表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
饗狼傭兵団戦記 〜腹を満たすまで〜  作者: 影道AIKA


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/95

第053話 青苔の谷

立ち寄ってくれてありがとう。深呼吸をひとつ、今日の体と心を整えていこう。

更新は毎日11:00予定。無理なく、淡々と。

石灯の峠を背に下ると、湿った風が頬に触れた。谷は深くなく、石の壁に青い苔が広がっている。“青苔あおごけの谷”。足を踏めばしっとりと沈み、音は立たない。帆布は低く、荷は締めて。合図は指で足りる。

「塵なし。鏡なし。……苔の匂い」カイが鼻で湿りを撫でた。

「耳も粉も灯も終い。今日は苔の水気が舌」ライラが壁を指でなぞり、掌に緑を受けた。


 谷の底に、腰紐を締めた苔掘りの女が一人。腰に藍はなく、掌は青く染まっている。彼女は谷壁の水筋を顎で示し、囁いた。

「苔が水を吸いすぎて鳴く。根を少し剥がせば黙る。……通るなら、一つ削って」

 ヴォルクは短く頷き、御者台の商人に目をやった。「借りる腹は返す足で」

 バルドが根を押さえ、ライラが小刀で苔を半手だけ削いだ。水が滴り、音は消えた。

「谷へ二、丘へ一。苔は半手剥ぐ」苔掘りが囁く。

「覚えた」ライラは掌に湿りを残した。


 作業の間、ミーナは火を使わない。黒石を布に抱き、木鉢の底へ据える。布袋の水を手のひら一杯。胸の“旅酵たびこう”を指の腹だけ落とし、焙り麦の粉をひとつまみ。塩は影。香草は粉。苔を指の腹だけ削いで加えた。

「“苔守りのすすり”。湯気は出さない。温いで止める」

 酸の香りに湿りが重なり、喉が静かに開く。カイがひと口すすり、頬の力を落とす。「軽いのに、腹に柱が立つ」

 商人は目尻で笑い、「歩幅を稼ぐ味だ」とだけ。


 谷壁の陰に古い藍の点がかすかに残っていた。粒は細いが、水に擦れて読めない。代わりに、苔の滴と湿りが“話す”。

「粉の囁きは溶ける。舌は苔」ライラが水筋を指でなぞる。

「濡れ布の揺れ、なし。目は遠い」カイが肩を切る。「輪になる前に抜ける」


 苔掘りが小さな布包みをミーナに渡した。中には乾かした苔片が数枚。「器に敷けば湿りを長く保つ」

「受け取ります。灰や砂と重ねる」ミーナは布に包んだ。


 正午前、谷の陰で短い休止。火は使わず、“苔守りの薄”を裂き、乾苔を指の腹だけ散らして押し戻す。香草は粉。塩は影。

「噛まずに舌で広げる。水が舌を覆う」ミーナが配る。

 バルドが頬に寝かせ、静かにうなずいた。


 午後、谷を抜けるころ、遠い肩で黒い点が一度だけ揺れて消えた。鏡ではない。濡れ布でもない。目はいるが、舌は遠い。

「苔は眠った。耳は届かない」ライラが囁いた。

「良い。歩幅は揃える」ヴォルクは隊列を二列に伸ばし、御者台へ親指を立てた。「合図は指で足りる」


 夕刻、谷を背に帆布を張る。灯は一つ。影は増やさない。増やす必要のない夜だ。器に乾苔を敷き、“薄り”を温いまで起こす。湯気は出ない。酸と湿りが喉を撫で、胸の“種”が息を継いだ。

 御者台で商人が短く書く。「本日の勘定:苔の根剥ぎ、苔守りの薄、乾苔。歩幅、維持」

「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの言葉に、苔の滴が一つ音を立てた。


 星が出る。谷は静まり、道は前へ延びている。

読了感謝。ブクマ・評価が次の筆の燃料になります。

“苔”で思い出す場所や感覚があれば、一つ教えてください。また明日。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ