第39話 白銀の聖女は罠にかかる
次の休みまで、あと4日。
限定タルトのことも気になる。
エミリアとアルベルトが一緒にフィオレへ行くことも、かなり気になる。
けれど、その前に。
「右腕を出せ」
ヴァルガスの工房で、リリアーヌは素直に袖をまくった。
「はい」
「前の試作品を、実戦で使ったんだろ」
「少しだけ」
「どのくらいだ」
「3割くらい」
「少しじゃねえ」
大きなため息をつかれた。
隣では、ガルドが腕を組んでいる。
「俺もそう言った」
「でも、壊れなかったよ」
「壊れなきゃいいと思ってんのか?」
ヴァルガスが、机の上に置かれた古い試作品を指す。
黒い金属板の一部に、わずかな歪みが残っていた。
「ここだ」
「どこ?」
「見えねえなら触るな」
「触ってないよ」
「今、触ろうとしただろ」
「……ちょっとだけ」
◇
前の試作品は。
染色工房で魔物を殴った後、すぐにヴァルガスへ渡していた。
そして昨日。
修理だけでなく、衝撃を逃がす構造にも手を加えられた改修品を受け取った。
今日は、その正式な試験だ。
「前より衝撃は逃がせるようにした」
ヴァルガスが、改修した籠手を持ち上げる。
「だが、お前の全力を受けられるとは思うな」
「もう少し金属を厚くすれば?」
「簡単に言うな」
金属を厚くすれば、腕が動かしにくくなる。
重くすれば、拳を振る速度も落ちる。
硬くするだけでは、衝撃がそのまま腕へ返ってくる。
「拳だけ守ればいいと思ってたけど、違うんだね」
「やっと分かったか」
ヴァルガスは、籠手の手首部分を指で叩いた。
「殴った力は、拳だけで消えねえ。手首、前腕、肘、その先まで伝わる。だから、籠手全体で逃がす」
「私が《聖》を集中させる時とは逆だ」
「何だ?」
「こっちの話」
ノアから聞いた《固定する》《状態を維持する》という考え方。
それを使い、右腕へ集めた《聖》を散らさず保つ。
一方で、籠手は打撃の衝撃を腕全体へ分散させる。
魔力は集める。
衝撃は逃がす。
同じ右腕なのに、必要なことは正反対だった。
◇
「今日は何割まで?」
「2割だ」
「前より下がってる」
「この籠手では、まだ1度も試していないだろう」
「もう腕は治ってるよ」
「治ってることと、負担が残ってねえことは別だ」
昨日、ガルドにも同じことを言われた。
この周りには、正論を言う人が多すぎる。
「それに」
ガルドが言う。
「今日は威力を上げるための試験じゃない」
「じゃあ、何のため?」
「同じ力を、何度でも出せるようにする」
「……必要?」
「実戦で毎回全力を出すつもりか?」
「それは無理」
「なら必要だ」
「はい」
◇
工房裏の試験場へ移動する。
厚い木材が、地面へ固定されていた。
以前殴った丸太より、少し細い。
「これを割らない程度に殴れ」
「その注文、難しくない?」
「それが訓練だ」
改修された籠手を装着する。
指を動かす。
前より手首が自然に曲がった。
「動きやすい」
「関節の板を1枚減らした。その代わり、内側の組み方を変えてある」
「どうやって?」
「説明しても分からん」
「そこまで言わなくても」
ヴァルガスは、説明する気がないらしい。
◇
リリアーヌは木材の前に立った。
右腕へ《聖》を流す。
肩から肘。
肘から手首。
そして拳へ。
拳だけに寄せすぎない。
流れを切らず。
必要な場所から逃がさない。
(2割)
踏み込む。
拳が木材へ当たった。
鈍い音。
木材が大きく揺れ、表面に亀裂が走る。
「強すぎる」
ヴァルガスが言った。
「2割だよ?」
「今のは2割を越えてる」
「ちょっとだけでしょ?」
「そのちょっとで、相手が死ぬこともある」
リリアーヌは口を閉じた。
「もう1回。今より抑えろ」
「はい」
2回目。
今度は、小さな跡が残るだけだった。
「弱すぎる」
「……難しい」
「だから練習するんだ」
◇
それから何度か繰り返した。
強い。
弱い。
少し強い。
ようやく。
同じ程度の深さで、2つの亀裂が並んだ。
「今のは?」
「近い」
「やった」
「喜ぶほどじゃねえ」
「ちょっとくらい褒めてよ」
「完成してからだ」
ヴァルガスは籠手を外させ、内側まで細かく確認する。
「歪みはない。低出力なら使える」
「高出力は?」
「まだだ」
「いつ?」
「急かすな」
「でも、敵は待ってくれないよ」
「敵が待ってくれねえからって、未完成の道具で腕を潰したら、もっと困るだろ」
リリアーヌは黙った。
それも正しい。
「それに、お前が覚えるべきなのは、強く殴る方法だけじゃねえ」
ヴァルガスが、並んだ亀裂を見る。
「必要なだけ殴る方法だ」
強い力を持つことと。
その力を扱えることは違う。
「……分かった」
「本当に?」
「たぶん」
「ガルド」
「俺が見張る」
「私の返事は信用されてないの?」
「実績の問題だ」
◇
工房を出る前。
ヴァルガスが呼び止めた。
「嬢ちゃん」
「何?」
「染色工房の話だ」
リリアーヌの足が止まる。
「どこまで知ってるの?」
「俺のところにも衛兵が来た。最近、特殊な金属細工を頼まれなかったかってな」
「……何て答えた?」
「心当たりはねえと答えた」
「私の籠手は?」
「衛兵が探してるのは、薬を入れる細い器具や、魔物につける首輪だ。籠手の話はされてねえ」
「そっか」
少し安心する。
「だが、気を抜くな」
ヴァルガスは声を落とした。
「王都の鍛冶屋や革職人にも、同じように聞いて回ってるらしい」
衛兵が、魔物や実験体に使われた道具の製作者を探している。
調査が進むこと自体は悪くない。
ただ。
「衛兵と同じことを探してる奴が、他にいないとは限らねえ」
白銀の聖女を探す者たちも。
装備や道具を作る職人から、こちらへ辿ろうとしていた。
「分かってる」
「ならいい」
ヴァルガスは、それ以上何も言わなかった。
◇
屋敷へ戻ると、リゼが待っていた。
「ちょうどよかったです」
「何かあった?」
「フィナから報告が届きました」
差し出された紙を読む。
王都南部。
染色工房から逃げた者のうち、1人と思われる男が見つかった。
ただし。
「追ってないの?」
「途中でやめさせました」
「どうして?」
「不自然だったからです」
リゼが机に地図を広げた。
「男は人目を避けながら移動していました。ですが、何度も後ろを確認しています」
「追われていないか警戒してたんじゃない?」
「最初は、フィナもそう考えました。ただ」
地図の上を指でなぞる。
「フィナが距離を取ると、男も速度を落としています。一度は立ち止まり、靴を直すふりまでしたそうです」
「……待ってた?」
「そう見えたと」
追跡を警戒しているのではない。
誰かがついてきているか確認している。
それも。
途中で見失わないように。
「追わせたかったんだ」
「可能性があります」
男が向かったのは、王都南東部。
人通りの少ない倉庫街だった。
◇
「罠だね」
「私もそう考えます」
「フィナは見つかってない?」
「おそらく」
「なら、そのまま見失ったことにしてもらおう」
「はい」
リリアーヌは少し考える。
「シオンには、離れた場所から周辺を確認してもらって。地下室や、別の出入口があるかもしれない」
「すでに向かっています」
「ガルドは?」
「念のため、近くで待機しています」
動きが早い。
リリアーヌが戻る前から、必要な手配が進められていた。
「それなら、私は行かない」
リゼが少しだけ目を見開いた。
「何?」
「いえ」
「私だって学習するよ」
「失礼いたしました」
「何、その言い方」
前回。
相手は、魔物と捕らえた人間を使い、白銀の聖女を誘い出した。
そして実際に。
自分は姿を見せた。
なら。
次も誘い出そうとしてくるのは当然だ。
「衛兵に情報を流せる?」
「出所を隠せば可能です」
「お願い」
自分たちで突入する必要はない。
怪しい場所が分かったなら。
正式に動ける人間へ渡せばいい。
「今度こそ、罠にはかからない」
リリアーヌは地図を見ながら言った。
◇
その日の夕方。
衛兵が倉庫へ入った。
結果は。
空。
誰もいなかった。
武器も。
魔物も。
違法な薬もない。
男が使ったと思われる裏口はあったが、その先に続く足跡も途中で消されていた。
ただ。
床の中央に、1枚だけ紙が置かれていた。
銀色の髪をした女の簡単な絵。
その下に。
短い言葉が書かれていた。
『次は来ない』
報告を聞いたリリアーヌは黙った。
「……見られてた?」
「可能性は高いです」
リゼが答える。
白銀の聖女が来るか。
相手は待っていた。
だが、来なかった。
そのことさえ。
確認された。
◇
「でも、罠は避けたよね?」
「はい」
「私たちは誰も中へ入ってない。衛兵にも怪我人はいない」
「その点では成功です」
リリアーヌは、もう1度紙を見る。
『次は来ない』
なぜ。
相手は、来ないと分かった。
男を追跡させた。
フィナが途中で離れた。
周辺を調べた。
そして。
ルーメンは直接動かず、衛兵へ情報を渡した。
「……違う」
リリアーヌが呟く。
「何がですか?」
「捕まえるための罠じゃなかったのかもしれない」
リゼも紙を見る。
「私がどう動くのか、確かめたかったんだ」
罠だと分かれば、白銀の聖女は来ない。
代わりに、協力者が周辺を調べる。
さらに。
怪しい場所の情報を衛兵へ流す。
そこまで。
相手に見られていた可能性がある。
「倉庫へ行かなければ、それで終わりだと思ってた」
でも。
行かなかったこと自体が。
相手の欲しい答えだった。
◇
「嫌だな」
リリアーヌは呟いた。
「私の行動を覚えられてる」
危険にさらされた人がいれば出てくる。
怪しいだけなら、本人は動かない。
罠に気づけば、協力者へ調べさせる。
そして、衛兵を利用する。
少しずつ。
相手は、白銀の聖女という人間の性質を調べている。
「罠を避けたつもりだったのに」
「お嬢様が捕らえられたわけではありません」
「うん。でも」
リリアーヌは、紙を机へ置いた。
「反応を見る罠には、かかった」
何を選んでも。
相手に情報が渡る。
そんな罠もあるのだ。
◇
「正体までは分かっていません」
リゼが言った。
「うん」
それは大きい。
相手が知っているのは。
銀白の髪。
金色の瞳。
高い《聖》の力。
誰かを助けるためなら、危険な場所にも現れる。
そして。
単純な囮には自分から近づかない。
その程度だ。
リリアーヌ・フォルティスには、まだ繋がっていない。
「これ以上、教えない」
リリアーヌは地図を畳んだ。
「私がどう動くか。誰に任せるか。次からは、それも相手に予想させないようにしよう」
「それがよろしいかと」
「困ってる人を見捨てるって意味じゃないよ」
「分かっています」
「そこは変えない」
「はい」
助けを求める人を放っておけないことが、弱点だというのなら。
それは。
弱点のままでいい。
ただし。
利用され続けるつもりはなかった。
◇
同じ頃。
王都から離れた場所で。
1人の男が報告書を読んでいた。
「来なかったか」
「はい」
向かいに立つ男が答える。
「前回は、住民と実験体への危害に反応しました。今回は、囮の追跡を途中で打ち切っています」
「倉庫には?」
「衛兵が入りました」
「情報を流す協力者がいるか」
「その可能性が高いかと」
報告書には。
白銀の髪をした女の特徴。
これまで確認された出現地点。
使われた聖属性魔法。
そして。
新たな1行が加えられていた。
『教会管理下の10名に、出現日時および行動の一致する者なし』
男は、その文字を指でなぞる。
「教会の管理外に、聖属性持ちがいる可能性が高い」
「はい」
「過去の西部調査との関係は?」
「まだ確認できていません」
「そうか」
男は、それ以上追及しなかった。
今はまだ。
繋がったと判断する材料がない。
「名は?」
「不明です」
「所属は?」
「不明」
「年齢は?」
「体格から推定した範囲のみ」
「協力者は?」
「複数存在すると考えられます」
分からないことばかり。
それでも。
以前とは違う。
存在するかどうかさえ不明だった相手が。
今は、確かに動いている。
男は報告書を閉じた。
「白銀を、独立した対象として記録しろ」
「承知しました」
「次は、姿を追うな」
男が静かに命じる。
「選ばせろ。何を守り、何を捨てるのか。それを見れば、その者がどこにいるか分かる」
その日。
魔王軍の記録に。
教会が把握する10人の聖女とは別の存在が。
初めて、明確に書き加えられた。
白銀の聖女は。
罠へ足を踏み入れなかった。
それでも。
罠には、かかっていた。
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