第29話 ゲームでは死ななかった人
翌朝。
リリアーヌは、目が覚めた瞬間から体の重さを感じていた。
「……眠い」
「昨夜、魔力を使いすぎたからです」
着替えを手伝っていたリゼが、呆れたように答える。
痛めた右脚は、昨夜のうちに《聖》で治してある。腫れも痛みも残っていない。
ただし、使った魔力までは戻らない。
負傷者を2人治療し、そのあと《聖体強化》まで使ったのだ。体が重いのは当然だった。
「怪我は治したのに」
「怪我を治せば、疲労まで消えるのですか?」
「消えない」
「魔力は?」
「戻らない」
「では、今日は大人しくしてください」
「実技はないから大丈夫」
「走らないでください」
「分かった」
「放課後、森へ行かないでください」
「行かない」
「敵の拠点を見に行かないでください」
「行かないって」
「何か起きても、お嬢様だけで解決しようとしないでください」
「……努力する」
「そこだけ返事が弱いのですが」
◇
学園へ着いても、体の重さは変わらなかった。
「おはよう、リリアーヌ」
「おはよう」
教室へ入ると、先に来ていたエミリアが手を振った。
リリアーヌも手を上げ、そのまま自分の席へ向かう。
「眠そうだね」
「ちょっと寝不足」
「また考え事?」
「ちょっと夜更かししただけ」
「何してたの?」
「……運動?」
「夜に?」
「健康のために」
「寝不足になる運動は、健康に悪いと思う」
もっともだった。
「それに、歩き方も変だよ」
「そう?」
「いつもより遅い」
怪我は完全に治っている。
単純に、体が重いだけだ。
「昨日ちょっと動きすぎたの」
「何したの?」
「だから、運動」
「どんな?」
「質問が多いよ」
「心配してるの」
エミリアが、じっとこちらを見る。
「保健室に行く?」
「そこまでじゃないから」
「本当に?」
「本当」
「無理してない?」
「してない」
「……」
「その顔やめて」
完全には信じていない顔だった。
◇
「フォルティス」
今度はアルベルトまでやってきた。
「体調が悪いのか?」
「どうして殿下まで知ってるんですか?」
「ハルトが心配している」
「声が大きいですよ、殿下」
エミリアに注意され、アルベルトが少し声を落とす。
「そうか。すまない」
「そこは素直なんですね」
「体調は本当に大丈夫なのか?」
「少し疲れているだけです」
「なら、今日は無理をするな」
「はい」
さらにカイルまで近づいてきた。
「お前、昨日何かしたのか?」
「増えた……」
「何が?」
「お節介な人」
「誰のことだ?」
「自覚ないんだ」
カイルは、リリアーヌの顔と歩き方を見比べる。
「怪我じゃなさそうだな」
「どうして分かるの?」
「右も左もかばってない。単に体が重いんだろ」
こういうところだけは妙に鋭い。
「今日は剣の授業じゃなくてよかったな」
「本当にね」
「元気になったら、またやろうぜ」
「嫌」
「なんでだよ」
「弱ってる人を勧誘するのやめてくれる?」
「元気になったらって言っただろ」
◇
話しているうちに、教師のオスカーが教室へ入ってきた。
「席につけ」
生徒たちが一斉に戻る。
教壇に立ったオスカーは、いつもより少し硬い表情をしていた。
「授業の前に話がある。先日の野外実習で出現した魔物について、調査結果の一部が学園へ届いた」
リリアーヌは顔を上げた。
「あの魔物は、本来、訓練林周辺に生息する種類ではないことが確認された。そのため、当面の間、学園外での実習はすべて中止する」
教室がざわつく。
「また、王都周辺でも魔物の目撃が増えている。休日も不用意に城外へ出るな。異常を見つけても、自分たちで確かめようとするな」
最後の言葉が、なぜか自分に向けられた気がした。
「フォルティス」
「はい!?」
「なぜ驚く?」
「いえ、何でもありません」
オスカーが不審そうな顔をする。
隣では、エミリアが笑いをこらえていた。
「先生」
アルベルトが手を挙げる。
「魔物が移動してきた原因は分かっているのですか?」
「現在、調査中だ」
「人為的に移動させられた可能性は?」
教室が静かになった。
オスカーは、すぐには答えなかった。
「現時点で、学園から話せることはない」
否定はしなかった。
(学園側も、可能性には気づいてる)
それは悪いことではない。
ルーメンだけで、すべてを抱える必要はないのだから。
問題は、学園側がどこまで掴んでいるかだった。
魔物の不自然な移動までなのか。
グレイ運送まで辿り着いているのか。
それとも、魔族の存在まで把握しているのか。
今のリリアーヌには分からなかった。
◇
昼休み。
リリアーヌとエミリアは、中庭で昼食を取っていた。
「しばらく外の実習はないんだね」
「そうみたい」
「ちょっと残念だな」
「怖くないの?」
「怖いよ。でも、授業そのものは楽しかったから」
「魔物が出る前まではね」
「うん」
エミリアが笑った。
その時。
少し離れた場所で、何かが地面へ落ちる音がした。
続いて、誰かの悲鳴。
振り返ると、男子生徒が胸を押さえて倒れていた。
「大丈夫!?」
エミリアが立ち上がる。
リリアーヌも続き、男子生徒のそばへ駆け寄った。
「先生を呼んで!」
「はい!」
近くにいた生徒が走り出す。
倒れた男子生徒は、苦しそうに息をしていた。顔色が悪く、額には異常なほどの汗が浮かんでいる。
「聞こえる?」
「……くるし……」
外から見える怪我はない。
(病気? それとも毒?)
リリアーヌは手を伸ばしかけ、止めた。
ここで《聖》を使うわけにはいかない。
「エミリア」
「うん」
それだけで伝わった。
エミリアが男子生徒の腕へ触れる。
「少しだけ我慢してね」
白い光が、男子生徒の体を包んだ。
◇
光を流し始めて、すぐだった。
エミリアの表情が変わった。
「……何、これ」
「どうしたの?」
「毒みたい。でも、普通の毒じゃない」
「治せそう?」
「分からない。何か……魔力みたいなものが混ざってる」
エミリアが集中する。
白い光が強くなり、男子生徒の荒かった呼吸が少しずつ落ち着いていく。
しかし、エミリアの額にも汗が浮かび始めた。
(消えないんだ)
治癒の光を流しているのに、毒のようなものが完全には消えていない。
体の中で何かが抵抗している。
「エミリア、もういい」
「でも、まだ残ってる」
「先生が来る。今は呼吸を戻すだけでいい」
「もう少しだけ」
エミリアはさらに数秒、光を流した。
男子生徒の呼吸が安定したところで、ようやく手を離す。
直後、教師と学園の治療担当者が駆けつけてきた。
「何があった?」
「急に倒れました」
「ハルトが治癒を?」
「はい。でも、普通の毒とは違う感じがします。中に魔力のようなものが混ざっていて……」
治療担当者の表情が険しくなる。
「詳しく聞かせてくれ。まずは運ぶぞ」
男子生徒は担架に乗せられ、そのまま治療室へ運ばれていった。
◇
「エミリア」
「うん?」
「大丈夫?」
「ちょっと疲れただけ」
そう言って、エミリアは笑った。
今度はリリアーヌが、疑うように見つめる。
「無理してない?」
「してないよ」
「本当に?」
「本当」
「……」
「さっきの私と同じことしてる」
「される側になると分かるね」
「何が?」
「心配になる」
エミリアが少し笑った。
「じゃあ、お互い無理しないようにしようね」
「うん」
「約束」
「……努力する」
「リリアーヌ」
「分かったって」
◇
放課後。
オスカーから、倒れた男子生徒の命に別状はないと伝えられた。
教室に安堵の声が広がる。
エミリアも胸を撫で下ろしていた。
「よかった……」
「うん」
リリアーヌも安心した。
けれど、違和感は消えなかった。
ゲームに、こんな出来事はなかった。
少なくとも、リリアーヌの記憶にはない。
倒れた男子生徒の名前すら知らなかった。
ゲームなら、背景に立っていた生徒の1人だ。
物語には関係しない。
台詞もない。
攻略にも関わらない。
けれど、この世界では違う。
彼には名前があり、家族がいて、友人がいる。
そして今日、死にかけた。
◇
王都の屋敷へ戻ると、リリアーヌはすぐにリゼへ今日のことを話した。
「毒に、魔力が混ざっていた?」
「エミリアは、そう感じたみたい」
「学園の中で、突然倒れたのですね」
「うん」
リゼの表情が険しくなる。
「グレイ運送は、学園へ食料を納める業者の輸送に関わっています」
「私も考えた」
「では、食料に毒を?」
「まだ決めつけない」
リリアーヌは首を振った。
「病気かもしれない。食べ物以外から入った可能性もある。そもそも、グレイ運送と無関係かもしれない」
「承知しました」
「でも、確認はする」
「何を調べますか?」
「その子が今日食べたもの。触れたもの。行った場所。それと、同じものを食べた生徒に異常がないか」
「学園内のことですが」
「外から分かる範囲だけでいい。食材を納めた店や、運んだ業者なら確認できる」
「ダリオ様にも伝えます」
「お願い。ただし、グレイ運送には近づかないで」
「はい」
◇
自室へ戻ったリリアーヌは、机の上に置いてあるノートを開いた。
7歳の頃から書き続けてきた、ゲームの記憶。
学園編。
最初の野外実習。
交流イベント。
小さな事件。
ページをめくっても、今日倒れた男子生徒のことはどこにもなかった。
「……当たり前か」
ゲームでは描かれなかっただけかもしれない。
本当に起きなかったのかもしれない。
もう、確かめる方法はない。
ただ、1つだけ分かった。
ゲームで死ななかった人が、この世界でも死なないとは限らない。
名前のない生徒も。
街の店員も。
荷物を運ぶ商人も。
森で傷ついた護衛も。
ルーメンに協力してくれる人たちも。
誰も、ゲームの筋書きには守られていない。
「エミリアだけじゃないんだ」
最初は、エミリアを守り、ゲームで起きる王国の滅亡を防ぐことだけで精いっぱいだった。
それが、自分の死亡フラグを避けることにも繋がると思っていた。
でも今は。
目の前で誰かが死にかけているのに、「ゲームには関係のない人だから」と見過ごすことはできない。
知ってしまった。
顔を見てしまった。
声を聞いてしまった。
それだけで、その人はもう背景には戻らない。
◇
扉が叩かれた。
「お嬢様」
「入って」
リゼが1枚の紙を持って入ってきた。
「もう分かったの?」
「いいえ。学園の生徒についてではありません。別件です」
「何?」
「グレイ運送の倉庫から、男が1人出ました」
「また南の森へ?」
「いいえ。今回は王都内です」
リゼが地図を机へ置く。
男が向かった場所には、すでに印がつけられていた。
リリアーヌは、その印を見て眉を寄せる。
「……ここ」
「はい」
王立学園へ食料を納める業者が使っている倉庫だった。
「中に入った?」
「裏口から入り、まだ出てきていません」
「今日、倒れた生徒がいる」
「はい」
「そこへ、グレイ運送の人間が入った」
「はい」
ただの偶然かもしれない。
まだ証拠はない。
決めつけるべきではない。
それでも。
もし、学園に運び込まれたものが原因なら。
「リゼ」
「はい」
「明日の食料が運び出される前に、中身を確かめる」
「誰が行きますか?」
リリアーヌは、重い体を椅子から起こした。
「お嬢様は行きません」
立ち上がる前に止められた。
「まだ何も言ってないよ」
「顔に書いてあります」
「じゃあ、誰が行くの?」
「報告書をお読みください」
「今、それ関係ある?」
「学園へ出入りできる協力者が記載されています」
「……いたの?」
「3か月前から」
「聞いてない」
「報告しました」
「覚えてない」
「報告書をお読みください」
リリアーヌは黙って手を出した。
「その報告書、どこ?」
「お嬢様の机の下から2段目。未読の束です」
「場所まで分かるんだ……」
「私が置きましたので」
リゼが淡々と答える。
「明日の搬入前に確認させます。お嬢様は今夜、休んでください」
「でも」
「相手が学園へ何かを運び込んだのなら、時間がありません」
「だから――」
「だからこそ、すでに動かしました」
リリアーヌの言葉が止まった。
「……いつ?」
「男が倉庫へ入った直後です」
「誰を?」
「学園への搬入経路を調べていた者と、食料を確認できる者を」
「そんな人までいるの?」
「報告書をお読みください」
また言われた。
自分が知らない間に。
ルーメンは、すでに学園の中へ伸びようとする手を掴んでいた。
リリアーヌは椅子へ座り直す。
「じゃあ、私は?」
「寝てください」
「役割それだけ?」
「今夜のお嬢様には、それが最適です」
納得できない。
けれど、体が重いのも事実だった。
「……何か見つかったら、すぐ起こして」
「承知しました」
リゼは一礼し、部屋を出ていく。
リリアーヌは閉じた扉を見つめたあと、机の下から未読の報告書を引っ張り出した。
思っていたより、ずっと分厚かった。
「……先に、これを読もうかな」
1枚目を開く。
『王立学園関連協力者および連絡経路』
その下には。
リリアーヌの知らない名前が、いくつも並んでいた。
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