1話 妓楼・月下美人
昭和33年。春を目前に控えた吉原は、死を待つ病人のような、異様な熱気に包まれていた。
「売春防止法」の完全施行まで、あとわずか。
三百年の歴史を誇った不夜城が、法という名の刃で断罪されようとしていた。
「……ここも、もうお終いかね」
月下美人の最上階、豪華な螺鈿細工の机に肘をつき、**木蘭**は煙草の煙を吐き出した。
彼女は今、三大妖女の一人として頂点に君臨している。その美しさは、吉原を訪れる男たちの魂を吸い尽くすとまで言われたが、その瞳には冷めた絶望が宿っていた。
「お終いにするかどうかは、外の男たちが決めることだよ。木蘭」
影の中から響いた声に、木蘭は肩をすくめた。
部屋の奥、薄暗い行燈の光の中に座っているのは、**竜舌**だ。
驚くべきことに、木蘭が禿としてこの門を叩いた二十年前から、彼女の姿は一分たりとも変わっていない。17歳ほどの少女の肌、しかしその奥に潜む眼差しは、数千の男の死を見届けてきた老人のそれだった。
「竜舌、あんたは怖くないのかい? 法律が変われば、あんたのその『300年の記憶』とやらも、ただの狂人の妄想として片付けられちまうんだよ」
「法律? 滑稽だね。男たちが頭の中でこねくり回した紙切れ一枚で、この街に染み付いた血と脂が消えると思っているのかい。……それより、あの若造はどうした」
「あの若造」――株式会社カラスバの若き後継者、祖月輪真稜のことだ。
「真稜様なら、今夜も大門の外で実業家連中と会合さ。最近のあの人は、私を抱く時も、私の肌じゃなく、その先にある『土地の権利書』を見ているような気がするよ」
木蘭の言葉には、刺すような寂寥感が混じっていた。
真稜は木蘭を「身請けする」と約束していた。この泥沼から救い出し、妻にすると。
だが、時代の足音は無情だった。吉原が消える。それは、不動産業として台頭し始めたカラスバにとって、この広大な一等地の再開発という莫大な利益を意味していた。
愛か、権力か。
真稜の心は、すでに決まっていた。
彼は木蘭を愛していた。しかし、それ以上に「吉原を潰した後の、新しい時代の王」になる誘惑に勝てなかったのだ。
「木蘭、あんたは期待しすぎだよ」
竜舌が、蜘蛛の脚のような細い指で、机に置かれた小判を弾いた。
「男が跪くのは女にじゃない。女が持っている『夢』に跪くだけさ。夢が醒めれば、男はすぐに計算を始める。……さあ、真稜が来るよ。顔を作りな。あんたはまだ、三大妖女なんだから」
階下から、高級車の重厚なエンジン音が聞こえてきた。
それは、吉原の終焉を告げる弔鐘のようでもあり、新しい欲望の時代の産声のようでもあった。




