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灰色の平原、金色の光

 戦争の星〈ヴェルガルド〉。

 その東部平原は、朝焼けを待たずして血の匂いに染まっていた。夜明け前の風は冷たく、乾いた草を巻き上げながら荒れ狂う。薄い霧が地を覆い、灰色の幕が一面に垂れこめる。そこはもはや草原ではなく、幾度もの戦いで焦げた土地だった。無数の足跡、崩れた槍、そして焼け焦げた鎧が散らばり、かつて命があったことをかすかに語っていた。


 リーナはその荒野の中央に立っていた。

 白銀の髪を風に揺らし、聖なる杖を胸の前に構える。彼女の瞳は澄み渡っていたが、その奥には幾度の別れを見送った深い影があった。彼女は〈光の英雄〉と呼ばれ、この戦いの希望とされていた。しかし、リーナ自身は自分を救い主だとは思っていない。彼女が杖を握るのは、ただ「もう誰も失いたくない」という願いのためだった。


 「……皆を守る。絶対に」

 

声は小さく、しかし風の中で確かに響いた。

 その祈りは、霧に沈む空を貫く光のように静かで、強い。


 そのとき――遠くの地平が震えた。

 黒い影がいくつも、砂煙の中から姿を現す。地脈の汚染が暴走し、魔獣たちが形を成していく。ねじれた肢体、鋭い爪、光を反射する赤い瞳。その歩みのたびに大地がうなり、草が黒く焦げた。重低音のような唸りが地面を伝い、兵士たちの膝が思わず震える。


 リーナの隣に、風の英雄セフィルが立つ。

 彼は軽装の鎧をまとい、風を切るようにマントをなびかせた。口元にはかすかな笑み――だがその目には、長い戦の疲労と憂いが宿っている。

 

「数が多いな。風の刃で抑えられるうちに、光を合わせるぞ」

 

「わかってる」

 

二人の会話は短く、だが呼吸は完璧に合っていた。


 リーナが杖を掲げると、淡い光の膜が広がった。

 それは朝霧の中に浮かぶ、まるで天の布のようだった。兵士たちの怯えを包み込み、腐食した空気を清める。セフィルは同時に風を放つ。風刃が霧を裂き、魔獣の体表を切り裂く。

 戦場に閃光が走る。

 光と風が交差し、黒い血が宙を舞った。


 だが、戦いは容易ではなかった。

 前線で若い兵士が叫び声を上げる。魔獣の爪が閃き、その体を容易く貫いた。血が飛び散り、リーナの足元に温かい雫が落ちる。彼女は咄嗟に光を放ち、癒やしの魔法を試みる。

 しかし――遅かった。

 魔獣の力はあまりにも強く、兵士の命はすでに遠くへ離れていった。


 そのとき、奇跡のような光景が訪れる。

 倒れた兵士の胸元の土が、かすかに脈打った。

 ひとすじの光が地表を照らし、そこから小さな芽が生まれる。淡く金色に輝く、小さな木の芽。風に揺れながら、静かに、確かにそこに存在していた。

 それはまるで、失われた命がこの星に還り、別の形で息をしているかのようだった。


 リーナは膝をつき、静かに祈る。

 

「……ごめんなさい……守りきれなかった……」

 

その声を聞いた者はいない。だがその想いは風に乗り、空の彼方へと届いた。

 セフィルが近づき、彼女の肩に手を置く。

 「今は立て。風は止まらない。俺たちも、止まっちゃいけない」

 リーナは涙を拭い、頷いた。再び杖を握りしめ、光を走らせる。


 昼が近づくにつれ、戦場は地獄と化した。

 地脈の暴走がさらに強まり、無数の魔物が湧き出る。空は灰色に染まり、太陽の光が届かない。兵士たちは次々に倒れ、叫び声と金属の音が混ざり合う。

 セフィルは風の刃で次々と魔獣を切り裂いた。刃が通るたび、空気が唸り、地面に斜めの切創が刻まれる。しかし、風は血をも運ぶ。生温かい飛沫が彼の頬を濡らすたび、彼の心は静かに軋んだ。


 リーナの光は、その風の中で何度も消えかけた。

 彼女は息を荒げながら、それでも杖を掲げ続ける。魔力は限界に近く、腕は震え、指先の感覚が薄れていく。それでも、目の前の命を見捨てることはできなかった。

 

「動け……お願い……!」

 

彼女の叫びが、光を再び燃やす。結界が広がり、負傷した兵士たちの身体に微かな温もりが戻る。だがそのたびに、彼女自身の生命が削られていった。


 午後になり、空気は一層重く濁った。

 風は熱を帯び、空は鉛のような灰色に沈む。遠くで雷鳴が響き、地面が震えた。魔物の群れは減らない。どれほど斬っても、どれほど封じても、腐敗した地から新たな影が湧き上がる。

 セフィルが歯を食いしばる。

 

「終わりが見えないな……」

 

「でも、止まったら終わりよ」

 

リーナの声は掠れていた。それでも、瞳はまだ光を失っていなかった。


 その瞬間、また一人の兵士が倒れた。

 リーナは駆け寄り、光を放つ。だがその命も、指の隙間から砂のように零れ落ちていく。

 そして再び――光の芽が地に生まれた。

 それは先ほどと同じ、小さな木の芽。けれど今回は、彼女の足元だけではなかった。戦場のあちこちに、ぽつり、ぽつりと光が芽吹き始めたのだ。

 英雄ではない命が残した痕跡。誰もが見過ごすほど小さな存在。だが確かに、そこには希望の種が宿っていた。


 夕刻。

 太陽は黒雲の隙間からわずかに光を漏らし、平原を赤く染めた。影が長く伸び、戦場はまるで死者の行列のようだった。

 リーナは杖を胸に抱き、ゆっくりと膝をつく。頬には血と涙が混ざり、指先は冷たくなっている。

 

「……守れなくて、ごめんなさい……でも、皆の命は、きっと無駄じゃない」

 

風が彼女の髪を撫で、セフィルが静かに隣に立つ。彼もまた疲れ果てていた。剣は刃こぼれし、マントは裂け、腕からは血が滴る。それでも彼は立ち続けていた。

 

「お前の光があったから、みんな最後まで戦えた」

 

セフィルはそう言い、剣を地に突き立てる。リーナはその言葉にわずかに微笑み、目を閉じた。


 やがて、風が静まる。

 戦場を包む霧が少しずつ晴れ、空に一番星が瞬いた。

 その下で、地に散らばる光の芽が、ゆらゆらと輝きを放つ。

 弱く、しかし確かに――まるでこの星そのものが祈っているかのように。


 リーナは立ち上がり、遠くの闇を見つめた。

 

「セフィル……もしこの戦いが終わったら、この地に森を作りたいの。倒れた人たちの光が、根になってくれたらきっと……」

 

「きっと、風がその種を運ぶさ」

 

セフィルが微笑み、風を送る。光の芽が一斉に揺れ、音もなく淡く瞬いた。


 戦争の星〈ヴェルガルド〉では、まだ呪いの正体は誰にも知られていない。

 英雄たちはただ、暴走する魔物と戦い、犠牲と痛みの中で歩みを続ける。

 だがその足跡の下には、確かに新しい命が芽吹いていた。


 夜の帳が降りるころ、平原に広がる光の芽は、星空のように一面に瞬き始める。

 それは、戦争の終焉と再生の始まりを告げる、まだ名もなき光だった。

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