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饗狼傭兵団戦記 〜腹を満たすまで〜  作者: 影道AIKA


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第031話 水秤の宿

立ち寄りありがとう。深呼吸をひとつ、

今日の体と心を整えていこう。

更新は毎日11:00予定。無理なく、淡々と。

白風の名残が草の先でまだ擦れていた。浅い屋根の列の奥、土の広場に丸い井戸。縁には古い石の目盛り、脇に横木と皿秤。皮袋が順に並び、人は多くないが、列は長い。帆布は締め、荷は低く。合図は指で足りる。

「塵なし。鏡なし。藍の粉……薄い」カイが井戸の縁を指で撫でる。「挽きは細い。街道筋の癖」

「耳はある。けれど、口は秤だ」ヴォルクが短く言い、御者台の商人へ視線を送った。


 井戸番は痩せた中年で、腰紐の藍糸は三度の縒り。だが結びは固く、町の癖が出ている。彼は皿秤に目を落とし、棒読みの調子で言った。

「一袋につき水一皿、銀一。干ばつ加算でさらに半」

「加算は口の砂だ」商人は笑みを薄くし、カルディアの印が押された随行契約を開く。「護衛随行の節は“路の維持に協力するか、または適正賃で通す”」

 井戸番は印を指で撫で、周囲の列とヴォルクの斧を見比べた。喉が一度、上下する。

「……横木が軋む。板の楔が抜けかけだ。手を貸すなら、三袋ぶん免除」

「借りる腹は返す足で」ヴォルクはうなずき、バルドを顎で呼んだ。


 井戸の脇で、バルドが楔穴をさらい、斧の背で新しい楔を打ち込む。木が低く鳴り、軋みが消えた。ライラは秤の紐を結び直し、皿の水平を目で整える。列が小さく息を吐いた。

 その間、ミーナは広場の陰で火を猫の尻尾ほどに細くし、黒石で大麦を焙った。香りが静かに立つところへ、布袋の水を手のひら二杯だけ。薄い湯が回り、乾いた柑橘皮を爪の先ほど落とす。干し魚を針の太さに削り、粉にして木片に分ける。

「茶をすすって、粉を舌で溶かす。喉が水を欲しがらない温度で」

 カイがひと口すすり、粉を舌で転がす。「軽いのに、歩ける」


 楔が収まり、秤がまっすぐに止まると、井戸番は小さく咳払いをした。

「三袋免除。もう一袋は半分でどうだ」

「良い秤は、噂より早い」商人は銀を一枚だけ皿に置いた。「紙は見せた。次は腹に回す」

 皮袋に落ちる水は浅いが、確かだった。ライラは配分表の針を動かし、喉の回数を示す指を三本立てる。「半刻ごと、薄く」


 広場の隅に低い土台があり、旅人が鍋を置いていた跡がわずかに黒い。ミーナは朝の焙り麦の残りを布で包み、湯を指一本ぶんだけ足して、湯漬けにして配る。香草は揉んで粉だけ。塩は指先。

「湯漬けは、歩幅を稼ぐ味」商人が木椀を受け取り、笑みを目尻にだけ浮かべた。

 バルドは椀を傾け、肩の力を落とす。「腹が静かになる」


 列の後ろで、小さな影が二つ、柱の陰に溜まっていた。指先に藍の粉。結びは二度。村の子だ。ライラが目で数え、井戸番に見えない角度で石の上に短い線を三本――方角と距離。子らはそれをまねて描くと、粉を払って走った。

「耳は多いが、舌は一つ」カイが弓袋を軽く叩く。「今日は秤の舌だ」

「舌がまっすぐなら、腹も前に行く」ヴォルクは井戸番に短く礼をした。「助かった」


 正午の少し後、隊は井戸を離れた。帆布は低く、車輪は歌わない。藍の粉は井戸の縁でだけ濃く、道には薄い。風は乾き、匂いは短い。

 御者台で商人が帳面を開く。「本日の勘定:井戸整備協力・免除三半、水配分、焙り麦の湯漬けと魚粉。歩幅、維持」

「紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる」ヴォルクの言葉に、井戸の石がひとつ、乾いた音を返した。


 午後、低い丘の肩を越え、草と砂の境に出る。遠くで鏡が一度、浅く閃き、すぐに消えた。藍の点は見えない。白風の砂紋が、耳の跡をさらったのだろう。

「灯は一つ。今夜は風下の窪みに寝る」ライラが決める。「合図は指で足りる」

 夕刻、残りの湯で椀を濯ぎ、麦をひとつかみ焙って今日を閉じた。柑橘の皮は指先ほど、塩は控えめ。喉は水を欲しがらない。

 星が出る。影は増やさない。増やす必要のない夜だ。井戸の石目盛りの感触だけが、掌に残っていた。

読了感謝。

ブクマ・評価が次の筆の背中を押してくれます。

あなたの「旅先で食べたい温かい一品」を一つ教えてください。また明日。

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