第007話 バルドの酒豪伝説
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夜更け前、街道沿いの小さな旅籠に赤い灯がともった。外の空気は冷え、焚き火の火床は灰になりかけている。ヴォルクは短く指示を出し、張り込みの準備を続ける組と、情報を拾いに行く組を分けた。
「飲む役は俺に任せな」バルドが肩を回し、笑った。
「ほどほどにね」ライラが釘を刺す。「財布と肝臓、どっちも戦力だから」
「肝臓は予備がある」バルドは胸を叩き、旅籠の扉を押し開けた。
中は狭いが暖かい。炉の上では巨大な肉塊が鉄串に刺され、ゆっくり回っている。脂がぱちぱちと弾け、香ばしい煙が梁に絡みつく。皿を抱えたミーナの目が丸くなった。「わ、わ、あれ……絶対おいしいやつ」
「辺境名物のローストだよ」店主が胸を張る。「塩と香草と、時間だけが味付けさ」
「時間は金より贅沢だ」バルドが席にどかりと座る。「それを二皿、あと一番強い酒を樽ごと」
「樽は売りもんじゃないが――」店主は口元を緩めた。「賭けに勝てば考える」
常連たちがどっと笑い、木のコップが打ち鳴らされる。バルドはひと呼吸置いて立ち上がった。
「じゃあこうしよう。勝負は“空樽返し”。皆の杯が空く前に、俺が先に空にしたら俺の勝ち。負けたら歌でも踊りでもやるさ」
「面白え!」髭面の海上帰りが叫ぶ。「傭兵の度胸、見せてもらおうじゃねえか」
最初の一口は重かった。舌が痺れ、喉が燃える。しかし二口、三口と重ねるうち、酒の走りは馴染み、身体の芯に火を点ける熱へと変わる。バルドの笑い声が高くなるほど、周囲の杯は速く傾き、宴は沸点に近づいた。
皿が運ばれてくる。炉の“辺境肉塊ロースト”は外はカリリと、内はきめ細かく、溶けた脂が肉の目をつややかに濡らしている。切り口から立つ香りは腹に直球で落ち、ミーナは思わず頬を押さえた。
「これ……塩の甘みってあるんですね……」
「腹が覚える味だ」ヴォルクが短く言い、ナイフで薄く切り分けて皆に回す。カイは弓弦を拭きながら、片目だけで入口を見張っていた。
四巡目の“空樽返し”で、海上帰りがついに卓に突っ伏した。どよめきと笑いの中、店主が根負けしたように樽栓を抜き、コップになみなみと注ぐ。
「参った。強いだけじゃねえ、飲みっぷりが気持ちがいい」
「飲みは挨拶だ」バルドは酒を掲げ、声を落とす。「それで、挨拶ついでに聞くが――兜を脱がねえ騎士の一団が、この辺を嗅いでるって話は本当か?」
笑いが一拍、浅くなる。店主は目線だけで壁際の男を示した。粗末な外套だが、靴の泥は丁寧に落とされ、鞘の革は軍務の磨き方だ。
ライラは何も言わず、カウンターの端に硬貨を一枚滑らせる。男は渋い顔で杯を傾け、ぼそりと漏らした。
「昼のうちに市場を見回っていた。狙撃手の噂を拾って、夜明け前に町外れの古井戸を……」
「そこから先は言わなくていい」バルドが遮った。男の杯に酒を足すと、肩を軽く叩く。「今のは酔っぱらいの寝言だ。忘れろ」
店主が咳払いをして、話の向きを無理なく変える。「こっちの肉、脂が落ちきる前が食べごろだ。今が一番、腹に来る」
外に出ると、風は冷たく、星は澄んでいた。ヴォルクが短く問う。
「間に合うか」
「夜明け前には古井戸へ出るってさ」バルドは鼻を鳴らして笑う。「酒は強い方が話が早い」
ライラは頷き、手短に段取りを共有した。「見張りは二点、合図は鳥笛。争いは避ける。『話』をこちらが用意する」
カイが弓に指を滑らせる。「風は北に回った。足音が響きやすい。先に位置を取るよ」
ミーナは旅籠の包みを大事そうに抱えた。「その、余ったロースト……朝まで持ちます?」
「持つ。腹の覚え書きは士気になる」ヴォルクが言い、短く笑った。「行くぞ」
冷たい夜気を切って、饗狼傭兵団は静かに歩き出した。
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