第085話 白灯の広場
立ち寄ってくれてありがとう。深呼吸をひとつ、今日の体と心を整えていこう。
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蒼紋の町を抜けて坂を登ると、陽が傾き、空が白く光りはじめた。高台に円形の石畳があり、そこに小さな灯がいくつも並んでいる。“白灯の広場”。人影はないのに、灯だけが規則正しく瞬いていた。帆布は低く、荷は締めて。合図は指で足りる。
「塵なし。鏡あり。……灯が息をしてる」カイが声を潜めた。
「紋も影も過ぎた。今日は光が舌」ライラがしゃがみこみ、灯の縁を覗き込む。
広場の中央に、白布をまとった青年が立っていた。腰紐に藍はない。掌の上に小さな火が浮かんでいる。
「夜が深まると灯が増える。朝が来るとひとつ消える。……通るなら、手のひらで風を送って」
ヴォルクは頷き、御者台の商人に視線を送る。「借りる腹は返す足で」
バルドが近づき、ライラが手のひらで息を送る。火が揺れ、ひとつだけ光が眠るように沈んだ。
「谷へ二、丘へ一。灯は半手で撫でる」青年が囁く。
「覚えた」ライラは掌の温度を骨に刻んだ。
作業の間、ミーナは火を使わない。黒石を布で抱き、木鉢の底に据える。布袋の水を手のひら一杯。“旅酵”を指の腹だけ落とし、焙り麦の粉をひとつまみ、染粉を爪の先だけ。塩は影。香草は粉。
「“灯守りの薄り”。湯気は出さない。温いで止める」
酸が短く跳ね、香が穏やかに広がる。カイがひと口すすり、頬の力を落とす。「軽いのに、腹に柱が立つ」
商人は目尻で笑い、「歩幅を稼ぐ味だ」と短く言った。
広場の石畳に古い藍の点がかすかに残っていた。粒は細いが、光に隠れて見えない。代わりに、灯のゆらぎと影の向きが“話す”。
「粉の囁きは沈む。舌は光」ライラが石を撫でた。
「濡れ布の揺れ、なし。目は遠い」カイが肩を切った。「輪になる前に抜ける」
青年が白い火の粉をミーナに渡した。「器に落とせば香が灯る」
「受け取ります。染料と重ねる」ミーナが布に包んだ。
正午前、広場の端で短い休止。火は使わず、“灯守りの薄”を裂き、火粉を指の腹だけ散らして押し戻す。香草は粉。塩は影。
「噛まずに舌で広げる。胸が静まる」ミーナが配る。
バルドが頬に寝かせ、静かにうなずいた。
午後、丘を下るころ、遠い肩で黒い点が一度だけ揺れて消えた。鏡ではない。濡れ布でもない。目はいるが、舌は遠い。
「灯は眠った。耳は届かない」ライラが囁いた。
「良い。歩幅は揃える」ヴォルクは隊列を二列に伸ばし、御者台へ親指を立てた。「合図は指で足りる」
夕刻、広場を背に帆布を張る。灯は一つ。影は増やさない。増やす必要のない夜だ。器に火粉を沈め、“薄り”を温いまで起こす。湯気は出ない。酸が喉をやさしく撫で、胸の“種”が息を継いだ。
御者台で商人が短く書く。「本日の勘定:白灯の広場、風送り、火粉。歩幅、維持」
「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの言葉に、灯がひとつ瞬いて消えた。
星が出る。光は眠り、道は前へ延びている。
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“灯”や“白い夜明け”で思い出す情景があれば、一つ教えてください。また明日。




