第058話 紅礫の坂道
立ち寄ってくれてありがとう。深呼吸をひとつ、今日の体と心を整えていこう。
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蒼影の渡しを越えると、地面の色が赤く変わった。大小の礫が転がる坂道で、陽を受けるたび血のように光る。“紅礫の坂道”。帆布は低く、荷は締めて。合図は指で足りる。
「塵は乾いて、風は浅い。……舌に鉄の味」カイが鼻で風を撫でた。
「影も水も過ぎた。今日は石の響きが舌」ライラが足裏で礫を転がし、音を聞く。
坂の途中に、肩を丸めた老いた石拾いが一人。腰紐に藍はない。指先は赤く、爪の裏まで砂が入り込んでいる。
「夜に坂を渡ると石が鳴く。音を抑えるには、小石を噛ませる。……通るなら、一つだけ詰めていってくれ」
ヴォルクは短く頷き、御者台の商人に視線を送る。「借りる腹は返す足で」
バルドが礫を拾い、ライラが隙間に押し込む。石は低く鳴き、やがて黙った。
「谷へ二、丘へ一。隙間は半手寝かす」石拾いが囁く。
「覚えた」ライラは掌で石の面を撫でた。
作業の間、ミーナは火を使わない。黒石を布で抱き、木鉢の底に据える。布袋の水を手のひら一杯。“旅酵”を指の腹だけ落とし、焙り麦の粉をひとつまみ、草種を爪の先だけ。塩は影。香草は粉。
「“礫守りの薄り”。湯気は出さない。温いで止める」
酸が短く跳ね、金の匂いに似た香りが漂う。カイがひと口すすり、頬の力を落とす。「軽いのに、腹に柱が立つ」
商人は目尻で笑い、「歩幅を稼ぐ味だ」と短く言った。
坂の影に古い藍の点がかすかに残っていた。粒は細い。だが赤砂で半分は埋もれる。代わりに、礫の音と転がりが“話す”。
「粉の囁きは沈む。舌は礫」ライラが石を指で押さえる。
「濡れ布の揺れ、なし。目は遠い」カイが肩を切った。「輪になる前に抜ける」
石拾いが手のひらほどの紅礫をミーナに渡した。「器に沈めれば熱が長持ちする」
「受け取ります。黒石と重ねる」ミーナが布に包んだ。
正午前、坂の影で短い休止。火は使わず、“礫守りの薄”を裂き、紅礫の粉を指の腹だけ散らして押し戻す。香草は粉。塩は影。
「噛まずに舌で広げる。口の中に陽を残す」ミーナが配る。
バルドが頬に寝かせ、静かにうなずいた。
午後、坂を登り切るころ、遠い肩で黒い点が一度だけ揺れて消えた。鏡ではない。濡れ布でもない。目はいるが、舌は遠い。
「礫は眠った。耳は届かない」ライラが囁く。
「良い。歩幅は揃える」ヴォルクは隊列を二列に伸ばし、御者台へ親指を立てた。「合図は指で足りる」
夕刻、坂を背に帆布を張る。灯は一つ。影は増やさない。増やす必要のない夜だ。器に紅礫を沈め、“薄り”を温いまで起こす。湯気は出ない。酸が喉をやさしく撫で、胸の“種”が息を継いだ。
御者台で商人が短く書く。「本日の勘定:紅礫の坂道、隙間詰め、紅礫。歩幅、維持」
「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの言葉に、坂の礫がひとつだけ転がった。
星が出る。坂は静かに沈み、道は前へ延びている。
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“赤い石”や“坂道”にまつわる思い出があれば、一つ教えてください。また明日。




