第一話「世界の縫い目」
夜が明ける前から、月村夜久は動いていた。
月村家の敷地の隅に、古い木造の道場がある。祖父が建て、父が継ぎ、今は誰も継いでいないその建物の隣に、広めの庭がある。石畳を剥がした跡の地面は固く均されていて、朝の光が差し込む前から、夜久はそこで木刀を振っていた。
黒の稽古着。上下とも黒で揃えた和装は、祖父の形見を仕立て直したものだ。
袖と裾は動きやすいよう詰められていて、帯だけが艶のない墨色で締められている。足元は黒い起毛革のワークブーツ。
庭での修行には道場の板間と違う地面の感触があって、夜久はそれを好んでいた。
肩から背中にかけての線がまっすぐで、余計なものを一切持たない体つきをしていた。顔立ちは整っているが、表情が薄い。感情を閉じているというより、最初からそういう造りをしているような、静けさがある。
黒い前髪が額にかかって、夜久はそれを払いもせず、また素振りを一つ落とした。
木刀が風を切る。
音が庭に溶けて消える。
百本、二百本、三百本。数えていない。数える必要がない。体が覚えているから。体が勝手に動くから。
道場の神棚の下に、刀が一振り立てかけてある。
黒い鞘の刀だ。月村家に代々伝わっている、と祖父が言っていた。
名前は影桜。
それ以上のことは教えてもらえないまま、祖父は死んだ。父は出て行った。今は夜久だけが、毎朝この庭で素振りをして、それだけだ。
木刀を止めた。息が白い。汗が首筋を伝う。
そのとき、塀の方で音がした。
かすかな音だった。石の表面を何かが引っかくような、布が擦れるような。獣ではない。風でもない。
夜久は木刀を持ったまま、塀に近づいた。




