第十一話 『誓い』
ーリカーベル・修学所廊下ー
左手に刀を持ち、右手に木の箱をしっかりと握る。
木の箱を俺より離れた壊れかけの校庭側の窓に投げつける。
派手な音が鳴り響き、木でできた窓枠と、ガラスのような素材が砕ける。
俺は窓を乗り越え、一目散にキャッチャーメットの兜の下へと駆け出す。
地面に着地するときには無数の矢が壊れた窓のへ向けて容赦なく振り注ぐ。それに見とれている暇などあるわけもなく、俺は全力で距離を詰めながら左手に握られた刀を鞘から抜き放つ。
目の前に二人槍を持った人間が飛び出してくるが、そんなもんじゃ俺は止められやしねェ。
顎が膝にぶつかりそうになるほど体制を低くし、二人の間をすり抜け、すれ違いざまに刀の背と鞘で延髄とわき腹の辺りを思いっきり叩く。
手に衝撃と痺れが走ったが、手に握ったものを離してしまうほど強い衝撃ではない。
松明の明かりに一瞬鏃が照らされ、カメラのフラッシュに似た光が一瞬だけ起こる。いつもなら見落としてしまいそうな弱い光だが、五感が全て研ぎ澄まされた俺は見落とすなんてしやしねぇ!
目の前の地面に足を突こうとしていた左足を強引に右側へとずらし、それに続く右足も自然と右側に流れる。
また体勢を低くすると後頭部の近くを物凄いスピードで矢が飛んでゆく。
次は三人が立ちはだかるも、隙間を無理矢理押し通る。左肩に鈍い感触が当たったが、そんなんじゃまだまだ。
さっきの矢とは比べようが無いほどの矢が放たれるが、俺の身体はいつ矢の避け方を覚えたのか、掠りながらも矢の雨を走り抜ける。
まだまだ奴までの距離は遠い。近寄れば近寄るほど矢の狙いの精度が上がってきたような気がする。
それでも俺はひたすら前に進むだけ!
「がッ!?」
思いっきり踏み出した右足が何かにぶつかり、動きだしていた左足もそれにつられるように妙な場所で足を止めてしまった。
ひたすら前に進もうとしていた勢いが暴れ、目の前に地面が迫ってきていた。
「ヤッバ……ッ!」
三度転がり、俺の後方で横たわる人間の姿を見て、死体に躓いたんだと理解するまでそう時間は掛からなかった。
状況が理解できて立ち上がろうとしたときには数人の鎧を纏った人間に囲まれていた。
「びっくりさせやがって……」
一人の男が剣を構えたとき、周囲にざわめきが起こった。
突然の出来事に動揺した男達は周囲を見渡すと、次の瞬間、数人の人間が男達に飛び掛った。
一瞬にして俺を囲んでいた男達の首下に剣が差し込まれ、うめき声を漏らして男達は動かなくなる。
「オルタルネイヴ、火副将…アリア・キィルチェ隊、掛かれッ!」
女の号令と共に二十人ほどの人間が校庭内になだれ込んでくる。
「オルタルネイヴだとッ!? まだ到着には早すぎるッ! ゲイア全隊、一度撤退ッ!」
キャッチャーメット兜の男は即座に号令をかけると剣をあわせていなかった人間が一斉に逃げ始める。
「よし、アリア隊はこのままこの場を纏めるのさっ! 全隊、この場所から敵を駆逐するよっ!」
もう一度女が号令をかけると、なだれ込んできた人間は校庭内でまだ戦闘している人間へと向かっていった。
−リカーベル・修学所教室−
アリア隊が来たことによって混乱は瞬く間に抑えられ、生き残った人間を一つの部屋に収容し終わった。
大怪我をしている者、隅で丸くなっていたのか、無傷な者。合わせても二十人足らず。
「お、お陰様でたすかりました……」
自警団の人間の白髪のおじいさんは九死一生を得たのか、腕に包帯を巻いていながらも周りの怪我人の介護をやっていた。
「いやいや、お礼なんかいいよ…もっと早く駆けつけられれば、もっと被害が減ったのかもしれないしさ…」
赤い髪を後ろでまとめ、後ろ髪がパイナップルの房を上から見たような感じの髪の女。何度か見かけた顔で、顔を見るたびにエリファから小言を言われていたような。
「おっと、君はどっかで見たことある顔だねっ!」
周囲を見渡していたアリアは俺と目が合うととてとてとこちらに駆け寄ってきた。
「あ、思い出した!コールヒューマンだったね! しばらく姿見えないって思ったらこんなとこにいたのか」
ケラケラと笑いながら俺の肩を叩く。
「その…俺」
アリアはぴたりと笑い顔を止め、真面目な顔で俺の顔を覗き込んで来る。
「あぁ、逃げ出したのは私だけじゃなく皆も知ってるよ。で、此処を防衛するのはてんで無理な話でさ、生き残った人はアルシュベの町まで避難してもらうことになるからさ、君はその隣町のネワルの町まで行った方がいいね。少なからず他の将もアルシュベまで来るかもしれないしさ」
「なんで、そんな事を……?」
「私としちゃー君が戦う戦わないなんてそんなに興味ないんだね。寧ろ戦う意思のない奴と肩並べて戦うなんて私はごめんなのさっ! まー酷な話、君が逃げてくれてほっとしているところだよ」
真面目な顔とおちゃらけた笑い顔を浮かべながら話すアリアがかなりむかついた。
逃げてくれて有難うって言っていることに腹を立てているわけじゃない。理由は上手く説明できないが、とにかくなんか腹が立つ。
「……俺の話、聞いてくれないか?」
「なんなのさ? 身の上の不幸自慢でも始める気かい?」
「そんな事もうどうでもいいさ」
俺がそう言うとアリアは一瞬表情を固めた。
「んーじゃぁそこまで言うなら聞くだけ聞こうかね、じゃ、ちょっとこっちの部屋きて」
俺はアリアの背中を追って部屋を出る。部屋の中の人間の視線が俺に集まるが、長く気に留めている余裕もないようで、またそれぞれのやることに戻った。
「ん、で。何の話?」
「……一度逃げておいてこういう事言うの、自分勝手だってわかっているけど…俺も戦いてぇ。いや、戦わなきゃならねーんだ」
アリアは静かに自分の腰に手を当てる。
「俺、こっちに来てからずっと逃げることだけ考えてたんだよ」
「……」
すっと音もなくアリアは剣を抜き、俺の首元に当てる。
「そういうのいいんだ。別に無理して戦わなくてもさ。中途半端な気持ちで剣握ると、絶対に後悔するし、周りの足も引っ張るんだ」
「中途半端な気持ちなんかじゃねェ。悪いがちょっとついてきてくれねぇかな」
俺はそう言うと、アリアに突きつけられていた剣を退けて歩き出す。アリアはただ無言で俺の後について来る。
向かった先は先ほどの襲撃で死んでしまった人たちの遺体が安置されている場所。
俺はその中で一際布の盛り上がりの小さい人間の場所に腰を下ろす。
「逃げ出してからさ、恥ずかしいことに俺行き倒れていたんだ」
「…無計画に飛び出したからねぇ……」
「で、そのとき倒れていた俺に水くれた女の子が居たんだよ」
「……」
「それで流れに任せて俺はその人たちと此処まで来たんだ。その女の子の母親は全てを知っていながらも此処で暮らしなよって言ってくれてさ。父親は殆んど喋らなかったけど、何となく俺を気遣っていてくれたんだと思う。で、近くに住むおじさんは俺に仕事を持ってきてくれてさ。初めてこっちの世界で人って暖かくていいもんなんだなって実感したよ」
無言で俺の話を聞くアリア。そして話しているうちに俺も後悔や悔しさが沸きあがって声が震えだす。
「いつものように仕事貰ってさ、隣の町までお使いに行ったんだけど、そこで俺ミスって時間をロスしちまったんだよ。で、朝方急いで帰ってみれば……」
「……」
「一夜で、一夜で暖かかった日常が崩れてよ、残った小さな日常ですらほんの数時間で終わっちまって……もし、俺があの時逃げなかったらこんな思いしなくても良かったのかも知れない……」
「でも、結局はそれも逃げてるじゃん」
「…無かったことにできればどれだけいいか……ッ! それでも、それ以上に! この数日間で貰ったもんはそれよりも遥かにでっかくてよ」
「……」
またも無言になるアリア。
「もう、こんな思いしたくねぇし、させたくねぇんだよ、誰にも!!」
「今は戦の真っ最中。そんなの想い一つでどうにかなるほど甘いもんじゃないと思うけどねぇ」
「あぁ、俺だけじゃ絶対無理なんだ、誰にもそんな思いさせないなんて事! それだったらせめて、俺の周りだけでも、この俺の居る場所だけでもそんな思いをする人間を一人でも減らしてぇ!」
「それが君が命を捨てる理由なのかい? たったそれだけで捨てられるのかい?」
「死ぬのは確かに怖ぇ。戦も怖ぇ。でも、俺は俺が大切だって思える人、守るためなら死んだっていい!」
「こっちに足を踏み入れたらもう逃げ出せないよ。前は無理矢理だったのかもしれないけど、今度は君の意志で来るんだからね」
「多分、こっちに居ればどの道死ぬような目にあうと思う。その時に後悔したくねーんだよ!」
「ふーん、そこまで言うなら明日、火将の現状報告のためオルタルネイヴに行くんだけど、その時にもう一回今話したこと、皆に話してみなよ」
それだけ言うとアリアは部屋の出口へと歩いていった。
一人残された死体ばかりの部屋で俺は傍の死体の布を捲り上げる。
「ベルちゃん、約束俺絶対守るよ」
そう呟いて三度、冷たくなったベルちゃんの頭を撫でた。
俺が呟き終わるのと同時に、部屋の外から金具の足音が遠ざかっていった。