第059話 硝光の野
立ち寄ってくれてありがとう。深呼吸をひとつ、今日の体と心を整えていこう。
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紅礫の坂道を下りきると、地面が急に平らになった。風が止み、あたりの草が淡く光を放っている。“硝光の野”。夜の名残を抱いたまま、昼の光を撥ね返していた。帆布は低く、荷は締めて。合図は指で足りる。
「塵なし。鏡なし。……光の匂い」カイが目を細めた。
「坂も霧も過ぎた。今日は光そのものが舌」ライラが掌を差し出し、草の上をなぞる。指先が淡く光った。
野の中央に、背の高い女が一人。腰紐に藍はない。掌に小瓶を抱えている。
「夜の残り火が草に宿る。風を通せば眠る。……通るなら、列を開けて歩いて」
ヴォルクは頷き、御者台の商人に視線を送る。「借りる腹は返す足で」
バルドが草の列を半手ずつ分け、ライラが光の筋を確かめながら通す。
「谷へ二、丘へ一。列は半手あける」女が囁く。
「覚えた」ライラは足跡を残さず進んだ。
作業の間、ミーナは火を使わない。黒石を布で抱き、木鉢の底に据える。布袋の水を手のひら一杯。“旅酵”を指の腹だけ落とし、焙り麦の粉をひとつまみ、紅礫の粉を爪の先だけ。塩は影。香草は粉。
「“光守りの薄り”。湯気は出さない。温いで止める」
酸が短く跳ね、光の匂いに溶けた。カイがひと口すすり、頬の力を落とす。「軽いのに、腹に柱が立つ」
商人は目尻で笑みを置き、「歩幅を稼ぐ味だ」と短く言った。
野の中央に古い藍の点がかすかに残っていた。粒は細いが、光に飲まれて見えない。代わりに、草の輝きと影の深さが“話す”。
「粉の囁きは沈む。舌は光」ライラが草の先を撫でた。
「濡れ布の揺れ、なし。目は遠い」カイが肩を切った。「輪になる前に抜ける」
女が瓶をミーナに渡した。中で草の光が揺れている。「器に垂らせば温が柔らかく続く」
「受け取ります。黒石と重ねる」ミーナが布に包んだ。
正午前、野の端で短い休止。火は使わず、“光守りの薄”を裂き、光草を指の腹だけ散らして押し戻す。香草は粉。塩は影。
「噛まずに舌で広げる。目が静まる」ミーナが配る。
バルドが頬に寝かせ、静かにうなずいた。
午後、野を抜けるころ、遠い肩で黒い点が一度だけ揺れて消えた。鏡ではない。濡れ布でもない。目はいるが、舌は遠い。
「光は眠った。耳は届かない」ライラが囁く。
「良い。歩幅は揃える」ヴォルクは隊列を二列に伸ばし、御者台へ親指を立てた。「合図は指で足りる」
夕刻、野を背に帆布を張る。灯は一つ。影は増やさない。増やす必要のない夜だ。器に光草を敷き、“薄り”を温いまで起こす。湯気は出ない。酸が喉をやさしく撫で、胸の“種”が息を継いだ。
御者台で商人が短く書く。「本日の勘定:硝光の野、列開け、光草。歩幅、維持」
「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの言葉に、光がひと筋だけ震えた。
星が出る。野は静まり、道は前へ延びている。
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“光る草”や“夜の野原”にまつわる記憶があれば、一つ教えてください。また明日。




