第009話 静かな夜の襲撃
立ち寄ってくれて感謝。泥と汗の物語を、
温かな一杯でも飲みながら読んでいってな。
更新は毎日11:00の予定。体調と水分、忘れずに。
風は止み、草むらの匂いだけが濃く残っていた。小さな廃祠の脇で火を絞り、鍋の中を静かに泡が突く。ミーナが木杓子を回すたび、野兎と香草の湯気が立ちのぼった。
「塩は控えめ。肉は骨から外れそう……いい匂いです」
「腹が鳴る音で見張りが起きるぞ」ヴォルクが短く笑い、外套の裾を整える。
カイは荷馬車の影に腰を下ろし、弦の鳴りを確かめた。「星が降り切るまで二刻。交代したらすぐ眠れ」
バルドは薪を一本足し、火の舌を掌で押さえるように眺める。「冷える夜だ。湯で内臓を温めると足が動く」
「足だけじゃなく頭もね」ライラが鍋の縁に鼻先を寄せ、周囲の闇へ視線を投げた。「……火はこれ以上上げないで。匂いが遠くまで流れる」
鍋がことりと鳴った瞬間、空気が裂けた。
ひゅ、と細い音。ヴォルクが反射でミーナの肩を引く。次の瞬間、鍋の蓋が弾かれ、矢が湯に突き立った。香草と脂の雫が火に散って、小さな火花がはぜる。
「火を落とせ!」ヴォルクの声が夜を切った。
土をかけて火を潰す。闇が戻る。視界が狭まった分、音だけが際立った。草のこすれる足取り、三つ。間が等しい。合図で動いている――。
「右をわたし。正面はバルド、左はカイ」ライラが囁き、影へ溶ける。
「承知」バルドは斧を肩に、鷹のように息を殺した。
カイは弦を引き、夜の輪郭を拾う。星明かりを背にした黒が、短く手を上げる。合図役――。
弦が鳴り、黒が崩れた。同時に別の影が火打石を打ち、乾いた火花を散らす。灯りで位置を晒すつもりか。だが火は上がらない。ライラの刃が火打石を叩き落とし、手首を絡めて地に伏せさせた。
「口を開くのは後で」
バルドは正面から突っ込んだ二人をまとめて弾き飛ばす。鉄と骨のぶつかる音。呻き。倒れた男が腰の角笛に手を伸ばしかけるも、バルドの踵が先に踏みつけた。
「笛は宴で吹け」
残る足音が背後へ回り込む。ヴォルクが一歩、二歩、闇に紛れて角度を変え、逆に背へ入る。短剣が空を切り、男の襟首が地面に吸い寄せられた。
「終わりだ」
沈黙。湿った土と、こぼれた煮込みの香りだけが漂う。
ミーナは素早く傷の浅い者から腕を縛り、倒れた合図役の腰袋を押さえる。「怪我人、こちらへ。止血はできてます」
ライラが捕らえた男の手首に通された革紐を指で弾く。「同じ結び目。同じ長さ。訓練されてる」
カイは矢羽を拾い集め、星明かりにかざした。「藍の染め。三本とも揃い。野良の山賊なら混ざるはずだ」
ヴォルクは足跡を辿って廃祠の裏へ回る。草が倒れ、戻りの足跡が途中で途切れていた。馬。蹄鉄の癖が揃っている。
「来るのも退くのも手順どおり……誰かが場所と時刻を教えた」
捕虜の口は固かった。だが靴底の新しい泥は、彼らが街道側からではなく水路沿いの獣道を使ったことを示す。外の者ではない。土地勘のある誰かが手引きしている。
鍋はひっくり返り、野兎の香草煮込みは土に染みた。ミーナが名残惜しそうに空の木椀を見つめる。
「もったいない……でも、助かりましたね」
「腹は明日満たす。今日は命を詰める」ヴォルクは短く言い、捕虜を荷馬車に括りつける。
支度は静かに、速く。火の跡に土をかけ、痕跡をできるだけ消す。弓弦を拭き、刃を拭い、革紐を締め直す。
「進路は?」カイが風向きを見る。
「北東。音は遠くへ流れる」ライラが先行し、闇へ解けた。
バルドが倒れた男たちを見下ろす。「退く合図が揃っていた。次はもっと増える」
「ならばこちらは減らす。動く前に食う。食う前に見る。見る前に疑う」ヴォルクが片手で合図する。「出るぞ。朝霧の前に街を離れる」
香草の香りは、土に眠った。代わりに、夜の湿り気と革の匂いが行軍に寄り添う。
東の黒が、ほんの少しだけ薄くなった。
読了ありがとう。
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あなたの「夜食の定番」をひとつだけ教えてくれたら嬉しな。また明日。