第十六話 『休憩、やっぱ箸だろ!』
−オルタルネイヴ・露店街ー
昨日の約束どおり俺とディレイラとアトレシアの三人で色々と物を売っている場所に来たのはいいが……。
「人が多いなぁ」
道の脇に広げられた日よけの布の下に木箱を置いて商品などを並べている光景が広がって居る。これはダチがやって居るのを少し覗き見したネットゲームの画面そのもの。それを吟味する人たちで4メートルほどの道は活気付いていた。
横を歩くディレイラとアトレシアは慣れた足並みでひらりひらりと器用に人を避けながら歩く。人が多くただでさえ歩きにくい道なのに大きな紙の袋を抱えた人が沢山居て歩きにくいこと、この上ない。
「まぁ、此処は食材品を主に取り扱っている場所なので、嫌でも人が多くなりますよ。もう少し歩けば人が段々減りますから」
アトレシアはそう言うと腰に下げていた剣を両手で抱いた。
「何やっているんだ?」
人に鞘なんかをぶつけない為のマナーなのだろうか、俺もそれを真似してみる。
「そろそろ人ごみを掻き分けて進まなければならないほど人が多くなってきたので剣を抱いて、お金などを懐に入れたりしてくださいね」
「え、え? なんでそんな事する必要があるのよ?」
「盗られる……」
ディレイラが腕を組んで正面を見据えたまま俺の疑問に答える。
うっそ、やっぱ盗人とか居るんだ……。まぁ、この人ごみにまぎれて財布なんかを盗む奴の一人や二人居たっておかしくないな。
「それでもいつでも斬れるように剣を抱くのはやりすぎじゃないか。その場でひっとらえてぶん殴ればいいだろ?」
「盗むものは全てお金ではありませんよ、武器なんかも高値で売れますからね。腰に下げている紐や金具では外されたり、千切っても持っていく人も居ますから」
うわぁ、物騒すぎる……が、確かにこの状況で盗まれたら追いかけて捕まえれるかも解らないしな。
しばらく周囲に気を配って歩いていたがそう簡単に盗人に遭遇するはずも無く、人ごみを抜けた。
「あぁ、酸素が美味い……二酸化炭素濃度大目の場所はヤッパリ歩くと疲れるなぁ……」
『サンソ? ニサンカタンソ?』
ディレイラとアトレシアはお互いに目を丸くして俺の呟いた言葉を復唱する。
そういえばまだそんな事解明されてなさそうだな。ちょっと此処で知識を披露してやるか。
「一度大きく深呼吸〜」
俺がそう言うと二人は言われた通り深呼吸をする。
「はーい、ストップ。今吸った空気の中には沢山酸素が含まれて居ます」
「そんな筈はない……そんなの見えない」
ディレイラが呟く。
「そりゃぁね。元素見えたらそいつの目スゲェよ。とりあえず人は酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すんだ」
「……吸い込んだらサンソを吸って、吐き出すとそれがニサンカタンソになって出てくるってわけですか?」
「そうそう。一呼吸ごとにそれをやってるんだぜ、俺達」
ディレイラは不思議顔。アトレシアは何となく解っているみたいだ。
「それじゃいずれサンソがなくなってしまう……」
「そ。同じもんを吸って吐くなら量は変わんないけど、入って出てくるのは別のものだったら確実に酸素はなくなっちまうが、木の葉っぱとかは二酸化炭素を吸って酸素を吐き出す働きをすんの」
とても驚いた顔でアトレシアが道の脇にそびえ立つ木を眺める。
「木も呼吸しているんですか!?」
「そーだねェ。俺たちには感じられないけど、そーみたい。この世界ってのは微妙なバランスで成り立っているんだよ」
二人は感心した面持ちで俺を見つめる。そんなに見つめられちゃ照れるぜ。
「それにしてもよくそんな難しい事を知ってるんですね……」
「口から……出任せ?」
そりゃぁ信用できねーよな、俺だって同じ立場だったら間違いなく眉唾もんの話だしよ。
「まぁ、授業で習ったからな……完璧に論理まで説明しろって言われても困るけど」
「授業は確か訓練のようなものですよね? サナダさんの世界はそんなことまで……」
「こっちはどうやって武器を振って戦うか、いかにいい物を作り出すかってのは一部の人間だけしかやらないからな。実際生活で使う知識なんて言ったら中学校ぐらいまで。受験勉強とかで必死に覚えた事項の大半は脳の隅っこに追いやられて忘れていくもんさ」
勉強嫌いの俺がこんな事言っても言い訳にしか聞こえないんだけどさ。
「一度は行ってみたいですね……そんな世界」
二人の頭の中でどんなイメージの世界になっているかわかんないけど、多分こっちの世界に来た俺より驚くと思うな。ゲームや本や歴史番組で中世時代の生活や街並みに触れたりする機会があった俺は、最初は戸惑ったりしたが一ヶ月も暮らせば少し古い時代にタイムスリップしちまったんだなって、受け止められるがこの二人の場合は未来に行くわけだから知識も情報も全く無いからな。
「行く機会があったら何から何まで俺が案内してやるさ」
気が付けば人ごみを抜け少し寂しい感じの露店街になってきた。
「おわ、いつの間にか人がメッチャへってる……」
「此処は知る人ぞ知る隠れた名店の多いところですね、暇がつぶせるものが安く売っていますから何か適当に見て回りましょうか」
アトレシア達に続いて店先に並んだ物を見て回る。
子供の玩具っぽいものから用途は不明だが凄い面白い形をした物が沢山並んでいて、ウインドウショッピングなんかやったことの無い俺でもかなり楽しめる。
「…アトレシアこれつけて……」
ディレイラは店先に並んでいた動物の角のような物を持ってアトレシアに勧める。
「ま、前立てですか?」
おずおずと頭の辺りに手で角を持っていく。
「鬼副将……」
俺にだけに聞こえるボリュームでディレイラが呟く。
「ぶっ」
先日見せたニコニコ笑顔で怒りオーラを纏った時にこれがあれば確かに。
「な、なんですか、そんなにおかしいんですか?」
状況理解ができずおろおろと俺とディレイラの顔を交互に見るアトレシア。回る店先でそんな子供みたいなことをしながら冷やかして回った。
一通り回り終えようとする頃には二人も少し買い物をして荷物を抱えている。
ディレイラは布のような物と紐を買っていた。アトレシアは何やら鎧のパーツのようなものを買っていた。俺はまぁ、手持ちの金は少しあるんだけど買うものが見当たら無い状況。
「サナダさん買うものが無いんですか? 面白そうなもの沢山ありましたけど。あ、お金が無いんだったら……」
アトレシアはそう言うとゴソゴソと懐の中を探り出す。
「いや、金ならあるよ。少しバイトしてたからね」
ふと視界の端にある店に目が止まる。
「あ……」
木の枝っぽいのを並べている店。なんか色んな置物が飾ってある。
「あの店ですか? あれは削木材という加工しやすい木材で作った置物ですね」
店の近くに行って置物をマジマジと見る。犬のような置物が数体綺麗に並んでいる。十二支とかこれで並べたら凄いだろうな。
「なんか微妙に同じ犬でも形違うなぁ……」
「そりゃぁ手作りだからね」
露店のおじさんが木像を一体手にとって自慢げに見せる。
「そりゃスゲェ……よくこんな細かいの作れるよな……」
「最初は大まかに削って形を作って、後はこのナイフで削って上に艶を出すためにこれを塗るんだよ」
おじさんはそう言うとツボに指先を入れ、赤色の液体を指先に付け、それをぺろりと舐めた。
「舐めて大丈夫なのか?」
艶を出すために塗るものってニスじゃないのか? 多分あれは有害だと思うぞ。
「ケシールの実ですね」
何それ、聞いたことの無いものだぞ?
「はい、この辺りで時々見かける赤い実を生らす物です。塗って固まると水に濡らしても落ちることは無く、家などの扉などにも塗られていますよ。多分サナダさんも見たことあるんじゃないんですか?」
赤い実って言っても沢山ある。実と葉っぱを見て何の木か理解できるほど俺は野生じみては居ないぜ。でも家などの扉がテカテカしてるのは見たことがあるな。ふーん、あぁなるのか。
「なぁ、この木材って何でも作れんの?」
話を聞きながら、この世界で足りないものを思い出した。どんなに店で探しても見当たらないものを。
「あぁ、技術さえあれば何でも作れるさ。流石に動くものを作るのは無理だけどね」
カッカッカと顔にシワを作って笑うおじさん。
よし、決めた。
「えっと、その細い木材を何本かまとめてくれない? あとナイフとその削るヤスリっぽいナイフも付けて」
店先に並んでいた物を指差して俺は財布を取り出す。
「おぉう、兄ちゃんも変わってるねェ。これを始めようって思うって……何を作るかわかんないけど、特別に安くしておくよ。あとこの艶を出すケシールの実をすりつぶした奴もつけてやる。保存は陽が当たるところを避けておいてくれな」
などと二十数分ほどコツを伝授してもらい、買い物を終え露店街を後にした。
−オルタルネイヴ訓練所・中庭−
まだ夕飯前で時間のあるうちに俺は買って来た荷物を広げ、作業を開始する。
直径1.3CM程度の木材をナイフでガリガリと丸みを帯びさせながら削って元の直径の半分、0.7CM程度まで削ると鉄のヤスリのようなナイフで角ばった所を落とすだけの単純作業。
安物のナイフとはいえ、大きさこそはコンビニで売っているカッターナイフなんかより小さいが、切れ味が全然違う。
削るのがメチャクチャ楽しく思えるほどザックザック削れる。
「あ、こんなとこに居たんですねサナダさん」
ひょっこりとアトレシアとディレイラが顔を出し、俺の横に腰を下ろす。
「何を作ってるんですか?」
「何だろうねぇ……何を作ってるかは秘密アトレシアらもどう? 失敗するって思って沢山木材買ったけどこの分じゃ失敗しそうに無いな」
「真田の真似をして作ればいいの……?」
ディレイラは短刀のようなナイフを取り出し、木材を手にとって同じように削りだす。
「な、何を作っているか解りませんが面白そうなんでやらさせてもらいますね」
三人で黙々と削り始める。
単純作業とはいえ、何かを夢中でやっていると時間を忘れてしまう。一通り削り終わる頃にはもう周囲はすっかりオレンジ色に染まっていた。
「同じものを二本削りましたが、これはどうするんですか?」
「最後にこの液体に全部浸して乾かせば終わりかな、このときにあんまりむらができないようにした方がいいかもね」
最初に液体に二十数センチ程度の棒の上半分を浸けて乾燥させ、下側も同じように浸け乾燥させる。
「うーし、完成! そろそろ飯時だし、早速使ってみますか!」
「つ、使うとは…?」
おろおろと少し俺のと形が違う二本の棒を持ってディレイラとアトレシアが俺のあとに付いて食堂へと向かう。
今日の飯は俺の世界で言うと炊き込みご飯と焼き魚と味噌汁と豆腐。全て正式な名称があるらしいのだが、まず覚えられない。俺からしてみればこの名前はフランス料理のなんだろうかと思ってしまうほど単語と物があってない。だから俺は普通にご飯とか醤油とかって言っている。
「さーて、まずこの二本の棒は箸って行ってな、物を食べるための道具なんだよ。普通ならスプーンとフォークとナイフで食べるよな? 今日はこの三つは使いません!」
そう、この世界には箸という物が無い。十七年間物を食べてきた中、一番使用して来たのはこの箸だろう。日本人の美だよな。この文化こそ広めなくてどうするよ俺!
「ラッチェ、リッチェ、ルッチェを使わないと手で食べることになりますよ……」
アトレシアは顔をしかめ俺がさりげなく取り上げたスプーンを物欲しそうに見る。悪いね、そんな目をされても今日の俺は退かないぜ。
「とりあえずレシアとレイラ、それを使って適当に食べてみてよ」
そう簡単には使い方は教えないぜ。まずは自ら考えて使ってみようぜ、そして失敗して覚えてゆくんだ。
「な、なんですかその呼び名は……」
呆れた顔でアトレシアは箸を眺めどうやって目の前の物を処理しようか悩んでいる。
「私はディレイラ」
どうやって使おうかと考えていたのを中断し、むっと剥れっ面を作って俺を睨むディレイラ。
「そっちの方が可愛いじゃん? しかもレイラとレシアって一緒に居ること多いからコンビみたいな感じでいいじゃんかよ」
ただ簡単に言いたかっただけで深く考えずに口に出した名前だが結構いい感じだと思うぞ? てつともとか、太郎次郎みたいな感じでさ。
「人の名前を省略するのは失礼みたいな感じがするんですけど……」
ふむ、この口ぶりから言うとまさかあだ名も無いのか?
「いや、そいつを心の底っから馬鹿にして言ってるわけじゃなくってな、仲間内でそういう愛嬌のある呼び名を考えて言い合うってのはそれだけ仲が良かったり、そいつに注目してるって事なんだよ。それにさ、ダチ同士で本名やさん付けで呼び合うってなんか硬いじゃんかよ」
「愛嬌のある名前を言われるのは信頼されている証……?」
ディレイラが俺の言った言葉を簡単に言い直す。ちょっと意味が違う気もするが。
「まーそういう事だ。ちなみに俺も仲間内からは結構言われてたぜあだ名」
「へぇ、どんな名前で言われていたんですか?」
少し興味を持ったのか、箸の使い方を考えるのをやめてアトレシアが机に両手を置いて聞いてくる。
「えっと、さなそーとかさなだんとかさなすけとかだな。酷い時は六文銭とか蕎麦! なーんて言われていたな」
「最初の方はわかるんですが、ロクモンセンとソバって意味わかんないんですけど?」
「……」
やめてくれ、その理由を深く聞かないでくれ。俺の名前の由来に関わる。俺の誕生の瞬間を思い出される。S田郷で蕎麦食ってるときに……ってなんだ、大宇宙からの意志が俺に流れ込んできたのか?
「あはは、すいません」
申し訳なさそうにぺこりと頭を下げるアトレシア。そろそろテーブルの上のご飯が寂しそうに湯気を出している姿が可愛そうになってきた。
「とりあえず飯食おうぜ、飯」
パンッと手を叩いて二人を促す。戸惑いながらもそれぞれの食べ方で食べ始める。周囲の人間が何をやっているんだこいつらという視線を出してはいるが、そんな小さいこと気にするな!
「あ、多分こうやって……」
アトレシアは左右に一本ずつ箸を持って突き刺して食べている。そのポーズをするときは茶碗を叩くときだけだぜ。それ以前に行儀悪いことしてはいけません。
「……」
無言で右手で箸を握って突き刺して食べるディレイラ。赤ちゃん握りって俺は言っているんだが、それは五歳以上の人間がやるとちょっと情けないぞ。まぁ、微笑ましいといえば微笑ましいが。
「さて、俺も食べますか」
居たって普通に人差し指と中指と薬指、親指を使い箸を操る。まずは一口。
「やっぱこれだわぁ〜」
胸の痞えが取れた感じがする。やっぱり箸は使いやすいなぁ、もう。それに自分で作った箸だから余計に飯が美味く感じるぜ。
『……』
目の前で二人して俺の右手を眺める。ぽかんと口を開けてそそくさと二人とも箸を持ち直す。
「なかなか器用に食べますね」
感心した様子で右手を眺めるアトレシア。
「箸はこんな感じで使うんだぜ? それにこれ慣れれば使いやすいんだぞー。フォークやスプーンのように食べ物によっちゃ持ち替えなきゃいけないって事がないからな」
豆腐もどきを口に運び、魚の身をほぐし、米もどきを口に運ぶ。
「あ、あれ…上手くつかめませんね……よっと、こうして……あれ?」
二人とも苦戦しつつも一生懸命箸を使おうとする姿は微笑ましい。料理が美味いからか、不思議と口元が緩んでしまう。
「真田、意地悪。もう少し使い方教えて……」
膨れっ面でディレイラが俺の左手を突付きながら箸を持ち直している。
「えっと、俺の食べ方が箸の綺麗な食べ方かって言われたら自信はない。自分が使いやすいように使っていけばいいだけなんだけど、やっぱ見栄えってのも必要で、必要以上に箸を×の字に交差させるのはちょっとみっともないかな。理想の形は平行だろうなぁ」
箸の使い方を教えながら食べる夕食はいつもの三倍ぐらい時間が掛かったが、ちょっと楽しそうに練習する二人の顔が見れただけで儲けもん。予想外だったのがディレイラ。すぐに飽きて投げるんじゃないだろうかって思っていたんだが、最初こそは苦戦してたようだがコツを掴んだのか、少しおぼつかないが箸を使い出していたのには正直驚いた。
小さい頃から箸を何日もかけて練習するのは覚えが早いから。成長してから覚えようたってなかなか無理なんだけどこっちの世界の人間は手先が器用なのか、スプーンフォークに慣れている人間が使うのが難しいって言われてるのにも関わらず、初挑戦にしては超上出来な使い方をしていた。
余談として、この数日間少し目の下にくまを作って手を痛そうに訓練に取り組むディレイラとアトレシアが居た。