第二十一話 『ガリンネイヴ戦4』
「ディレイラ様、アトレシア様ッ! 敵兵の数おおよそ百二十、旗を見るに敵本陣のようです!」
「やはり敵本陣でしたか、エドラ様に援軍を要請してください、敵の狙いは恐らく右翼側から味方本陣の横っ腹を叩くのが目的でしょうから、出来るだけ本陣や、後方の部隊が迎撃態勢を整える時間を作ります! 一度散開し、数人で固まり味方本陣、味方後詰が来るまで耐えてください!」
報告を聞いてレシアはすぐさまピリットヒューマンの男に指示を出した。言い終わったあとに親指の第一間接を唇に当てる仕草をする。
冷静そうにしていても多分、不安なんだろうな。俺だって実際スッゲー不安だし。
男は味方本陣へ向け、凄いスピードで走り抜けていった。そんな姿を見ながら俺は、シャトルランだな可愛そうに、と現代のパシリ候補君に心の中でエールを送る。
「敵は恐らく味方本陣を狙ってる……私たちの壊滅だけが目標ではない……合図を出したら、一斉に味方に散開するように伝えて、レシア……」
何も喋らず、大剣を見つめていたレイラが急に口を開くが、敵の目的とかそういうのは一分ほど前にレシアが残念なことに説明してしまっている。
俺達の心境がどうであれ、敵は待ってはくれない。真田 槍助、覚悟を決めろ。
一度刀を強く握ると大きく深呼吸する。大丈夫、きっと。
「散開ッ!」
レシアが剣を掲げ、声を張り上げる。その合図を聞き、逃げ出すように散開を始めるディレイラ隊の面々。俺も取り残されないように散る。
「くっそ、薄々こうなるんじゃないかって思っていたが、マジでこうなるとはな!」
何も考えず、その場から離れた俺の周囲に味方は居ない。
やべぇ、はぐれちまった。どっかに味方は居ないのか、何処かに!?
周囲を見渡して見る。味方の集団を発見したが、距離が遠すぎる。いや、まて。走れば間に合うか?
「よし……」
覚悟を決めて足を踏み出そうとした瞬間、俺の頭を激痛が走る。
「ッ!?」
『冷静に周囲を見渡しなさい。このまま駆け出しても合流前に敵に囲まれるわよ。こうなったら自分の持ってる力と頭、全てを使って生き残るのよ』
「クッソ、またお前か!? 何処の誰だか知らんが、此処で立ち止まっちゃあぶねぇだろ!」
ズキリと頭痛がする。その痛みは半端なく、刀を放り投げてうずくまってしまいたくなる。でも、今此処で俺の持っている唯一の牙を投げる訳にはいかない。
「……わーったよ、踏みとどまる。それでいいんだろ?」
俺の答えに満足したのか、頭痛は止み、身体はいつものクリーンな状態に戻る。
『掛かれェェェ!』
いつの間にか敵の集団との距離は縮まり、指揮官と思わしき男の声が聞こえてきた。
「クソ、思ったより速ぇ……」
横一列に綺麗に槍を並べた集団が俺に向けて駆けて来る。
どうする、流石にあの穂先の隙間をすり抜ける自身はねぇぞ!?
『落ち着いて、あれはアンタの時代の集団戦闘術の槍衾に似ているけど、あの動きからは槍衾は来ないわ』
や、槍衾だって!? その名前は歴史の授業で聞いたぞ、確か戦国時代あたりで使われていた奴で、槍を一斉に突き出して突撃するものだって、余談好きな教師が熱く語っていたな……。
『あの動きからだと槍を揚げ、そのまま叩き下ろして来るはず。武器で防ごうなんて考えずに、腕を使って防ぐのよ。刀で防いじゃったらちょっと不味いわよ、特殊な武器であるこれは絶対折れはしないけど、少し曲がったりとかする可能性が高いわ。それに絶対になんて保障は無いのだから、万が一の事を考えて行動するのよ』
誰かが客観的に俺を見て、通信機を使っているような錯覚を覚えながらも、咄嗟に刀で防ごうとした動きを止める。
『無事な右手を下側に、傷ついている腕を上側に組んで、頭を守って。もし逆に構えて攻撃を受けてしまい、右腕が折れちゃったら八方塞りよ、もう左手は無理をしなければ使えないんなら、開き直って徹底的に盾にして。それに、アンタの覇気障壁も小手もそんなに軟じゃないわよ』
不思議なことに、レクチャーを受けながらも、俺の身体は操られるように声と同時に動いていた。
「槍、掲げッ!」
指揮官の声がして、目の前に迫っていた敵兵は一斉に槍を真っ青な空に突き刺すかの様に掲げる。
マジでその通りになった!?
『さぁ、超痛いのが来るわよ。気合を入れて、歯を食いしばって首に力を入れ、脇を締め両腕で頭を包み込むようにするのよ』
超だなんて現代人じみた台詞が飛び出すとは思っていなかったので驚いたが、それどころじゃない。
舌を噛まないように、象牙質だか、エナメル質だかが磨り減ってしまうんじゃ無いだろうかと思えるほど歯を食いしばり、命一杯脇を締める。
「叩けェェッ!」
声と同時に迫り来る槍の塔。く、来るぞ!
『駄目、目を見開いてしっかりと見なさい!』
目を瞑ろうとしていた俺を叱りつける声。
「グッ……」
硬く閉じられた歯の隙間からなんともみっともない声が漏れる。
がぁぁぁッ、超、超痛えェェェェェェッ!!
組んだ両腕の上に、国語辞典で力一杯ぶった叩かれた痛み以上、鉄アレイを落とされてしまった時以上、現代日本では想像も、比べる事も出来ない鈍い痛みが両腕から全身へと広がってゆく。
その痛みに今すぐ丸くなって悶えたい衝動に駆られるが、そんな事は出来るはずも無い。
『みっともない顔だったわよ、とても。でもちゃんと目を閉じなかったのは偉いわね。片目は閉じちゃったけど』
うるせぇ、ほっとけ! 誰だか知らんが、テメーにはこの痛み解らんだろうがッ!
「こ、こんなんじゃぁ、真田、真田 槍助はひるまねぇぞ、コラァァァッッ!!」
涙を目一杯に溜めて叫ぶ。
此処で叫ばなければ、痛みや恐怖で全てを投げ出して逃げ出してしまいそうだから、俺は喉が潰れようが叫んでやるッ!
「流石コールヒューマン。あれしきでは怯まないか……」
槍を構えた敵が左右に別れ、その間を立派な赤い鎧を着けた男が進み出る。
「あの咄嗟の判断といい、偶然でゲイアを打ち倒した訳では無いようだな!」
声一つ一つで周囲の空気が震えてるような感じがする。
こいつ……。
ぎゅっと刀を握り締め、傷が開いた左手を垂れ下げて赤い鎧の男を睨む。
「ふむ、相手の実力も解るのか……」
『……貸してあげるわ、全力で一撃を打ち込みなさいッ!』
「うぉぉぉぉっ!」
左手がどうなろうとかまわねぇッ!
「クロスロビン様ッ!」
「構うなッ!」
目の前でレイラの大剣とは少し違うタイプの剣を持つ男に切りかかる。
「らぁぁぁっ!」
命一杯振り下ろした刀が大剣とぶち当たる。
ぽたりと足元に血が滴り落ちる。
「がッ……」
足から力が抜けてゆく。そして右脇腹に鋭い痛みが走る。
「なかなかやるようだな、手が痺れたか……それに貫いたと思ったんだがな」
どんな動きをしたんだ、こいつ! 全く動きが見えなかった!?
「まだ荒削りだが、磨いたらとんでもない兵になるな……勿体無いが、此処で先の障害を打ち払わせてもらう!」
大剣を掲げる男。ヤベェ、徹底的にヤベェッ!
「さよならだ」
振り下ろされる大剣。
ぎゅっと目を瞑り、歯を食いしばる。今更そんな事をしても遅いのだけど。
「ギャリッ! カァーン……」
金属が擦れる甲高い音が周囲に木霊する。
『何とか間に合ったのです! これよりジーニア隊、敵を一気に包囲、殲滅するのですッ!』
俺に男の大剣が届くことは無かった。
足元に三本ほど矢が刺さっており、男が大剣で防いだのであろう、折れた矢が二本ほど地面に転がっている。
「クソ、新手かッ! それにしても先ほどの力……そうか、そういう事か……」
大きく後退した赤い鎧の男は身を翻し、親衛隊と思えるスピリットヒューマンの影に消えてゆく。
「サナダ、サナダソースケと言ったな、お前の命、しばらく遊ばせておいてやろう! 次に会うときは必ず、その命貰い受けるッ!」
そう言い残して男は去ってゆく。
「クソォッ!」
脱力し、地面にへたり込んだ俺は強く拳を叩きつける。
「…大丈夫なのですか、コールヒューマン? 全く、身の程を知らない奴なのです。一対一で王将・クロスロビンとやりあうなんて、勇敢を通り越してただの無謀なのです」
俺の背後に立った赤い髪の女の子。ぱっと見、その外見は幼いが、女としての特徴たる部分は幼いとは言いきれず、大人顔負けの物を持っている。
「あ、アンタは…?」
「本来名乗る必要は無いのですが、アリアさんが推していた奴となれば言わない訳にはいかないのです。火将のジーニア・ライゼンなのです、オルタルネイヴ自警団の四将の一人なのです」
「……すまない、助かった……」
右手に包帯を巻いた少女、ジーニアに礼を言って立ち上がろうとする。
「真田……」
「サナダさんッ!」
俺左背後からレイラとレシアが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですかッ!?」
レシアが俺の腕を取り、肩に掛けて俺を立ち上がらせる。
「な、何とかな……」
ぎこちない笑みを返し、レシアを見つめる。
レシアとレイラも相当の敵と戦ったんだろうか、全身は傷だらけで、とても無事な状態だとは言いがたい。
「ジーニア……怪我はもう良いの?」
「いつまでもじっとしている訳にはいかないのです。ディレイラさん、隊をまとめ、私の傘下に入りって敵を掃討するのです」
ジーニアは怪我をしているレイラたちの状態を見てもなお、冷静に言い放つ。
「ちょっと待てよ、ジーニアッ! レイラもレシアもこの状態だ、他の奴らだってきっと無傷って訳じゃねぇッ! こんな状態でまだ戦えと言うのかよ!? 一度退いて、重傷者の治療なんかを優先しなければッ!」
「コールヒューマン、貴方は黙ってるのです。これは自らの領土を賭けた戦なのです。大々的な戦況を考えると多少の被害には目を瞑り、目の前の勝利を掴み取ることが先決なのです。そのためには通過点たる此処で、瀕死の傷を負うような者を捨て置いてでも、戦闘を続行するべきなのです」
「なッ……」
戦に勝つためには人が死ぬのが当然、人を見殺しにしてでも戦に勝つというジーニアの考え方に、チリチリと俺の感情が燃え上がる。
「ふざけんじゃんねぇぞ! 確かに戦争をしていたら人が死ぬのは当然だが、手当てをすれば生き残れる可能性のある人間を見捨てるなんて良いわけがねぇッ!」
今にも掴みかかるような険相で詰め寄ると、ジーニアは馬鹿にしたような微笑を浮かべる。
「人間? 人間とは戦う力を持たないヒューマンスピリットの事を言うのです。此処に居る者は皆全て、戦う力を持ち、戦場で死んでゆくスピリットヒューマンなのです」
「人間を戦争の駒として考えるんじゃねぇッ!」
「いくら話しても無駄なのです」
俺とこれ以上会話を続ける気は無いといった素振りを見せ、ジーニアは背後の集団を一瞥し、声を上げる。
「皆さんッ! 敵の数は多いですが、士気はこちらが上なのです! 突然の援軍に敵も動揺を隠せないはずなのです、勢いを持って敵を打ち倒すのです、全隊突撃ッ!」
号令をかけると、背後の二十人弱のスピリットヒューマンらは戦闘を行っている敵の下へと駆け出して行った。
「生き残るだの、見捨てないだの甘い事を言っている貴方は此処で眺めてるが良いのです。そして自分の戦局を見る能力が無いことを、理想だけでは戦争には勝てないという事を、自覚するべきなのです」
そう吐き捨て、ジーニアも敵へと向かってゆく。
「ディレイラさん、アトレシアさんも続くのです!」
『……』
二人は黙り込む。
「どうしたのです?」
「はい、わかりました。ですが、少し時間を下さい」
「……解ったのです、三分、三分で追いついてください」
レシアの答えにジーニアはあまり満足はしていないようだが、最悪の返答じゃなかった事から、俺を見ると小さく笑みを浮かべた。
「ディレイラさん、先に貴方だけでも私と共に来るのですッ!」
「……嫌、三分貰う」
ディレイラは大剣を地面に置き、布を取り出し、自分の傷口に巻き始める。
「くっ……ふんっ、いいでしょう。二人とも三分待ちます。其処の役立たずを何処かに行かせたら、すぐに合流するのです」
ジーニアはそう言い残すと、颯爽と敵の集団の中へと駆けて行った。
「クッソ、なんだよあの冷血女ッ! でかいのは胸だけで人としての器は超ちっせぇッ!」
「あの子も色々と大変ですから、そう悪く思わないようにお願いいたしますね」
レシアはジーニアの駆けて行った方向を眺めて呟いた。そして俺へと向きなおし、手を叩く。
「さて、サナダさん、時間も無いので、後方の陣までお連れします」
にっこりと笑ってレシアは身体を翻す。
ちょっと待て、何勝手に話を進めているんだよ、俺も行くぞ。あんな事言われて黙って引き下がる俺じゃねぇぞ。
強く刀を握り締め傷ついた左腕を動かす。
凄く痛い……が、まだ完全に駄目になったわけじゃない。きっと今の状態は転んでつき指をした時と同じなんだ。自分自身では、凄く痛くて折れたのかと、不安になって病院に行ってみるとなんてこたない。そんなもんだろ。
「俺だってまだ行けるぞ、それにあぁまで言われて引き下がれるかっつーの!」
レシアは口を少し尖らせて、困ったような表情を浮かべるが、ゆっくりと顎の所に入れていた力を抜いた。
「はい、わかりました、一緒に行きましょう」
確認を取るためか、レイラの方を向き人差し指を素早く自分の腹に向け二度動かし、頷く。
「おうよ、俺じゃ逆にあッ……」
やべぇ、どうしたんだ、この痛み!?
腹に激痛が走り、呼吸もままなら無い状態にいきなりなった。
俺の腹部からまっすぐ伸びる少し赤く染まった白い袖。この腕の持ち主が誰であるか理解するのにそう時間は掛からなかった。
「れい……ら、何をッ……」
膝を突き、痛みで上手く呼吸が出来ない。
呼吸するたびに腹部が動くので、一呼吸ごとに俺を激しい痛みと嘔吐感が襲う。
少し離れた場所で大きな砂埃が舞い起こる。
「訳……わかんねぇよ!」
そう叫んだ俺の口を塞ぐようにレイラが俺の顔を自分の胸にぐっと近づける。
「……私達は死なない。もし、死んだら……真田だけは私たちの事覚えておいて……」
「何をッ……」
涙でレイラの顔がかすんでその表情がよく見えない。
「やり方は手荒ですが、此処でサナダさんを私たちと一緒に行かせるわけには行きません」
レシアもレイラの行動に動揺一つ見せない。予め決めてたってのかよ、指を動かしたのはこのための合図なのかよッ!
「多分ジーニア隊でも、敵を抑えられない。そうなれば敵の波は本陣へと行くだろう……それまでに敵本陣の動きをどの隊でもいいから……伝えて。此処で負ければ、未来がないの、重要な任務、真田……いける?」
小さい子供に言い聞かせるように、しっかりと俺の顔を手で挟んで言い聞かすレイラ。
「無理に決まってんだろ!?」
俺みたいな奴の話を誰が信じるって言うんだよ!
「そう、良かった……レシア」
「えぇ……すいません、近くの陣まで送ってやれなくて」
ちょっと待て、話を聞けってぇの! 俺じゃ無理だから承諾しなかったんだろうがよ、俺の意志は無視か!?
「ジーニア隊が崩れる……早く合流して混乱を抑える……」
そう言い残すと二人は砂埃の舞い上がる場所まで駆けてゆく。
クソ、マジで無視かよッ! 最後まで戦い抜くって言ったじゃん、俺は。なんで俺を置いてゆくんだよ……。
「もう、戦なんか知らねーよ……」
置いてゆかれ、レイラに殴られ地面に膝を付いてしまった俺の身体から力が抜けてゆく。
このまま少し離れて、安全そうな場所探して一眠りしようかな。
「ッ……」
全身を駆け巡る妙な感情。
ふと、小さな女の子の顔が思い浮かぶ。
「ッ!」
駄目だ、駄目なんだって、二人が死んだら駄目なんだってッ! 諦めちまったら駄目なんだって!
もう誰も死なせない、俺の周りの人間を幸せに、平和な世界を作るって約束を破っちまう。それに、約束とかそんなん抜かしても、俺は二人に死んで欲しくねぇ!
悔しいけど、今からレイラたちを追っても俺一人じゃどうにも出来ない……。
かといって、本陣に助けを呼びに行っても絶対間に合うって保障も無いし、今まで動いてくれない本陣が動くはずもねぇッ!
クソ、どうしたらいいんだよ!?
焦る俺の視界の隅に、風にはためく旗のようなものが一瞬見えた。