第049話 白土の坂
立ち寄ってくれてありがとう。深呼吸をひとつ、今日の体と心を整えていこう。
更新は毎日11:00予定。無理なく、淡々と。
灰色の窪みを抜けると、地面は白く乾いた土に変わり、細かい粉が靴裏で鳴いた。坂は緩やかだが長く、踏めば白い粉が舞い、影のように追ってくる。“白土の坂”。帆布は低く、荷は締めて。合図は指で足りる。
「塵は舞うが浅い。鏡はなし」カイが目を細め、鼻で風を撫でた。
「耳は沈む。今日は足跡の残りが舌」ライラが爪先で土を軽く崩し、粉の流れを確かめた。
坂の半ばに、肩を丸めた土掘りの男が一人。腰紐に藍はなく、掌は白く乾いている。彼は指で地面を撫で、顎で前をしゃくった。
「この坂は夜に風が下ると唄う。白粉が鳴いて、遠くまで届く。……通るなら、溝を崩して音を殺してくれ」
ヴォルクは短く頷き、御者台の商人へ視線を送る。「借りる腹は返す足で」
バルドが斧の背で溝を崩し、ライラは粉を掌で均す。崩した粉が斜面を覆い、鳴きは沈んだ。
「谷へ二、丘へ一。溝は半手寝かす」土掘りが囁く。
「覚えた」ライラは足裏で確かめ、骨に角度を刻んだ。
作業の間、ミーナは火を使わない。陽石を布で包み、木鉢に据えて布袋の水を手のひら一杯。“旅酵”を指の腹だけ落とし、焙り麦の粉をひとつまみ、草の種を爪の先ほど。塩は影。香草は粉。
「“白坂の薄り”。温いで止める。湯気は上げない」
酸が短く跳ね、すぐ落ち着く。カイがひと口すすり、頬の力を落とす。「軽いのに、腹に柱が立つ」
商人は目尻で笑みを置き、「歩幅を稼ぐ味だ」とだけ。
坂の影に古い藍の点がかすかに残っていた。粒は細いが、粉で埋まって読めない。代わりに、土の崩れ方と足跡の残りが“話す”。
「粉の囁きは沈む。舌は坂の跡」ライラが足跡を消すように歩いた。
「濡れ布の揺れ、なし。目は遠い」カイが肩を切る。「輪になる前に抜ける」
土掘りが小さな袋を差し出した。中には粉より粗い白粒。「器の底に撒けば、湿りを吸う」
「受け取ります。蝋と灰と重ねる」ミーナが掌で確かめ、胸の布に収めた。
正午前、坂の影で短い休止。火は使わない。“白坂の薄”を裂き、白粒を指で散らして押し戻す。香草は粉。塩は影。
「噛まずに舌で広げる。湿りが抑えられる」ミーナが配る。
バルドが頬に寝かせ、静かにうなずいた。
午後、坂を登り切るころ、遠い肩で黒い点が一度だけ揺れ、すぐ沈んだ。鏡ではない。濡れ布でもない。目はいるが、舌は遠い。
「足跡が舌。耳も粉も影もここでは眠る」ライラが囁く。
「良い。歩幅は揃える」ヴォルクは隊列を二列に伸ばし、御者台へ親指を立てた。「合図は指で足りる」
夕刻、坂を背に帆布を張る。灯は一つ。影は増やさない。増やす必要のない夜だ。器の底に白粒を撒き、蝋と粉と重ね、“薄り”を温いまで起こす。湯気は出ない。酸が喉をやさしく撫で、胸の“種”が息を継いだ。
御者台で商人が短く書く。「本日の勘定:白土の坂、溝崩し、白粒の封。歩幅、維持」
「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの言葉に、粉が風にひと筋だけ舞った。
星が出る。坂は遠ざかり、道は前へ延びている。
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“坂道で思い出す味”があれば、一つ教えてください。
また明日。




