終焉の高原
西の高原――そこは風が絶えず唸り、灰と硫黄の匂いが地の底から吹き上がる、命を拒む地だった。
空には黒い雲が垂れこめ、太陽はまるでこの地を恐れて隠れてしまったかのように、光を投げかけることをやめていた。空気は重く、わずかな光すら届かず、地面は灰色に染まっている。乾いた土と硫黄の匂いが混ざり、深く息を吸うと胸が痛むほどだ。足元の砂利が風に巻き上げられ、擦れる音が耳をかすかに打つ。
この大地を越えた者は、もはや生きて帰れない――古くからそう語り継がれる。だが今、そこに五つの光が立っていた。
光のリーナ。風のセフィル。土のバルグ。
そして――氷のアイリス、雷のドレイク。
五つの力は、荒れ狂う風の中でゆっくりと広がり、互いに混ざり合っていた。互いの存在が戦場に微かな安心を生むが、同時に緊張を増幅させる。
アイリスの周囲には冷気が満ち、吐息ひとつで空気が凍りつく。地面がきしみ、砂や小石が微かに震える。彼女の瞳は氷片のように透き通り、すべての感情を覆い隠していた。
「……これが“呪い”の地脈。空気そのものが泣いているみたいね」
その声は風に溶けるほど冷ややかで、けれど確かな哀しみを帯びていた。手のひらの冷気が指先で小さな結晶となり、舞い落ちる。
ドレイクが稲妻のような笑みを浮かべる。
「泣かせてるのは、戦争だ。呪いなんてただの口実だろう」
雷光が彼の手のひらを包み、瞬間的に辺りを白く染める。その光に照らされ、リーナは視線を鋭くして振り返った。
「口実でも、誰かを救う理由にはなる。だから――戦うの!」
彼女の声には震えが混ざるが、それでも力強く響いた。
その声が風を裂いた。セフィルの魔法陣が空へと描かれ、淡い風の螺旋が天へ昇る。
瞬く間に空が裂け、戦場全体が光と影に染まった。砂塵が渦を巻き、戦場の荒れ地がひび割れる音が轟く。
黒い雲の向こうから、咆哮が響く。
燃える翼を持つ魔物が群れをなし、ねじれた角を振り上げて地へと落ちてきた。血のように赤い瞳が光を反射し、地脈の暴走が生んだ化け物たち――大地の悲鳴そのものが目の前に迫る。砂煙と硫黄の匂いが混ざり、視界は赤黒く霞む。
「来るぞッ!」
バルグが叫び、大地を踏み鳴らす。
轟音とともに岩壁が立ち上がり、炎の波を防いだ。だが、次の瞬間、雷鳴がその壁を貫き、土煙が舞い上がった。衝撃で倒れた小石が跳ね、微かにバルグの鎧を叩く。
ドレイクが突進する。稲妻がほとばしり、空を裂く。魔物の体が焼け焦げ、焦げた臭いが戦場に広がる。
「ほらな、呪いも雷には勝てねぇ!」
彼の叫びに続き、アイリスが指を鳴らす。氷の刃が雨のように降り注ぎ、燃え盛る炎を一瞬で凍てつかせた。
光と風、土と氷と雷――五つの力がぶつかり合い、世界は光の渦と化す。
しかし、魔物たちは尽きることを知らなかった。
地面の亀裂からは、終わりのない闇があふれ続け、戦場の空気を震わせる。砂利が風で吹き上げられ、目に入り痛みを誘う。
「地脈が……壊れてやがる!」
バルグが呻く。
「戦えば戦うほど、この星が泣いてやがるんだ……!」
彼の拳が地を叩くたび、大地が悲鳴を上げる。割れた土の隙間から微かに赤い光が漏れ、まるで大地の血管が裂けるようだった。
リーナが息を呑んだ瞬間、後方から兵士の悲鳴。
「うわあああああっ!」
一体の魔物の爪が閃き、兵士の胸を裂く。倒れたその傍らに、小さな光の木が芽吹いた。白い光を宿した細い枝。震える花弁が祈りのように揺れ、戦場の熱と血の匂いの中でわずかに輝いた。
「また……一人……」
アイリスの手が震える。氷剣を握り直し、冷たい吐息を漏らす。
「彼らは……この星の何を守ろうとしているの……? 本当に“呪い”なんてあるの?」
答える者はいない。遠くの地響き、裂けた地脈の音、吹きすさぶ風が答えの代わりだった。
雷鳴が再び響く。
ドレイクが稲妻の柱を叩き込み、魔物の群れを焼き払う。
「考える暇があったら、敵を倒せ!」
怒号とともに空が光り、昼のように戦場を照らす。
だが終わらない。魔物は増え、地は裂け、風は泣き叫ぶ。
セフィルの魔法陣が次々と展開されるが、風の刃が追いつかない。
「リーナッ!」
叫び声とともに、リーナへと魔物が襲いかかる。
セフィルが風を放つが間に合わない。
その瞬間――氷の壁が立ち上がった。アイリスだ。
氷の結晶が散り、髪が月光のように輝く。
「誰も……死なせない。もう、これ以上は……!」
声は震えていたが、凛としていた。
だが魔物の尾が防壁を貫いた。
守られたはずの兵士が、一歩遅れて崩れ落ちる。
その足元から、また一つ、小さな光の木が芽吹いた。
――ぽつり。
ぽつり。
光の芽が戦場に散らばる。それは祝福ではない。
ただの“人の死”の痕跡。
リーナが剣を握りしめる。
「戦っても、救われない……でも、戦わなければもっと多くが死ぬ。
私たちは……どうすれば……」
「どうもしねぇよ」
ドレイクが低く呟いた。
「立つしかねぇ。倒れるまで、立ち続ける。それが――英雄だ」
風が止み、空が橙に染まる。血と光が混ざり、空が焼けるように赤い。
アイリスが空を見上げ、そっと呟いた。
「綺麗ね……でも、こんな空を見るたびに思うの。
私たちは、本当に“戦って”いいのかって」
その言葉は風に溶け、誰にも届かない。
リーナが微笑む。
「戦わなければ、誰かが泣く。戦っても、誰かが泣く。
……それでも、戦うことを選ぶ。それが、“英雄”なのよ」
夜が訪れた。
風は静まり、戦場に残るのは無数の光の木々。
星空のように瞬き、死を越えてなお“命”を示していた。
五人の英雄は、ただ沈黙してその光の中に立っていた。
呪いの正体を知らぬまま、信じるしかない――それが彼らの宿命だった。
だがこのときすでに、誰も気づかぬまま、
「戦争の星」は、ゆっくりと“終焉”へ向けて回り始めていた。




