第048話 灰色の窪み
立ち寄ってくれてありがとう。深呼吸をひとつ、今日の体と心を整えていこう。
更新は毎日11:00予定。無理なく、淡々と。
枯木の影を背にして一日、地面は草を手放し、灰を薄くまとったような窪地に変わった。踏めば細かい粉が靴の縁から舞い、息を呑むと喉が乾く。“灰色の窪み”。帆布は低く、荷は締めて。合図は指で足りる。
「塵が浅く浮く。鏡はない」カイが目を細め、鼻で風を撫でる。
「耳も粉も影も届かない。今日は足裏が舌だ」ライラが窪みの縁を踏み、音を確かめた。
中央に、腰を曲げた老いた採り人が一人。腰紐に藍はない。手の平は灰で黒ずんでいる。彼は窪みの底を顎でしゃくり、短く告げた。
「夜にここを踏むと、灰が唄う。影より遠くまで声が走る。――通るなら、表面を潰して黙らせてくれ」
ヴォルクは短く頷き、御者台の商人に目をやった。「借りる腹は返す足で」
バルドが棒で地を突き、ライラが灰を掌で均す。薄い層を崩して、粉を寝かせる。音が沈み、足跡が柔らかく消えた。
「谷へ二、丘へ一。灰は半手寝かせて読む」採り人が囁く。
「覚えた」ライラは足裏で感触を確かめ、骨に刻んだ。
作業の間、ミーナは火を使わない。黒石を布に包んで木鉢へ置き、布袋の水を手のひら一杯。胸の“旅酵”を指の腹だけ落とし、焙り麦の粉をひとつまみ、草種を爪の先だけ。塩は影。香草は粉。
「“灰静めの薄り”。湯気は出さない。温いで止める」
酸が短く跳ね、すぐ落ち着く。カイがひと口すすり、頬の力を落とした。「軽いのに、腹に柱が立つ」
商人は目尻で笑い、「補給が笑う味だ」とだけ。
窪みの縁に古い藍の点がかすかに残っていた。粒は細いが、灰で半分は埋まっている。代わりに、足裏の沈みと粉の鳴きが“話す”。
「粉の囁きは眠る。舌は足裏」ライラが足跡を消すように歩いた。
「濡れ布の揺れ、なし。目は遠い」カイが肩を切る。「輪になる前に抜ける」
採り人が布に包んだ灰を少し、ミーナに渡した。「器の底に撒けば、匂いが抜けにくい」
「受け取ります。蝋と粉の上に重ねる」ミーナが掌で重さを確かめた。
正午前、浅い影で休止。火は使わず、“灰静めの薄”を裂き、干し果実の粉を爪の先ほど散らす。香草は粉。塩は影。
「噛まずに舌で広げる。喉が水を欲しがらない」ミーナが配る。
バルドが頬に寝かせ、うなずいた。
午後、灰の窪みを抜けるころ、遠い肩で黒い点が一度だけ揺れて沈んだ。鏡ではない。濡れ布でもない。目はいるが、舌は遠い。
「耳も影も粉もここでは沈む」ライラが囁く。
「良い。歩幅は揃える」ヴォルクが隊列を二列に伸ばし、御者台へ親指を立てた。「合図は指で足りる」
夕刻、窪みを背に帆布を張り、灯は一つ。影は増やさない。増やす必要のない夜だ。器の底に灰を薄く敷き、蝋と粉で封を重ね、“薄り”を温いまで起こす。湯気は出ない。酸が喉をやさしく撫で、胸の“種”が息を継いだ。
御者台で商人が短く書く。「本日の勘定:灰静め、薄り、器の灰封。歩幅、維持」
「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの言葉に、風が灰をひと粒だけ運んだ。
星が出る。灰は眠り、道は前へ延びている。
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“静けさを守る工夫”を一つ教えてください。また明日。




