包囲網から抜け出し、小休憩を取っている。
「か、カコウ様ッ、この付近に…てっ、敵影は見えずまず安心かと思いますっ!」
がちがちに緊張して言葉すら噛みそうなリィシエに八人は笑いかける。
安全といいながらもリィシエは常に周囲を気にし、追っ手に怯えている。まるで知らない土地で迷子になってしまった子供のようで、そんな彼女の姿は少なからずとも場の雰囲気を和ませている。
今この場に居る十人の中では十三と一番若く、このアリヴェラ平原の戦が初陣だった。何度か負け戦を体験している九人からすれば戦場から離れ、未だに戦闘が行われている状況では敵は追っ手を出すことも無いと解っているのである程度は心を落ち着けれていた。
十分ほど休憩をし、右翼砦に居る仲間と合流しようかとカコウが腰を上げた時だった。
『敵大将カコウ討ち取ったりッ!』
風に乗りアド帝国兵が沸き立つ声が聞こえてくる。
「チュウショウ…ロウキュウッ!」
思わずカコウが声の聞こえてきた方向に歩こうとするのを四人が止める。
「カコウ殿、今我らがすべき事は右翼砦の仲間と合流し、一刻も早く安全な所まで逃げ延びること。戦場を離れるときにこうなることは…」
覚悟していただろうと言う言葉が言えず、腕を押さえる一人が言葉を濁す。
カコウもそれを重々承知しているといった面持ちで頷き、踵を返し九人に号令を掛ける。
「皆ッ! 敵はこれから残党狩りに入る! 満身創痍な此方とは違い、疾風のように我らを追ってくる! 早々に右翼砦の者達と合流するッ!」
手のひらで二度目元を拭い、カコウは後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
−アド帝国本陣−
マッシュとケルヴィンは二つの遺体の前に立っている。
身体中に風穴を空け、至る所に切り傷や刺し傷を作ったロウキュウとチュウショウの前に立ち手を顔の前に持って行き静かに二人の健闘を称える。
「マッシュ様、東国の兵を連れてきました」
一人の兵士が両手を後ろで縛られた東国の兵士を陣内に招き入れる。
「ご苦労」
マッシュは兵士に一言そういうと、捕縛されている東国の兵士の顔を覗き見る。
敵の大将を目の前にしてもその者は落ち着いた様子で、暴れる事などしない。
「では早速ではあるが、この者達の実検を行いたい。協力してくれるか?」
東国の兵士は静かに口を開く。
「一つ条件が」
「条件?」
ケルヴィンも東国の兵が何かしら要求をつけて来る事を予想していたので、冷静に東国の兵の要求に耳を傾ける。
「実検が終われば腹を斬りたい」
「…わかった」
周囲に居た他の指揮官達がケルヴィンの言葉を止めようとしたが、マッシュは軽く頷くとロウキュウ、チュウショウの遺体に近付く。
「これはチュウショウで間違いないか?」
まずは右手と左胸に一際大きな傷を負った遺体に近付き、血泥で汚れた顔を東国の兵に見せる。
「…間違いありません」
「そうか…」
報告によれば最期まで本陣への守りを固めていた人物で、実検をしなくてもこの者がチュウショウということは解りきっていた。
問題は次だ。
「では、次に…この者は本当にカコウか?」
チュウショウと同じように血泥で汚れ、まだ黄金の鎧や兜を見に着けている遺体を東国の兵に見せる。
「……」
東国の兵士は一度目を丸くし、まじまじとその顔を見る。
テントの中に緊張が走る。
「…間違いありません…カコウ様です」
東国の兵はそれだけを言うと頭を垂れた。本陣のテント内の緊張が緩む。
「…では、約束どおり……」
ケルヴィンは東国の兵の要求に答え、本陣のはずれで腹を切らせようと縄を持つ兵に合図を出すが、それをマッシュがとめる。
「いい、この場で構わん。主の傍で死ねるほうが主も良かろう」
『マッシュ様ッ!』
テント内がざわめく。
それもその筈だ。腹を切るということは目の前の兵の手を自由にするということであり、自由になった手には刃が握られる。今にも死のうとしている者が死を躊躇う筈は無い。そう、たとえ周囲の兵に斬られてでも、敵大将に一矢報いようと考えもするだろう。
「いいから」
マッシュはざわめくテント内で自ら東国の兵の縄を切り東国の兵の前に短刀をほおり投げる。
東国の兵は千載一遇のチャンスとばかりにその短刀を手に取り逆手に握る。
誰もがマッシュに斬りかかって来ると予測し、自らの剣に手を掛ける。
「…真実を言えば逃がしてやらんことも無い」
マッシュは今にも自分に斬りかかって来そうな東国の兵士に問いかける。
「ッ!?」
一瞬表情を固める東国兵士。畳み掛けるようにマッシュの言葉は続く。
「もし此処で真実を言えば逃がしてやろう。このカコウはカコウじゃなく、ロウキュウですと言えばな」
「…くどい。其処に居られるのはカコウ殿ッ!」
それ以上の追求を避けるように東国の兵士は自らの腹に短刀を突き立てた。
「マッシュ殿……」
テント内を後にしたマッシュの背を追いケルヴィンは外に飛び出し、マッシュの横に並んだ。
「ケルヴィンか。その顔…さっきの行動の意味がわからないといった顔じゃな」
マッシュは手ごろな木箱に腰を下ろす。
「あれは恐らくカコウではないだろう。カコウに付き従うロウキュウとチュウショウだ」
「でも、先ほどの者は…」
思いがけないマッシュの予想にケルヴィンは驚く。仮にその通りだったなら、この戦は完全な勝利とは言えなくなる。
「先ほどのカコウの遺体には不穏な点がある。まずは左腕に負った傷」
ケルヴィンは即座にカコウの遺体の状況を思い浮かべる。
「戦の途中に怪我をしたのでしょう。それで東国の者達が兜を被る際に頭に巻く布で応急手当をした…といったところでしょう。それが何か…?」
そのような応急処置は何処の戦場でも見られ、なんらおかしくは無い。
「カコウは情報によれば兜などの紐を結ぶのが苦手と言われている。そんな者がワザワザ兜を脱ぐか?戦場には旗やら倒した兵から布を取れる。兜を脱いで他のものに迷惑を掛ける位ならそうするだろう? それに先ほどの者…当初は此方に斬りかかろうとしていたのに、その話が出るとすぐに腹を斬った」
「と…言うことはまだカコウは生きている……」
ケルヴィンの表情が険しくなったのを見て、マッシュは大きな口をあけて笑う。
「そういうこともあるかもしれんという話じゃ!」
三度強くケルヴィンの背を叩くと、マッシュは真剣な表情を作る。
「それにしても惜しい者達だったなぁ……主や理想の為にあのように絶望的な状況にもかかわらず、予想以上の被害を此方に与えたのだからな」
ケルヴィンは空を仰ぎ見る。
「そう…ですね……」
戦には勝ったもののケルヴィンの心の中にはある疑問が渦巻いていた。
本当に我らのやっていることは正しいのか? と……。
おぉ、早いものでもう五十話です。
戦とかで話の長さ変わっちゃうので正確な長さがまだわかりません。
とりあえず東国とアド帝国の戦はこれで終了。
次回は何話ぶりかになる主人公の登場。
やっと一人称に戻れる……。
まだまだがんばっていきますよー。
次話にご期待を! お付き合いありがとうございます。