第076話 蒼砂の砦
立ち寄ってくれてありがとう。深呼吸をひとつ、今日の体と心を整えていこう。
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白霜の野を越えた先に、風の色が変わった。乾いた砂が波のようにうねり、陽を照り返している。“蒼砂の砦”。遠くに石壁が霞み、空は澄んでいるが音は重い。帆布は低く、荷は締めて。合図は指で足りる。
「塵あり。鏡なし。……砂が唸る」カイが片膝をついた。
「霜も灰も過ぎた。今日は砂が舌」ライラが掌で砂を掬い、粒の細かさを確かめる。
砦の前で、褐色の布を巻いた男が立っていた。腰紐に藍はない。肩に砂の粉をかぶり、目を細めて笑う。
「昼は砂が目を削る。夜は音を立てて眠る。……通るなら、一粒だけ踏んでいけ」
ヴォルクは頷き、御者台の商人に視線を送る。「借りる腹は返す足で」
バルドが片足で砂を踏み、ライラが掌で砂を払った。風が変わり、音が消えた。
「谷へ二、丘へ一。砂は半手踏む」男が囁く。
「覚えた」ライラは掌の中に残った砂を見つめた。
作業の間、ミーナは火を使わない。黒石を布で抱き、木鉢の底に据える。布袋の水を手のひら一杯。“旅酵”を指の腹だけ落とし、焙り麦の粉をひとつまみ、霜粉を爪の先だけ。塩は影。香草は粉。
「“砂守りの薄り”。湯気は出さない。温いで止める」
酸が短く跳ね、乾いた匂いが混ざる。カイがひと口すすり、頬の力を落とす。「軽いのに、腹に柱が立つ」
商人は目尻で笑い、「歩幅を稼ぐ味だ」と短く言った。
砦の石壁に古い藍の点がかすかに残っていた。粒は細いが、砂で隠れて見えない。代わりに、風の音と粒の流れが“話す”。
「粉の囁きは沈む。舌は砂」ライラが指で砂をすくった。
「濡れ布の揺れ、なし。目は遠い」カイが肩を切った。「輪になる前に抜ける」
砦の男が薄い砂片をミーナに渡した。「器に敷けば熱が和らぐ」
「受け取ります。霜結晶と重ねる」ミーナが布に包んだ。
正午前、砦の陰で短い休止。火は使わず、“砂守りの薄”を裂き、砂粉を指の腹だけ散らして押し戻す。香草は粉。塩は影。
「噛まずに舌で広げる。乾きが薄まる」ミーナが配る。
バルドが頬に寝かせ、静かにうなずいた。
午後、砦を抜けるころ、遠い肩で黒い点が一度だけ揺れて消えた。鏡ではない。濡れ布でもない。目はいるが、舌は遠い。
「砂は眠った。耳は届かない」ライラが囁いた。
「良い。歩幅は揃える」ヴォルクは隊列を二列に伸ばし、御者台へ親指を立てた。「合図は指で足りる」
夕刻、砦を背に帆布を張る。灯は一つ。影は増やさない。増やす必要のない夜だ。器に砂片を沈め、“薄り”を温いまで起こす。湯気は出ない。酸が喉をやさしく撫で、胸の“種”が息を継いだ。
御者台で商人が短く書く。「本日の勘定:蒼砂の砦、砂踏み、砂片。歩幅、維持」
「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの言葉に、砂が一度だけ唸った。
星が出る。風は沈み、道は前へ延びている。
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“砂の音”や“乾いた風景”で思い出す記憶があれば、一つ教えてください。また明日。




