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少女少女と光の使者と






「阿呆かあんたは」



 早速、返す言葉も無い。幼なじみであるリリアに真っ向から罵声を浴びせられ、クルトはバタリと机の上に突っ伏した。


 時は昼過ぎ。場所は飲食店。名前は「サースデイ」。

 売れていなさそう。残念ながら、この印象に一切の主観は入っていない。

 まず外装が地味なのだ。その上寂れた通りにぽつりと建っている為か、観光客相手に商売をする気はまったく感じない。

 さらには噂によると、最近巷でちゃっかり噂になっている夜盗集団「光の使者」とも通じているとか何とかで、それがさらに客足を鈍らせている。


 ただ、ここの料理は結構美味い。繁華街に建つ下手な料理屋に足を運ぶくらいなら、クルトとしてはこの店を紹介したい所である。

 実際ご近所さんには、夜の仕事帰りに一杯やるも多いとか何とかで。



 とはいえいかにフォローしても昼間の客足が微妙なのは否めず、新規での顧客獲得は難しい。完全な地元密着型と言えるだろう。



「阿呆かあんたは」



 余程大事な事なのだろうか、二回言われた。

 そして言われた側は反論できず、ばたんきゅ~、と。どうやら回復までには、しばらく時間を要するようだ。


 ――というのが、今の彼らの様子である。こうなるのには当然ワケがあるのだが――まずはその理由を、彼らの身元近況含めて説明しておくとしよう。 机に突っ伏し魂が抜けているような少年クルト、実は彼は孤児である。

 物心つく前から親はおらず、彼は長年フォーセリア孤児院で過ごしてきた。そして十六になった今でも、非常勤ながら主に力仕事要員として院内での生活を許されている身だ。


 この処遇はすべてはリリアの母による独断である。父親のほうは苦い顔をしていたのだが、とうの本人がそんな状況を理解している様子は皆無である。



 今日は孤児院から仕事の一環として、街への買い出しを頼まれた。

 物のついでとリリアにも何かあれば買ってやるように頼まれ、彼女の部屋を訪れた所、なんだか元気なさ気。クルトの目からは、どこか病んでいるようにも見え、なんやかんやで気晴らしにと無理矢理連れ出してしまった。

 それで、その時に、つい勢いでさらりと言ったセリフがこちら。



『昼メシも奢ってやるから』



 ――実際、金には余裕があった。そのはずだったのだ。


 しかし、いざ少し遅い昼食に際して財布を見てみると、あら不思議。財布の中には粗悪な硬貨が二枚。相場としては、一枚で水がコップ一杯買えるかどうか。



 もうお察しの事であろう。絶対的に足りない。足りないのである。

 結果、眼前の少女にはゴミを見るような目線を向けられる始末。悲しいきかな。

 と、以上がクルト自滅までの道のりである。


 さて、面倒なため読むのをパスしてしまったという皆様のため、ここで以下に一言でまとめるとしよう。


 リリアに昼食を奢る約束で買い物に付き合わせたものの、いざその時になると金が足りなくて自分の食事代すら出せなくなってピーンチ。



 ……実に笑えないシチュエーションである。「まったく……」



 特大のため息と共に呆れとも諦めともとれる台詞を吐き出し、頬杖をついてどこかしらをぼけ~っと見つめ、再びため息を一つ。



 ちなみにこのリリア・フォーセリア、そんな雰囲気は無いが、実はいい所のお嬢様である。無論、周囲がそれを気にしている様子など微塵も無いが――。


 英雄ライトの家系にして、代々当主はワテルガルズを盛り立てる中心人物として人々から厚い支持を受けていた。

 そしてリリアは、現フォーセリア家当主の紛う事無き実の娘。本来ならばとことん気高く、もう庶民派なんて有り得ない程のご身分といえる。


 そんなフォーセリア令嬢が、なぜ、こうして雑草のごとき庶民に、平然と紛れているのか。


 理由は簡単。現当主は、妻のみならず娘にまで頭が上がらないのだ。

 故にリリアの申し出は殆ど確実に通っており、実例を上げるならば彼女の一室もフォーセリア宅でなく孤児院に設けられている。

 さらには街中に出るのも、彼女自身の安全さえ確保できればほぼ黙認。過去何度かあった縁組の話もリリア嬢の「嫌」の一言で白紙に戻されたという噂まである。


 とまあこんな武勇伝じみた逸話も数々残しているリリアだからこそ、現在も低俗な飲食店の中、こうして庶民じみた日常を謳歌してしまっている訳だ。



 さて、そんな庶民派最前線の彼女だが、クルトに向ける目線は冷たい。勝手に連れ出した揚げ句「お金無いです」と店内で暴露されたのでは、ある種仕方がない部分もあるかもしれない。

 ただ、こんな顔をされては、フォーセリア代々に伝わる綺麗な翠色の瞳も、彫刻のように美しい顔も全てが台なしである。何よりジト目が怖い。 しかし、そんな残念美人リリアも、いつまでも阿呆を見つめ続けても楽しいはずがない。一般人クルトをしばらく睨みつけた後、目線を外の景色に移す。



「ま、しゃーないか」



 ため息混じりに一言呟き、目を閉じる。

 そして「わかったわよ」と。呆れ半分ながら何かを決したように言う。

 再びクルトに目線を向ける。そして目の前で何かねだるように見つめる馬鹿約一名に、慈悲の声をかけてやるのであった。



「今日の所は、あたしが奢ってあげる。好きな物頼みなさい」



 瞬間、先程まで枯れかけの植物のごとく萎びていたクルトの体が、まるで久々に水でも得たかのように、ぐわりと勢いよく起き上がった。



 しかし、ここでまた少し思い留まる。



(いや待て。このまま喜んでっていきたいのは山盛り……もとい山々なんだが)



 一つ、クルトには気掛かりな点がある。



(このままはいありがとうってんじゃ、俺、ジェントルマンとしてどうなの?)



 こういう事である。


 くだらないとは思うが、お察しいただきたい。

 クルトは元々、リリアに昼食を奢ってやるつもりでここまで来たのだ。その考えが、まさかの金欠で潰えるなどと、いったい誰が想像できただろうか。

 ましてや自他共に認める公式馬鹿のクルトに、それを察する高等な頭脳などあろうものか。


 しかも完全に崩れ去った上に、逆に自分が奢るとまで提案されたのだ。もう面目も糞もあったものではない。


 これはもう残念無念。うれしい反面、ひたすら惨め。すっごい惨め。「何よ? あんた優柔不断ってタチじゃないでしょ。早く決めなさいよ」



 どうだこうだと悩んでいるうちに、お嬢様から催促の声がかかった。そんなこと言われても、どうしようもない。決まらない。決められない。

 今更、本当に今更だが、クルトは男なのだ。いや、漢になりたい。


 色々悩み、そのまま底なし沼に沈んで行き、いよいよ苦悩という形で表情に出てしまう。


 一方、そんな様子を苛立ちながら見守っていたお嬢様は、一転してニヤリ。「あんた、まさか」と、口の両端をいびつに捩り上げた。



「今更あたしに奢ってもらうことに抵抗感じて、変な意地張ったりはしてないでしょうね?」



 ズバン。擬音語をあえて付与するならば、これがしっくりくるのではなかろうか。



「つーか、そもそもあんたにこれ以上堕ちる場所なんて無いっつーの。ほら、わかったらさっさと観念しなさい」



 ズババン。さらに追撃。堪える。今のクルトには、結構な勢いで。

 一方リリア嬢。これ至極愉悦といった表情でブロンドの長髪をかき上げ、「フン」と見下すように鼻を鳴らした。

 漢クルト、これにはさすがにムカついた。



(くっそ~! 絶対痛てえ目見せてやるからな)



 男として、これ以上の狼藉を許すほど穏やかな人間ではない。

 いわば荒波。本人曰く炎の熱血漢。他人から言わせればただのガキ。そんなクルトの堪忍袋の緒は、決して固く結ばれている訳ではないのだ。



 そしてたった今、一つの迷いは、塵一つ残さずさっぱり消え去り、クルトは一つ、大きな決断を下した。 勝利条件は、リリアに精神的ダメージを与える、及び昼食確保。方策は今から考える。


 という訳で、まずはその整った顔立ちすら醜悪かつ邪悪な笑みで崩壊させているリリア嬢から意識を離し、たまたま隣に座る男女二人組へと移す。

 とりあえず、この二人の会話から、作戦のヒントになり得る物を拾い上げる事にする。



「さ~て、今日はひっさびさの休みだし、飲み明かすわよ~」


「てか、姉貴もよく飲むよな~、こんな真昼間から。あ、俺はパスね」


「うっせ~馬鹿。ひっく。てめーがダメでも私が飲ます」


「勘弁してくださいホント。俺はね、この後あんたの介抱って、それはもう大事な仕事が――」


「あ~あ、もう注いじまったしぃ~。ほ~れ、飲め飲め」


「いや聞けよ。って、それ地元特産の――!」



 「あんた誰の金で飲んでんだこのクソ馬鹿アアァ!!」という一種の魂の叫びを聞いて、クルトはピンと閃いた。

 ――そうだ。最高値の物を意図的に頼んでやればいい。

 クルトの双眼に再び力がほとばしる。その動作が生き生きと、そしてきびきびとし始める。



「決めた! 俺、これにするぜぃ!」



 そして、ババン!と、メニューのうち一つを指差す。

 ジェントルマン? クルトにはまだ早い。

 遠慮? そんなものとっくに捨てた。



「うあ~。あんたねぇ……」



 逆にリリア嬢は、生気を吸い取られたように顔を歪め、頭を抱えて唸り始めた。



 全てクルトの計算通り。自分の失敗すら理解せずに、そう思っていた。いや、思ってしまった。 残念ながら、クルトが自らの過ちに気付くのは最後の最後、料理がその場に出されてからになる。

 ついでにリリアが頭を抱えた真の意味も。



 そもそも真正のお嬢様に、経済的攻撃など意味は無かったのだ。

 それに気付かなかった。気付けなかった。

 全ては、クルトの軽率な判断が生み出した当然の帰結。所詮馬鹿は馬鹿でしかないと認めざるをえない、そんな自滅行為。



 さて、どうせ数行後にはわかるであろう事だろうが、ここでネタバレも兼ねて、クルトの頼んだ料理を以下に記しておくとしよう。



 レイジーバードの丸焼き、推定約五人前。どう考えてもパーティー用である。



   ☆   ★   ☆







「ぐおぉ、う……」


「うわー、さっすが底無し」



 クルトがとある過ちを犯してから、どれだけの時が過ぎただろうか。


 結論から言うと、クルトは怪鳥と呼べなくもないサイズの鳥をなんとか完食するに至った。


 ただし、



「う、ぐ……うぁ……」



 死に体。完全無欠の死に体である。

 大食漢としてそれなりに名を馳せているクルトであったが、さすがにレイジーバードは荷が重かったか。胃もたれに苦しめられ、あえなく撃沈。そして、今ここである。



「ま、当然の帰結か」



 一方リリアはさも「他人事」とでも言うように、俗に「アイスクリーム」と呼ばれる白い氷塊をスプーンでつっつき回している。

 その態度には、気遣いを見せる優しさなど微塵も感じられなかった。「今の俺の視界にぃ……ありとあらゆる食い物を入れるなぁあ……!」


「知るか。そもそもあたしとあんたが向かい合わせで座ってるのが悪いんじゃないの。嫌なら勝手に横でも向いてろ」



 最近のお嬢様というやつは、おしとやかの文字から離れてきているらしい。

 クルトはその代表格たるリリア嬢に多少の恨みを覚えつつも、ギギギ、と、まるで潤滑油無しでは朽ち果てるしか道の無い機械のように視界を横へとスライドさせた。



 横倒しに見える世界は、実に味気無い。

 先にも述べたが、この店自体が少し外れの方に建てられている。そのため客足は鈍く、そもそも人通りも無いに等しい。


 しばらく眺めてみると、ようやく一人の少女が通り掛かった。


 人探しなのだろうか。辺りをキョロキョロと見回しながら、ゆっくりと進んでいる。


 垂れ目をあちらこちらを見回し、あたりを警戒しているようにも見える。

 彼女が視線をどこかに移す度、その赤みがかかった茶髪が、ほんの少し揺れる。


 目が合った。が、彼女はそんな事に気付くはずもなく、そのまま紫色をした瞳を、また別の場所へ向ける。



 そんな様子を生気の不足したまなこで、意味も無くただ見つめる。

 少女はゆっくりとながらも視界の端へ端へと移動していき、やがてはクルトが見ている景色から姿を消してしまった。



 再び、何ひとつ見えない無明荒野が広がる。この苦しみは、しばらく拭えない。

 クルト自身それを覚悟していたが、意外な事に、救いの手はすぐに差し延べられた。「大丈夫?」



 と。まるで天使の歌のような、そんな感動的な声が、瀕死のクルトの耳に届いた。


 まず断言しよう。声の主は、決してリリア嬢ではない。もともと心優しい性格かと言われると首を傾げたくなるような人物だが、増してや今はアイスクリームという存在が彼女の興味のほぼ全てを占めているはずだ。というかさっき冷たく突き放された。


 とすれば、必然的に別の人物という事になる。



「リ……コ……?」



 その人物の名前を、掠れたような声で囁く。その人物は、少し困ったような、それでも元気を与えてくれるような笑みを浮かべ、



「無理しないでね。多分、吐いたほうが楽だから」



 と、トイレがある方向を指差した。ついでに、肩も貸してくれるようなそぶり。

 もう感動のあまり泣きそうになりながらも、クルトはお言葉に甘え、彼女の肩を大人しく借りながら、地獄からの脱出ルートを一直線に歩き始めた。


 ちなみに彼女の名前はリコリス。この店の店主の娘――ただし、実の娘ではないとかで――であり、同時に昼の顔でもある。一部常連や友人からは「リコ」の愛称で親しまれ、その物腰や態度から彼女を嫌う人間は殆どいないとかで。

 現在は白いブラウスに黒エプロンといった出で立ち。栗色ショートヘアの上には白いカチューシャがちょこんと乗っておりまさしく営業モードといったスタイルである。

 その姿はまるで忠実なメイドのよう。ふざけすぎて酔い潰れたご主人様を介抱していると言われれば、全くそのように見えてしまうので不思議である。

   ★   ☆   ★







「はい、これ」



 綺麗に手入れされたトイレという尊い犠牲と引き換えに地獄を突破し、再びドアを開いてみると、リコがコップ一杯の水を手渡してきた。


 それをありがたく頂戴し、一口でグビリと飲み干す。

 そして「ぷは~」という声と共にコップから口を離した時には、その顔はもう「これこそが天国だ」とでも訴えかけているかのようにも見えた。


 そんな様子のクルトを見て、リコリスも笑う。


 ちなみにこのリコリス、クルトとはほとんど歳の差が無いとの事で、同年齢か一つ上下する程度だと言われている。

 だが、年上というのはピンと来ない。もともと背丈も低い上によく天真爛漫な笑みを浮かべ、その様子を見るに一つ二つ、いや、もっと下だと言われても何ら違和感が無い。

 いや、むしろこれはクルトの願望とも言えるのだろう。というか、クルトでなくてもこの手の男性諸氏は、彼女に妹キャラというポジションを求めているのかもしれない。



「もう無理しちゃ駄目だよ。それと、よくよくメニューは見とく事。今日で始めてじゃないでしょ?」


「あい」



 もっとも、相手がクルトである場合、リコの方が姉に見えてしまう気がしなくもない。いや、会話のレベルを考えるに、むしろ母と幼子か。



 ちなみに「わかっていながらレイジーバード出すとかどうなの」というツッコミも飛び交いそうな物だが、リコリス自身この一連の流れをひそかに面白がっているため、その辺はオールオーケーである。「おうう゛ぅえ……!」



 直後、誰かの苦しそうな声……もとい死にそうなうめきが、どこからか聞こえてきた。


 このうめき声は、断じてクルトの物ではない。他の、誰か別の人間が漏らした声。恐らく、これはクルトと入れ違いか。


 リコもそちらに目をやり、「あー……」と頭を抱える。

 そしてこちらを見据え、無理矢理にニッコリ笑ってみせる。



「ゴメン、行かなきゃ。また今度ね」



 苦笑交じりに別れを告げて、「大丈夫ですか?」と、声がした方へと駆け寄っていく。何となくクルトも、リコを眼で追っていってみる。そして彼女が止まった先は、自分たちが座っている席の隣。ある意味クルトが苦しむきっかけを作り出した要因となり得る二人組である。



(あいつら……)



 何と言うか、奇妙な縁を感じる。根拠はない。


 今にも吐きそうな茶髪ロングの女。一方黒髪の男は無表情。いや、よく見ると苦々しいような何かがかすかに見え隠れしている。



「うぅ、ヘルプ弟よ……」


「知るか。これを機会に猛省しろ」


「とりあえず肩貸しますよ~……。というかそろそろ学習してください」 かたや苦悶、かたや嘆息、かたや苦笑。三者三様違う表情でありながら、その全てがマイナス要素という点で統一されているのがどこか滑稽である。


 というか、リコの口ぶりから、あの二人も常連客のようだ。



「たま~にここで見かけるけど、あんたもあの人も、毎回似たようなオチ担当してるわよね~」



 「というかマンネリ?」と、お嬢様は興味無さ気につぶやく。ちなみに、いつもクルトの方が先に吐きに行くとはリリア嬢の言。 目の前の金髪少女を証人に、常連(“迷惑”)客としての勝敗は決した。



「おっし」



 気付けば、ガッツポーズ。本来心の中にとどめておくつもりだった。だが、何となくやった。いや、やってしまった。



「俺、勝ち組だよな?」



 さてクルトのために、一つここは弁護させていただこう。

 これは不可抗力である。仕方無い。

 この女性は、今トイレへと駆け込もうとする所だ。一方クルト。たった今、トイレから出てきた所。女性より一足早く用を足して、今、ここにいる。

 いくら相手が妙齢の女性と言えども、他人がリバースした後のトイレなど誰が進んで使おうものか。

 そんな惨事に出くわす前に、自分は先に天国へ舞い戻れた。これもクルトの思考だからこそ見出だせる些細な幸運である。

 もっとも、それを大声で高らかに宣言するのは、どう考えても常識的に間違っているが。



「あ~はいはい。そーですね」



 一方のリリア嬢は、至って冷静。つーか冷めてる。

 いちいち相手にするのが面倒と、テキトーに空返事で対応。目線を逸らし、相手をする気は皆無と明確なる意志表示。



「ちぇ、つまんねーな……」



 いつもの事とはいえ、クルト的には面白くない。

 別に「わ~すごい、やったわねクルト」とか、そんな全肯定が欲しい訳ではないが、もっとリアクションがあっても良いのでは、と思う。何がともあれ、これではクルトが単なる馬鹿のようだ(実際そのようなものなのだが)。 とまあそんな旨を伝えても、リリア嬢から返ってくるのは空返事ばかり。最終的には「うっさい馬鹿。いつになってもガキのままか、あんたは」と、もはや侮辱以外の何でもない言葉まで正面からぶつけられた。


 もう言葉もない。もはや言い返すことすら許されないまでに、軽くあしらわれてしまった。

 しかし、かといってスルーしていてもつまらないのもまた事実。というか腹が立つ。というかいい加減振り向いて欲しい。自分がいったい何をしたというのか。



――暇。



 このデザートだけは静かに食したいというのは、彼女の一種のこだわりなのかもしれない。だが、付き添いの人間(今回は彼女を突き合わせたのではあるが)は暇。ものすごく暇。


 しかも冷たい反応のせいで案外傷ついたりするのだ。



 ふと見れば、残りはあと一口分というところか。

 このわずかな時間が、彼にとっては一体どれだけ長い時間だっただろうか。


 彼女のマイペースに突き合わされ、ここまで合わせられるようになった。これは、彼にとっては一種の成長とも言えるのではないだろうか。何年前の話か。結局待ち切れずにリリアのアイスクリームを残りすべてかっさらい、心身とも瀕死に陥るまでしごかれた、あの日とは大違いだ。



「俺ってやっぱ成長してるよな~」



 ひとりでうん、うんとうなずくクルト。その横でリリアは首を横に傾げるのであった。こいつ、何か悪いものでも食べたか?と。   ★   ☆   ★






「……で」



 呆れ半分、というのが痛いほどわかる。



「結局、あれは何の暗示だった訳?」



 会計を済ませ店を出てからしばらく、クルトはリリア嬢の微妙にひんやりした視線にさらされていた。


 何故か? それはクルトにもわからないでもない。

 多分、あの時の自分はどうかしていたのだろう。


 さすがの彼も、今回の奇行については、自身で頭を抱えたくなる。

 水を口いっぱいに含んだままリリアの顔を見つめ続け、さらにその間ずっと変顔に挑戦し続けたことに、いったいどんな意味が、いかほどにあったのだろう、と。


 かといって今更「すみません、俺にもわかりません」というのも何かが何かなので、正直に答えるという選択肢は没である。これといった理由は無い。



「いや~、今日はいい天気ですなぁ」


「どんな話の逸らし方よ……」


「あ、伝説の勇者様が剣を持って――」


「もういいわよ、これ以上訊かないから」



 これ以上は無駄と悟ったか、手をパタパタと振り、クルトから目を離した。


 ――すべてを見通された感が激しく憎い。



 何か盤上をひっくり返すような作戦を考えねばと、クルトはしばし思案。それに伴い、二人の会話が途切れた。



 そして、タイミングを見計らったかのように悲鳴が上がり、“事件”は起きた――。




 悲鳴の次はざわめき、さらには怒号と続き、急に辺りが騒がしくなった。ある人は好奇心の命ずるままに騒ぎの中心に向かい、またある人は後ろから逃げるように追い抜いて行った。

 誰かが「光の使者」という単語が、かすかに聞き取れた。



「離れるわよ」



 後ろを顧み状況を確認しようとした瞬間、リリアに制された。不満を顔に目いっぱい表して、横を睨みつける。



「下手に手出しなんてされたら困るんだっての。いいから行くわよ」



 睨み返し、きつめの口調でくぎを刺し、リリアは有無を言わせず歩いていく。



(……気になる! すっげえ気になる!!)



 今にでも振り返り、何があったのか確かめたい。というかいっそ現場に自ら飛び込んでやりたい。



 だが、前を見れば小さくなっていくリリアの背。彼女の身に何かあれば一大事だし、多分何もなくてもクルト自身が死に直面することになる。

 このまま迂闊に現場に赴くことは、後々よろしくない方向に事態を傾けてしまうのは明らかであった。


 さらには、クルトの両手には重い荷物の塊。何か行動を起こすにも邪魔でしかないし、地面に落してしまうようなことがあれば、ほぼ確実にオーバーキルされる。


 誰がどう考えても、立ち止まる事のデメリットは計り知れない。立ち止まるわけにはいかなかった。

 非常に野次馬精神掻き立てられる事態ではある。しかし今回は早い所離れなければ、リリアないし自分の身が危ない。


 今は何より命が惜しい。未練を断ち切るように首を振ると、クルトはリリアの背を追って走り始めた。 リリアに追いつき、そこから並列するように、彼女について行く。



 後ろの方での騒ぎが、何やら思い切り拡大したようだ。よく判別できないが、端々で「やる気か」とか「殺すぞ」とか、かなり物騒な言葉も聞こえる。



(くそっ、一体何が!?)



 どうやら、色々と大変な事になっているようだ。

 気になる。見てみたい。というか、いっそ飛び込んで行きたい。


 ――もういい加減、我慢ならない。



「なあリリア」


「駄目よ」



 言う前から即答だった。



「いや、ちょっと見に行くだけだから」


「その“見に行くだけ”のはずが、いつも大騒動引き連れて逃げて帰ってるのは、一体どこの誰よ?」


「う、ぐ……」



 もはや言葉も出なかった。確かに、気になって見に行ったはずが、謀らずも幻獣やら盗賊やらに追い回される羽目になっているのだ。そこを突かれると、もう反論できない。



「わかったら、さっさとここから離れる事ね。今回はあきらめなさい」



 もうどうしようもなかった。「そこを何とか」とか言ってもどうせ無視されるだろうし、今はおとなしくしているしかない。

 それ以降無駄な抵抗は試みず、今回は引き下がる事にした。

 が、しばらく無言が続いた後、一つ、異変に気付いた。



「なあリリア」


「今度は何よ?」


「なんか、近付いてきてないか?」



 後ろの騒ぎ声やら何やらが、さっきよりも近くに感じる。


 リリアも異変には気付いたらしく、「確かに」と考え込むように目を細める。そして、クルトを真っすぐに見つめ、一言。



「急ぐわよ」



 と。そう強く言ってリリアは足を速めた。 仕舞いには走り始めたリリアの背を追従しながら、少しだけ振り返る。


 見えたのは、光の使者の象徴である白いマントを羽織った、一人の男であった。

 その肩には、一人の少女。先程挙動不審気味にクルトの目の前を過ぎ去っていた彼女と同一の人物である。



「嫌です、離して!」


「うるせえ、黙ってついてきやがれ!」



 男の肩に担がれた少女が、その束縛から逃れようと手足をばたつかせている。

 一方の男は、必死に少女が動けないようにがっちり固定しようと、両手で必死にその華奢な体を押さえつけていた。



 不意に、男が少女の体に拳を打ち込んだ。短いうめき声を漏らし、彼女は抗うのをぴったりと止めてしまった。

 それからは一切抵抗らしい抵抗を見せず、男の肩でぐったりしていた。



(くそっ、ホントに一大事じゃねえか)



 光の使者が絡んでいるのだ。放っておいては後味が悪い。


 光の使者と言えば、「救われぬ者に救いを」とのフレーズのもと数年前まで活動を続けていたと聞く。

 八年ほど前に過激な連中がワテルガルズの行政府を直接襲撃したりと問題は起こしていたが、決して弱者には手を出さない組織だったはずだ。


 しかし数年前には活動を停止。今ではそんな高潔さはどこへやら、どういうわけか夜盗集団として市民に恐れられている。


 そんな夜盗連中の悪行を目の前でむざむざ見せつけられ、何もしない。はたして、そんな事が許されていいのだろうか。


 出来るなら一発ぶん殴ってやりたいが、それが無理でも、せめて少女だけは助けてやりたい。「おい、リリア!」



 気付いたら、怒鳴るように呼び掛けていた。



「いっそ迎撃しようぜ! これなら逃げても意味無ぇよ!」



 勢いに任せ、叫んだ。

 少女が誰とかそんなことは知る余地もないが、だからと言ってみすみす見捨てるのは、さすがに許容できない。



「いいから黙って離れろ! こういうのは警団に任せるべきでしょうが!」



 だが、少女救出は許されない。リリアはそう吐き捨て、いきなり方向を転換し、路地裏へと駆け込んで行った。

 それを追うようにクルトも急カーブし、――あろうことか、男もそれを追従、迷いもなく走り込んできた。



「って、なぜ追ってきたし!?」



 「意味無ぇ!」と、リリア絶叫。

 そうする間にも、男は少女を担いだまま、その距離を縮めてくる。


――追いつかれる。


 クルトも、そしておそらくリリアも、それを理解しただろう。

 その予測に限りなく忠実に、男はクルトの背中の間近まで迫ってきた。


 そして並列。少女を担いだまま、そのまま追い抜こうとクルトの脇をすり抜けようとし、――


 ――「ぎゃ!?」と間抜けな声を上面に突っ伏し、勢いに流されるまま、塗装されていない道をゴロゴロと二転三転した。



「……あ」


「もっとも恐れていたことが……」



 見れば、チョコっと足を横に出している。無意識下に引っかけたらしい。


 男はしばらく悶絶した後に、なんかすごい目でクルトを睨みつけてきた。

 鼻からはぼたぼたと血を垂れ流しており、かなり強く顔を打ったであろう事は容易に想像できた。「てめぇ、何しやがる!?」



 鼻血まみれの男が、凄い眼光で睨み付けながら叫んだ。

 一方のやらかした側は、両手に荷物を抱えてキョトン。途方に暮れていた。


 横合いから、「貸しなさい」、と。リリア嬢が両手を差し出している。どうやら、荷物を預かってくれるらしい。

 ただしその顔は呆れと怒りに満ち溢れており、全体から男とどっこいどっこいの威圧感を感じる。後々粛正を食らうのはほぼ間違いなさそうだ。


 自身の今後を思いため息をつき、荷物をすべてリリア嬢に手渡す。

 それを黙って受け取り、リリアはさっさとクルトから離れて行った。

 その一連を横目で見届けた後――



「その娘を放せ」


「とっくに手放してんだよ! 見てわかんねーのかてめぇは!?」



 ――真顔になっても、シリアスに決められないのであった。

 確かに少女は、今地面に横たわっていた。クルトが無意識に足払いをかけた際に、少女も男の肩を離れすっ飛んだのである。


 「あ」とまたやらかした的な顔をした後、咳ばらいで仕切り直す。

 そして今度こそはと、再び男の顔を睨み据えた。



「何でその娘を連れ去った?」


「ハッ、答える義理なんて無ぇよ。てめぇなんぞに口を割るか」



 男は、まるで答えるつもりなど無い様子だった。口角を吊り上げ、不敵に笑っている。

 お互い相手から目を離さず、次の動向を探っている。


 しばらく、沈黙が続いていた。共に動かず、ただ睨み合い、神経ばかりを尖らせていた。



「なあ、兄ちゃん」



 やがて、膠着は男の方から破られた。「何で俺の邪魔をした?」


「――へ?」



 意外な質問――というより、真面目に答えると色々アレな質問だった。「たまたまです」などと言っていいのか。かと言って、変に嘘をついても、それはそれで問題がある。



「へ、じゃねぇよ! てめぇ何しに俺を邪魔したかって聞いてんだよ!」


「ええ、と……。気付いたら足が勝手に?」



 結局、正直に答えました。



「ふざけんな! 光の使者ナメてんのか、てめぇは!?」



 男、マジギレ。さすがに不服だったようで、もう形相が色々ヤバイ。当然といえば当然の反応だろうが、それにしても顔がヤバイ。

 そんな危険極まりない形相のままポケットから勢いよく手を出し、それをクルトに突き付ける。



「ナイフ――!?」



 突き出された手に握られていたのは、ナイフというか小刀の一種であろう刃物だった。だいたい刃渡り五十センチくらい。まともに刺されば痛いじゃ済まないだろう。

 対してこちらは丸腰。得物など持ってきているはずもない。



「どーだ。俺だって、殺しくらい余裕で出来るんだよ! 光の使者ナメんなクソが!!」



 ――何と言うか、色々大変な事になった気がする。

 謀らずも、事態は着々と悪い方へと転がっている。


 戦っても面倒なだけだし、何より危ない。とにかく男の注意を逸らし、その隙に少女を連れて逃げる。今はその方法を考えるとする。



(くそっ。何か、何か良い手は……)


「何ボサッとしてやがる! ブルってんのか!?」



 男の方は、完全に血が上っている。これでは、いつ突進してきても不思議ではない。

 早く、早く何とかしなくては――。



(ええい、くそ。こうなりゃ典型的なアレで!)



 妙案は思い浮かばず。結局クルトは妥協案での対応を決め、自身の命運を中途半端な言霊に載せ、言い放った。





「あ、綺麗なねーちゃんが全裸で徘徊してる!」 ――――――。





 ワテルガルズの冬は寒い。いや、現在の季節は春先で暖かくなってきているのだが、一瞬だけ、そんな真冬の厳しさが戻ってきたような、そんな錯覚さえした。




 外した。さしものクルトも、こればかりは悟った。悟らずにはいられなかった。


 背後をちらりと見ると、リリア嬢は頭を抱え、ため息一つ。でかい。その後、口が「馬鹿」という文字を形作っているのも確認できた。

 呆れ返っているのは明白だった。



 一方策に引っ掛からなかったこの男、こめかみをヒクヒクと引き攣らせたかと思うと、



「……ざっけんじゃねえぞ、このクソ野郎が!!」



 と、魂の叫びともとれる言葉を絶叫した。

 目は充血。こめかみに浮かんだ青筋は、別の生物の如くドクドクと脈打っている。鼻血まみれの顔が怖い。



 まあ当然と言えば当然である。何を考えてかは知らないが、こんなところで目論見をあっさり潰され、挙句の果てふざけたような謎の発言。

 それはもう、ここで怒らずしていつ怒る、といった感じのシチュエーション。彼の道徳性こそ疑われど、妨害を受けてからの行動は、周囲を納得させるには充分な一般性があった。

 とはいったものの、相手は誘拐犯。先述の通り、道徳性は少なからず欠如している。

 「やっちまった」と狼狽するクルトを一直線に睨みつけ、



「ぶっ殺してやる。そこ動くな!」



 と。


 その台詞には言葉の意味通り、男の顔には溢れんばかりの殺意がにじみ出ている。

 多分、マジで殺される。すっごく殺される。夜盗連中の一味にして誘拐犯なら、まずもってやりかねない。



 もう、後には引けなかった。 クルトを殺気満々で睨みつけながら、血まみれの男は腰を落とし、突きの構えをとる。そして一直線に飛び掛かってきた。その勢いたるや、少女を担いでいた時の比ではない。

 普通の人間なら、為す術無く喉元を掻き切られたであろう。

 一方、能筋クルトはというと



「危ねえ!?」



 と、そう言いつつも事もなげに左へ回避し、ちゃっかり右足だけを残し、すんなり相手を転倒させるのに成功している。


 顔が本気で焦っているぶん、男から見ればさぞ不気味に映っていることだろう。しばらくキョトンと、立ち上がるのすら忘れてクルトを眺める。

 そして我を取り戻し、今のは偶然と再び突進を試みる。



「こ、この野郎、ちょこまかと!!」



 二度、三度、突いても、切っても、払っても、ひらりひらりと男の攻撃をかわし続ける。

 そして幾度とそんな茶番を繰り返した後、「こんにゃろう!!」と殺意というかは子供の喧嘩に近い雄叫びと共にワンパンチをカウンターで炸裂、見事顔面へと直撃させ、誘拐犯を完全無力化した。

 リリアが「うあ」と感嘆(?)の声を上げる一方、当の本人はしばらくキョトンとした後、



「ハッ、覚えとけ。悪の栄えた試し無しってな」



 と、微妙に大喜利。しかしその肩は上下し、額からは一筋の汗が流れ出ていた。


 実を言うと、少年クルト、素手での喧嘩は幾度も経験しているとはいえ、武器を持った人間を相手取った経験はそう多くない。

 普段は護身用に拳闘術や銃やナイフの扱いを学んでいるが、まだ習い始めて数ヶ月ばかり。

 ましてや素手で武器持ちを相手にするなど、今回が初めての試みである。



 さて、彼は本当に人間なのだろうか。「はぁ~。ホントやってくれるわね」



 と、背後からリリア嬢。ちゃっかり護身用に持っていたであろう拳銃を構えていた辺り、一応はクルトの身を心配していたようにも見える。


 銃を腰の辺りに収め、安堵のため息。しかし代わりに道端に置いた荷物を両手に持った瞬間、リリアの表情は一変。無言で重圧を発しつつ、スタスタとこちらに向かってきた。


 そしてばたんきゅーと倒れ込んでいる男を一瞥、キッという擬音語とともにこちらを睨みつけてくる。



「アホ」


「待て! あれは不可抗力であってだな――」


「それはそうと」


「聞けよ!」



 クルトの言い訳など、はなから興味はないらしい。全てを簡易な一言に込め放ったリリアの目線は、次はその男の転倒とともに投げ出された少女へと向けられた。



「どうすんのよ、この娘」



 別に忘れていたわけではないが、確かに“その後”について考える余地も無かった。



「えー、ここはだなあ………………どうしよ」



 ため息。それもかなり大きい。しかし、リリア嬢にとってはそんな事など予測の範囲内らしく、少しきつめにクルトを睨みながらも、始めから用意していたであろう案を、目の前の馬鹿に提示した。



「とりあえず、うちに連れて行きましょ。こんな場所で目覚めるのを待ってもアレだし」


「おお、それだよ、今俺が言いたかったのは」



 さすがに頭が痛くなったのか、リリア嬢は目頭を押さえ、「ったく」と頭を垂れる。

 もう色々嫌になったのか、目を閉じたまま少し唸り声を上げる。そして再びこちらを向いた目には、少しばかり疲労の色が見えた。



「まあ、原因はあんたにあるんだから、あんたが責任持って担いで行きなさい――て嫌な顔すんな、荷物はあたしが持ってやるから」



 いよいよ、疲労と怒りとが眼光に混じって外の空気に溶け込み始めたようだ。



「はぁ~。ホントやってくれるわね」



 と、背後からリリア嬢。ちゃっかり護身用に持っていたであろう拳銃を構えていた辺り、一応はクルトの身を心配していたようにも見える。


 銃を腰の辺りに収め、安堵のため息。しかし代わりに道端に置いた荷物を両手に持った瞬間、リリアの表情は一変。無言で重圧を発しつつ、スタスタとこちらに向かってきた。


 そしてばたんきゅーと倒れ込んでいる男を一瞥、キッという擬音語とともにこちらを睨みつけてくる。



「アホ」


「待て! あれは不可抗力であってだな――」


「それはそうと」


「聞けよ!」



 クルトの言い訳など、はなから興味はないらしい。全てを簡易な一言に込め放ったリリアの目線は、次はその男の転倒とともに投げ出された少女へと向けられた。



「どうすんのよ、この娘」



 別に忘れていたわけではないが、確かに“その後”について考える余地も無かった。



「えー、ここはだなあ………………どうしよ」



 ため息。それもかなり大きい。しかし、リリア嬢にとってはそんな事など予測の範囲内らしく、少しきつめにクルトを睨みながらも、始めから用意していたであろう案を、目の前の馬鹿に提示した。



「とりあえず、うちに連れて行きましょ。こんな場所で目覚めるのを待ってもアレだし」


「おお、それだよ、今俺が言いたかったのは」



 さすがに頭が痛くなったのか、リリア嬢は目頭を押さえ、「ったく」と頭を垂れる。

 もう色々嫌になったのか、目を閉じたまま少し唸り声を上げる。そして再びこちらを向いた目には、少しばかり疲労の色が見えた。



「まあ、原因はあんたにあるんだから、あんたが責任持って担いで行きなさい――て嫌な顔すんな、荷物はあたしが持ってやるから」



 いよいよ、疲労と怒りとが眼光に混じって外の空気に溶け込み始めたようだ。「いや、だって、だってだぜ? 一応コイツをのしたんだし、俺だって体力の限界が――」


「う~る~さ~い~」


「ぬぉおい聞けえぇ!!」



「そんなんじゃないわよ。それに収容所なんて無いんだし、どーせこの後ウチで預かる羽目になるんでしょ。だったら、変に回り道するよか、こっちのがよっぽど楽でいいわ」


「だから俺は――」



 納得も同意もできない。

 クルトはなおも頑なに講義を続ける。


 ――が。

 その言葉は、リリア嬢が取り出した何かを口にねじ込まれた事によって、完全に封じられた。



「――んあ?」



 突き付けられた何かを、凝視する。

 小さくも厳つい、黒い塊。なんか冷たい。



(――銃?)



 そう、銃。紛れもない銃が、こちらの口に押し込まれている。

 それをしばらくぼんやり見つめ――



(って銃っすかー!?)



 間違いなく殺る気満々である事に、ようやく気付いた。

 だが、時既に遅し。自身の危機を察した時には、もう身動きなどとれる状況ではなくなってしまっていた。 目を細め、ニヤリと不気味に笑い、リリア嬢はクルトに優しく語りかける。



「あんたのために特別に製造した催涙弾よ。そんなに心配しなくても、別に死にはしないわ」


(いや殺される。普通に撃たれるよかエグイ形で殺されてまう!?)



 慈愛もクソもない。


 さすがに身の危険を感じたクルトは、両手を上げて後ずさる。

 そして舐められないよう最大限の強がりを発揮して、平静を装い口を紡ぐ。



「ま、まあ何だ。これくらい文句言わずにやってのけるのが紳士ってやつか」



 不承不承だが、命には替えられない。

 ここはリリアに全面恭順の意を示し、喜んで少女を担ごうと一歩近付く。

 が、その時――



「うおッ!?」



 何かが飛んで来たのを辛うじて確認し、とっさにその場を飛び退いた。先程までいた場所からは、かすかに煙が上がっている。

 後ろから、ドサリと荷物が地に落ちる音がした。どうやらリリアも、即座に臨戦態勢を整えたようだ。



 再び、何かが飛んでくる。



「――火?」



 そう、火。紛れもない火の弾が、こちらへと一直線に飛んで来たのだ。


 慌ててその場にしゃがみ込む。炎はクルトの頭上を通過。ボジュという音を立ててコンクリの壁に激突し、消滅した。



「ふむ、完璧な奇襲であったと思ったのだがな。まさか回避されるとは」



 重厚な声がした。



「誰だ!?」


「そこに倒れている男の上役だよ」



 その尊大な声音で答え、また一人、男が姿を現した。

 歳は若くない。目測では三十半ばか。立派に伸びた顎髭は丁寧に手入れされていた。



「いや、光の使者総統――と言えばわかるか。名をディモスという。まあ、覚えておきたまえ」



 カツッ、カツッと、高級感の漂う革靴を鳴らしながら、ディモスと名乗る男が近づいてくる。 そして男の前で立ち止まると、蔑むような視線をこちらに向けてくる。



「私は、この者のような野蛮な手は好まぬ。先程の炎で、私の力は理解したであろう。君たち凡人では私に勝てぬ。少女をこちらに渡すのだ」



 発せられる言葉の端々には、侮蔑と驕りが見える。一見は紳士的だが、その性根は腐りきっているらしい。



「その子を連れ去って、いったい何がしたいってんだ?」



 ディモスは「ふん」と鼻を鳴らし、一度顔を逸らす。

 そして再びクルトを濁った目で見据える。



「そこの娘は、少々特別でな。君たちのような凡人には、扱いきれない代物なのだよ。危険人物なのだ。暴発すれば無差別に人を殺すほどのな」


「は? お前、いったい何を――?」



 話の内容が読めなかった。何の変哲もない、ただの少女である。手配書にも、こんな顔は載っていなかったはずだ。


 ――この男は、何を言っているのか。



「まあ、そういうわけだ。我々には、むしろ感謝してもらいたいくらいだな。何せ、ばらまかれた危険な粒子をわざわざ善意で回収してやっているのだからな」


「おい、待てよ!」


「何かな? 私は忙しいのだが」



 男の目にある侮蔑の色が、一層色濃くなる。



「何の話か、まったくわからねぇよ。お前は何が言いたい!?」



 クルトが叫ぶのを「醜い」とでも言いたげに、ディモスは大きくため息をつく。

 そして、隠していた苛立ちを表出させ、苦々しい表情で、あからさまな侮蔑の言葉を口にした。



「君たちのような凡人、凡愚に話しても無意味な事だったか。まあ、君たちは非常に無知な存在だ。何も知らされていない」 散々馬鹿にしたような台詞を吐き散らし、「ふん」と再び鼻を鳴らす。

 そして、目に僅かな怒気と殺気を込めて言い放った。



「まあ、君が私の言う事を素直に聞かぬ人間なのはわかった。もう何も言うまい」



 ため息混じりに、言葉を紡ぐ。



「――消えろ」



 一言。ディモスという男が、本性を出した瞬間だった。

 もはや、先程までの見栄も建前も存在しない。ただ、腹が立つ。ただ、欝陶しい。


 そんな彼の気持ちが、ただ「消えろ」の一言に込められていた。



 紙のような物を袖から取り出し、何かを呪詛のように呟く。そして、



   火球の術!

「Burnning Bullet!」



 ディモスの号令と共に、再び火の弾丸が射出された。

 真っ赤に燃え盛るそれは、クルトを目掛け一直線に向かってくる。



「――くっ」



 すんでのところで、体を右に逸らし回避する。

 幸いそこまで無茶苦茶な速度ではなく、回避は不可能ではなかった。


 目標から外れた火の弾は近くのコンクリに突き刺さり、ぼじゅ、と音を立てて消滅した。



「おい、いったい何しやがる!?」


「私は、そこの娘を渡せと言ったのだ。君のつまらぬ問いに答える暇はない」


「てめぇ、手荒な真似はしないんじゃなかったのか!?」


「臨機応変だよ。君があまりに見逃してくれそうになかったのでね。当然の措置だ」



 そう言って新たに紙を取り出そうと袖に手を入れる。

 そして再び紙を手にして何かを唱えようとしたところで、渇いたような銃声が辺りに響いた。「ぐ、ぬ――!?」



 ディモスが手の甲を押さえ、表情を苦悶に歪めた。

 押さえた辺りからは血が流れ、朱く濁った滴となって地面を染めていく。



「貴様、何を――!?」


「まったく、黙って聞いてれば、いちいちムカつく奴ね。つーか、あたしを無視すんな」



 口から煙を出している銃を構え、リリアがこちらに近付いてきた。

 苦しげに睨み付けるディモスに銃口を向けたまま、彼の顔を鋭く見据える。



「さっきからわけわかんない事をペチャクチャ喋って得意がっていようだけど、どうやらここまでのようね。観念なさい」



 リリアがそう言うとほぼ同時、騒ぎを聞いた警団が駆け付けてきた。

 これを見ると、ディモス血相を変えて駆け出し、男を倒れている男と少女を置いて人込みに紛れ込んでいってしまった。



「待て、この!」



 すぐに追いかけようとするが、あっという間にどこかへと消え去り、姿が見えなくなってしまった。


 隣で忌々しげに舌打ちをするリリアは、どこか苛立ちを隠せないでいた。苦々しい顔をして、ディモスの逃げ去った方向をじっと見ている。



「おお、フォーセリア嬢ではありませんか」



 と、警団の呼び掛けに反応し、目線を声がした方に移す。



「おや、そちらの娘は?」


「気にしなくていいわ。こちらで保護しておくから」


「そうですか」



 少女に歩み寄ろうとした警団を制すと、彼はあっさりと身を引いた。

 フォーセリア孤児院ならば、安心して預けられると判断しての対応だろう。



「では、何があったのか、詳しくお聞かせいただきたいのですが」


「……クルト、先に戻ってなさい。荷物はあたしがどうにかするから、その娘をお願い」



 警団の事情聴取に応じる姿勢を見せると、リリアはクルトにそう言い付けを残し、そそくさと立ち去って行った。「……つーか、本当にいいのか、警団に預けなくて?」



 素朴(?)な疑問を口にし、クルトは少女に歩み寄り、担ぎ上げた。


 一連の騒ぎが収まったためか、人だかりすっかり消え失せ、辺りはいつも通りに戻りつつあった。



「うし、戻りますか」



 後は、特別やる事も無い。この少女を連れて、自身の家であるフォーセリア孤児院に戻るだけだ。

 クルトは、担ぎ上げた少女を背中に負ぶると、孤児院を目指しゆっくりと歩き始めた。



 ――それにしても、よく眠る少女だと思った。あそこまでの騒ぎになりながらも、まったく目を覚ます気配が無いのだ。

 多分、余程頭を強く打ったのだろう。あるいは、何か別の要因か。


 いずれにせよ、責任の一端はクルトにもありそうだ。この少女が目を開けた時、きちんと謝っておかなければなるまい。



(……あれ? ホントに大丈夫か、これ?)



 ――と、考えてみて、少し心配になってきた。

 あれだけの騒ぎになったのだ。そこまで長時間気を失っているわけではないにしろ、あれだけの騒動にもなれば、普通は起き上がる。

 にも関わらず、この少女は意識を取り戻さない。


 というか、自分の足払いが原因で脳にダメージを負い意識不明の昏睡状態、なんて事になれば、もうギャグとか笑い話どころではない。



(……ヤバイ)



 自分の軽率な、というか本能的無意識的な行動が、むしろ事態を悪化させたのかもしれない。

 そう思うと、気が気ではなかった。


 意味もなく速足になり、あちらこちらを挙動不審にキョロキョロ見渡す。(やばい、やばい、やばいってこれ! 俺駄目な奴じゃん。助けといて実はかなり危ないとか、どんだけだよ! 笑えねえ!)



 どうかなってしまいそうだった。頭が混乱して混沌して、色々とパニックになりそうだった。


 もし、これが自分の手荒な救助がもたらした結果だとしたら。自分が手出ししなかったとして、その後もっと安全かつ確実に彼女を助けられる誰かが控えていたとしたら。


 だとしたら、本当に笑い話では済まされない。



 と、そこへ――



 ――ぐぅ~、と。


 緊張感を感じさせない音が、慌てふためくクルトの耳に届いた。



「――へ?」



 少女に、目をやる。そして、辺りを見渡す。自分たち以外に、人の姿はなかった。



「――あ」



 ――腹減ってんのか。

 気の抜けた音は、間違いなく少女から聞こえたものだった。

 よく耳を澄ませば、かすかに寝息まで聞こえてくるではないか。



「なんだよ、実は案外問題無しか」



 どうやら、取り越し苦労だったらしい。


 途端に安心して、なんだかおかしくなり、ひとり笑った。

 幸い、フォーセリア孤児院はもう間近である。後は、意識の回復を待つのみ。


 どうやらこれで、後味の悪い思いはせずに済みそうだ。色々あったが、クルトの気持ちは、どこか和やかなものだった。




 追記。リリア嬢が事情聴取を終えて戻った時、クルトは本当の地獄を見たという。

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