第222話 蒼聞の継ぎ目
訪問ありがとう。今日は少し静かな揺れ方を読む回です。派手さはないけど、こういう回も楽しんでもらえたら嬉しいです。
翌朝の風は少し乾いていた。
夜露が薄いぶん、広場の土も軽い。だが、こういう朝ほど人は気を抜く。昨日ひと山越えたと思った翌朝は、腹より先に気が緩むからだ。
だからガラムは、夜明け前に三本の棒を立てさせた。
今日は赤を南壁寄り。
灰を水場寄り。
茶を火場寄り。
昨日と同じ意味で、昨日と違う位置。
場に刻むのは順であって、場所そのものではない。その理屈を腹に落とさせるためだ。
受け取りが始まると、人の動きは昨日より滑らかだった。棒を見て、自分の位置を見て、前後の顔を確かめる。その流れ自体は悪くない。
だがガラムは、何人かの目が妙に早く逸れるのを見ていた。
話が回っている目だ。
しばらくして、水場寄りの列の後ろで若い男が隣へぼそりと漏らした。
「昨日の帳面、やっぱりこの中の誰かのらしいぞ」
小さい声だった。
だが、聞かせるための小ささだった。
ガラムはすぐには割り込まず、その周りを見る。誰が先に反応したか。誰が初耳ではない顔をしたか。
二人いた。
列の少し前の痩せた男と、桶運びを手伝う細目の女だ。
継ぎ目がある。
噂は空から落ちない。
誰かの口から誰かの口へ渡る。その継ぎ目が見えれば、焦りになる前で止められる。
ガラムは水場寄りへ歩いた。
「今の話、もう一度言え」
若い男が肩を跳ねさせる。
「え?」
「誰から聞いた」
周りが静まる。
責める声ではない。だから逃げにくい。
若い男は口ごもったあと、前の痩せた男を見た。
痩せた男はすぐ顔をしかめる。
「俺はただ、そういう話があるって――」
「誰から聞いた」
痩せた男の目が、水場の方へ流れる。
そこに細目の女がいた。
「私は洗い場で聞いただけだよ」
「誰から」
「……昨日の、あの女さ」
やはりそこか、とガラムは思った。
昨日、並びの食い違いを言い立てた中年女。
あの口が、今度は“聞いた話”の形で戻ってきたのだ。自分で見たとは言わない。聞いた、らしい、そういう話がある。その形に変えてあるぶん、昨日より厄介だった。
ガラムは三人を順に見た。
「今から戻す。聞いた順で言え」
細目の女が眉をひそめる。
「戻す?」
「そうだ。誰から、どこで、何を聞いた」
女は少し迷ってから言った。
「昨日の女から。洗い場の裏で。帳面は、たぶん中の者のだろうって」
「たぶん、か」
ガラムは次に痩せた男を見る。
「お前は」
「こいつから聞いた。中の誰かの物かもしれんって」
最後に若い男。
「お前は」
「……町から戻った奴が聞いたって、そう聞いた」
エドが低く息を吐いた。
「一つ増えたな」
その通りだった。
たぶん、が、かもしれん、になり、最後は“町から戻った奴が聞いた”にまで膨らんでいる。
ガラムは広場へ向き直る。
「これが口の食い違いだ。荷と同じで、人の手を渡るたびに勝手に形が増える」
薬草婆が鼻を鳴らした。
「腹より先に話が膨れるってわけかい」
「だから口にも順がいる」
ガラムは地面に短い線を三つ引いた。
一本目。
二本目。
三本目。
「誰から。どこで。何を。三つ揃わない話は、広場に持ち込まない」
細目の女が口を尖らせる。
「じゃあ何も喋るなってことかい」
「違う」
ガラムは即座に切った。
「喋るなら、継ぎ目をつけろってことだ」
その言葉は、思ったより静かに広場へ落ちた。
喋るな、では場が痩せる。
だが継ぎ目をつけろ、なら曖昧な話だけが太れなくなる。
列は再び動き出す。
赤、灰、茶。
棒の位置。
前後の顔。
そして、言葉の継ぎ目。
目に見えないものほど、順が要る。
見えないまま膨らめば、場を削るからだ。
ガラムは南壁の外へ目を向けた。
今日はまだ外は遠い。なら次は、もっと近い口を使ってくるかもしれない。
それでも構わない。
狼は腹で走る。
群れは順で持つ。
そして口は、継ぎ目を見失った時に一番腹を削る。
だから今日も、継ぎ目から逆に辿る。
切るためではない。
場を保つために。
最後まで読んでくれてありがとう。物だけじゃなく、言葉にも順がいるって感覚はやっぱり大事です。次も楽しんで下さい。




