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饗狼傭兵団戦記 〜腹を満たすまで〜  作者: 影道AIKA


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第041話 胸の種

立ち寄ってくれてありがとう。

深呼吸をひとつ、今日の体と心を整えていこう。

更新は毎日11:00予定。無理なく、淡々と。

夜の温もりがまだ帆布に残るうちに、ミーナは胸元の小包をそっと開いた。布に抱かれていた薄い膜が、指の腹にやわらかく張りつく。旅酵の“種”。粉を指先ほど、水を指の腹ほど与え、掌で包んで温度を移す。湯ではない。温いだけで足りる。

「息をさせる間は、声はいらない」ミーナが小さく言う。

「合図は指で足りる」ライラが頷き、帆布を半手だけ下げた。風は東。草は低い。


 浅い丘を越えると、土に半ば埋もれた古い焚きたきぐちがいくつか並んだ。石の縁には灰が薄く残り、器の口に塗るための白い粉が指先ほど。道標の老人が教えてくれた“匂い留め”だ。

 バルドが斧の背で焚き口を整え、ミーナは器の縁に粉を薄く撫でる。香りが逃げないよう、呼吸の通り道だけを残して蓋をかぶせた。

「紙はしまう」ヴォルクが御者台の商人を見た。「今日の舌は、息と石」


 午前の短い影で休止。火は猫の尻尾ほど。黒石を温め、粉と水で起こした“種”を指でひとすくい、焙り麦の薄に混ぜる。油は使わない。掌ほどにのして、草の葉でそっと包み、石の面と葉の間に寝かせた。じゅ、とも言わない温度で、面だけを乾かす。

「ふくらませない。薄く、舌で溶ける弾みだけ」ミーナは包みを返し、また返す。湯気は出さない。香りだけが短く跳ね、すぐ落ち着く。

 カイが端を頬に寝かせ、舌で押し広げる。「軽いのに、腹に柱が立つ」

「補給が笑う味だ」商人は目尻で笑い、言い回しを短く飲み込んだ。


 焚き口のそばの石に、古い藍の点がかすかに残っていた。粒は細いが、風に擦れて半分は読めない。代わりに草束の耳が一本、二度結びで立っている。角度は谷へ二、丘へ一。辻の癖が回ってきた。

「耳は草。粉の囁きは古い」ライラが結びを指で撫で、半手だけ寝かせた。「“遅れて来い”に寄せる」

「目はいるが、舌は遠い」カイが丘の肩を指で切る。「濡れ布の揺れ、なし」


 出立。帆布は低く、荷は締めて。“息の薄”を薄く裂いて配り、残りは布で包んで胸に入れる。種は別の布で抱き、掌の温度で息を守る。

 浅い谷を一つ越えるところで、石杭の影に小さな蜂蝋みつろうの欠片が落ちていた。黄色い光。ミーナが指で柔らかさを確かめ、器の縁に薄く撫でる。白い粉の上から、さらに匂いを結ぶ。

「匂いは閉じて、息だけ通す」ミーナが蓋を合わせる。

「声を上げるのは、灯と角笛の仕事だ」カイは弓袋を軽く叩いた。「今日は要らない」


 正午少し前、草の背がわずかに高くなり、風が角度を変えた。草束の耳が二本、半手ずらしで立つ。辻の番は見えないが、結びの癖は新しい。

「耳を借りる。口は使わない」ライラが角度を合わせ、隊列の間隔をわずかに広げた。

 ヴォルクは歩幅を一つだけ伸ばし、御者台へ親指を立てる。「輪になる前に抜ける」


 午後、浅い窪地の陰で二度目の短い休止。火は使わない。朝の“息の薄”の端を指で潰し、露の残りで指一本ぶんだけ湿らせて“湯漬け”寄りに戻す。香草は揉んで粉だけ。塩は影。干し果実の粉を爪の先ほど。

「甘い話は、息が好きだ」ミーナが笑いを目尻に置く。

「数字が遠くまで運べる味だ」商人は低く一言だけ。帳面は開かないが、目で記す。


 道の肩で、黒い点が一度だけ揺れて消えた。鏡ではない。濡れ布でもない。目はいる。だが舌は遠い。草耳の結びは“遅れて来い”のまま、誰にも直されていない。

「耳は届くが、足は追わない」カイが草の筋を指でなぞる。

「良い。歩幅はそのままに」ヴォルクは隊列を二列に伸ばし、影を細く保った。「合図は指で足りる」


 夕刻、古い焚き口の残りを風下の灌木の陰で拾い、灯は一つ。影は増やさない。増やす必要のない夜だ。器の縁に蜂蝋と粉が小さく光り、薄い酸の匂いが喉をやさしく撫でる。胸の布包みの種は、静かに息をしている。

 御者台で商人が帳面を開き、短く書く。「本日の勘定:種の起こし、息の薄、匂い留め(粉+蝋)。歩幅、維持」

「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの言葉に、草が一度だけ、肩で触れ合った。


 星が出る。風はやさしく、息は胸に、道は前へ延びている。

読了感謝。ブクマ・評価が次の筆を軽くします。

好きな“発酵もの”(パン、ヨーグルト、漬物など)を

一つ教えてください。また明日。

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