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第十一話「聖女ジャンヌ」②

 いつも、この村のことを考えると、決まって同じ匂いを思い出す。


 焼きたてのパンの匂い。宿酒場「ラズベリ」に染み付いた、木と煙と麦酒が混ざったような匂い。

 夏の草原から吹き込んでくる風の匂い。

 石畳が雨上がりに乾いていくときの、土と石が混ざったあそこにしかない匂い。


 ジャンヌはリーフェル村で生まれた。


 城壁もなく、騎士もいない、街道沿いの小さな集落だ。

 木の柵に囲まれ、自警団が門を守る。村人のほとんどは互いの顔と名前を知っていて、誰かが困れば自然と手を貸す、そういう場所だった。

 世界の広さを知らなかったころ、あの村がジャンヌのすべてだった。そしてあの村には、リナがいた。


 十二ほど年の離れた妹だった。亜麻色の短い髪と、母さんゆずりの大きな目をした子どもで、ジャンヌが物心ついたころから常に後ろをついてくる子だった。

 転んでは泥だらけになって、けれど泣かずに立ち上がる。その頑固さが、ジャンヌは好きだった。


 ディルクさんが荷を運んでくる日は、村が少し賑やかになった。

 頑丈な体格の、寡黙だが誠実な顔をした荷運びの男で、ラズベリの女主人マルタさんとは長い付き合いだ。

 リナはそんなディルクさんの荷車が村に入ってくるたびに、石畳の角からそっと覗き込んでいた。大人が遠い世界へ向かって行き来している、その事実を、何か大切なものを見るような目で眺めながら。


 声が聞こえたのは、そんなある日の夕方だった。


 ジャンヌが十六のときだった。村の外れの草原に一人でいた。

 特別なことは何もなかった。草が揺れ、遠くに森の輪郭が見えて、空が広かった。

 その平凡な夕方に、突然、声がした。


 はっきりと聞こえた。方向はなかった。

 どこからとも言えない、でも確かに届く声だった。お前には使命がある。お前の名は、その使命のために在る。


 疑いは、なかった。


 なぜかは今も分からない。

 でもその声を聞いた瞬間、ずっと前から知っていたことを今日ようやく言葉にしてもらえたような、そういう確信があった。

 翌日には村を発つ準備を始めていた。リナが外套の裾を掴んで、離さなかった。泣かなかった。ただ、掴んでいた。


 姉ちゃん、行くの。


 行かなければならない、とジャンヌは言った。


 リナはしばらく黙っていた。それから、小さな手をゆっくりと離した。その目が大きくなって、まっすぐ前を向いた。泣かなかった。


 あの目は、今も変わっていないだろうか、とジャンヌは思った。

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