第045話 陽石の寝床
立ち寄ってくれてありがとう。深呼吸をひとつ、今日の体と心を整えていこう。
更新は毎日11:00予定。無理なく、淡々と。
板橋の唄が背で静まり、草の背がまた低くなった。黒い石が帯になって並び、ところどころ積まれている。昼の陽を飲んで、夜に温みを吐く“陽石”の寝床だ。帆布は低く、荷は締めて。合図は指で足りる。
「塵なし。鏡なし。……熱の匂い」カイが手の甲で石を撫でる。
「耳は粉でも糸でもない。今日は影だ」ライラが石の列に立つ棒の影を見た。「刻みが半手ずれてる」
陽石の端に、肩章の色だけ明るい日取り番が一人。腰紐に藍はない。指先は黒く、粉でも泥でもない薄い煤がついている。彼は棒の根を指で示し、顎で西をしゃくった。
「冬の刻みのまま残ってる。影が間違うと、夜の温が逃げる。――通るなら、列を起こしてくれ」
ヴォルクは短く頷き、御者台の商人へ視線を送る。「借りる腹は返す足で」
バルドが梃子で石列の傾きを直し、ライラは棒の根を半手だけ回して影印を合わせる。黒石が低く息を吐くように鳴り、面の熱が均された。
「列は谷へ二、丘へ一。影の刻みは昼の半手、夜に二手戻す」日取り番が指で示す。
「覚えた」ライラは棒の影を掌で押さえ、骨に角度を刻んだ。
作業の間、ミーナは火を起こさない。黒石をいくつか選び、掌で温度の強いものを布に包んで木鉢の底へ据え、布袋の水を手のひら一杯だけ。焙った大麦の粉をひとつまみ、“旅酵”を指の腹だけ落とす。塩は影。香草は揉んで粉。
「“日温の薄り”。陽石の温で止める。湯気は上げない」
香りが短く跳ね、すぐ落ち着く。カイがひと口すすり、頬の力を落とした。「軽いのに、腹に柱が立つ」
商人は目尻で笑みを置き、「歩幅を稼ぐ味だ」とだけ。
陽石の列の根に、古い藍の点が薄く残っていた。粒は細いが、熱で色が褪せて読めない。代わりに、影の長さと棒の向きが“話す”。
「粉の囁きは溶ける。舌は今日、影と石」ライラが棒の刻みに指を当てる。
「濡れ布の揺れ、なし。目は遠い」カイが丘の肩を切る。「輪になる前に抜ける」
日取り番が蜂蝋の小片を差し出す。「夜に器の口へ薄く。匂いが逃げにくい。石の面にも、擦れを黙らせる」
「蝋は覚えた。粉と重ねて封にする」ミーナが笑みを目尻に置く。
昼前、影が短くなるのを見計らい、“息の薄”を掌ほどにのして黒石の面に置く。油は使わない。じゅ、とも言わない温度で面を乾かし、裏返す。ふくらませない。舌でほどける弾みだけ。
バルドが端を頬に寝かせ、舌で押し広げる。「喉が水を欲しがらない」
「帳簿が前へ進む」商人は短く言い、帳面は開かないが目で記した。
陽石の帯の外れに、草束の耳が一本。二度結び、角度は谷へ二、丘へ一。辻の癖。藍の点は遠い。影の刻みは合っている。日取り番は棒の根をもう一度押さえ、親指を立てた。
「夜は風下の列で寝ろ。灯は一つ。石の上で鳴かせるな」
「灯は一つ。影は増やさない」ヴォルクが受け、帆布を半手だけ下げた。
出立。帆布は低く、荷は締めて。“日温の薄”を薄く裂いて配り、残りは布で包んで胸に入れる。種には粉と水を指先だけ与え、掌で温度を移す。
正午、草の背がさらに低くなり、浅い石列が点で現れては消える。遠い肩で黒い点が一度だけ揺れ、すぐ沈んだ。鏡ではない。濡れ布でもない。目はいるが、舌は遠い。
御者台で商人が短く書く。「本日の勘定:陽石列の角度合わせ、日温の薄、蝋の封。歩幅、維持」
「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの言葉に、黒石が一つ、やさしく鳴いた。
夕刻、陽の抜けた列の風下に帆布を張る。灯は一つ。影は増やさない。増やす必要のない夜だ。器の口に粉と蝋を薄く撫で、陽石で“薄り”を温いまで起こす。湯気は出ない。薄い酸が喉を静かに撫で、胸の“種”が息を継いだ。
影が夜に溶け、道は前へ、静かに延びている。
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“火を使わず温める工夫”で思いつくものがあれば、一つ教えてください。また明日。




