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灰の誓約

夕焼けが沈むと、世界は一瞬にして灰色に変わった。

 燃え残る空の赤が、最後の血潮のように地平を染めていく。

 戦場を包む煙はまだ消えず、焼け焦げた鉄と血の匂いが風に流れていく。

 崩れ落ちた塔、黒く炭化した旗、土に埋もれた剣。

 

かつてそれぞれの国の誇りであった印章は、もはや見分けもつかない。

 ただ、風が吹くだけだった。

 死と灰を混ぜながら、どこへも行けずに。


 そこに――十三の影が集っていた。

 夕闇の中に立つその姿は、まるでこの世の終わりを見届ける神々のようだった。


 光のリーナ、風のセフィル、氷のアイリス、雷のドレイク。

 土のバルグ、水のルナ、炎のガルド。


 そして音、闇、時、重力、生命、無。

 十三の名と力、それぞれが違う国、違う信念、違う神を背負ってきた者たち。


 幾千年も続いた戦いの果てに、ただ十三人だけが残された。

 誰もが敵同士であり、互いの血で手を染めてきた。

 だが――いま彼らを結ぶのはただ一つ、「戦争を終わらせたい」という願いだった。


 「……ここに、全ての英雄が集ったというわけか」

 低く響く声は、重力の英雄――ロガンのものだった。


 彼の足元にはひび割れた地面、握る拳には砕けた鎧の破片。

 目の奥には、誰よりも深い疲労と諦念が見える。


 「皮肉だな。これまで互いに殺し合ってきた俺たちが、今さら“手を取り合う”なんて」


 沈黙のあと、リーナが静かに頷く。


 「それでも、戦いを終わらせるためなら――私は何度でもこの手を差し出すわ」


 彼女の手には、光の粒が宿っていた。かつて聖都で祈りを捧げた巫女の手。

 血と灰にまみれても、なお光を絶やさぬ手だった。


 風が吹き抜け、セフィルのマントが翻る。

 その布地は裂け、何度も縫い直されていた。


 「終わらせる? 本当にそんなことができるのか?」


 彼は乾いた声で笑った。


 「この星は“戦争の星”。争いが止まれば、地脈が枯れる。戦うことが、この星の存在理由みたいなもの                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              だ」

 誰もすぐには答えなかった。

 それぞれの胸に、敗れた同胞たちの顔が浮かんでいた。

 あの戦場、この戦場――燃える城壁の上で散った友、氷原で凍った恋人。

 それら全ての死が、この集いを支えている。

 沈黙のなかで、氷の英雄アイリスが一歩前へ出た。


 「……それでも、信じたいの。戦うこと以外の生き方を」


 白い息が、彼女の唇から零れる。

 その氷の瞳には、遠い北の空に残る月の光が映っていた。


 雷のドレイクが短く笑う。


 「お前は本当に面倒な理想家だな、アイリス。だが――嫌いじゃない」


 その笑い声は乾いていたが、どこかに火が灯っていた。

 久しぶりに戦場に“人の声”が戻った瞬間だった。


 リーナがそっと両手を掲げる。


 「この地に、新しい誓いを立てよう。誰かを滅ぼすためではなく、誰かを救うために――」


 十三人の英雄たちは円を描くように立ち、剣や杖を掲げた。

 それぞれの武器が光を放ち、空に一つの円環を描く。

 雷と氷、炎と水、光と闇――相反する力が一つに混ざり、夜空を照らした。

 大地の脈動が応えるように震え、風が輪の中心に吸い込まれていく。


 「我ら十三の英雄、争いを捨て、この星を守るために刃を合わせる」


 「呪いに抗い、地を清め、命を繋ぐ」


 その声は祈りにも似ていた。

 地平の彼方、古の塔が微かに光を返した。

 この世界の深層が、彼らの誓いに応じようとしていた。


 だが――その瞬間。


 「……あれは?」


 セフィルが空を見上げた。黒い霧が天から降り注ぎ、円環に触れた瞬間――弾けた。

 光が裂け、轟音が響く。

 地脈が悲鳴を上げ、地面から黒い炎が吹き上がる。


 「避けろ!」炎のガルドが叫んだ。


 爆風が吹き荒れ、英雄たちは弾き飛ばされる。


 耳を裂く音。光と闇の奔流。

 何かが、誓いそのものを拒絶していた。

 空から降る黒い霧の中に、微かに“声”があった。

 ――『還れ。血の約束を忘れた者どもよ』

 誰の声でもなかった。それは星の底から響く“記憶”の声だった。


 リーナが倒れたアイリスに駆け寄ろうとした瞬間――

 風の英雄セフィルが、胸を押さえて膝をついた。


 「……ぐ……あ……!」


 彼の体から、黒い紋章のようなものが浮かび上がる。


 「セフィル! どうしたの!?」


 リーナが叫び、駆け寄る。だが、セフィルの瞳は焦点を失っていた。


 「……風が……風が、泣いてる……」


 その言葉を最後に、彼は静かに地に崩れ落ちた。


 風が止まる。

 音が消えた。

 戦場から、すべての動きが奪われた。

 英雄の一人――風のセフィルが、最初の犠牲となった。


 彼の胸から白い光が溢れ、それは地面へと流れ落ちる。

 その場所に――小さな木が芽吹いた。

 淡い翠の葉をたたえた、まるで風のように揺れる細い枝。


 「これは……?」ルナが震える声で呟く。


 「地脈の……反応? まさか、彼の命が……木に?」


 誰も答えなかった。

 ただ、リーナがセフィルの亡骸のそばに膝をつき、手を握る。


 「あなたの風は……止まらない。私たちが必ず、この呪いを止めるから」


 氷のアイリスがそっとその木に触れた。


 「……温かい」


 枝は生きていた。脈打つように、セフィルの鼓動を宿して。


 夜が訪れる。

 十三人のはずだった英雄は、もう十二人になっていた。

 焚き火の光が揺れ、誰も言葉を発せず、ただ木の葉の音だけが響く。


 「星が……泣いているようだな」


 重力のロガンがぽつりと呟いた。


 「地脈が怒っている。あれは“外から来た”呪いじゃない。この星そのものの拒絶だ」


 「じゃあ、私たちが戦いを止めようとすること自体が、罪だって言いたいの?」

 ルナの声が震える。

 ロガンは静かに首を振った。


 「そうじゃない。だが、この星は血を糧にしてきた。止めるには、何かを犠牲にしなきゃならない」


 ガルドが焔を掴みながら低く唸る。


 「……もう十分だろ。どれだけ奪われれば気が済む」


 焔が彼の拳を照らす。だがその火は怒りではなく、悲しみの色をしていた。


 リーナは黙って空を見上げた。

 月が雲間から姿を現す。白い光が戦場を照らすと、セフィルの木の葉が微かに揺れた。

 風が、戻ってきた。ほんの少しだけ。


 「……ありがとう、セフィル」


 彼女は目を閉じ、祈るように呟いた。


 その祈りに応えるように、木の根が地を這う。

 まるで何かを探すように――地脈の奥へ、深く。


 夜が更けていく。

 焚き火の炎が小さくなり、誰もが沈黙に沈む。

 雷のドレイクだけが立ち上がり、ゆっくりと剣を抜いた。


 「……一人減ったくらいで立ち止まるわけにはいかねえ。奴の死を無駄にしたら、本気で呪われる」


 その声に、誰もが静かに頷いた。


 ルナが水の珠を空に浮かべる。それが月の光を反射して揺らめいた。


 「風が生まれ、木が芽吹く……地脈が何かを伝えようとしているのかもしれない」


 「呪いと呼ばれているものの正体が、実は“星の記憶”なら――」


 アイリスの言葉をリーナが引き取る。


 「私たちが抗うべき相手は、もしかしたら……“過去”なのね」



 誰も笑わなかった。

 ただ、遠くの地平で雷が光り、夜を裂いた。

 そしてリーナは月を見上げ、祈るように囁いた。


 「これが、戦いの始まりじゃありませんように……」


 だが、その祈りは届かなかった。

 次の日、地脈の脈動はさらに激しくなり、黒い霧が再び空を覆う。

 風の残した木の葉が震え、その根の奥から――かすかな“声”が聞こえた。


 ――『十三が集いし刻、星は裁きを下す』


 夜明け前、彼らは知ることになる。

 セフィルの死は、終わりの始まりではなく――“呪いの目覚め”だったのだ。

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