第069話 蒼環の灯台
立ち寄ってくれてありがとう。深呼吸をひとつ、今日の体と心を整えていこう。
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黒水のほころびを抜けて丘を越えると、遠くに一本の高い塔が見えた。雲の切れ間に青い光を放つ。“蒼環の灯台”。近づくほどに光は穏やかになり、風が旋回して流れている。帆布は低く、荷は締めて。合図は指で足りる。
「塵なし。鏡あり。……風が丸い」カイが息を止めた。
「水も霧も過ぎた。今日は光が舌」ライラが掌をかざし、青い照り返しを受けた。
塔の根に、年老いた灯守が一人。腰紐に藍はない。手には小さな鏡が握られている。
「昼は灯を消す。夜にまた点ける。……通るなら、この光を一度だけ返してくれ」
ヴォルクは頷き、御者台の商人に目を送る。「借りる腹は返す足で」
バルドが鏡を受け取り、ライラが太陽を反射させて塔の窓へ光を返す。青が一瞬揺れ、塔の灯が静かに明るさを増した。
「谷へ二、丘へ一。光は半手で呼ぶ」灯守が囁く。
「覚えた」ライラは光の重さを骨に刻んだ。
作業の間、ミーナは火を使わない。黒石を布で抱き、木鉢の底に据える。布袋の水を手のひら一杯。“旅酵”を指の腹だけ落とし、焙り麦の粉をひとつまみ、赤芽の粉を爪の先だけ。塩は影。香草は粉。
「“灯守りの薄り”。湯気は出さない。温いで止める」
酸が短く跳ね、光の匂いが柔らかく混じる。カイがひと口すすり、頬の力を落とす。「軽いのに、腹に柱が立つ」
商人は目尻で笑みを置き、「歩幅を稼ぐ味だ」と短く言った。
塔の根の石に古い藍の点がかすかに残っていた。粒は細いが、光に隠れて見えない。代わりに、風の旋回と照り返しが“話す”。
「粉の囁きは沈む。舌は光」ライラが鏡を指で撫でた。
「濡れ布の揺れ、なし。目は遠い」カイが肩を切った。「輪になる前に抜ける」
灯守が磨かれた小石をミーナに渡した。「器の底に置けば、温が光を含む」
「受け取ります。硝子片と重ねる」ミーナが布に包んだ。
正午前、塔の陰で短い休止。火は使わず、“灯守りの薄”を裂き、光草の粉を指の腹だけ散らして押し戻す。香草は粉。塩は影。
「噛まずに舌で広げる。息が透き通る」ミーナが配る。
バルドが頬に寝かせ、静かにうなずいた。
午後、塔を離れるころ、遠い肩で黒い点が一度だけ揺れて消えた。鏡ではない。濡れ布でもない。目はいるが、舌は遠い。
「灯は眠った。耳は届かない」ライラが囁く。
「良い。歩幅は揃える」ヴォルクは隊列を二列に伸ばし、御者台へ親指を立てた。「合図は指で足りる」
夕刻、塔を背に帆布を張る。灯は一つ。影は増やさない。増やす必要のない夜だ。器に磨かれた石を沈め、“薄り”を温いまで起こす。湯気は出ない。酸が喉をやさしく撫で、胸の“種”が息を継いだ。
御者台で商人が短く書く。「本日の勘定:蒼環の灯台、光返し、磨石。歩幅、維持」
「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの言葉に、光が塔の影を柔らかく包んだ。
星が出る。灯は沈み、道は前へ延びている。
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“灯台”や“光の記憶”で思い出す景色があれば、一つ教えてください。また明日。




